629・神獣の子
第629話になります。
よろしくお願いします。
始まった戦いは、短くも濃密なものとなった。
竜人であった時と比べて、『闇の竜巨人』となったオルガードは、圧倒的に強くなっていた。
身体能力は格段に向上した。
その口からは、紫色の炎を吐き、左右の爪からは魔力の斬撃を飛ばしてきた。
闇のオーラの防御も健在だ。
その巨体によって、1つ1つの攻撃の威力も上昇していた。
僕らは、何度も……何度も……全滅しかけた。
…………。
それでも。
それでも、僕らは奴に抗った。
僕らは『魔狩人』だ。
人より遥かに大きく、強い魔物を相手に日々戦い、そして、勝利を収めてきた冒険者だった。
だからこそ、抗える。
僅かな勝機を逃さず、戦い続けられる。
イルティミナさん、キルトさん、ポーちゃんは、何度も手足を吹き飛ばされ、ソルティスに治された。
ソルティス自身も怪我をした。
僕自身、神武具の外骨格がなければ、即死していた場面が何度もあった。
けれど、
「おぉおおお!」
「ぬん!」
「はっ!」
「ポォオオッ!」
「やぁっ!」
僕らはその危機を乗り越え、奴へと攻撃を加えていった。
イルティミナさんの槍の砲撃が奴の肉体を吹き飛ばし、キルトさんの雷光斬がその竜鱗の皮膚を焼く。
ポーちゃんの光る拳は、内臓にダメージを蓄積させた。
ソルティスの魔法は、そうした攻撃を通させるため、何度も神炎の魔法を繰り出し、時に『神術』まで使って僕らを守ってくれた。
そして僕も、
ガギュン ガヒュン
手にした『虹色の両刃剣』と『虹色の鉈剣』を7メードまで巨大化させ、それを何度も『闇の竜巨人』の肉体に突き刺し、削り落とした。
全員、呼吸などしていない。
たったの40秒。
そこに世界の命運がかかっていた。
だからこそ、呼吸をする間も惜しんで、ただ無呼吸の極限状態の中で全力を尽くした。
『がぁああっ!?』
オルガードは、全身血まみれだった。
なぜだ!?
なぜだ!?
なぜ、自分がこのような怪我を負っている!?
なぜ、なぜ、なぜ!?
そうした焦り、怒り、恐怖が神武具の超感覚を通して、全て伝わってきた。
死の恐怖を、奴は感じていた。
(…………)
共感は、時に他人の痛みを自分にも与えることだった。
奴の恐怖が、僕も怖かった。
奴の怒りに、僕も怒りを覚えた。
そして、奴の悲しみが……僕も、悲しくて仕方なかった。
ガシュン
伸ばされた巨大な竜の手を、僕の『虹色の巨鉈剣』が斬り飛ばした。
そのまま背中の金属の翼を輝かせ、虹色の光を残しながら、僕はオルガードの上空へと回り、その巨大な首へと『虹色の巨両刃剣』を突き立てた。
ゾブッ
長さ7メードの刃が、深く食い込む。
溢れる闇のオーラを、刀身を包み込む白い神気が火花を散らしながら弾いていた。
「っっ」
僕は、剣を握る柄に力を込める。
ヴォオン
刀身に流し込まれる神気が増大し、そこから広がる虹色の光は、玉座の間全体を照らしていた。
『ぐ……おっ!』
首を刺されたまま、オルガードは巨大な手を伸ばしてきた。
僕を掴もうと。
握り潰そうと。
自分を殺そうとする行為を、やめさせようと。
けれど、その寸前、そんな奴の胴体に、ソルティスの放った神炎の魔法が直撃した。
ボバァン
闇のオーラが剥がれる。
同時に、キルトさんの『雷の大剣』とイルティミナさんの『白翼の槍』が深々とその胸部と腹部に突き刺さった。
ドプッ キュボッ
それは心臓と内臓を確実に破壊した。
オルガードの動きが止まる。
驚いたように自分の身体を見た瞬間、ポーちゃんの大きく振り被った竜鱗の拳が弾けるように繰り出された。
「ポオッ!」
ドン
光る拳は、2人の美女の傷つけた中間点に命中し、膨大な神気を流し込む。
拳そのものの威力は弱い。
