650・夜会のお話
第650話になります。
よろしくお願いします。
「はい、ホットミルク」
ドレス姿のまま、リビングのソファーに座るイルティミナさんに、僕は湯気をあげるカップを手渡した。
彼女は「ありがとう、マール」とはにかむ。
僕も笑って、彼女が美味しそうにすする様子を眺めた。
ドレス姿のイルティミナさん。
いつもは見られない姿なので、ついついその全身をくまなく眺めてしまった。
「?」
視線に気づくイルティミナさん。
こちらを見つめる美貌には化粧が施されていて、目鼻立ちがよりくっきりと、肌も滑らかでまるで本物のお人形さんみたいだ。
「うん、凄く綺麗だよ」
そう口にした。
彼女は目を丸くし、その頬が赤くなる。
チークのせいではない……と思う。
「あ、ありがとうございます」とくすぐったそうにはにかみながら、うなじの後れ毛を指でいじっていた。
可愛いな……。
その熱が伝わって、なんだか僕まで赤くなっちゃった。
しばし夫婦で照れ合った。
それから彼女は、まとめていた長い髪を解いて、ドレスの紐も緩め、着崩したリラックスした格好になった。
……なんか、色っぽいです。
そうしてイルティミナさんは、僕に夜会での話をしてくれた。
今日の夜会は、レクリア王女主催の新年を祝うための集まりの1つだったそうだ。
大貴族から小貴族まで、色んな人が集まったらしい。
そこには竜騎隊隊長のレイドル・クウォッカやロベルト・ウォーガン将軍も礼服を着て参加していたとか……へぇ、その姿は見てみたかったな。
特にロベルト将軍は、奥さんも同伴していたそうだ。
「とても優しそうな人でしたよ」
と、イルティミナさん。
夫の後ろで1歩下がって、彼を引き立てるタイプに見えたとか。
(へ~?)
ちなみに、2人の間には7人もお子さんがいるんだ。
一番上のお嬢さんは14歳で、この夜会にも参加していて、イルティミナさんとも挨拶を交わしたそうだ。
…………。
ロベルト将軍は、今や大将軍だ。
暗黒大陸よりの生還、第2次神魔戦争にも参加し、竜国戦争でもシュムリアの総大将として勝利を収めた。
もはや、自他ともに認めるシュムリア王国一の将軍だ。
イメージするなら、アルン神皇国の常勝無敗の大将軍アドバルト・ダルディオスと同じような立場になったと言えるだろう。
……うん。
僕らは、凄い人と知り合いになったもんだ。
…………。
夜会には色んな貴族様がいらっしゃって、イルティミナさんにとっては初対面の人も大勢いたそうだ。
その中には『イルティミナ・ウォン』を知らない人もいて、特に侯爵家の息子だという人物が立場を笠に着て、しつこく声をかけてきたという。
(……むむっ)
最初、イルティミナさんは穏便に断った。
夫がいることも伝えたけど、向こうは引かずに『愛人にしてやるからその夫と離縁しろ』などとのたまったそうだ。
嘘でしょ?
物語じゃなくて、現実にそんな横暴な人いるの?
ちょっと呆れた。
そして、凄く嫌な気分だ。
「あとで聞いた話によれば、社交界でも問題児として認識され、他の貴族たちからもあまり歓迎されていない御仁のようでしたね」
とのこと。
そして、その侯爵家の馬鹿息子は、イルティミナさんをダンスに誘おうと強引に手首を握ったそうな。
(ぎゃあっ!?)
ぼ、僕の奥さんに勝手に触るな!
この無作法には、さすがにイルティミナさんも怒った。
投げ飛ばしたかったけど、王女主催なので騒ぎにするのもまずかろうと、逆に相手の手首の関節を極めて振り払ったそうなのだ。
折れはしないけど、かなり痛いらしい。
相手は悲鳴をあげた。
そのせいで皆が注目する中、
「このイルティミナ・ウォンの身を自由にできるのは、我が夫のみ。例え相手が女神シュリアンであろうと、決して許しはいたしません」
と宣言したそうな。
(おぉ……イルティミナさん)
嬉しい。
凄く嬉しいよ……。
でも、感動する僕と違って、イルティミナさんは「それが失態でした」と落ち込んだ顔をした。え……?
『女神シュリアンであろうと許さない』
実は、この文言が問題だった。
だって、このシュムリア王国の王家は、戦の女神シュリアンの子孫であり血族なのだ。
言うなれば、王家への反発。
イルティミナさん本人にその気はなくても、周りの貴族からはそう取られてもおかしくない言葉なのだ。
周囲の反応に、彼女もハッとした。
侯爵家の馬鹿息子も、さすがにそのような暴言を聞いては顔を青くしていたそうだ。
ただ、
「それでも、私の想いに嘘はありませんから」
そう、イルティミナさんは僕を見つめた。
女神シュリアンとシュムリア王家、王国貴族を全て敵にしても、僕への愛に生きると彼女ははっきり告げたんだ。
男として嬉しい。
嬉しいけど、彼女が心配だ。
(どうなっちゃうんだろう……?)
