624・隠された書物
第624話になります。
よろしくお願いします。
ドル大陸には、かつて大陸全土を掌握した1つの大国があった。
現在、ドル大陸の7つ国で使われている『ドル大陸の公用語』とは、その大国の言語だ。
その大国の時代には、『獣神』と呼ばれる神様がいた。
僕らの知る『神々』とは違う。
獣神という神は、無数の獣の姿をしていたと伝えられ、その正体は今も不明なんだ。
僕らの所縁の深いヴェガ国では、国旗や国章にも使われている『翼を生やした獅子』の姿として伝えられていたね。
現代の世界一の大国、アルン神皇国。
かつての大国は、そのアルン神皇国を遥かに凌ぐ規模であり、国土の広さを誇っていたんだ。
そう考えれば、その凄さもわかってもらえると思う。
当然、国力も甚大だ。
そして、僕らが歩いているのは、その時代の大国によって造られた建造物の通路だった。
…………。
おかげで、とにかく広い。
遺跡の内部は、まるで迷路みたいで、道を間違えたら2度と地上に出られないんじゃないかと思えるほどだ。
竜国の王家は、よくこれを隠し通路としたよ。
もしも何かあって、王族が城から外に逃げる時には、きっと追手もこの迷路みたいな遺跡に迷って、追跡し切れないんじゃないかな?
本当、よく考えられている。
僕らも、マリアーヌさんが持つ竜国の王家のみに伝わるという『王家秘伝の地図』がなければ、迷子になっていたはずだ。
そんなことを思いながら、古代の通路を歩いていく。
コツ コツ
闇の中に、僕らの足音が反響する。
通路は広く、大半が暗闇に覆われていた。
分岐に来るたびに、マリアーヌさんとキルトさんは慎重に道を確認した。
当たり前だ。
現在地を見失ったら、それこそ一大事なのだから。
ゲームみたいに自動でマッピングされる訳でもないし、GPSのように現在地がわかる訳でもないからね。
『こっちじゃの』
『えぇ』
2人は頷き合った。
キルトさんの視線を受けて、イルティミナさんは白い槍の石突を地面に当てる。
ガリンッ
床に、目印となる傷をつけた。
万が一の時には、これを頼りに引き返せるようにしているんだ。
僕らはそんな風にして、広大な遺跡の暗闇に包まれた通路を、迷うことのないよう慎重に進んでいった。
…………。
…………。
…………。
やがて、その日の野営の時間となった。
たまたま、近くに広めの部屋があったので、その中で休むことにした。
部屋といっても、体育館ぐらいの広さがあって、そこには陶器のような不思議な素材で作られた棚が並んでいた。
(本棚……かな?)
見た目としては、そんな感じだ。
でも、棚には何もなく、長い年月を感じさせる埃だけが堆積していた。
ソルティスは、
「何か、この遺跡が造られた時代の書物とか、資料とか、ないかしら?」
と、奥へと歩いていく。
さすが、王国でも有数の博識少女――その知識欲は旺盛だ。
彼女を心配してか、ポーちゃんはついていく。
そうして2人は闇の奥へ。
彼女たちの持つランタンの灯りが、ぼんやりと遠くを移動していくのが見えた。
その間、僕らは野営の準備だ。
テントを設営したり、焚き火の用意をしたり。
その間、マリアーヌさんの護衛の3人の竜人さんが、周辺警戒の見張りをしてくれていた。
僕も、リュックから荷物を取り出す。
(んしょ……っと)
寝袋や携帯食料、飲用の水の魔石などだ。
イルティミナさん、キルトさん、マリアーヌさんも作業を行って、やがて、焚き火にも火が灯されて準備は終わった。
そして、僕の奥さんが焚き火で、夕食の用意をしてくれる。
「いつもありがとう」
「いいえ」
僕の感謝に、料理上手なお姉さんは優しく微笑んだ。
食材を切り、水をためた鍋で煮込む。
クツクツ
野営では簡素な物しか作れないというけれど、イルティミナさんの料理は、いつでも最高に美味しくなる。
本当に何でもできるお姉さんだ。
手伝えることもなくて、僕は少し手持ち無沙汰だ。
キルトさん、マリアーヌさんの2人も、焚き火を囲んで一息ついている感じだった。
パチッ
焚き火の薪が爆ぜる。
焚き火って、本当に不思議。
その揺れる動きを見て、その熱に触れているだけで、なぜか心が落ち着くような感覚があるんだ。
(……いいなぁ)
こういう状況じゃなかれば、もっとよかったのに。
そこだけが残念。
僕は、1つ吐息をこぼす。
それから、何となく天井を見上げた。
この向こう、何十メードか、何百メードかわからないけど、そこに地上があるんだ。
暗闇にずっといるからか、そこを懐かしく思う。
つい先日まで、僕らは、その地上で激しい戦闘を繰り返していた。
現在は、どうなっているだろう?
