655・通じ合う心
第655話になります。
よろしくお願いします。
5体もの巨大な魔物出現に、僕らは愕然となった。
「マール!」
すぐに自分を取り戻したイルティミナさんが『白翼の槍』を構えて、僕を庇うように立ってくれた。
当然の対応だ。
僕らには、もう『古老の青鹿』を狩ろうという気持ちはない。
でも、目前にいる魔物たちがそれを理解しているはずもなく、まして自分たちの子の悲鳴を聞いて駆けつけたのだ。
そこにいた人間の群れ。
それをどう思うか、想像に難くない。
向こうにしたら、僕ら2人と密猟者たちの区別なんてつかないだろう。
ズシッ
巨大な蹄が音を立て、巨体がこちらに近づく。
「…………」
僕は、2つの剣を鞘に納めたままだ。
恐怖に負けて、本能的に抜いてしまいそうになるのを必死に堪えた。
ギュッ
そして、イルティミナさんの白い槍を握る手を軽く押さえる。
彼女は、僕を見た。
僕も真っすぐに、彼女を見つめ返した。
「…………」
「…………」
しばし逡巡したあと、イルティミナさんは『白翼の槍』の翼飾りをカシャンと閉じて穂先を隠し、槍を下げてくれた。
(ありがとう、イルティミナさん)
その思いと覚悟が嬉しい。
イルティミナさんも、僕と運命を共にすると微笑んでくれた。
一方で、密猟者たちは震えていた。
連中は縛られていて、逃げることもできない。
その気になれば、なすすべもなく、眼前の魔物たちによって殺されてしまうのだ。
ブフッ
巨大な『古老の青鹿』の2体が、そちらの臭いを嗅ぐ。
そこに、子供の血の臭いを感じたのだろうか? 魔物たちの瞳に憤怒の輝きが灯り、興奮し始めたのが伝わってきた。
ズシン
蹄が凄まじい勢いで大地を踏む。
深く大地が陥没した。
人間の肉体など、簡単にペチャンコにできてしまうだろう。
その威力に、僕も息が詰まる。
そして『古老の青鹿』の3体が僕とイルティミナさんの方へと、怒りを宿した様子で近づいてきた。
(…………)
逃げるべきか……?
でも、密猟者とはいえ、彼らを見捨ててはいけない。
ならば、戦うか?
……いや、戦いたくない。
僕は剣を取らずに、必死に魔物たちを見つめた。
(どうか引いて……)
君たちと戦いたくない、殺したくないんだ。
子供を傷つけて、恐ろしい目に遭わせてしまったことは、同じ人間として深く謝罪する……だから、許せないかもしれないけど、どうかこのまま引いて欲しい。
僕も守りたい人がいる。
そのためなら、剣を取る。
でも、それでも、どうしても君たちとは戦いたくないんだ。
「…………」
そう思いを込めて、見つめ続けた。
イルティミナさんは覚悟を決めて、全ての決断を僕に委ねるように目を閉じて、武器も構えず、1歩も動かなかった。
僕は身勝手だ。
この魔物たちを殺しに来たのに。
それなのに、勝手な感情に流されて、今は殺したくないなんて言っている。
本当に嫌になるぐらい、身勝手だ。
それでも、
(それでも……そう思ってしまったから)
僕は、剣に手を伸ばさなかった。
ズシッ ズシィン
巨大な魔物たちが近づいてくる。
動かぬ僕らに怪訝そうな様子は見せたけれど、その瞳から殺意は消えず、その死を呼ぶ足は止まらなかった。
……駄目か。
剣を取らねば、ならないのか?
殺し合わなければ、いけないのか……?
(……嫌だ)
殺されそうなのに、その感情がどうしても消せない。
僕は、強く目を閉じた。
その時、
『ピィ』
小さな鳴き声が響いた。
◇◇◇◇◇◇◇
僕は、青い瞳を開けた。
僕とイルティミナさんのすぐ目の前に、あの『古老の青鹿』の子供が立っていた。
成体の魔物たちに向かって、
『ピィ、ピィ』
何かを訴えるように鳴いていた。
(……君?)
