638・母なる海
第638話になります。
よろしくお願いします。
神の島に上陸した不届き者の魔物は、無事に討伐できた。
残されたスライムの肉体を形成していた粘液は、周囲の植物を溶かしていたので、『水守の神剣』から水を出して中和させた。
ザザァア……
神剣から溢れる水流は、まるで川のようだった。
(……本当に凄いや)
これと同じことをタナトス魔法でやろうとしたら、何百人もの魔法使いが必要だろう。
神剣、恐るべし。
おかげ様で、辺り一面に飛び散り、広がっていた強酸の肉体は広大な海へと流されていった。
これにて、一件落着だ。
ちなみに、イルティミナさん、キルトさん、ソルティスの人間3人は、その神なる力を目撃して感嘆と畏怖の表情を浮かべていた。
…………。
…………。
…………。
事後処理が終わったあと、僕らは再び山頂に集まった。
聖遺物の岩の前で、小亀に戻ったジジガメルさんは、小さな口をパクパクさせて祝詞を唱えた。
ヒィン
僕の手にある『水守の神剣』が淡く発光する。
それを、僕は、岩に空いた水の溜まった穴の中へと慎重に沈めていった。
チャポッ
柄の先まで、水に沈む。
同時に、確かな固体であった神剣は、輪郭が崩れて液体となり、水に溶けるように消えてしまった。
名残りのように、光が水中に残り、それも消えていく。
「…………」
役目を終えた神剣は、アバモス様の残した『聖なる水』へと還っていったのだ。
僕は目を伏せ、
「ありがとうございました、アバモス様」
と感謝を述べた。
イルティミナさん、キルトさん、ソルティスも神前にいるように首を垂れる。
神龍であるポーちゃんだけは、敬愛する母神の慈愛の結晶が水に溶けていく様子を、瞬きもせずに見つめていた。
僕は目を開けた。
神剣と繋がっていた僕には、あの『水守の神剣』1本だけで国さえ滅ぼせる力があるとわかっていた。
悪用されないよう、こうして隠しておくのは大事なことだ。
いつかまた必要な時に、使うべき人が使う時まで。
それまでは、この『水守の亀』の管理の下で、聖なる水となって静かに眠っていてもらおう。
「…………」
ふと見上げた空は、快晴だ。
吹く風に青い瞳を細めて、僕は微笑んだ。
こうして、隠された『神の島』で過ごした僕らの時間は終わりを告げたのだ。
◇◇◇◇◇◇◇
『皆様、本当にありがとうございました』
ジジガメルさんが、そう僕らに頭を下げた。
聖遺物に神気も注ぎ、全てが終わったあと、僕らは巨大になったジジガメルさんの背に乗って、再び海を渡り、アバティア島へと戻ってきたんだ。
砂浜に降り立った僕らは、巨大な亀さんを振り返った。
僕は笑って、
「こちらこそ、ありがとうございました、ジジガメルさん。おかげで、いい経験ができました」
そう頭を下げ返した。
キルトさん、イルティミナさんも頷く。
ソルティスも、
「私も、なんだかポーのお母さんに挨拶できたみたいで楽しかったわ。それに、隠された神の島に、聖なる水に、水守の神剣に……色々と面白い知識も得られたしね」
なんて言う。
その明るい表情は、うん、間違いなく本心だ。
最後に、水の神アバモス様の娘である『神龍』のポーちゃんは、『水守の亀』へと近づいた。
その大きな鼻に、小さな手で触れて、
「母に代わり深く感謝を、ジジガメル。400年に渡るお前の忠心を、ポーは生涯忘れないと誓う」
そう彼を真っ直ぐに見つめて告げた。
ポーちゃん……。
その言葉を受けたジジガメルさんは、驚き、それから切なそうに微笑んだ。
『……アバモス様にそっくりですな』
そう呟いた。
それから、
『それがしも神龍様の活躍を忘れませんぞ。あの戦いっぷりには、この老骨も胸が熱くなりましたからな。ほっほっほっ』
と笑った。
それに僕らも笑った。
彼はこれからも神の島とこの海に暮らす生命たちを守り、『水守の亀』としての役割を果たしていくのだろう。
きっと僕らが生き、やがて死んだあとの世界でも、ずっと。
ザザァン
砂浜に波が打ち寄せ、ジジガメルさんの巨体を濡らす。
彼は瞳を細め、
『それでは皆様、お達者で』
そう告げて、ゆっくりと反転した。