…………。
僕は、ふと気になって、
『ねぇ、キルトさん? 今、地上にいるロベルト将軍や、王国軍はどうしているかな?』
と聞いてみた。
キルトさんは「む?」と僕を見る。
マリアーヌさんも、そしてイルティミナさんも料理の手を止めずに、こちらを見た。
『そうじゃな……』
キルトさんは少し考え、
『わらわたちの奇襲作戦に合わせ、地上での竜国軍の陽動を任せてあるからの。そろそろ動いておるかもしれぬ』
と答えた。
僕らが竜王オルガードの居城に乗り込み、奇襲をかける――その作戦については、ロベルト将軍にも伝令を送って伝えてあった。
その間、竜国軍を引きつけておいて欲しい、とも。
ただ、僕らは返事を待たずに出発した。
だから、ロベルト将軍が僕らの要請に応えて動いてくれるか、実は確証はない。
けれど、
『将軍は必ず動く』
と、キルトさんは断言した。
どうして?
僕も将軍さんを信頼しているけど、キルトさんがそこまで言い切る姿には驚いてしまった。
僕の視線に気づいて、彼女は笑う。
『そうしなければ、マールを……いや、王国は《神狗》を失うかもしれぬからじゃ』
……え?
(僕を……?)
3人のお姉さんの視線が、僕に集まる。
キルトさんは、
『そなたは自覚がないかもしれぬ。じゃが、シュムリア王国において、そなたは重要な存在なのじゃ』
と僕を見つめた。
シュムリア王国は、実はかなり信心深い国家だ。
王家が、女神の血を引いている世界でたった1つの国であり、それを国民全員が知っているからだろう。
それは、王国上層部の人々も同じだった。
そして、その王国には神の眷属である『神狗』と『神龍』が存在した。
僕とポーちゃん。
この2人の存在は、実は王国にとって、自分たちが神々の敬虔な信徒であることを示す大事なシンボルともなっていた。
それは他国に対してのみならず、天上の神々に対しても、だ。
人類は、神々に救われた。
だからこそ、神々を裏切るような大罪を犯したくはなく、見捨てられるような行為もできなかった。
そして現状。
僕とポーちゃんは、戦地に赴こうとしている。
そして、助力を求めた。
もし動かなければ、どうなるか?
そう……王国は、神々の子らを見殺しにしたという大罪を犯すことになる。
そんなことは、許されない。
『これは、将軍個人の問題ではない。シュムリアという国家の芯となる部分の問題じゃ』
キルトさんは言う。
戦略、戦術などの側面だけでなく、シュムリア人としての感情として、王国上層部は絶対に動かなければならない状況なのだ。
…………。
何それ……?
いつの間にか、自分が祭り上げられている状況に唖然となった。
キルトさんは笑う。
『じゃからの、将軍は動く。例え将軍が嫌がっても、王国上層部が動かぬことを許さぬのじゃ。そして、わらわはそれも計算して、将軍に陽動を頼んだのじゃよ』
『…………』
うわ、策士がここにいました。
白い歯を見せて笑う彼女に、悪びれた様子は全くない。
マリアーヌさんは施政者の血族だからか、妙に感心した顔をしていた。
逆に、イルティミナさんは、美貌をしかめている。
『キルトにその気がないのはわかっていますし、王国を利用しての作戦なのもわかっています。ですが、私のマールを勝手な偶像に仕立て上げるのはやめてください』
そうぼやいた。
キルトさんは苦笑する。
『無論、マールは、わらわにとっても大事な弟子じゃ』
ポム
その手が、僕の頭に置かれる。
茶色い髪を混ぜられながら、
『じゃが、世間はそう見ぬ。ならば今は、それを利用して自分たちにとっての最善の道を用意するのが得策であろ?』
キルトさんはそう言った。
イルティミナさんは、しばらく無言だった。
けれど、やがて、嘆息する。
『わかっていても、悔しいものですね』
と呟いた。
キルトさんは『そうじゃな』と頷いた。
マリアーヌさんは、そんな2人を交互に見つめる。
それから僕を見て、
『なるほど。神狗様は、この2人から本当に愛されているのね』
と笑いかけられた。
……ち、直接、はっきり言われると照れ臭い。
でも、その愛情は常に感じていたから、僕は顔を赤くしながら小さく笑って、素直に頷いたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
イルティミナさんの料理は美味しかった。
保存用の食材しか使っていないスープなのに、お店に出てくるような味だった。
硬いスティック状の携帯食料も、浸して食べれば最高で、そうなるように計算されて作られたスープだった。
(さすが、イルティミナさん)
マリアーヌさんたちも満足そうで、僕も夫として鼻が高い。
僕は、
「美味しい料理をありがとう、イルティミナさん」
と笑った。
イルティミナさんも嬉しそうに「いいえ」とはにかんだ。
そうして僕らは、美味しいスープで、身も、心も温かくさせてもらった。
だけど、困ったことにその恩恵を、まだ2人だけ受けていない。
ソルティスとポーちゃんだ。
2人とも、残された本がないかを探しに行ったきり、まだ戻ってきていないんだ。
(どうしたんだろう?)
