616・魔の竜国事変
第616話になります。
よろしくお願いします。
(竜国の……王女様?)
僕は、ポカンとしてしまった。
その隣でイルティミナさんも『まさか』といった表情をしている。
マリアーヌさんは頷いて、
『私の本名は、マリアーヌ・ロア・ルグノーバリアス。不本意ながら、あの愚劣な竜王と血を分けた妹なのよ』
と言葉を続けた。
……信じられない。
でも、キルトさん、マリアーヌさんがこんな嘘をつく必要もない。
何より、他の竜人さんたちの一般人とは違う佇まいと雰囲気は、なるほど、彼らは王女に仕える騎士だったからだと思えば、全てが納得だった。
(本当なんだ……)
驚いたけど、それを受け入れるしかなかった。
そんな僕らに、ソルティスは「私らも最初に聞いた時は、同じ反応だったわ~」と苦笑いをしていた。
…………。
でも、それが本当だとして、
「どうして、その竜国の王女様が反乱組織を率いているの?」
僕は、そう訊ねた。
キルトさんは「うむ」と頷いて、
「どうも、竜国で政変があったそうなのじゃ」
と、難しい顔で言った。
(政変?)
キルトさんは更に説明を続けようとして、マリアーヌさんの手がそれを遮った。
『ここから先は、私が』
そう言って、僕らを見た。
…………。
木製のテーブルを囲んで座り、温かな果実茶のカップが皆の前に配られた。
洞窟の中なのに、ちょっとしたお茶会だ。
そのカップを優雅な所作で持ち上げ、マリアーヌさんは唇と喉を湿らせる。
それから、教えてくれた。
『グノーバリス竜国では、我が父アルマンドラが長く竜王を務めていたの。父の子は、長子のベルガン、その弟のオルガード、そして私マリアーヌの3人だったわ』
竜王アルマンドラの治世は、とても良きものだったそうだ。
竜国は、寒さの厳しい過酷な環境。
けれど、国民は皆、力を合わせ、日々を逞しく生きていた。
竜の強き肉体と人の知性、それを併せ持った竜人としての誇らしい日々と暮らしを、竜王の善政は与えてくれていたという。
けど、彼も老いていく。
竜人の寿命は、150年ほど。
90年余りの治世は終わりを告げ、次代の竜王は長子のベルガンに受け継がれることになっていた。
『ベルガンも優秀な兄だったわ』
父王の跡を継ぐに相応しい人物だった、と皆が評していた。
そんな中、弟であるオルガードは、粗野で乱暴者、王族の権威を振りかざす人物で評判は良くなかったそうだ。
優秀な兄と常に比べられ、心が荒れたのかもしれない。
そうマリアーヌは推測していた。
そして、4年前のことだった。
正式に父王アルマンドラが退位を決め、ベルガンを次の竜王に決めた。
その発表の最中に、
『オルガードは、王家に反旗を翻したの』
冷たい声と眼差しで、マリアーヌさんは告げた。
具体的には、謁見の間に集まっていた現竜王アルマンドラと次期竜王ベルガン、そして、その忠臣たちを殺してしまったのだ。
(…………)
僕の心が静かに冷えた。
イルティミナさんは美貌をかすかにしかめ、
『護衛はいなかったのですか?』
と聞いた。
マリアーヌさんは『もちろんいたわ』と答えた。
それも、竜王を守護する竜国でもっと強く優秀な将軍と近衛騎士たち100名ほどが、2人を守っていたという。
けれど、
『オルガードは、刺青をした男2人と共に、たった3人で全員を殺したの』
淡々とした声だ。
そこからも、当時の凄惨な現場の恐怖が伝わってくる。
暴力と恐怖による支配は、あっという間に広がり、グノーバリス竜国全土を支配した。
オルガードに反発する者は、皆、処刑された。
特に、彼に仕える刺青の男たちは、総勢30人ほどだったけれど、圧倒的な武力で誰も逆らうことはできなかったそうだ。
そして、末の王女であるマリアーヌさんは、侍女や忠臣たちのおかげでお城から落ち延び、野に下って、何とか逃げ延びることができたのだという。
それでも、彼女は誇り高き王女だ。
オルガードを竜王と認めることはできず、愚かな兄を倒すことを誓った。
同じ思いの者は、各地に大勢いた。
その後、彼女を中心にして仲間が集まり、4年の歳月をかけて現在の反乱組織が作られたのだ。
…………。
僕は、カップのお茶をすする。
4年前といえば、僕らがヴェガ国の『悪魔の欠片』を倒すためにドル大陸を訪れた頃だ。
そして、当時、共闘した『闇の子』もこの大陸にいた。
僕らが共にいない時間、奴は何をしていたのか?
