621・闇に潜むモノ
第621話になります。
よろしくお願いします。
僕ら9人は、古い通路から暗闇に包まれた広い空間へと足を踏み入れた。
ザッ ザッ
僕らの足音だけが響く。
ランタンと松明、そして魔法の光鳥の3種の灯りは、けれど、僕らの足元の床しか照らさなかった。
それ以外は、全てが闇に包まれていた。
(……光が届かないんだ)
それほど、天井や壁が遠いのだろう。
ここは、いったい、どれほど広い空間なのだろうか?
キルトさんも『ふむ』と唸った。
『マール、もう少し光源を増やせるか?』
『うん』
僕は頷いた。
剣を振るって、空中に光るタナトス魔法文字を描く。
魔法発動体の腕輪の魔法石から、3羽の光鳥が飛び出して、僕らの頭上をクルクルと回った。
でも、壁も天井もまだ見えない。
「…………」
僕は、キルトさんを見た。
キルトさんは頷く。
それを確かめてから、僕は光鳥たちに指示を出した。
(――行って)
僕の意思に応えて、
ピィィン
3羽の光の鳥たちは、頭上へと飛んでいく。
…………。
…………。
…………。
まだ天井が見えない。
どうなっているんだ? と不安を覚えた頃、ようやく光の中に石造りの壁面が見えた。
(あ……)
ちょっと安心した。
そこまで、およそ300メードもあった。
年月に風化しているけれど、精緻な彫刻が施された天井だ。
緩く湾曲して見えるので、僕らのいる空間は、大規模なドーム型になっているのかもしれない。
天井に沿って、光鳥たちを移動させる。
…………。
…………。
…………。
また、どこまで行くんだ?
端に辿り着かない。
もはや3羽の光鳥はあまりに遠すぎて、そこに照らされている物を視認すること自体が難しかった。
キルトさんも、
『もうよい』
と諦めた。
僕は、光鳥たちを呼び戻す。
この空間の高さは300メード、横幅に関しては、最低でも1000メード以上はあると思えた。
とんでもない空間だ。
そして、この空間には、抜け道の番人である古き竜がいる。
この広大な闇の中に。
(…………)
見えない恐怖というのは、とてつもないストレスだ。
いつ襲われるのか、わからない。
次の瞬間には、目の前の闇を突き破って、巨大な竜が大きな咢を開けながら襲い掛かってくるかもしれないんだ。
それに備える緊張は、ある種の苦痛だ。
…………。
それでも、備え続けなければいけない。
そうしなければ、万が一の時には、僕らは一瞬で命を失ってしまうのだから。
(ふぅぅ……)
大きく息を吐く。
張り詰めすぎず、緩めすぎず、適度な精神状態を保つのだ。
『このまま進むぞ』
キルトさんの鉄の声が響く。
僕らは頷いた。
自分たちの周囲を照らす灯りだけを頼りに、僕らは広大な闇に染まった空間を歩き続けた。
◇◇◇◇◇◇◇
『……本当に竜がいるのかしら?』
闇の中を歩きながら、不意にソルティスが呟いた。
え?
僕は思わず、彼女を見てしまう。
彼女はその美貌をしかめながら、
『だって、その竜って、大昔の竜王家との契約で番人をしてるんでしょ? それって、何百年前の話よ?』
と言う。
……それは……。
『竜種は長命よ? でも、限度はあるわ。生きててもかなりの老体のはず。……ううん、そもそも、水も食料もないこの場所で、そこまで生きてられるとは思えないわ』
彼女の声は、皆にも聞こえたようだ。
全員が、ソルティスを見ている。
『じゃあ、番人の竜は、もういないってことかしら?』
そう聞いたのは、竜人の末姫様だ。
ソルティスは『かもしれないわ』と頷いた。
それから、
『ただ、魔法的な契約なら、何かしらの力で生かされてる可能性もあるけれど』
と付け加えた。
…………。
キルトさんとイルティミナさんは、少し難しい表情で顔を見合わせる。
判断に迷っているみたいだ。
ポーちゃんは相変わらずの無表情。
「…………」
僕は、目の前に広がる闇を見つめた。
ソルティスの考えには、否定する要素は何もなかった。
なら、この闇の中には何もいない?