あの食いしん坊少女が、食事に戻ってこないなんて……。
キルトさんも、イルティミナさんも、彼女たちの消えた方向の暗闇を見つめて、少し表情を曇らせていた。
僕も、何だか不安だ。
この遺跡では、番人の『白骨の竜』以外、魔物などは見かけていない。
滅多なことはないと思う。
けど、ここまで遅いと、何かあったのではないかと不安になってしまう。
…………。
このままじゃ、せっかくのスープも冷めてしまう。
僕は頷いて、
『ちょっと、2人を探してくるよ』
と立ち上がった。
すると、
『なら、私も行きます。これで、マールまで帰って来なくなっては困りますからね』
と、僕の奥さんも名乗りをあげた。
相変わらずの過保護。
でも、これがイルティミナさんだし、本当に何かあっても困るから、僕は『うん』と頷いた。
キルトさんは、マリアーヌさんと護衛の3人に何かあってもまずいので、ここに残ってもらうことになった。
『気をつけよ』
『うん』
『はい』
僕ら夫婦は頷いて、ランタンを片手に、ソルティスたちの消えた暗闇へと歩いていった。
…………。
…………。
…………。
広い空間だ。
その多くが本棚に視界を遮られ、更に奥は暗闇に覆われている。
人を探すのには、向いていない。
(どこだろう?)
歩きながら視線を巡らせていると、
「マール」
ツン
服の裾を引かれて、名前を呼ばれた。
(ん?)
振り返ると、イルティミナさんの白い指が遠い闇の一角を示していた。
その闇に、ぼんやり灯りが見える。
(あ……)
多分、ソルティスたちのランタンの灯りだ。
あの本棚の影かな?
僕とイルティミナさんは頷き合うと、すぐにそちらへと歩みを進めた。
…………。
そこに、2人はいた。
壊れた陶器の本棚の前で、ソルティスは座り込んで、いくつかの古い本を読んでいた。
そばにはランタンが置かれ、横にポーちゃんが立っている。
金髪の幼女は、すぐに僕らに気づいた。
(……無事だった)
よかった、と僕は安堵の吐息をこぼす。
それから、
「2人ともどうしたの? 夕食、もうできてるよ?」
と声をかけた。
ソルティスはピクッと反応して、顔をあげた。
すぐに本に視線を落として、
「そっか。でも、ごめん。もうちょっと待って。……今、ちょっと大事なところなの」
と答えた。
僕とイルティミナさんは、目を瞬いた。
あの食欲の権化とも思える少女が、料理よりも興味を引かれるなんて、あの本には何が書かれているんだろう?
いや、そもそも、
(あの本、どこにあったんだ?)
と思った。
この広い空間には無数の本棚があって、でも、どれも空っぽだった。
ここまで、1冊だって本は見ていない。
なのに、彼女の手には、古い時代の物らしい蔵書があったんだ。
その疑問が表情に出ていたのかな?
ポーちゃんが僕を見て、
「そこで見つけた」
と壊れた本棚を示した。
僕とイルティミナさんは、そこに視線を向ける。
そこにあったのは、陶器のような不思議な素材で作られた本棚で、けれど、それが横倒しになって割れたものだった。
そして、壊れた部分が、一部、空洞になっている。
…………。
え……?
(もしかして、隠し棚?)
僕は気づいた。
イルティミナさんも驚いた表情で、
「これらは、つまりかつてのドル大陸の大国の人々が隠し、残しておいた本たちということですか?」
と、妹の周りの本たちを見つめて呟いた。
すると、ソルティスが、
「そうよ」
と本を読みながら答えた。
その瞳は、強い好奇心の輝きに満たされていて、まるでコロンチュードさんみたいだった。
彼女は文字から目を離さず、言葉を続けた。
「盗難除けか、あるいは当時の支配階層の人たちに廃棄されるのを恐れたのか、そうした秘密の本みたいね」
「…………」
その隠し場所が、長い年月の風化か、あるいは地震などによって倒れ、壊れて、その中身をこの少女が見つけてしまったという訳か。
その少女は、本の内容から目を離さない。
ペラッ
慎重に、古い紙を破かないようめくっていく。
表情は真剣だ。
それも、怖いくらいに。
…………。
何だか、僕もイルティミナさんも声をかけ辛い。きっと、隣で控えているポーちゃんも同じ心境だったのかもしれない。
たっぷり30秒以上、僕らは沈黙した。
そして、その悩みの果てに、
「その本に……何が書かれているの?」
僕は、思い切って聞いてみた。
ソルティスは、ページをめくる手を止めた。
それから無言で視線をあげる。
僕とイルティミナさんとポーちゃんを、熱を帯びた真紅の瞳が見返した。
彼女は、薄く笑う。
それは、どことなく恐ろしくて、
「ドル大陸の獣神信仰と……その裏に隠された、恐ろしい真実の記された物語よ」
と、少女の口は語った。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、来週の月曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




