623・戦後の休息
第623話になります。
よろしくお願いします。
(……終わった)
床の散らばった巨大な白い骨たちを見て、僕の中にあった緊張の糸がフッと途切れた。
同時に、
パシュウ
神狗の象徴である耳と尻尾が白煙となって消えていく。
合わせて、身体中に満ちていた力も消えた。
カクッ
膝からも力が抜ける。
おっと?
慌てて、支える少女だけは怪我をしないようにして、僕は地面に尻もちをついた。
「……ちょっと……何やってんのよ?」
僕の腕の中で、されるがままのソルティスが睨んでくる。
僕は「ごめん」と謝り、苦笑した。
魔力の消費が大きかったのと、集中による脳の疲れもあったのだろう――ソルティスは気怠そうに、長い髪を地面に引き摺りながら、僕から身体を離した。
「っ……はぁ」
僕の隣で座り込んで、そう大きく天に息を吐く。
僕は笑った。
「お疲れ様」
「アンタもね」
彼女もそう返して、僕らは笑い合った。
すると、
「無事ですか、マール!?」
向こうの方から、イルティミナさんが駆けてきた。
地面に膝をつき、
ギュッ
僕のことを強く抱きしめてくる。
白骨の竜の火炎吐息に夫が巻き込まれたのを目撃したのが、よっぽど恐怖だったみたいだ。
その存在を確かめるように密着して、何度も髪を撫でてくる。
「あぁ、よかった……マールっ」
僕の無事がわかったのか、震える声をこぼした。
……ん。
僕も、安心させるようにイルティミナさんの髪を撫でてやった。
そんな僕らに、ソルティスは苦笑だ。
と、今度は、そのソルティスの元へと金髪の幼女がタタタッ……と駆け寄ってきた。
「あら、ポ……ぐえっ!?」
ドフッ
そのお腹にタックルするように、ポーちゃんは抱きついた。
ソルティス、凄い顔……。
ケホケホと咳き込む少女のお腹に、ポーちゃんはグリグリと小さな頭を押しつけた。
それから顔をあげ、
「ポーは、ソルを誇りに思う」
と言った。
ソルティスはキョトンとして、それから、優しく笑った。
「ありがと」
ポフッ
ポーちゃんの柔らかな金髪に手を乗せて、ゆっくりと撫でてやった。
2人とも仲良しだね。
その姿に、僕もなんだか心が温かくなってしまった。
…………。
そんな僕らのやり取りの一方で、キルトさんの元には、マリアーヌさんと護衛の3人が集まっていた。
「貴方たち、本当に凄いわね」
竜国の姫君は、散乱する竜の白骨を見ながら、そう言った。
キルトさんは、ただ頼もしい笑みで応える。
それから、
「これで抜け道を塞ぐ番人はいなくなった。あとは、竜王城の玉座まで歩くのみじゃの」
と告げた。
マリアーヌさんは「えぇ」と頷く。
そうして2人の視線は、まだ果ての見えぬ広間の先の闇へと向けられた。
やがて、キルトさんはこちらを見る。
僕とソルティスが座り込んでいるのを確認して、
「しかし、消耗の激しい者もおる。この広間を抜けたところで、1日休憩を取らせてもらいたい」
と要求した。
マリアーヌさんも、僕らを見る。
納得したように「そうね」と頷いた。
それから、竜の瞳を輝かせて、
「それにしても、あれが神狗様なのね。あの竜の紫炎の恐ろしい吐息を見た時は、もう駄目だと思ったわ。……まさか、あれを生き残るなんて」
そう感嘆の声で呟いた。
キルトさんは笑った。
「あれが、マールじゃ」
「…………」
「3年前、世界を救う要となった少年じゃ。あれぐらい、造作もない」
「……そう」
頷くマリアーヌさんの表情には、確かな敬意と畏怖があった。
その顔がキルトさんを見る。
そして、少し悪戯っぽく、
「でも、そう言いながらも、さっきの貴方は彼をとても心配していたようね?」
と口にした。
キルトさんは「む?」と驚く。
苦笑して、
「仕方あるまい。マールのことは長い間、師として、母として、姉として見守ってきたからの。多少は許せ」
なんて言った。
マリアーヌさんは「そうね」と頷く。
それから、
「ふふっ、貴方も可愛いわね?」
と片目を閉じる。
キルトさんは虚を衝かれた顔をして、自分の頬を手で撫でた。
それに、マリアーヌさんはまた笑った。
…………。
それから、僕らは再び暗闇の空間を歩きだした。
やがて10分後、ようやく先へと繋がる通路が発見され、僕らはそこで再び野営を行ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
焚火を囲んで食事をし、それが終わると、僕らは早々に各人のテントで休むことにした。
見張りは3人の護衛が担当してくれた。
僕とイルティミナさんも、夫婦のテントに戻った。
イルティミナさんと2人きりの時間。
僕は自分の奥さんの太ももを枕にさせてもらって、消耗した身体を休めさせてもらっていた。
サワッ
イルティミナさんの指が、僕の髪を撫でる。
彼女は優しい表情で、膝枕している僕のことを見つめていた。
(…………)
なんで、こんなに安心するんだろう?