けれど、そこから流れ込んだ神気は、内側から肉体を破壊し、凄まじい勢いで膨張していく。
2つの傷は、その圧力に耐えられなかった。
ボパァアン
その黒い巨体が爆発し、上下2つに分かたれた。
『……がっ!?』
オルガードの竜眼は、限界まで見開かれる。
その口から、紫の吐血が散った。
吹き飛ぶ上半身――その肩の上にいた僕は、オルガードの首に突き立てていた『虹色の巨両刃剣』を大きく横に薙いだ。
『あぁああっ!』
僕は叫ぶ。
残った力の全てを注いで、その剣を振るった。
刀身から放たれる神気の白い光が、僕の視界の全てを埋め尽くしていく。
…………。
…………。
…………。
玉座の間の天井が崩壊していた。
美しい青空が見えている。
その中で、僕は、足元に転がっている巨大な黒い竜人の頭部を見つめていた。
イルティミナさん、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんの4人は、少し離れて、そんな僕らを見つめていた。
「…………」
オルガードは、まだ生きていた。
浅く、弱々しい呼吸を、その黒い生首は繰り返している。
けれど、2つに分断された巨体は動くこともなく、闇のオーラの噴出もなくなり、再び僕らに襲いかかる気配はなくなっていた。
そして、奴の顔には死相があった。
もうすぐ死ぬ。
生物の本能として、誰もがそうわかった。
(……っ)
僕の全身に痛みが走った。
ガシュッ
同時に、この身を包み込んでいた虹色の外骨格が砕けて、光の粒子となりながら、僕のポケット内で神武具の球体に戻っていく。
神狗としての限界。
3分間の時間切れだ。
僕は、大きく息を吐いた。
その眼前で、地面に横たわった生首は、大粒の涙を流していた。
『なぜだ……なぜ、俺だけが……?』
嘆きの声が呟かれる。
オルガードは、何も見えていない眼差しで、ただ泣いていた。
自分を見て欲しかった。
自分の言葉を聞いて欲しかった。
ただ、自分を知って欲しかった。
自分を受け入れてほしかった。
本当の自分を。
たった1人……たった1人で良かったのに……なぜ、この世界は自分だけに、それを許してくれなかったのか?
他の皆には、当たり前に与えられているのに……。
(…………)
僕は答えられなかった。
彼は、あまりに不幸だった。
この世にあるとは思えぬ不幸が連鎖し、複雑に絡み合って、誰にも、どうにもならない苦痛が彼1人に与えられていた。
なぜ……?
それは、僕も知りたかった。
奴の視界に入るように、僕はしゃがんだ。
その大きな眼が、こちらを見る。
僕は言う。
『オルガード、次は僕と友達になろう?』
奴はキョトンとした。
僕は言葉を重ねた。
『僕には君を助けることはできなかった。でも、もし君が生まれ変わって……転生してまた会えたなら、僕と友達になろうよ? その時は、必ず君を助けるから』
僕は知っている。
人の魂が転生することを。
この身で、知っている。
だから本心で、もしこの苦しみから解放された彼が転生したなら、今度は彼の幸せのために戦いたいと思ったんだ。
奴は唖然とした。
『……お前は、馬鹿か?』
それは心底呆れた声だった。
僕は笑った。
『知ってる。でも、誰かが言っていたよ? 僕は、傲慢で強欲な神狗、なんだって』
だから、身勝手な思いを伝えたのだ。
オルガードは、声も出ないようだった。
でも、すぐに苦笑する。
それから、次の言葉を発しようと、その口を開いて、
ボバァアン
その口内から、断末魔の凄まじい炎を吐きだしたのだ。
突然の攻撃に、イルティミナさん、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんは硬直し、すぐに恐怖に染まった顔でこちらに駆け寄ろうとした。
でも……。