チリッ
僕の中で何かが反応する。
それが何かは、上手く言葉にできない。
でも、この闇を見ていると嫌な感覚があった。
この奥が安全だとは、どうしても思えなかった。
……何かが。
恐ろしい何かが、僕たちを待っている――そう思えた。
『マール?』
気づいたイルティミナさんが、僕の名を呼んだ。
僕は振り向かない。
目の前の闇を見つめたまま、
『――いるよ』
と答えた。
全員が僕を見た。
僕は言う。
『竜かどうかはわからない。でも、ここには何かいる。そう感じるんだ』
青い瞳で闇を睨みながら、そう続けた。
重い沈黙が落ちた。
やがて、イルティミナさんが頷いた。
『わかりました、マールの言葉を信じます。全員、油断することなく、戦いに備えましょう』
そう皆に声をかけた。
キルトさんが『うむ』と頷いた。
ソルティスも、
『アンタが言うなら、そうかもね』
と苦笑する。
その少女の肩に触れながら、ポーちゃんも頷いた。
マリアーヌさんと護衛の3人は顔を見合わせ、それから、マリアーヌさんが『わかったわ』と答えた。
『神狗様の直感だもの、私たちも信じるわ』
そう信頼の笑みをこぼす。
…………。
僕も小さく笑った。
でも、すぐに表情を引き締める。
『行こう』
そう皆に声をかけ、分厚い闇を払うように、また1歩、足を前へと踏み出した。
◇◇◇◇◇◇◇
暗闇は、時間と距離を奪う。
この闇の空間に入って、どれくらいの時間が経ったのか、どれくらい歩いたのか、正確にはわからない。
でも、それは唐突だった。
「――――」
その感覚に、僕の足が止まった。
いや、全員の足が、ほぼ同時に止まっていた。
――何かが、いる。
目の前の闇から感じる異様な気配に、僕らは動きを止め、息まで殺して、無意識に気配を消そうとしていた。
キルトさんと視線が合う。
その意図を理解して、僕は、1羽の光鳥を前方の闇へと飛翔させた。
5メード。
10メード。
20メード。
そして、30メードに到達した瞬間、それは光の中に現れた。
「……竜、だ」
僕は呟いた。
思わず、ドル大陸の公用語ではなく、無意識に使い慣れたアルバック大陸の共通語で口にしていた。
でも、竜国の4人にも伝わったと思う。
そこにいたのは、白い竜だ。
その頭部だ。
でも、ただの竜ではなかった。
魔法の光に濡れたように輝くのは、白骨化した竜の頭部だった。
それは、高さ15メードほど上空に浮かんでいる。
…………。
移動する光鳥の輝きに、その白骨化した全身が浮かびあがっていく。
(……大きい)
体長40メードはあるだろうか?
これまで見てきた竜種の中でも、最大級のサイズだった。
光鳥の灯りでは全身が照らせず、巨体の一部は、深い闇に沈んだままだった。
竜の死体……?
(いや、違う!)
落ち窪んだ眼窩。
そこに紫色の異様な光が灯っており、それは眼下にいる僕ら9人を睥睨していた。
紫色は、悪魔の輝き。
それは即ち、死を克服した存在の証。
ギシッ
その闇に白く浮かんだ巨体が、ゆっくりと動き出した。
ギシシッ ズズゥン
闇の中に、重い音が響く。
足裏から振動が伝わる。
キルトさんが、イルティミナさんが、ソルティスが、ポーちゃんが、それぞれの武器を構えた。
マリアーヌさんと3人の護衛も、遅れて構える。
僕は、その巨体を見つめて、
「……白骨の竜」
その忌み名を口からこぼした。
それから、すぐに深く覚悟を定めて、
シュラン
左右の手で『妖精の剣』と『大地の剣』を鞘から引き抜くと、その2つの剣先を、滑らかな白い巨体に向けて鋭く構えた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。