642・肩慣らしクエスト
第642話になります。
よろしくお願いします。
「お疲れ様でしたね、マール」
イルティミナさんはそう言って、稽古が終わった僕とキルトさんに果実水のグラスを渡してくれた。
ありがとう、イルティミナさん。
汗をかいた身体に、それはとても美味しく染み渡った。
キルトさんも美味しそうに飲んでいる。
それから僕を見て、
「その身体になって良い点もあったが、悪い点もあったの。じゃが、なかなか楽しめたぞ」
と、愉快そうに笑った。
良い点と悪い点、か。
確かに大人になって、剣の威力と間合いは増した。
でも、それを最大限に有効活用できたかというと、そうでもなかった気がする。
特に超接近戦では、子供の姿の時の方が戦えていただろう。
つまり、慣れの問題だ。
(この大人の肉体に慣れてたら、もっと戦えてたんだろうな……)
そう思った。
まぁ、キルトさんが『楽しめた』と言うのなら、総合評価は悪くはなかったとは思うんだけどね。
(でも、僕自身としては期待外れかなぁ)
もっとやれると感じてたのに。
それが表情に出ていたのかな?
僕の奥さんは苦笑して、
「自分の強さを測る時に、キルトを物差しにしてはいけませんよ? 彼女を使うと、相対的に自分が弱いように感じてしまいますからね」
なんて忠告した。
キルトさんは「む?」と不本意そうな顔だ。
でも……確かに。
昔から彼女と稽古をしていると、自分が強くなったのか、弱くなったのか、わからなくなる時がある。
今回も僕としては残念な結果だった。
けど、
(そこまで卑下しなくてもいいのかな?)
と、首をかしげた。
イルティミナさんは、
「私から見て、今のマールは新しい領域に入っていたと思います。確かに強くなっていましたよ?」
と言ってくれた。
それから微笑んで、
「どうしても自覚できないのでしたら、そうですね……1度、冒険者ギルドで簡単な討伐クエストでも受けてみましょうか?」
なんて提案した。
え……討伐クエストを?
僕とキルトさんは驚いた顔になった。
イルティミナさんは「はい」と頷いた。
「王都近郊で、すぐに行って帰れる距離の初級クエストを探しましょう。長く休暇もしていますし、肩慣らしも兼ねて、自分の強さを確かめてみてはいかがですか?」
「…………」
肩慣らし……か。
確かに、来月から活動再開予定だ。
その前に、実戦の空気を味わってみるのもいいかもしれない。
それに、
(僕の剣がどうなっているのか、もっとわかるかも?)
そんな期待も生まれた。
剣の師匠であるキルトさんも「ふむ、それもいいかもしれぬな」と言ってくれた。
イルティミナさんも微笑み、頷いた。
……うん。
せっかくだし、そうしてみよう。
ギュッ
大人になった自分の手を見つめ、その指を強く握り締めた。
そうして僕は、約5か月ぶりにクエストを受けるため、2人の美女と冒険者ギルドに向かったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
雄大なシュムリア湖の畔に建つ白亜の塔――『冒険者ギルド・月光の風』にやって来た。
まだ午後なので、人も多い。
(……久しぶりだな)
少し懐かしい思いをしながら、3人でギルド内へと入っていった。
1階フロアには冒険者が多く、他にも依頼人らしい人たちやギルド職員さんも歩いていた。
彼らは、すぐ僕らに気づく。
そして、冒険者とギルド職員さんは驚いた顔をした。
ザワザワ
え、何……?
最初は、人気者のキルトさんを見てかと思ったけど、ちょっと違った。
耳を澄ますと、
「おい、あの白槍様が旦那以外の男といるぞ!?」
「嘘だろ!?」
「て、天変地異の前触れか……?」
「まさか、浮気?」
「いや、有り得んだろ」
「……あの旦那の子の小っちゃさが良かったのに……」
なんて声が聞こえてきた。
(…………)
そっか、僕だって気づかないよね?
でも、僕が知らないだけで、イルティミナさんがいつも旦那の僕と一緒にいるって、みんな思ってたんだ。
……な、なんか恥ずかしいな。
やはり『金印の魔狩人』だけあって、イルティミナさんは注目の的だったんだろう。
そうした声に、けれど、当のイルティミナさん本人は気にした様子もない。
キルトさんは苦笑を堪えている。
独特な孤高の雰囲気を持つイルティミナさんだからか、キルトさんもいるのに、誰も僕らに近寄ってこなかった。
そんな中、
(お?)
僕は、見知った赤毛のギルド職員さんを見つけた。
思わず、声をかける。
「クオリナさん」
「え?」
獣人の獣耳と短めの尻尾を揺らして、彼女は振り返った。
僕は、そちらに近づく。
久しぶりに会えたのが嬉しくて、つい笑顔だ。
「…………」
彼女はポカンと口を開けたまま、大人になった僕を見上げた。
その頬が、少しずつ赤くなる。
ん……?
それに気づくと同時に、彼女はハッとして、取り繕った笑顔を浮かべた。
「は、はい、何でしょう?」
と、敬語だ。
まるで初対面の人みたいな対応。
え、あれ?
