639・マールの願い事
皆さん、こんばんは。
今話よりまた新しいマールの物語が始まります。どうか、ゆっくり楽しんで頂けたなら幸いです♪
それでは本日の更新、第639話です。
どうぞ、よろしくお願いします。
グノーバリス竜国との戦争から、5ヶ月が経った。
季節は冬。
もう年末の月であり、陽が落ちるのも早く、乾燥した空気は凍える冷たさで、吐く息を白く染めていた。
僕はいまだ、冒険者を休業中だ。
本当ならもう動きたいんだけど、イルティミナさんから『年内は休みましょう』って言われてしまったんだ。
……過保護だなぁ、と思う。
だけど、心身のダメージは深くこの身に刻まれているのも事実だった。
時々、戦争時を思い出して悪夢を見る夜もある。
稽古をしたあとの体力の回復も、昔よりも落ちてしまった感覚もあった。
こうした心と身体の芯に残ってしまったモノを消すには、やはり、それなりの時間が必要なのだろう――イルティミナさんは、僕よりもそれがわかっているのだ。
僕は、彼女を信じている。
ある意味、僕自身より。
だから、彼女の言う通りに、年内は休むことにしているんだ。
…………。
そうそう、この休みの間に、おめでたいこともあった。
レヌさんの結婚式だ。
レヌさんは赤毛の髪と褐色の肌をしたお姉さんで、昔はテテト連合国で冒険者をしていた女の人だ。
でも、魔血差別で辛い目に遭っていた。
そして、その心の隙を衝いた『闇の子』によって魔の眷属にされていたんだ。
僕らはそんな彼女を人間に戻して、シュムリア王国に連れて行き、戸籍などを作って、新しい人生を歩んでもらっていたんだ。
それから5年。
レヌさんは、なんと結婚することになったんだ。
うん、嬉しいよね。
僕とイルティミナさん、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんも結婚式に招待された。
式場は、女神シュリアンの教会だった。
純白のドレスに身を包んだレヌさんは、とっても綺麗だった。
相手の男性は、レヌさんが働いていた食事処の常連客で、王都にある王手商業ギルドの職員さんなんだって。
背が高くて、格好いい人だった。
名前は、レントロスさん。
レヌさんが彼を見る目は、本当に恋する乙女の眼差しで幸せそうだった。
(うんうん)
彼女の苦労を知っているから、僕もジ~ンとしちゃったよ。
そういえば、レヌさんがレントロスさんに、僕のことを紹介する時に「私の恩人です」なんて言われて、ちょっと驚いてしまった。
恩人って呼ばれるようなこと、何もした記憶がないんだけど……。
そんな僕に、
「マールは、5年前もマールだった。そういうことでしょう」
と、僕の奥さんは笑った。
???
僕には意味がさっぱりわからない。
でも、レヌさんは『その通りですね』とばかりに笑って頷いていた。
レントロスさんとも少し話したけど、凄くいい人で、レヌさんを大事に思ってくれているのが伝わってきたんだ。
うん、彼ならレヌさんを任せられる――なんて、勝手にそう思った。
キルトさんは、友人でありレヌさんの雇い主であるポゴさんと嬉しそうに祝い酒を飲み交わしていた。
ソルティスは、花嫁姿のレヌさんにちょっと見惚れていた。
少し羨ましそうでもあったかな……?
ポーちゃんは、そんな相棒の少女のそばで小動物のように出された食事を食べていた。
…………。
紙吹雪が舞う中、レヌさんは本当に幸せそうだった。
笑顔が眩しかった。
あぁ……そうだ。
僕は、こうした笑顔を守るために戦うんだ。
自分が剣を振るう意味を、その理由を、その幸せな景色を見ながら、僕は改めて思い出したんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
あれから数日、レヌさんの結婚式の余韻は、まだ僕の中に残っていた。
心がほんのり温かい。
ドレス姿のイルティミナさんも、すっごく綺麗だったな。
自分の奥さんが、改めて、本当に大人っぽくて絶世の美女であることを認識させられた感じだった。
しかも、王国を代表する『金印の魔狩人』だ。
…………。
僕の奥さん、素敵すぎる。
「……うん」
だからかな?
逆に、そんな彼女と自分が釣り合っているのか、時々、不安になってしまうんだ。
僕は、自室の鏡の前に立った。
そこには、茶色い髪に青い瞳をした少年が映っていた。
素朴な顔。
中身が神狗アークインだと神々しい顔立ちに感じるのに、中身がマールだと途端に普通に見えるのはなぜだろう?