ザパァッ
波を割りながら大海原へと歩み、やがて泳ぎ出すと、トプン……と海中に沈んでいった。
僕らは、それを見送った。
吹く風に、ポーちゃんの少し癖のある短い金髪が揺れていた。
その肩に、ソルティスの手が触れる。
ポーちゃんは振り返り、
「帰りましょ、ポー」
ソルティスは相棒となる幼女に、そう笑いかけた。
その少女を見つめ、
コクン
ポーちゃんは頷いた。
僕とイルティミナさん、キルトさんも笑った。
そして、来た時と同様に、アバティア島の港を目指して5人で砂浜を歩きだした。
(…………)
僕は、ふと足を止め、振り返った。
美しい海原。
そこに見えていた神の島は、けれど、もう僕らの目にはどこにも見えなくなっていた。
◇◇◇◇◇◇◇
「ずいぶんと遅かったですね。少し心配しましたよ」
港に戻ると、僕らを待っていたカヌーの船頭である兎の獣人ミーシャさんに、そう言われてしまった。
僕らは苦笑し、素直に謝った。
つい観光に夢中になり、あまりに海岸が綺麗なので砂浜で遊んでしまったと言い訳した。
彼女は「そうですか」と納得してくれた。
地元の人間としては、自分たちの愛する島と海を褒められて嬉しかったのかもしれないね。
と、そんな僕らを見ていたミーシャさんは、
「あら、それは?」
と、目を丸くした。
(ん……?)
その視線を追いかけると、ポーちゃんの服の裾に何かが引っ掛かっていた。
何だろう?
みんなが見つめる。
ポーちゃんも「?」と首をかしげ、小さな手でそれを取った。
それは、小さな貝殻だった。
外側は白く、内側には虹色の光沢が滲んでいて、とても綺麗だった。
あの神の島での戦いの最中に、きっと何かの拍子で弾けた貝殻が、ポーちゃんの服に絡みついてしまったのかもしれない。
「…………」
貝殻を見つめるポーちゃん。
それは、太陽の光にキラキラと輝いてまるで宝石みたいだった。
ミーシャさんが笑った。
「あら? きっと、水の神アバモス様からの贈り物ですね」
なんて言う。
それは、観光客相手のリップサービスだった。
でも、僕ら5人は、思わず顔を見合わせてしまった。
すぐに笑う。
(うん、そうかもしれない)
僕は、そう思った。
そして、もしかしたら天上にいるアバモス様が、ミーシャさんの口を借りて愛する娘に伝えたのかも……? なんて想像した。
ソルティスが、その貝殻を摘まんだ。
それをポーちゃんの耳の上へと、髪飾りのように引っ掛けた。
キラッ
陽光に煌めく。
その貝殻の髪飾りは、ポーちゃんの金色の髪によく映えていた。
僕らは頷き、ソルティスは笑った。
「うん、似合うわよ、ポー♪」
「…………」
ポーちゃんは何も答えなかった。
ただ、小さな指で、自分の髪に飾られた貝殻に触れる。
…………。
いつも無表情なその口元に、小さな笑みがこぼれた。
それを見た僕らは、珍しく感情を見せたポーちゃんの姿に、みんなでびっくりしてしまった。
そして、幼女の笑顔につられて微笑んだ。
(うん)
とっても似合ってる。
僕とイルティミナさんは顔を見合わせて笑い、キルトさんは大きく頷いていた。
ソルティスも満足げだ。
…………。
こうしてアバティア島での観光は終わり、僕ら5人はカヌーに乗って、水の都ヴェルツィアンへと帰っていく。
思わぬ出来事もあったけど、でも、楽しい時間だった。
カヌーに揺られながら、僕はそう思った。
隣に座るイルティミナさんとふと目が合えば、彼女は優しく微笑んでくれた。
僕も微笑む。
そして青い瞳を細めて、海へと向けた。
「…………」
多くの生命を育む母なる海。
その青く煌めく世界は、ただ広く、美しく、いつまでも僕らの前にあり続けていた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
これにて水の都編も完結となりました。少しでも皆さんに楽しんで頂けたのなら幸いです。
次回からは、また別のお話です。
もしよかったら、また新しいマールの物語をどうか読みに来てやって下さいね。
次回更新は来週の月曜日を予定していますので、どうぞ、よろしくお願いします。