649・1人ぼっちの時間
第649話になります。
よろしくお願いします。
(あぁ……またか)
イルティミナさんの言葉に、僕はそう思った。
僕の奥さんは王国が誇る『金印の魔狩人』の1人であるイルティミナ・ウォンであり、次期シュムリア国王と目されるレクリア王女を後ろ盾に持った人物なんだ。
当然、貴族界隈からの注目も高い。
そのため、レクリア王女から貴族の開く夜会などへの出席を求められることが時々あるんだ。
もちろん、イルティミナさんはそういうのは好きじゃない。
それはレクリア王女も知っている。
でも、貴族の方々との関係を考えれば、王女様であっても……いや、王女様だからこそ断れないこともあるんだ。
キルトさんも現役時代は、そうした夜会などに出席していたと聞く。
彼女曰く、
「面倒ではあるが、いざという時に役立つことがあるのもまた事実じゃ」
とのこと。
貴族との繋がりは、大事にした方がいいというのだ。
…………。
まぁ、レクリア王女が目を光らせてくれているから、その繋がりが悪い方向には向かわないと信じているけれど。
イルティミナさんは、
「行きたくはありませんが、行かない訳にはいきませんね」
と悲しそうに呟いた。
それから、僕の身体をもう1度、ギュッと抱きしめてくれた。
……うん。
彼女が行きたくない理由の1つには、そうした夜会には、僕は出席できず、その日は離れ離れでいなければいけないこともあった。
僕は、イルティミナ・ウォンの夫。
そして、王国でもトップクラスの『銀印の魔狩人』だ。
参加資格はあると思う。
でも、レクリア王女がそれを許してくれなかった。
その理由は、僕が『神狗』だから。
それこそ僕は、この王国だけでなく、全世界でたった2人しかいない『神の眷属』の1人だった。……あまり自分自身では自覚ないんだけど。
僕が『神狗』である事実は、秘匿されていた。
各国でも、上層部だけしか知らない。
つまり、夜会に参加する貴族のほとんどは、『神狗』が誰であるのか知らないんだ。
本当は『神の眷属』という存在そのものが秘密だった。
でも、第2次神魔戦争や竜国戦争などで目立った活躍をしたため、多くの人に目撃されて、存在を秘匿し続けるのは困難になった。
人の口に戸は立てられないからね。
なので現状は、『神の眷属』の正体が誰かわからないようにする方向性なんだ。
実は、レクリア王女は替え玉も用意しているとか……。
話が逸れたけど、要するに、レクリア王女は僕が夜会に参加することで大勢の貴族の目に触れられることを嫌ったんだ。
僕の利用価値は高い。
手に入れた貴族は、神々への信仰の篤いこの世界で大いなる地位と権力を得られるだろう。
そのためなら、手荒な……それこそ犯罪に手を染めても構わないという貴族は、残念ながら、少なからず存在しているとレクリア王女は言うのだ。
そうなったら、僕らの平穏な生活は壊される。
そんなのは嫌だ。
イルティミナさんだって嫌だろうし、レクリア王女も僕らを守ろうとしてくれた。
だからこそ、夜会への参加禁止なのだ。
(…………)
離れ離れは寂しい。
でも、僕らの生活を守るためには、寂しくても受け入れねばならないのだ。
ギュッ
イルティミナさんの両手が、僕を強く抱きしめる。
温かくて、いい匂い。
僕はそれを胸いっぱいに吸い込んで、たった1日だけど会えなくなる自分の奥さんの存在を、しっかりこの身に刻み込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇
夜会の当日がやって来た。
会自体は夜からだけど、準備や挨拶回りなどで、イルティミナさんは午前中から登城することになっていた。
10時頃、家の前の通りに、王家からの迎えの馬車が停まる。
「それでは、いってきますね」
我が家の玄関で、ドレス姿のイルティミナさんがそう微笑んだ。
……うん、綺麗。
冒険者の時のイメージそのままに、ドレスは白く、装飾のネックレスと耳飾りの宝石が輝いているけれど、全体的には落ち着いたシックな雰囲気だ。
長い髪は三つ編みにして、頭の後ろに結い上げてある。
まとめられた深緑色の髪には、銀の枝垂れ桜のような髪飾りがキラキラと上品に揺れていた。
まさに大人の美女。
誰もが思い描く、たおやかな気品ある貴婦人の姿だ。
一応、平民なんだけどね……。
夜会に出席するので、彼女の美貌には珍しく化粧が施され、香水も使われているみたいだった。
クンクン
いつものイルティミナさんの匂いが消えて、何だか別人みたいだ。
化粧した顔も、少し不思議。
実は僕は、イルティミナさんの化粧した姿を見ることは滅多にない。
だって、彼女は冒険者。
山野を駆け、砂漠の日光を浴び、海の潮風を浴びながら、魔物を狩るのが仕事なんだ。
泥や汗など、汚れにまみれるのは日常である。
お風呂に入れないまま、何日も過ごすことだってよくあるんだ。
化粧なんて必要ない。
香水だって、匂いでこちらの存在を魔物に気づかれてしまうからつけたりしない。
…………。
そう考えると、イルティミナさんって凄いね?