いや、それはまだいい。
でも、僕が気になるのは、その身長だ。
もっと言うと、外見だ。
僕の年齢は18歳。
15歳で成人してから、もう3年だ。
(それなのに……)
僕は鏡に映った自分の頬を撫でた。
僕の見た目は、3年前から全くと言っていいほどに変わっていなかった。
しかも、僕は童顔だ。
身長も低い。
おかげで、いまだ未成年に間違われる。
人に聞くと、だいたい『13歳ぐらい』に思われているらしいんだ。
……原因はわかってる。
それは、僕が『神狗の肉体』だからだ。
神の眷属は、不老だ。
何百年と生きても年老いることもなければ、外見も変わらない。
僕の肉体は変質してしまって、人間と変わらない性能となったけれど、不老の性質は色濃く残っているんだ。
おかげで、成長が遅い。
多分、普通の人より2~3倍はかかるんじゃないかな?
そんな感覚があった。
つまり、僕が18歳の外見になるには、あと10~15年はかかる計算になるんだ。
「…………」
鏡の中の僕は、少し遠い目だ。
背が高くて大人っぽいイルティミナさんの隣にいるには、子供な外見の僕はあまりに不釣り合いだ。
それが悔しくて、悲しい。
結婚式で見た花婿のレントロスさんは、スラリと背が高くて、顔立ちも大人っぽかった。
あんな風なら、きっとお似合いだ。
僕もああなりたい。
…………。
鏡の前で、爪先立ちになってみた。
でも、そうして背伸びをした僕でも、レントロスさんの背丈には届かなかった。
「……はぁ」
悲しみのため息がこぼれた。
もちろん、イルティミナさんが僕の外見について何か言及したことはなかった。
むしろ、
「今のマールが私は好きですよ」
なんて言ってくれる。
本当に優しいお姉さんだ。
でもね?
彼女と買い物に行ったり、クエストで人に会った時に、店員さんや依頼人さんによく言われるんだ。
ご姉弟ですか? って。
恋人とか夫婦に見られることの方が少ないんだ。
酷い時には、母子に間違われることもあった。
泣けるよね……。
僕自身はまだいい。
だけど、イルティミナさんに申し訳なくなるんだ。
僕らが結婚していることを世間から認めてもらっていないような、そんな気持ちにさせてしまって……。
彼女は「気にしませんよ」と言うだろう。
だって、彼女は優しいから。
でも、そんな優しいお嫁さんに、幸せな夫婦と世間から見てもらえない悲しみを与えてしまう自分が、僕は凄く悔しくて情けないんだ。
僕は、鏡の中の少年を見つめる。
その口が動いた。
「……大人の姿になりたいな」
◇◇◇◇◇◇◇
その日は、イルティミナさんと王都の商店区へと買い物に出かけた。
年末の月に入ったからか、通りには先月よりも人が多くなっているようで、歩くのも大変な状況だった。
(おわわ……)
ぶつかる人も多い。
向かいたい方向とは違う方向へと押し流されてしまいそうだった。
これも身体が小さいからだ。
「マール」
ギュッ
察したイルティミナさんが手を繋いでくれた。
温かな手だ。
迷子にならないようにしてくれる優しい奥さんに、僕は嬉しくなる。
でも、
(……他の人から、母子に見えないかな?)
と、ふと思ってしまった。
迷子になりそうな子供と手を繋ぐ母親……みたいな……。
いやいや、考えすぎだ。
僕とイルティミナさんが手を繋ぐのはいつものことだし、仲良し夫婦には当たり前のことだよね。
チラッ
見れば、彼女も嬉しそうだ。
「ふふっ……冬は、マールの手の温かさがわかるので良い季節ですね」
なんて微笑んでくれる。
その言葉に心が柔らかくなって、僕も笑ってしまった。
うん、幸せだ。
そうして商店通りを歩いて、お目当ての店へと向かう。
王都ムーリアでは、少ないとはいえまだ魔血差別で『魔血の民』の入店禁止の店舗があるため、気をつけないといけないんだ。
間違えて入店しようとすると、嫌な思いをする。
そんな訳で、『魔血の民』でも利用可能な野菜と果物のお店を訪れた。
みんな美味しそうだ。
何でもできるイルティミナさんは、目利きもできるので、より新鮮で味が良く、実の多い食材を見分けることもできるんだ。
「これとそれとあれと……」
彼女は店員さんに指示を出す。
店員さんは、それを袋に集めて僕らに「はいよ」と渡そうとしてくれた。
僕が手を伸ばす。
荷物を持つぐらいは、夫の僕がしないとね。
グッ
結構、重い。
でも、それなりに鍛えているので大丈夫。
なんて思っていたら、
「偉いね、坊や。今日はお姉ちゃんの荷物持ちかい?」
と、笑顔で言われた。
店員さんに悪意はない。
本当にそう思って、純粋に褒めようとしてくれたんだろう。
……だからこそ、辛い。
僕は困ったように笑ってしまい、咄嗟に何も言えなかった。
代わりにイルティミナさんが、
「失礼ですが、この子は弟ではありません。私の愛する夫ですよ」
と訂正した。
店員さんは「そうなのかい!?」と驚いて、すぐに「いや、それは悪かったね」と謝ってくれた。
僕は驚き、
「あ、いえいえ」
と、笑って誤魔化した。
それから店員さんはお詫びにと、小さな果実を1つおまけしてくれた。
な、何か申し訳ない。
イルティミナさんは笑って、
「おや、マールのおかげで1つ儲けてしまいましたね」
と楽しそうだった。
その笑顔に救われた気持ちになって、ようやく僕も素直に笑えたんだ。
そうして青果店をあとにして、他の必要な品を買うために、またイルティミナさんと手を繋いで商店通りを歩いていく。
(…………)
弟、かぁ。
やっぱり身長が足りないのかな?
