書籍マール3巻発売&コミカライズ記念SS・その1
書籍マール3巻発売&コミカライズ記念、25日連続更新の12日目です!
今話からは、3巻発売とコミカライズを記念した『特別ショートストーリー』をお届けします。
どうかゆっくり楽しんで下さいね♪
「――やぁ、今日もいい景色だね」
広がる水の煌めきの眺めて、僕は思わず笑顔をこぼしていた。
隣のイルティミナさんも、
「ふふっ、そうですね」
と風になびく髪を片手で押さえて、柔らかく微笑んでいる。
冒険者としてのクエストの合間の休日、僕ら夫婦は、王都ムーリアに面する広大なシュムリア湖の畔を訪れていた。
大きな湖だ。
美しい山々に包まれた湖は、400年前、戦の女神シュリアン様がこの世界に初めて降臨された場所だそうだ。
そして、そこに神聖シュムリア王城が建てられ、王都として発展していったのである。
ここは30万人の王都民の命を育む水源であり、休日の人々や地方の観光客、シュリアン教の信者たちが訪れる憩いの空間でもあった。
(今日は、僕らもその1人だね)
本日は天気も良く、風も穏やか。
波も少ない水面には、広がる青空と太陽の輝きが反射して、キラキラと光を散らしていた。
本当、いい景色だ。
そんな空間を、僕とイルティミナさんは一緒に歩く。
目的なんて、何もない。
いつも命懸けの戦いのお仕事だから、休みの日には、こうしたのんびりした平和な時間を味わいたくなるんだ。
「…………」
「…………」
ふと視線が合う。
それだけでなんだか心が温かくなって、僕らは笑い合ってしまった。
今日のイルティミナさんは、当たり前だけど冒険者の格好ではなくて、普通の服装だった。
白を基調としたワンピース。
長くて綺麗な深緑色の髪は、頭の後ろでお団子にされて、そこから毛先の方を尻尾のように背中に流していた。
(……うん、素敵)
まるで、どこかの良家の若奥様って感じだ。
自分の奥さんだってことが信じられないぐらいの美人さんで、いつも見慣れているはずなのに、今もこうして見つめているだけでドキドキしちゃう。
「? どうかしましたか、マール?」
そんな僕に、彼女は不思議そうに微笑んだ。
小首をかしげる。
その仕草に、柔らかく髪が揺れて、陽光の艶めきを散らした。
ま、眩しい。
僕は「う、ううん、何でもないよ」と誤魔化し笑い。
イルティミナさんは「?」という表情をしながらも、頷いて、僕の髪を優しく撫でてくれた。
その感触が気持ちいい。
思わず、僕の青い目が細まってしまう。
「ふふっ」
そんな僕の様子に、イルティミナさんは嬉しそうに笑った。
…………。
あぁ、彼女と結婚できて、本当に良かったなぁ――僕は改めて、そんな自分の幸運を噛み締めたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
しばらく畔の散策したあと、僕らは手近な木の根元に腰を下ろした。
涼やかな木陰。
シュムリア湖の煌めきとさざ波を楽しみながら、僕らはのんびりした時間を過ごす。
(……さてっと)
やがて僕は、リュックから画材を取り出した。
画板にスケッチ用紙、黒インクに水彩絵の具、大小の筆が3本、パレット、水入れ、あと筆を拭くための古タオルだ。
カチャカチャ
慣れた手つきで準備する。
こうしてシュムリア湖の散策をするのは、もう何度目かで、そのたびに僕はこうして風景画を描いてたんだ。
……趣味って言っていいのかな?
僕は、意外と絵を描くのが好きなんだ。
こっちの世界には、前世の世界みたいに写真や映像を記録する道具が存在しない。
そんな中で、僕は、この世界に転生してからの日々を記録したくて、それで絵を描くことを始めたんだけど、今ではそれが楽しくなっちゃったんだよね。
(いつか冒険者を引退したら、趣味の画家になろうかなぁ?)
なんて思ったり。
まぁ、ずいぶん先の話だと思うけどね。
そんな僕のことを、イルティミナさんもわかってくれている。
だからか、いつものように僕の奥さんは隣に座って、シュムリア湖の美しい景色を絵に描き始めた僕のことを優しく見守ってくれていた。
……幸せな時間。
イルティミナさんの存在を身近に感じながら、筆を走らせていく。
シャッ シャッ
素人だから上手くはないけど、描くのは楽しい。
何もなかった白い紙に、今、目の前に広がっている素敵な世界の一部が切り取られて、拙いながらも創りあげられていく。
それが楽しい。
風景をそのまま描くのではなく、感じたままに描いていく。
本来の色とは違う、僕の感じた色を使ったりして、そうして生まれる絵の風景も面白い。
(♪~♪♪~♪)
鼻歌を歌うような気持ちで、今の自分だけの絵が生まれていくんだ。
やがて、
「よし、できた」
1時間ぐらいで完成だ。
イルティミナさんが肩を触れ合わせ、身を寄せながら、絵を覗き込む。
彼女は微笑み、頷いた。
「お上手ですね」
「えへへ、ありがと」
褒められて、嬉しい。
初夏のシュムリア湖の風景画――うん、自分でもまずまずの出来だと思う。自画自賛だ。
完成したけど、水彩画なのでまだ濡れている。
乾燥するまで、しばらく放置だ。
「では、その間にお昼にしましょうか。今日はサンドイッチとハーブ茶を作ってきたんですよ?」
と、微笑む僕の奥さん。
(さすが、イルティミナさん!)