特にスキンケアとかしてないのに肌は綺麗だし、化粧してないのに誰もがわかる美人だし、例え泥などに汚れていても、その美しさがくすむことがないんだから……。
まぁ、家では彼女もケアしてるのかもしれない。
この世界でも、化粧水とか乳液とか、そういう美容商品はあるみたいだから。
そうそう。
美容といえば、イルティミナさんはよく髪の手入れをしている。
彼女の髪は、凄く綺麗だ。
そして、太ももまで届くほどに長く伸ばしていた。
その髪に、よく櫛を通している。
イルティミナさんの美しい髪へのこだわりは、彼女の母であるフォルンさんの影響だと聞いたことがあった。
僕も精神世界で1度、見たことがある。
とても綺麗な人で、やっぱり今のイルティミナさんみたいに長い髪をしていた。
イルティミナさんにとっては、その母が理想の女性。
そして、その美しく長い髪が女らしさの象徴として、彼女の心には刻まれているみたいなんだ。
だからこそ、僕の奥さんは髪を大事にしている。
より美しい女であるために。
それはもちろん、夫である僕のために美しくあろうと思ってくれているからなんだって。
…………。
ち、ちょっと照れるね?
でも、僕もイルティミナさんの髪は大好きだ。
いい匂いだし、触り心地もいいし。
僕に髪を撫でられると、イルティミナさんも心地好さそうな顔をしてくれるのも嬉しいんだ。
っと、閑話休題。
そんな彼女が今は、しっかりと化粧などをした姿で僕の前に立っていた。
うん、貴重な姿だ。
それを瞳に焼きつけて、僕は微笑んだ。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「はい」
彼女は頷いた。
夜会では、誰かにダンスに誘われたりするのかな?
(……踊って欲しくないな、他の男の人とは)
狭量な夫でごめんなさい。
でも、やっぱり、イルティミナさんが他の男の人と身体を寄せ合っている姿は考えたくなかった。
そんな思いが、顔に出ていたのかもしれない。
ピトッ
(あ)
手袋に包まれた彼女の指が、僕の頬に触れた。
「すぐ帰ってきます」
貴方が寂しくないように――そうその優しい眼差しが言外に告げていた。
僕は頷いた。
彼女に相応しい自分であるように、ちゃんと見送ろう。
そう思って、笑顔を守る。
「うん、待ってるね」
「はい」
僕らは笑い合った。
やがて、外で待っていた迎えの人が「時間ですので」と申し訳なさそうに声をかけてきた。
ギュッ
一瞬だけ、彼女が僕を抱きしめる。
口紅や化粧が崩れるので、キスも頬摺りもなく、軽く……でも、思いを込めた抱擁だった。
ん、心が温かい。
すぐに身体を離して、
「いってきます、マール」
もう1度、彼女はそう言って、表の馬車へと乗り込んだ。
ガラガラ
豪華な馬車が、家の前の通りを遠ざかっていく。
お姫様は行ってしまった。
「…………」
心の中に少し冷たい風が吹いている。
馬車が見えなくなるまで見送ったあと、僕は大きく息を吐いた。
遠くに見えるシュムリア湖。
その湖上には、美しく壮麗な神聖シュムリア王城が見えていた。
夜会の舞台はあそこ。
…………。
僕は、その煌びやかなお城をしばらく見つめて、それから家の中へと1人で戻った。
◇◇◇◇◇◇◇
「よし、できた」
その日は、1人でお昼ご飯を作って食べた。
作ったのは、葉物野菜とベーコンのクリームパスタと林檎と蜜柑の果肉にメイプルシロップをかけたフルーツデザートだ。
モグモグ
うん、なかなかよくできたと思う。
(でも、少し味がしないなぁ)
一緒に食べてくれる人がいないと、美味しいんだけど、あんまり心は満たされた感じがしなかった。
まぁ、仕方ないよね。
庭の芝生を眺めながら、昼食を食べ終えた。