もう少し背が高くて、大人っぽければ、こうして間違われることもないのかな?
何となく、さっきの出来事を反芻してしまう。
う~ん。
イルティミナさんは、少しだけ心配そうにそんな僕の横顔を見ていた。
その時だった。
(ん?)
商店通りにはたくさんの屋台もあって、その中でも特に小さな1つの屋台に僕の目が留まったんだ。
それは、装飾品を扱っている屋台だった。
手作りの装飾品を、こうして売っている人は時々いるんだ。
この屋台も、その1つなのだろう。
でも、その看板に描かれた文言に、僕の目は吸い寄せられていたんだ。
『お金持ちになりたい、背を伸ばしたい、素敵な恋人が欲しい……そんな貴方のささやかな望みを叶えます』
そんな売り文句。
思わず、足を止めてしまった。
『背を伸ばしたい』
その一文から目が離せなかった。
イルティミナさんが「マール?」と問いかけてくる。
(……あ)
僕はハッとした。
少し慌てていると、彼女は優しく笑って「少し覗いてみましょうか?」と言ってくれたんだ。
僕は「うん」と頷いた。
少し恥ずかしい。
とはいえ、せっかくなので屋台に近づいてみた。
「いらっしゃい、ひひっ」
店主は黒いローブを頭まで被った、高齢の老婆さんだった。
まるで魔女みたい。
そして、商品として並んでいるのは、指輪やネックレス、ブレスレット、ピアスなどなどだ。
どれも独特の装飾で、小さな黒い宝石が填まっていた。
(へぇ……)
素人の作品にしては、とても綺麗だった。
老婆さんは、
「ひひっ、ここにあるのはどれも魔法の品でね。身に着けた人間の願いを叶える力があるのさ。さぁ、1ついかがかね?」
と言った。
魔法の品……?
少し驚いたけど、確かに魔力の流れは感じる。
でも、そんな大きな力はない気がした。
(……うん)
これはきっと、お守りみたいな物だ。
それを身に着けることで、心を楽にして、より良い時間を歩ませてくれる暗示の道具みたいな気がした。
「マール、どうします?」
と、イルティミナさんが微笑んだ。
う、う~ん?
悩んでいると、
「ひひっ、可愛らしい旦那様じゃないか。どうだい、美人の奥さんや? この旦那様のために1つ、買ってあげちゃあどうだい?」
と、老婆さんが言った。
(あ……)
珍しく夫婦だと思ってもらえた。
僕は驚き、嬉しくなった。
イルティミナさんも嬉しかったみたいで、満更でもなさそうに頷いた。
「買いましょう」
と財布を取り出す。
老婆さんは「ひひっ、毎度あり」と笑った。
…………。
う、うん……なんか、いいカモのお客さんだと思われたかもしれない。
チャリン チャリン
30リド――約3000円分のリド硬貨を老婆さんのしわがれた手に落として、イルティミナさんは指輪を1つ購入した。
砂粒みたいな小さな黒い宝石がついている。
「さぁ、マール」
イルティミナさんは僕の右手を取り、その薬指に填めてくれた。
サイズもピッタリだ。
「ありがとう、イルティミナさん」
僕は笑った。
イルティミナさんは「いいえ」とはにかんで、綺麗な長い髪を揺らしながら首を振った。
僕は、指輪を見つめる。
……?
何だか、不思議な感覚があった。
ただのお守りだと思っていたけれど、奇妙な圧のようなものが感じられたんだ。
気のせい……?
よくわからない。
でも、
(これで、本当に背が大きくなったらいいなぁ……)
なんて思ったり。
イルティミナさんは、指輪を眺める僕に満足そうに『うんうん』と頷いていた。
そんな僕らに、老婆さんは「ひひっ」と笑う。
そして、
「――さぁて、その願いが叶うといいねぇ?」
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。
 




