634・水神参拝
第634話になります。
よろしくお願いします。
アバティア島の桟橋には、大勢の観光客、参拝客がいた。
カヌーの所に残るミーシャさんの「いってらっしゃいませ」の言葉に送られて、僕ら5人は、島内の道を歩きだした。
道は石畳で、どうやら奥にある神殿まで続いているみたいだ。
道の途中には、海上で見た『石の輪っか』の小さいサイズが何個か置かれていた。
ヒィン
これからも、神気を感じる。
僕らや他の参拝客は、それを潜りながら奥へと向かった。
道以外は、自然豊かな島だ。
木々が茂り、道の左右には草花も咲いていて、時折、小鳥たちの鳴き声が響いていた。
「あ……?」
ふと、大きな崖の壁が現れた。
そこには大きな洞窟が口を開けていて、左右に神官さんが立っていた。
「どうぞ」
水の模様が描かれたランタンが貸し出されているみたいだ。
僕らも受け取り、洞窟に入る。
(この洞窟の奥に、アバモス様の神殿があるのかな?)
空気が少しひんやりした。
洞窟内の足元だけは整地され、各所に点々と燭台も設置されていた。
……少し不気味。
薄暗い洞窟は、少しずつ下に向かっていた。
やがて、僕らは神殿に辿り着いた。
洞窟の先には、巨大な地底湖があった。
その地底湖の中心に、石造りの神殿が建てられていて、その正面の扉の奥に、巨大な人魚の石像が立っていたんだ。
「……アバモス様」
不意に、ポーちゃんが呟いた。
あの人魚が、アバモス様を模した姿なのか……。
イルティミナさんも、キルトさんも、ソルティスも、参拝客たちも、みんなが、ライトアップされたその像の美しさに魅入られていた。
「…………」
誰もが自然と手を合わせ、祈る。
水の神アバモス様。
人が生きる上で水はなくてはならないものであり、その恩恵を司る神様には、人は自然と深い畏敬を感じるのかもしれない。
この地底湖も、洞窟も、神域だ。
あの人魚の女神像を見て、僕は改めてそれを理解した。
そんな祈りを捧げる僕ら人間のことを、アバモス様の像は、ただ静かな慈しみの眼差しで見つめていた。
◇◇◇◇◇◇◇
本来は神殿の扉は閉められていて、アバモス様の人魚像は見ることができないらしい。
でも、10年に1度、30日間だけ、神殿の扉を開帳して、女神の恩恵を広く人々に与えることが祭事ということだった。
神殿の神官さんは、参拝客である僕らにそう説明してくれて、
「――皆様に、アバモス様のご加護がありますように」
そう祝詞と共に、僕らに祝福の水が与えられた。
祝福の水とは、アバモス様の御力の宿った地底湖の水で、小皿で一口だけ飲める量が配られたんだ。
コクッ
ありがたいお水を、僕らも頂く。
冷たくて美味しい。
そして、少し甘い。
僕は気づいた。
(……この地底湖、神饌の『癒しの霊水』が混じってる)
かなり薄まっているけど、間違いない。
薄すぎて効能はないだろうけれど、なるほど、確かにアバモス様の加護が与えられた水に間違いはなかった。
僕は、みんなにもそれを伝える。
ソルティスは「へ~?」と感心した顔だった。
イルティミナさん、キルトさんも改めて、自分たちの飲んだ地底湖を見ていたりする。
そして、ポーちゃんは、
「……懐かしい」
主神たるアバモス様の御力を感じられたのか、そう呟いていた。
やがて、僕らは地上に出た。
参拝の順路があるようで、それに従って移動していくと、お守りなどの販売所や休憩所が現れた。
(…………)
まぁ、観光地でもあるものね。
人の営みもある以上、こういう商売的な部分も必要になるのは仕方がない。
僕らは、休憩所で一息入れた。
地底湖を使ったというお饅頭とお茶を頂いて、お守りも眺めていく。
豊漁祈願とか、健康祈願とか、開運とか、そういった水と健康に関わった木札や石彫りのお守りが並んでいた。