不敬罪で牢屋に入れられたり、最悪、処刑されたりしてしまうのだろうか?
……胃が縮むような感覚だ……。
でも、そんな僕の奥さんの窮地を救ってくれたのは、誰あろう、王家の中でも女神シュリアンの血を最も色濃く継いだレクリア王女その人だった。
レクリア王女は口元に手を当て、楽しそうに笑った。
その笑い声に皆が驚く中、
「シュリアン様は戦いの神。自らの大事なもののため、神とも戦おうと思える気概は好ましく、またその覚悟を尊きものとして祝福してくださることでしょう」
そうおっしゃったんだ。
つまり、イルティミナさんを許し、その愛を認めた。
ただでさえ、金印の魔狩人イルティミナ・ウォンの後ろ盾として公言している人物の言葉によって、貴族たちも納得した。
宴の雰囲気も守られた。
またイルティミナさんの愛の深さを皆が知り、賞賛する空気になったんだって。
(さすが、レクリア王女)
イルティミナさんも「彼女には、本当に助けられました」と言った。
ちなみにその後、面目を潰された侯爵家の馬鹿息子は、恐れ知らずのイルティミナさんの前から退散し、その夜会の最中はずっと大人しくなっていたそうだ。
あはは……いい気味だ。
嫉妬もあって、つい、そんな意地悪に思ってしまった。
ギュッ
イルティミナさんが僕を抱きしめる。
いつもはしない香水の匂いがして、何だか不思議な感じ……でも、その奥に、彼女自身の甘い匂いがする。
それを胸いっぱいに吸う。
「…………」
「ん……マール」
着崩して、ドレスの胸元の開いた場所に僕を抱きしめながら、イルティミナさんは吐息をこぼす。
僕の髪を指で撫でながら、
「やはり、マールに触れていると安心します」
「…………」
「そして、ドキドキも」
そう嬉しそうに、そして、どこか恥ずかしそうにはにかんだ。
僕は顔をあげる。
イルティミナさんの美貌を見上げた。
見つめ合い、
チュッ
彼女の顔が降りてきて、唇が重なった。
(……ん)
顔が離れると、彼女は「あら」と少し驚いた顔をして、それからクスッと笑った。
その親指が僕の唇を押さえ、
「ふふっ、ルージュがついてしまいましたね」
キュッ
濡れた瞳で僕を見つめながら、そこについた甘い紅色を拭った。
◇◇◇◇◇◇◇
イルティミナさんは化粧を落としてドレスも脱ぐと、いつもの寝間着姿になった。
髪もほどいて、
シュッ シュッ
その長い髪に、いつもように丁寧に櫛を通していく。
やがて月明かりに艶やかに輝く髪を揺らしながら、彼女はベッドに横になった。
「ふふっ、マール」
そう言いながら、僕を抱きしめる。
いつもの抱き枕だ。
今夜は1人寝だと思っていたので、彼女の匂いと温もりがそばにあることが嬉しくて仕方ない。
僕も抱きしめ返した。
そんな甘える僕のことを、イルティミナさんも慈しむように見つめてくれた。
ベッドの上で、しばしの抱擁。
そのまま彼女が聞きたがったので、今日1日の僕の話をしてあげた。
お昼ご飯は、1人で作って食べたこと。
午後は銀行に出かけて、そのまましばらくシュムリア湖の畔を散策したこと。
キルトさんの部屋に寄ったこと。
ついでに、キルトさんに注意されたことも伝えて、
「ごめんなさい」
と謝った。
イルティミナさんは苦笑しながら、僕の髪を撫でる。
「マールにとってキルトは、ある意味、母親みたいなものですからね。まぁ、仕方がないのかもしれません」
なんて言った。
母親……?
僕は、キョトンとしてしまった。
この世界では、15歳で成人だ。
なので、15歳で結婚して、早ければ16歳で母親になる女性もいるんだ。
僕とキルトさんも、ちょうど16歳差。
言われてみれば、キルトさんが母親でもおかしくない年齢差なんだけど……何となくピンと来なかった。
イルティミナさんは、
「キルトならば許します。でも、他の女性と2人きりは駄目ですよ?」
そう言って、僕の鼻をチョンと指でつついた。
(うん、もちろん)
僕は大きく頷いた。
それからも寝物語をしながら、しばらく僕の髪が撫でられる。
するとその時、
「あ……そうでした」
彼女は、ふと思い出したように呟いた。
ん?
僕は顔をあげる。
彼女も僕を見て、
「実は夜会にて、ウォーガン夫人や他の貴族のご婦人方から、とある『頼まれ事』をされてしまったんです」
と言った。
(……頼まれ事?)
夜の暗闇の中、僕は自分の奥さんを見返しながら、青い瞳を丸く見開いてしまった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、来週の月曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