上空へと吐き出された炎の中から、光の球体に包まれた僕が現れた。
ヒィン
僕の右耳で『護りの輝石』が煌めく。
仲間たちから、ホッとした気配が伝わってきた。
光の球体が砕け、消える。
僕は困ったように笑っていた。
なんとなく、彼はそうするのではないかと思って、備えていたんだ。
ずっと戦っていたから。
その中でオルガードの思考を感じ続けて、だからこそ、そうした行動も予測できてしまったんだ。
無事な僕を見て、オルガードも笑みをこぼした。
『くそったれが……』
悔しそうに、けれど、最後の攻撃が防がれたことが嬉しそうにも見えた。
そして、目を閉じる。
それは、全てを受け入れたことを示す合図だった。
僕は頷いた。
神気が枯渇し、究極神体モードの反動もあって、もはや剣を握るための力もない。
だから、
「……精霊さん」
ジ、ジジ……ッ
僕の呼びかけに答えて、左腕の『白銀の手甲』の魔法石から白銀の鉱石が溢れ出し、僕の左腕全体を包み込んだ。
竜の如き左手。
その先端には、鋭く長い爪がある。
僕の意思に応えて、精霊さんの宿った左腕は天高くへと伸ばされた。
その爪が、陽光に煌めく。
…………。
僕は数秒、オルガードを見つめた。
いくつかの言葉を送ろうとして、けれど、そのたびに全てを飲み込む。
どれも、意味がない。
だから、
『さようなら』
味気なく、何の捻りもない、つまらない別れの挨拶。
それだけを口にして、
ヒュッ
白銀の鉱石に包まれた左腕は、神の裁きのように天から地へと振り下ろされた。
◇◇◇◇◇◇◇
絶命した彼の傍らに、僕は座り込んでいた。
イルティミナさん、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんの4人が近寄ってくる。
「マール……」
ギュッ
僕の奥さんが、背中側から抱きしめてくれた。
……ん。
冷えた心が少しだけ温かくなる。
他の3人も微笑みながら、僕の身体に触れようとしてくれて――その時、オルガードの生首が細かく震えた。
(……え?)
僕らは呆けた。
その眼前で、震えるオルガードの眼球と鼻と口と耳、その全ての穴から黒い煙が蒸気のように噴き出した。
ブシュウウ
「なっ!?」
僕らは驚き、イルティミナさんは僕を抱えたまま『白翼の槍』を構えた。
キルトさん、ソルティス、ポーちゃんも武器と拳を構える。
黒い蒸気は、玉座の間の上空で渦を巻き、まるで巨大な人の顔のような形状を描き出した。
ギャハハハハハッ
醜悪な笑みが、そんな笑い声を響かせる。
いや、違う。
それは声ではなく、思念だった。
ドロリとした汚泥のような、人が絶対的に受け入れられぬ嫌悪のみが煮詰められ、凝縮されたような『負の感情』の集まりだった。
僕らは、その黒い顔を呆然と見つめた。
ギャハハハハハッ
ソレは、笑い続ける。
ソレは、オルガードの死を笑っているのだと、僕は直感的に理解した。
「――――」
肉体の限界を怒りが上回り、僕は跳ね起きる。
右手にはまだ、神化の解かれていなかった『虹色の両刃剣』があった。
跳ね起きた反動を利用し、下段から振るう。
カォオン
最後の最後、刀身と体内に残っていた神気を全て使って、虹色の光る斬撃を放射した。
それは、黒い顔に命中する。
バシュッ
黒い埃が砕けるように、それは霧散した。
神気の輝きの中で、消えていく。
ギャハ ハハ ハ ハ ハ
邪悪な哄笑の思念もゆっくりと感じられなくなり、やがて、玉座の間には静寂が訪れた。
僕らは、呆然とそれを見届けた。
僕、イルティミナさん、キルトさん、ソルティス、ポーちゃん、マリアーヌさん、護衛の3人、全員が何が何だかわからず、狐に抓まれたような感覚だった。
ただ邪悪さの残滓だけが心に残っている。
僕は胸元を手で押さえた。
(今のあれは……いったい?)