ちなみに、開運は海運とかけられているとか。
なるほどね……と、ちょっと感心しちゃった。
僕は『ヤーコウルの神狗』だし、別の神様のお守りを買うのは何か違うかな、と思って買わなかった。
代わりに、
「健康と開運のお守り1つずつ、2組ください」
と、ソルティスが購入していた。
そして買ったお守りの1組を、
「はい、ポー」
と、相方の金髪幼女に渡していた。
受け取ったポーちゃんは、そのお守りを見つめ、それからソルティスを見上げた。
ソルティスは笑って、
「ポーのお母さんなんでしょ? なら、これからもお守りを通して見守ってもらいましょ? ついでに、ポーの相棒の私もさ」
と片目を閉じた。
そんな少女を、神龍ナーガイアの別名を持つ幼女はジッと見つめた。
やがて、コクンと頷いた。
「ありがとう、ソル。ソルが相棒で、ポーは幸せだ」
唐突にそう言って、笑った。
…………。
僕らはみんな、呆気に取られた。
ソルティス自身も驚いたようにポーちゃんを見つめていて、でも、ポーちゃんはすぐに無表情に戻ってしまった。
(…………)
あの無口、無表情のポーちゃんが、あそこまで感情を表に出したのは、初めてかもしれなかった。
ソルティスは目を潤ませて、
「ポ~ッ!」
ムギュウ
小さな幼女をきつく抱きしめた。
その『魔血の民』の強烈な抱擁に、ポーちゃんのふっくらした頬がお餅みたいに潰れていたけれど、彼女に嫌がる様子はなかった。
むしろ、嬉しそう……?
やがて、少女の姉が見かねて止めに入るまで、それは続いた。
「…………」
「…………」
その様子に、僕とキルトさんは顔を見合わせ、それからお互いに笑ってしまったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
休憩所を出てしばらく進むと、面白いものを見つけた。
それは小さな社だった。
社の後ろには池があって、そこには、西洋の竜ではなく、細長い東洋の龍の像が泳ぐように設置されていたんだ。
最初は、特に気にしてなかった。
だけど、社の横にあった木札の説明書きを読んで、驚いてしまった。
みんなも目を丸くしている。
そこには『水の神アバモスの娘 神龍ナーガイア』が御神体として祀られた社だと書かれていたんだ。
僕らは、小さな幼女を見る。
「…………」
神龍本人である幼女は、その神龍の像を見つめ、それから僕らを見返した。
ウネウネ
無表情のまま、まるでその像みたいに身をくねらせた。
プッ
たまらず僕らは吹き出してしまった。
ソルティスなんて笑い過ぎて、お腹を押さえたまま、息ができなくなっていた。
聞けば、ポーちゃん自身は、この社の存在を知らなかったらしい。
まさか、本人も知らないところで勝手に祀られているとは……。
(…………)
でも、ちょっと羨ましいな。
神狗アークインはともかく、神狗マールとしての神界の友人は、ポーちゃん、ラプト、レクトアリスの3人だけだ。
そして、ラプト、レクトアリスはアルン神皇国の神帝都で、それぞれの摂社が建てられていた。
ポーちゃんも、このアバティア島で社に祀られていた。
「……僕だけかぁ」
誰にも祀られてないのは。
別にそれ自体は構わないんだけど、1人だけ違ったので、ちょっとだけ仲間外れみたいな気持ちになってしまったんだ。
そうしたら、
「何言ってんのよ?」
とソルティスに呆れられた。
キルトさんも頷いて、
「そうじゃぞ。祀られてはおらぬが、世界のためにそなたが何をしたか、知る人は皆、知っておる」
と言う。
最後に、イルティミナさんが僕を背中側から抱きしめた。
ギュッ
柔らかな胸が押しつけられ、耳元で囁かれる。