僕は満面の笑みで「うん!」と頷いた。
それから、2人でサンドイッチを頬張った。
サンドイッチは種類も豊富で、お肉やお魚、野菜、果物やクリームなどがふんだんに使われていて、味付けもシンプルだけど奥深かった。
舌も心も幸せだ。
料理上手な奥さんをお嫁にもらえて、本当にありがたい。
ハーブ茶もすっきりした味わいで、口の中をリセットしてくれて、またサンドイッチを美味しく味わえる。
うん、最高の組み合わせだよ。
大好きな人と一緒に綺麗な景色の中を歩いて、楽しく絵を描けて、お昼も美味しい。
(……これ以上の贅沢な幸せは、ないんじゃないかなぁ)
そんな心地です。
イルティミナさんも幸せそうな心地みたいで、2人でずっと寄り添っていた。
◇◇◇◇◇◇◇
ハーブ茶を飲みながら、のんびり過ごす。
周囲を眺めれば、僕らの他にも、それぞれに距離を離して自分たちの時間を楽しんでいる人たちがチラホラと見受けられた。
中には、絵を描いている人も数人いる。
組み立て式のイーゼルやキャンバスで、本格的に描いている人もいた。
(綺麗な景色だもんね、ここ)
僕みたいにシュムリア湖を描きたいという人は、大勢いるだろう。
その内の1人が、絵を描き終えたのか、道具をしまって立ち上がっていた。
どうやら帰るみたいだ。
そして、その人が振り返った時、ふと見ていた僕と目が合った。
(あ……)
ペコッ
僕は頭を下げた。
隣のイルティミナさんも気がついたのか、軽く会釈をする。
その人は、60~70代ぐらいの男の人で、真っ白な髪と見事な白ヒゲをしており、斜めにベレー帽をかぶっていた。
そのおじいさんも、僕らに微笑み、帽子を軽く持ち上げ会釈してくれる。
柔和な表情のおじいさん。
実は、この絵描きのおじいさんは、これまでシュムリア湖に夫婦で来た時に、何回か見かけたことがあった。
話したことはない。
でも、顔見知り。
すれ違う時とかに、「こんにちは」って挨拶したことも何回かある。
だけど、名前も職業も何も知らなくて、ただ何となく同じ空間にいて、同じように絵を描いている人というだけの不思議な関係なんだ。
でも、そんな関係もなんだか心地好いんだ。
世間のしがらみとは関係ない、ただ『絵が好き』という同好の士みたいな感じでね。
おじいさんは、
「こんにちは。楽しく描けましたかの?」
と笑いかけてくる。
僕は笑顔で「はい」と頷いた。
おじいさんも頷いて、ふと水彩絵の具を乾燥させている僕の風景画へと視線を向けた。
ジッと見つめられ、
「ふむ、良い絵ですな。描き手の優しい心がそのまま表れているようで、なんだか温かさを感じますぞ」
そう褒めてくれた。
えへへ……ちょっと照れ臭い。
僕の絵が褒められたことが嬉しかったのか、イルティミナさんも微笑み、上機嫌だった。
「ありがとうございます」
僕はお礼を言って、
「おじいさんも楽しく絵が描けましたか?」
「はい」
僕の問いかけに、彼は笑って頷いた。
それから自分が僕の絵を批評したからか、おじいさんはすでにしまってあった自分キャンバスを荷物の中から取り出して、僕とイルティミナさんに見せてくれた。
(わぁ……)
一目見て、僕は目を輝かせた。
すっごく上手。
何気ない風景画に見えるけれど、僕のと違って、根底に確かなデッサン力が感じられた。
色使いも凄く素敵。
心がときめくような彩りがあって、不協和音みたいな部分が一切ない。
「……凄いや」
僕は呟いた。
イルティミナさんも頷いて、「お上手ですね」と伝える。
おじいさんははにかんで、
「何、これでも無駄に長く生きておりますからの。いわゆる、年の功というものです」
と謙遜しつつ、でも、やっぱり嬉しそうだった。
……そっかぁ。
僕は頷いた。
「僕、この絵、凄く好きです。……何て言うか、おじいさんの絵を描くのが好きだって気持ちが伝わってくる感じがして……」
同じ絵を描くのが好きな者として、凄く共感できる。
そして、その技量に尊敬しちゃう。
僕の感想に、おじいさんは少し驚いたような顔をして、すぐに照れ臭そうに微笑んだ。
そんな僕ら2人に、イルティミナさんも優しい顔をしていた。
やがて、
「お2人はご夫婦ですか?」
と、おじいさんに聞かれた。
初対面では、あまり夫婦に見られず、姉弟と間違われることも多いので、夫婦と思ってもらえたことが僕とイルティミナさんは嬉しかった。
2人で笑顔で「はい」と答える。
おじいさんは、僕らを見かける時、いつも2人で仲睦まじそうだったので、と笑って言ってくれた。
(えへへ)
イルティミナさんと顔を見合わせ、つい笑い合ってしまう。
すると、おじいさんは「もしよかったら」と言いながら、荷物の中から何かを差し出してきた。
ん?