僕は呆けた。
この子の家族であろう『古老の青鹿』たちは戸惑ったように足を止め、その鳴き声に耳を傾けた。
密猟者たちの近くにいた2体も、動きが止まっていた。
5体とも、小鹿を見ている。
…………。
やがて、魔物たちの瞳から怒りの色が消えた。
そうして現れたのは、長命な種族特有の高い知性と落ち着きを感じさせる光のみだった。
古老……そう名に冠する魔物だ。
本来は思慮深く、早々に暴れたりしない大人しい魔物なのかもしれない。
目撃されることが少ないのも、長年の経験と高い知性によって、人目につかないように暮らしてきたがゆえなのだろう。
その超然とした佇まい。
それは、まるでこの深い森の化身そのものだった。
「…………」
僕は、その姿を見つめた。
魔物たちの瞳も、僕を見つめ返していた。
お互いに殺意がない。
それを感じた。
錯覚ではなく、心が通じ合ったのだと僕には感じられた。
ズシン
魔物が1歩引いた。
ズシ ズシィン
成体1体と小鹿だけを残して、他の4体が下がっていく。
『ピィ』
小鹿が僕へと近寄って来た。
グイッ
甘えるように、何かを伝えるように、僕へとその鼻先を押しつけてくる。
「……あは」
僕は笑ってしまった。
そして、その子の頭と首を、たくさんの感謝を込めて両手で撫でた。
怖かったろうに。
痛かったろうに。
それでも自分を傷つけたのと同じ『人間』である僕を許してくれた優しさに、僕は胸がいっぱいになってしまった。
小鹿も気持ち良さそうに瞳を細めていた。
「…………」
イルティミナさんは、そんな僕らの様子を眩しそうに眺めていた。
残った1体も、そんな僕らを見つめていた。
やがて、小鹿が離れた。
ズシン
入れ替わるように、体長6メードもある成体が近づいてきた。
長い首を伸ばし、巨大な頭が降りてくる。
そこから生えている青いクリスタルみたいな角は、内部がキラキラと光っていて、とても綺麗だった。
フッ フッ
大きな鼻が呼吸し、動く。
その先にあったのは、血を流している僕の左肩だった。
小鹿に噛まれた怪我だ。
すると次の瞬間、その『古老の青鹿』に生えている青く巨大な角が光を放ち始めた。
ポワァ
(……あ?)
肩の傷が塞がっていく。
回復魔法だ。
そういえば、その角には回復魔法と同じ魔力が秘められているんだっけ。
だから、それが美容品の素材として有効なのだとか……。
驚きながら、それを思い出す。
そして、完全に傷が消えた。
角の光は消え、巨大な頭部が持ち上がった。
すると、
「我が夫を治して頂き、感謝をいたします」
イルティミナさんがそう口にした。
魔物に対しても、そうしてお礼が言える自分の奥さんが、僕は大好きだ。
僕は笑った。
今回、クエストは失敗になる。
僕はそれでも構わない。
でも、より立場のあるイルティミナさんがそれを受け入れてくれるのが、本当に申し訳なくて、それでもやっぱり嬉しかった。
キュッ
その手を握った。
彼女も微笑み、僕の手を握り返してくれた。
『…………』
そんな僕ら夫婦の姿を『古老の青鹿』はジッと静かに見つめた。
すると何を思ったのか、
ブォン
その長い首を振り回して、近くにあった大樹の幹にその青く広がるクリスタルのような角を叩きつけた。
衝撃で大樹が倒壊し、
ガシャアン
同時に、その巨大な角の半分が砕け散った。
(!?)
突然の行動に意味がわからず、僕は硬直した。
メキメキと折れた大樹は地面に倒れ、そして、残された幹の根元付近には、半壊した巨大な青い角の破片が転がっていた。
驚いている僕らを見つめ、
ズシ ズシィン
その『古老の青鹿』は、こちらに背を向け、森の中へと消えていく。
小鹿はチラリと僕らを見る。
けれど、すぐに仲間のあとを追っていった。
ガサッ パサッ
草木が揺れる音が遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
「…………」
「…………」
僕らの前の地面には、半分の長さだけれど『古老の青鹿』の青い角だけが残されていた。
魔力が残っているのか、内部に光が散っている。
とても綺麗だ。
そしてそれは、本来の僕らのクエスト目的とされている魔物素材だった。
(……え?)
まさか?
その意味に気づいて、僕は唖然となった。
イルティミナさんも驚愕した表情で、あの巨大で長命な魔物の消えた森の方角を見つめていた。
その唇から、吐息がこぼれる。
「お礼のためか、あるいは今後の自分たちの身を守るため、その角を差し出したのか……どちらにしても、その洞察力は素晴らしいですね」
それは感嘆の声だ。
戦わなくてよかった、そう安堵する響きもあった。
知恵がある魔物。
それを相手にするのは本当に難しく、あの『古老の青鹿』は『金印の魔狩人』をして安堵させるだけの知能があったのだ。
僕はしゃがんで、その角に触れた。
ピト
(温かい……)
長さ2メードもある角には、不思議な温もりがあった。
それはまるで、あの魔物の心みたいだ。
「……ありがとう」
僕は呟いた。
そんな僕の肩にイルティミナさんは白い手で触れて、優しい微笑みを浮かべていた。
僕も、彼女に微笑み返す。
それから、再び角を見て、
「…………」
青い瞳を閉じると、長く吐息をこぼしたんだ。