その答えが、これなのだろう。
少なくとも、人外の戦闘力を持った刺青の者なんて、奴の作った『魔物に変身する人』でしか有り得ない。
「…………」
カップを口から離し、僕は大きく息を吐いてしまった。
マリアーヌさんは、
『キルトから話を聞いて、私たちも初めて、兄が……いいえ、オルガードがどのような力を手に入れたのか? その裏に何がいたのかを知ったわ』
そう口惜しそうな顔で言った。
悪魔、闇の子、魔の眷属……それはあまりに不条理な存在だ。
彼女の心情を思うと、僕も辛かった。
イルティミナさん、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんも神妙な顔だ。
そこで、ふと思い出した。
『そういえば、キルトさんとマリアーヌさんは、どうやって知り合ったの?』
と聞いた。
銀髪の美女と竜人の王女は、顔を見合わせる。
キルトさんは、
『わらわたちは50名ほどの王国兵たちと共に、竜国軍の追手から逃れるため、山野を逃げておった。そこをマリアーヌに拾われ、匿われたのじゃ』
と教えてくれた。
その時、一緒だったというソルティス、ポーちゃんも頷く。
マリアーヌさんも頷いて、
『私たちも竜王オルガードを倒すため、味方を欲していたの』
と言った。
竜国が戦争の準備を始め、ついに獣国へと侵攻したのは知っていた。
戦争を止めたかったけれど、マリアーヌさんたちにもそこまでの力はなく、静観していることしかできなかった。
本当は獣国に加担して、オルガードと戦うつもりだったらしい。
けど、
『獣国は、オルガードの悪意を止められなかった』
『…………』
加担するどころか、その前に獣国は滅んでしまった。
あまりの戦力差。
そして、支配下に落ちた獣国が、今度はエルフの国へと攻めていく。
正直、もう誰も止められないと思っていた。
オルガードの底なしの悪意と力に、エルフの国も滅んで、世界は闇の手に握られるのだと絶望的な思いだったそうだ。
『けれど、獣国は負けた』
それは、竜国が負けたのと同じことだった。
その言葉を発した時のマリアーヌさんの瞳には、強い希望の光があった。
その瞳が、僕らを向く。
彼女は、獣国が負けた理由を、その戦いの詳細を反乱組織の人たちを使って、懸命に調べた。
そして、わかった。
『貴方たちの存在が、オルガードの思惑を打ち砕いたの』
彼女の表情には、期待があった。
圧倒的だったオルガードに対抗し、打ち破れる可能性を見つけたのだ。
その竜の手が、テーブルの上を伸びてくる。
ギュッ
僕の手に重ねられた。
冷たい鱗の奥に、熱い体温が感じられた。
『ずっと、待っていたの』
その緑がかった瞳を潤ませて、彼女は僕を見つめながら、そう言った。
シュムリア王国軍が、僕らが獣国の地に入り、北上してくるのを斥候の報告から知って、彼女はずっと僕らに接する機会を窺っていたのだそうだ。
共に戦うために。
自分たちの誇りと、世界のために。
だから、竜国軍との戦闘で散り散りとなった僕らを探してくれて、見つけた僕らを次々に保護してくれたのだ。
僕は、頷いた。
今回、僕らは竜国軍に後れを取った。
けれど、その内情に詳しいマリアーヌさんたちの協力を得られれば、共に戦えば、今度こそ竜王オルガードに対抗できるかもしれない。
勝てるかもしれない。
キュッ
僕も、彼女の指を強く握った。
『ありがとう、マリアーヌさん。僕らを見つけてくれて。――僕らは、貴女に会えてよかった』
心から言った。
彼女は泣きそうに笑った。
これまで、どれほど不安だったろう?
王女として、どれほどの重責を抱え、現在の竜国の姿に心を痛めていただろう?
それでも、彼女は折れずに、今、ここにいた。
その強さ、気高さ、美しさに、僕は強く心打たれていた。
だから、
『共に、オルガードと戦いましょう』
彼女を見つめて、そう言った。
マリアーヌさんの緑がかった目は、僕の青い瞳を見つめ返す。
大きく頷いて、
『えぇ、偉大なる神狗様と共に戦うわ』
そうはっきり答えると、その竜の顔に美しい微笑みを咲かせてくれたんだ。
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