それは1枚の紙きれで、何かのチケットみたいだ。
『ディアール美術画展示会』
表面には、そう書いてある。
「これは?」
僕は、おじいさんを見上げた。
彼は微笑んで、
「その券は貰い物で、ちょうど余っておりましての。もしお若い旦那様が絵がお好きならば、そういった美術展を覗いてみるのも良いのではないかと思いまして」
このチケットは、その招待券なのだそうだ。
僕らは驚いた。
イルティミナさんがおじいさんを見つめる。
「よろしいのですか?」
「はい」
おじいさんは頷いた。
「絵が好きな者同士、もしよかったらと思いましての」
そうはにかんだ。
その笑顔に他意はなくて、絵を描いてきた者の先達として、後輩に何かしらできればという純粋な厚意だけが伝わってきた。
(……おじいさん)
その気持ちが嬉しかった。
実は、こういった美術展に行ったことはない。
でもだからこそ、正直に、そういった美術展に飾られるような絵画たちを見てみたいと思えた。
イルティミナさんは僕の肩に優しく触れて、
「よかったですね、マール」
「うん!」
僕は大きく頷いた。
「ありがとうございます、おじいさん。ぜひ、行かせてもらいます!」
笑顔でお礼を伝えた。
おじいさんも満足そうに頷き、「いえいえ」と笑った。
そうして、おじいさんは去っていく。
その背中を見送って、僕は、改めて手の中にあるチケットを眺めた。
美術画の展示会は、今月いっぱいやっているらしい。
その間なら、いつでも行ける。
けど、僕らは冒険者で、次の休みはいつになるかわからなかった。
今の休暇も、あと2日間だけだ。
次のクエストが今月中に終わって、王都に帰って来れるかもわからない。
(それなら……)
僕は、チラッとイルティミナさんの顔を窺った。
すると、僕の奥さんは『全てわかっていますよ』という顔をして、優しく微笑んでくれた。
「はい。それでは明日、行ってみましょうか?」
「! うん!」
その提案に、僕は全力で頷いた。
わ~い!
(さすが。やっぱりイルティミナさんだ)
ギュッ
嬉しくなった僕は、彼女を強く抱きしめた。
イルティミナさんは驚き、その白い美貌が赤くなっていく。
「ありがと、イルティミナさん。大好き!」
「っ」
慌てた様子だったイルティミナさんが、僕の言葉に固まった。
それから、強く抱き返される。
僕の首筋に、彼女の鼻先が押し付けられ、擦られるようにされて、ちょっとくすぐったかった。
「んん……マール、マール」
急に甘えん坊さんになってしまった。
(あはは)
でも、こんなイルティミナさんも可愛い。
僕は『よしよし』とその髪を優しく撫でてあげる。
僕が描いた水彩画の絵の具が乾くまでは、もう少しかかりそうだ。
広大なシュムリア湖。
その湖面には、青い空と太陽の光が反射して煌めいている。
その美しい風景を眺めながら、僕とイルティミナさんはじゃれ合うように身を寄せながら、もうしばらく楽しい時間を過ごしたんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
次回も明日19時頃に更新しますので、もしよかったら、また読んでやって下さいね。
恒例の宣伝も。
書籍3巻、ただ今、発売中です。
マールやイルティミナたちへの応援のつもりで、もしよかったら、書籍ご購入の検討をしてやって下さいね。
電子版には、貴重なイルティミナ視点のショートストーリーも付いてきます。
また、ご購入して下さった皆さんは、本当に、本当にありがとうございます♪
どうか楽しんで貰えたのなら幸いです。
コミカライズも公開中です。
URLはこちら
https://firecross.jp/comic/series/525
漫画となったマールたちの姿を、ぜひ一目、見てやって下さいね♪