1人でお鍋や食器を洗い、後片付け。
午後になったら、僕は家の戸締りをして王都の街中へと向かうことにした。
カシャン
腰ベルトに、護身用に『妖精の剣』と『マールの牙・参号』だけを装備する。
前世の日本ほど、治安が良くないからね。
見た目が子供な僕は、1人で出歩いていると、悪い人に狙われる可能性があるので武器の携帯は必須なのだ。
ガチャ
家の鍵をかけ、
「いってきま~す」
誰もいない玄関に向かって言ってから、王都の中心部へと向かう坂道を歩きだした。
…………。
…………。
…………。
相変わらず、王都の通りは人が多い。
小柄な僕は、時々、大柄な人たちに押し潰されながら通りを歩いていった。
最初に行ったのは、王立銀行だ。
先日の報酬カードをここで換金して、口座に貯金してもらう。
人が多かったので、30分ほど待った。
窓口のお姉さんにカードを渡して、手続きをお願いする。
最初は子供みたいな僕を見て、そのお姉さんは『新人冒険者かな? がんばったね』みたいな微笑ましい顔をしていた。
でも、手続きが始まると
「……えっ?」
と、驚いた顔をする。
それはそうだ。
だって、その報酬カードの金額は、王国トップの『金印の魔狩人』が達成したクエスト報酬――その半額なのだ。
およそ5万リド。
日本円にして、500万円だ。
うん、実は僕とイルティミナさんは高給取りなのだ。
まぁ、その分、ほとんどの冒険者が達成できないレベルの討伐クエストばかりで、いつ命を落とすかわからない危険な仕事ではあるんだけどね。
驚くお姉さんに、僕はニコリと笑った。
「あ……っ」
ハッと我に返ったお姉さんは、すぐに手続きをしてくれる。
何だか緊張した顔。
一応、身元照会ということで冒険者印も見せることになった。
でも、僕の右手の甲に輝くのが『銀印』の魔法印だったので、またまた驚いた顔をしていた。
……まぁね。
王国トップ3人の『金印』は別にして、『銀印』は一般的な冒険者の最高ランクなのだから。
そこからの対応は、凄く丁寧だった。
子供だと勘違いされて、微笑ましそうにしてくれていた様子も消えてしまった。
むしろ、恐縮した感じ。
……それには何だか、こちらも申し訳ない気持ちになってしまったよ。
なんか、ごめんなさい。
何はともあれ、無事に銀行口座に預金できた。
(さて……と)
そのあと僕は、シュムリア湖の畔まで足を延ばして、砂浜を散策した。
冬なので、人は少ない。
でも、冬独特の澄んだ美しさもあって、それを眺めながら歩くのは楽しかった。
そのまま近かったので、『冒険者ギルド・月光の風』にも足を運んだ。
別に用はないんだけどね。
1階フロアには、たくさんの冒険者が集まっていて、依頼書の張られた掲示板を確認していた。
2階レストランでは、クエスト達成したのか、祝勝会をしているパーティーもいて、ついつい僕も笑顔になって『おめでとうございます』と心の中で祝福してしまった。
そして3階は、宿泊施設。
せっかくなのでと、フロアの一番奥にある部屋の扉をノックした。
コンコン
しばらくして、
「うむ、誰じゃ?」
ガチャッ
銀髪をポニーテールにした美女が扉を開けて、すぐに「マール?」と僕の姿に目を丸くした。
僕は笑って「こんにちは、キルトさん」と挨拶した。
部屋の中へと入れてもらう。
イルティミナさんが夜会に出かけたこと。
今、僕が1人なこと。
そして、
「近くまで足を運んだから、ちょっと寄りに来ちゃった」
と、素直に来訪理由を伝えた。
キルトさんは苦笑だ。
それから、彼女は今、グノーバリス竜国とヴェガ国から届いた政情に関する書類の確認をしている最中だと教えてもらった。
(あらら……)
悪い時に来ちゃったかな?