「見知らぬ誰かに拝まれるよりもずっと、貴方を知る者は、貴方に深い感謝を覚えていることでしょう。それこそが『マール』という神狗なのですよ?」
「…………」
僕は、何と言っていいのかわからなくなった。
嬉しくて、でも、そうなの? と不思議にも思えて、困惑してしまったんだ。
なんとなく、ポーちゃんを見る。
コクン
ポーちゃんは力強く頷いた。
「ポーも、そしてここにいる3人も、マールという存在の信者だ。だから、胸を張れ、神狗マール」
なんて言われてしまった。
神龍の言葉には、イルティミナさん、キルトさんも大きく頷いた。
ソルティスは、
「……アタシはそこまでじゃないけど」
と呟いていた。
よく納得はできなかったけれど、でも、みんなが励まそうとしてくれていること、そして、僕を信頼してくれていることは伝わってきた。
だから僕も笑って、
「うん」
と頷くことができた。
それに、みんなも笑ってくれた。
それから僕らは、神龍ナーガイア本人が隣にいるのに、その神龍を祀った社に手を合わせた。
祈り終わったあと、つい、皆でまた笑ってしまった。
「では、帰るかの」
キルトさんの言葉に頷き、僕らは港の方へと歩きだした。
◇◇◇◇◇◇◇
ザザァン
潮騒の音が聞こえる。
港へと向かう道を歩いていると、防風林のような木々の向こうに砂浜が見えた。
綺麗な海岸だ。
人気はなくて、倒木などが転がっていた。
つい見ていると、
「行ってみますか?」
と、イルティミナさんが微笑みながら聞いてきた。
時間的にも、まだ余裕がある。
僕は「うん、行ってみたい」と頷いた。
キルトさん、ソルティス、ポーちゃんからも反対意見はなく、僕らは茂みを踏み分けながら林を抜けて砂浜に降り立った。
(やぁ……気持ちいいな)
潮の香りのする風が涼やかに吹きつける。
女性陣の綺麗な長い髪が柔らかくたなびいて、何だか絵になる海辺の光景だった。
ポーちゃんも波打ち際に近づき、
パシャッ
小さな手で海水をすくっていた。
その時だった。
(おや……?)
金髪の幼女がいる正面の水面に、1匹の亀がプカリと浮かびあがった。
小さな亀だ。
体長10センチもなくて、口元から長いひげが生えていたので、まるで仙人みたいな印象の見た目だった。
ちょっと可愛い。
思わず、僕はそちらへと近づいた。
ポーちゃんの隣にしゃがんで、
「おいで、おいで」
と笑いながら、亀を驚かせないように砂浜に触れるぐらいの高さで手を伸ばした。
ユラユラ
指先を揺らす。
イルティミナさんは後ろでその様子に微笑んでいて、キルトさん、ソルティスも『何してるの?』とこちらに集まってきた。
「…………」
ポーちゃんは無言で、その小さな亀を見つめている。
チャポッ
水面を泳いだ亀は、その小さな足を砂浜につけて、僕の方へとテチテチ……と近づいてきた。
うわぁ……。
その愛らしさに、僕は喜んでしまった。
あと少しで、指先が触れる――その手前で、亀は止まった。
小さな顔が持ち上がって、目の前にいる僕とポーちゃん、そして、その後ろにいる3人の人間たちを円らな瞳で見上げた。
濡れた長いあごひげが揺れる。
そして、
『――おぉ、やはり偉大なる神龍様、そして、神狗様でありましたか。実に400年ぶり、誠にお久しゅうございますなぁ』
と、口をパクパクさせて喋った。
…………。
…………。
……え?
僕らは目が点だ。
ポーちゃんだけが無表情で、驚いているのか、落ち着いているのかわからない。
そんな僕らの前で、少し癖のあるアルバック大陸の共通語を喋った小亀さんは、『ほっほっほっ……』と黒い瞳を細めて笑っていたんだ。
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