イルティミナさんがそばにいてくれるだけで、まだ危険な野営中なのに、心が落ち着いてしまうんだ。
そんな僕に、
「身体は大丈夫ですか?」
イルティミナさんは、そう聞いてきた。
僕は頷く。
「うん。神気の消耗と多少の火傷はあったけど、全然、大したことないよ」
神気は少しずつ回復してる。
火傷も、ソルティスが回復魔法を使って治してくれた。
明日には元気になっていると思う。
そう伝えれば、
「そうですか」
彼女も安心したように息を吐いた。
サワッ
彼女の白魚のような指が、僕の茶色い髪を優しく弄ぶ。
そうして、
「でも、どうして『護りの輝石』を使わなかったのですか? そうしたら、火傷もしなくて済んだかもしれませんのに」
と、彼女は首をかしげた。
拍子に、艶やかな長い深緑色の髪が肩からこぼれて、僕の頬と首を優しく撫でた。
あぁ、うん。
護りの輝石とは、魔法の障壁で攻撃を弾く魔道具だ。
誕生日に、彼女たちからプレゼントされたんだよね? 今も、僕の耳飾りとして、右耳で揺れている宝石だった。
彼女は、僕を見つめる。
僕は答えた。
「一応、予備の手段にしようと考えたんだ」
「予備の手段?」
「うん」
不思議そうな彼女に、僕は頷いた。
護りの輝石の障壁は、とても強力だ。
竜の火炎吐息さえ防ぐ、なんて言われている……けど、それが本当かは試したことがなかった。
加えて、あの『白骨の竜』は異常な存在だ。
あの紫炎の吐息も強力だった。
確実に防げるか、正直、確信が持てなかったんだ。
だから、僕としては、より信頼をしている『神武具』に頼って防ぐことにしたんだ。
その上で、
「もしも神武具でも防ぎきれなかった時には、即、発動しようと思ってたんだ。神武具で威力減少したあとの火炎なら、きっと防げるとも思ったしね」
まぁ、結局、使わなくて済んだんだけどさ。
僕の説明に、
「なるほど」
僕の奥さんも納得してくれたようだ。
「あの一瞬で、そこまでの判断をしていたなんて……。マールの成長は、本当に素晴らしいですね」
と頷いて、褒めてくれた。
その白い手が僕の頬を撫でてくる。
(えへへ……)
単純な僕は、それだけで嬉しくなった。
そんな僕に、彼女も微笑む。
それから、その美貌がゆっくりと落ちてきた。
え?
「さすが、私のマールです」
そう言葉を紡いだ唇が、僕の唇に重ねられた。
…………。
彼女の長い髪がカーテンのように、周囲から僕らのキスする姿を隠している。
やがて、顔が持ち上がった。
イルティミナさんの頬は、熟した桃のように赤くなっていた。
……僕も同じかもしれない。
その様子を、呆然と見つめていると、彼女はクスッと笑った。
「そんなに見ないでください」
その手が、僕の目元に置かれた。
わっ?
びっくりする僕。
温かな暗闇の向こうで、イルティミナさんの優しい笑い声が響いた。
そして、
「あとは私に任せて、マールは、どうかこのまま眠ってください。何も考えず、今はただ、ゆっくりと身体を休めてくださいな」
そう耳元で囁かれた。
…………。
彼女の声には、実は魔力が宿っているのかもしれない。
その柔らかな綺麗な声に誘われると、なぜか僕は逆らうこともできなくなるんだ。
「……うん」
だから、僕は頷いた。
大きく息を吐き、全身の力を抜く。
イルティミナさんの柔らかな太ももを頭の下に感じて、その手の温もりと感触を、目元と髪で感じて、彼女の甘やかな匂いに心も満たされていく。
僕が眠りそうなのが、彼女にも伝わったのだろう。
彼女は「ふふっ」と微笑んだ。
そして、
「おやすみなさい、私の可愛いマール……」
甘い声。
それに意識が吸い込まれていくのがわかった。
……うん。
(おやすみなさい、イルティミナさん)
心の中で、囁き返す。
…………。
そうして僕は、穏やかな気持ちで眠りの世界に落ちていくのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、目覚めた時には、僕の体調も万全に戻っていた。
(うん)
重く残った疲労もない。
消耗していた神気も、今は充分に身体の奥に満たされている感覚があった。
「…………」
精神的にも充足している。
きっと昨夜のイルティミナさんの愛情のおかげかな?
もしかしたら、彼女はそこまで考えて、僕のことを労わってくれたのかもしれないね。
イルティミナさんは、
「よかった、マール」
と、僕の回復ぶりを喜んでくれていた。
…………。
本当に、僕にはもったいないほどの素敵な年上のお姉さん妻です。
ソルティスも、今朝には回復したようだ。
声をかければ、
「バッチリよ? キュレネ花の蜜で魔力も回復できたし、昨夜は、テント内でポーに全身マッサージしてもらって、身体も軽いしね」
と、隣の幼女に笑いかけていた。
ビッ
ポーちゃんも無表情にブイサインだ。
うん、こっちもいいコンビだね。
仲良しな2人の様子に、思わず、僕まで笑ってしまった。
そうしていると、
「皆、準備ができたようじゃの」
と、銀髪の美女が言葉を発した。
僕ら4人とマリアーヌさん、護衛の3人、みんなの視線が集まる。
キルトさんは、黄金の瞳で僕らを見返し、
「番人と思われる竜は倒した。じゃが、まだこの隠し通路も道半ばじゃ。この先も何があるかわからぬ。皆、油断なく、このまま先へと進んでいこうぞ」
力強い声でそう告げた。
僕らは頷く。
それに、キルトさんも満足そうに頷きを返した。
そして、こちらに背を向けて、暗闇に包まれた古い時代の通路の先を見つめた。
僕らも、その闇を見る。
この道の先に、倒すべき竜王オルガードが待っているのだ。
ギュッ
知らず、僕は拳を握っていた。
キルトさんは前を向いたまま、
「よし、行くぞ!」
鉄の声で号令をかけた。
僕らは「おう」と応え、目前の暗闇へと足を踏み出していく。
あと少し。
もう少しだ。
ドル大陸に巻き起こった戦乱を終わらせるため、僕らは、漆黒の闇に包まれた通路の中を、奥へ、奥へと歩いていった――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
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