でも、キルトさんは「いや、ちょうど一息入れようと思っておったところじゃ」と笑ってくれた。
それから、お茶をしながら雑談。
竜国戦争から半年。
グノーバリス竜国は、現在、マリアーヌさんが新女王となって、ようやく国内情勢の地盤が安定してきたところだとか。
ヴェガ国も、アーノルド王が中心となって、そんな竜国の復興支援をしているとか。
そんな話を聞かされた。
他にも、ソルティス、ポーちゃんのコンビも冒険者活動を再開していて、現在、南のメディスの街に行っているということも教えてもらった。
(そっか)
タイミングが合ったら、また2人と会って食事でもしたいな。
そんな風にして、会話を弾ませる。
気がついたら、窓の外の空が赤くなっていた。
もう夕方だ。
そろそろ夕食の時間。
「ここで食べていくか?」
キルトさんはそう言ってくれたけれど、僕は首を横に振った。
これ以上、お邪魔するのも申し訳ない。
つい長居してしまったし、今更かもしれないけれど……。
キルトさんは、少し寂しそうだ。
それから、
「わらわだから良いが、妻がいない間に、他の女と1対1で会うのは控えるのじゃぞ」
(え……?)
あ……言われて気づいた。
知らない人から見たら、浮気を疑われてたかもしれない。
た、大変だ。
アワアワする僕に、キルトさんはおかしそうに笑っていた。
◇◇◇◇◇◇◇
その日の夕食は、外食で済ませた。
訪れたのは、キルトさんの昔馴染みで『冒険者ギルド・月光の風』の創設メンバーの1人でもあるポゴさんの食事処だ。
厳つい風貌だけど、味は絶品。
量も多いんだ。
ここでは、赤毛に褐色肌の美女、レヌさんもウェイトレスとして働いているんだ。
でも、今は新婚旅行で、旦那様のレントロスさんと一緒に『水の都ヴェルツィアン』を訪れているんだって。
(そっかぁ)
あの街は本当に綺麗な所だったから、新婚旅行にはぴったりだね。
なんだか心が温かくなっちゃった。
そうして僕は、笑顔でポゴさんの美味しい料理を食べていく。
うん、最高。
その時、ふとお店の窓から、遠くに見える神聖シュムリア王城の光り輝く姿が目に入った。
「…………」
思わず、手が止まる。
今頃、イルティミナさんも夜会の料理を食べていたりするのかな?
貴族の相手は大変だと思う。
がんばってね。
でも、無理しないでね。
そんなことを思いながら、しばらく、夜の世界に輝く光のお城を見つめてしまった。
…………。
…………。
…………。
食事を終えて、家へと帰った。
あまり遅くなると、治安もますます悪化するから、ポゴさんの店を出たあとは真っ直ぐ家路を辿った。
「ただいまぁ」
鍵を開け、誰もいない真っ暗な家に入る。
……やはり、寂しい。
いつもならイルティミナさんの優しい笑顔が花のように咲いて出迎えてくれるんだ。
それがないだけで、凄い違和感だ。
それから僕は、お風呂を焚いて1人で入った。
そのあとは、絵でも描こうかな……なんて思ったけれど、何だか気乗りしなくてそのまま就寝することにした。
ポフッ
夫婦のベッドに1人で横になる。
「…………」
イルティミナさんの匂い。
それを胸いっぱいに吸う。
それだけで、少しだけ心が柔らかくなった気がした。
…………。
彼女が帰ってくるのは、明日の朝だ。
眠ろう。
眠ってしまえば朝が来る。
そして、大好きなあの人も帰ってくるんだ。
そう思って、目を閉じた。
温かな暗闇の中で、意識が閉じていくのを静かに、静かに待った。
その時だった。
外の通りに、馬車の蹄と車輪の音がした。
それが近づき、家のすぐ近くで停まる。
(ん……?)
僕は耳だけを澄ます。
ガチャッ
しばらくして、玄関から鍵の開く音がした。
「!」
僕はガバッと跳ね起きた。
寝室を出て、廊下を走り、リビングから玄関へと向かう。
玄関の灯りが点いていた。
(……あ)
その灯りの中に、幻想的な純白のドレスを身にまとった女神のような美女が立っていた。
その美女は、ヒールを脱いでいる最中だった。
僕に気づく。
動きが止まり、すぐに手にしていたヒールを放り投げて、僕の方へと駆け寄ってきた。
ギュウッ
午前中とは違い、全力での容赦のない抱擁。
目を白黒させる僕に、
「明日まで待てずに、帰ってきてしまいました……」
彼女は恥ずかしそうに言った。
…………。
その言葉に、僕は胸が熱くなった。
僕も彼女を抱きしめ返す。
泣き笑いの表情で、
「――おかえりなさい、イルティミナさん」
愛する人を、僕はそう迎えた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