「あの、クオリナさん? もしかして、僕のことわからない?」
と聞いてみた。
クオリナさんは「え?」と目を丸くした。
それから慌てて、
「え……あ、ごめんなさい! そ、その、お名前を忘れてしまって。こんな素敵な男の人の顔を忘れることなんて、ないはずなのに……っ」
なんて言い出した。
片手で書類を抱えながら、もう片方の手で服や前髪を整えたりしている。
……おっと。
顔見知りだからわかるかと思ったけど、全然、僕だってわかってないみたいだ。
思わず、ジッと見つめてしまう。
クオリナさんは、
「あ……う……」
と、顔を真っ赤にしながら視線を逸らし、落ち着かない様子だった。
なんか、可愛い……。
僕はつい笑ってしまった。
それを見たクオリナさんは「はうっ!?」と呻き、ますます顔を赤くして、耳や首元まで真っ赤になっていた。
後ろでキルトさんは、必死に笑いを堪えていた。
そして、
「マール? 彼女をからかうのもいい加減にしなさい」
僕の奥さんに、そう言われてしまった。
見たら、その美貌は面白くなさそうな表情をしていて、嫉妬しているみたいだった。
…………。
イルティミナさんに嫉妬されるの、嬉しいな。
でも、あまり良くないことだと思うから、素直に「ごめんなさい」と謝った。
ちょっと反省だ。
そんな僕に、彼女も留飲を下げてくれた。
その一方で、
「え? マール……君?」
クオリナさんは、ポカンとなっていた。
どうやら、イルティミナさんの言葉のおかげで、ようやく気づいてくれたみたいだね。
僕は「うん」と頷いた。
クオリナさんは「えぇええ~っ!?」と悲鳴のような声をあげた。
(わあっ?)
ちょっとびっくり。
会話が聞こえていたのか、周りの冒険者やギルド職員たちもザワザワと騒がしくなった。
赤毛の彼女は、
「な、何で? どういうこと!?」
と大慌てだ。
僕は苦笑しながら「ちょっと魔法の影響で……」と伝えた。
それから、肩慣らしとして久しぶりに初級討伐クエストを受注したい旨も、ギルド職員である彼女に相談してみた。
それは真剣に聞いてくれて、
「うん、それならいいクエスト、紹介するね」
と笑顔で言ってくれた。
クオリナさんが選んでくれるなら、僕も安心だ。
イルティミナさん、キルトさんにも異論はないようで、彼女の選定してくれたクエストの受注手続きに入った。
受付カウンターで、たくさんの書類に記入する。
(ん……?)
その際に、正面のクオリナさんが僕の顔を見ていることに気づいた。
顔をあげて、
「何、クオリナさん?」
と聞いてみた。
彼女はハッとして、慌てた様子だった。
それから顔を赤くして、観念した様子でこう答えた。
「そ、その……マール君があまりにいい男になったものだから、ち、ちょっと見惚れちゃって……えへへ」
最後は、誤魔化すように照れ笑い。
いい男……?
僕が……?
それには、僕の方がポカンとしてしまった。
そして彼女は、僕の奥さんの方を見て、
「先見の明だよね? やっぱりイルナさんって見る目があるんだなぁ……。確かにマール君は可愛かったけど、ここまで素敵な大人になるなんて思わなかったよ」
なんて言った。
何だか尊敬の眼差しだ。
僕もつい、イルティミナさんを見てしまう。
彼女は肩を竦めた。
「今のマールも素敵ですが、私としては、子供の姿のマールも変わらぬ素敵さだと思っていますよ」
と答えた。
その声と表情は、ただ真実を口にしているだけといった様子だ。
キルトさんは苦笑して、
「まぁ、そなたにはそうであろうの」
と呟いていた。
僕としては、大人と子供、どちらの僕も素敵だと言ってもらえたことが嬉しかった。
(ありがとう、イルティミナさん)
こうして僕は、また1つイルティミナさんに魅了されるのだ。
いったい、どれだけ彼女を好きな気持ちを増やされるのか……? 幸せをもらい過ぎて困っちゃうよ。
ついつい、頬が緩んでしまう。
やがて、手続きも完了した。
書類を確認して、問題ないとクオリナさんも頷いた。
彼女は僕を見つめる。
そして、
「それじゃあ、いってらっしゃい。がんばってね、マール君」
と、明るい笑顔を咲かせた。
大人の僕になっても変わらない、温かな送り出しの言葉だ。
僕は「はい」と頷いた。
受付カウンターから離れる僕らに、クオリナさんは、小さく手を振ってくれた。
僕も軽く振り返す。
それから前を向いて、ギルドの出入り口へと向かった。
ザッ
足を進めると、進路上にいた人たちが一斉に退いて、道を空けてくれた。
イルティミナさん、キルトさん、2人の凄腕魔狩人の美女たちも一緒にいるからかな……?
僕ら3人は、人垣の間の道を歩いていく。
ギルドを出た。
青い空から降り注ぐ午後の日差しが眩しくて、手でひさしを作り、青い瞳を細めてしまった。
僕は2人を振り返り、
「じゃあ、がんばろうか」
「はい」
「うむ」
イルティミナさん、キルトさんも笑顔で頷いてくれた。
僕も笑った。
そうして僕らは、5ヶ月ぶりの魔物討伐のため、竜車に乗って王都ムーリアを出発したのだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、来週の月曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