困惑する僕の耳に、キルトさんの呟きがふと聞こえた。
「……悪神、か?」
え?
悪神……って。
獣神と呼ばれる存在が生まれる過程で、対として生まれる人の負の感情を集めた存在……それが悪神だ。
まさか、本当に存在した?
ソルティス、ポーちゃんが顔を見合わせる。
イルティミナさんは、ギュッと僕を守るように抱きしめる腕に、更に強く力を込めた。
(…………)
もし、それが本当なら?
まさか、全ては悪神が起こしたことなのか?
オルガードの不幸を、奴の周囲の人々を負の方向へと導いて、意図的に生み出させたのか?
そして、オルガードの凶行を引き起こしたのか?
このドル大陸での戦争を巻き起こしたのか?
…………。
その想像に、僕は蒼白になる。
待ってくれ。
この戦争で、どれだけの人が死に、苦しみ、不幸になったと思うんだ。
それを悪神が引き起こしたというのか?
「あり得ない……」
あり得ないよ、そんなの。
いや、信じたくない。
でも、僕より長く生き、人の悪意を知っているキルトさんは、鋭く黄金の瞳を細め、黒い顔の消えた空間を見つめている。
そして、言うんだ。
「獣神がいる限り、悪神も生まれる。……今もこの世のどこかに、別の悪神が潜んでいるのかもしれぬな」
「…………」
僕は首を振った。
聞きたくない。
だって。
だって、そんなの、絶望的じゃないか。
人は神に願う。
それは清い願いばかりではない。
自らの欲望が満たされることを、他人の不幸を、世界の破滅を……それらは『獣神』へと集められ、そして、その負の部分だけは『悪神』として切り離される。
人が欲と嘆きに溺れる限り、悪神は生まれるのだ。
…………。
そして、またこのような悲劇が起こされるのかもしれない。
僕は震えた。
そんな僕を抱きしめたまま、イルティミナさんが口を開く。
「この世は、それほど絶望に満たされてはいませんよ? だって、マールが……マールの信じる人々がいるのですから。だから、そのような顔をしなくても大丈夫ですよ」
優しく、力づけるような声だ。
僕の髪が、優しく撫でられる。
……でも、僕はオルガードを殺してしまった。
それは、もしかしたら、悪神に導かれて、その手のひらで踊ってしまった結果だったのかもしれない。
それが怖くて堪らなかった。
その時、そんな僕の手を、竜の鱗に包まれた手が握った。
ハッとする。
顔をあげた先には、マリアーヌさんが――あのオルガードの妹がいた。
その美しい竜眼が、僕を見つめる。
そして、
『――貴方は悪神の企みを砕くため、獣神に導かれた《神獣の子》よ』
そう告げた。
…………。
触れられる竜の手は、オルガードと同じもの。
そして、兄妹であるからか、こちらへと向けられる竜の眼差しは、とてもよく似ていると思えた。
僕は頷いた。
頷かなければいけないと思った。
気がつけば、僕のことを、みんなが見ていた。
イルティミナさんが、キルトさんが、ソルティスが、ポーちゃんが、マリアーヌさんが、護衛の3人の竜人さんが……その眼差しを裏切ってはいけない。
僕は、歯を食い縛る。
僕らは勝った。
あまりにも多くの犠牲は出たけれど、これで戦争も終わるだろう。
それは、確かに勝利なのだ。
「マール」
イルティミナさんが僕の手を握る。
僕は、微笑んだ。
力の入らない指で弱々しく、でも、精一杯に握り返す。
壊れた天井から、差し込む陽光が僕らを照らす。
「…………」
その輝きに、僕は目を閉じた。
長く息を吐く。
その時、ふと青空を渡ってきた風が吹き抜け、僕の茶色い髪を柔らかく揺らしていった。
――その5日後、グノーバリス竜国は降伏の意思を、シュムリア王国を始めとした各国に通達した。
ご覧いただき、ありがとうございました。
次回、竜国編が完結です。
もしよかったら、どうか最後まで見届けてやって下さいね。
次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




