614・2人きりの逃走2
第614話になります。
よろしくお願いします。
「ん……マール」
ギュッ
大きな木の洞の中で、僕はイルティミナさんに抱きしめられた。
(……温かい)
冷たい北の大地の夜は、とても寒くて、だからこそ彼女の体温は心地好かった。
僕も、自分の奥さんの背中に手を回す。
「……ふふっ」
身体を寄せる僕に、イルティミナさんは甘く微笑む。
そして、2人の身体を覆うように防寒ローブと毛布を被せて、一夜を明かすことになった。
…………。
…………。
…………。
東の空に、朝日が昇る。
僕らは、荷物からショートブレッドみたいな携帯食料を取り出して、それをかじって朝食とした。
「ん……ぐっ」
でも、あごに上手く力が入らない。
まだ無理をした反動があるみたいだ。
食べるのに苦労しているのに気づいたイルティミナさんは、僕の手から携帯食料を優しく取り上げた。
モグモグ
彼女は、それを咀嚼して、
「ん……はい、マール」
(!?)
突然、唇を合わせられ、柔らかくなったソレを口移しに食べさせられた。
はわわ……。
キスは何度もしているけれど、こういうのは初めてだ。
イルティミナさんの体液に交じったそれは、とても甘くて、恥ずかしくて、その本来の味はよくわからなかった。
「ふふっ」
彼女も頬を染め、はにかんでいる。
それから僕は、まるで小鳥の雛のように、何度も口移しで食べさせられてしまった。
…………。
食事が終わったら、再び北を目指して移動開始だ。
今日は、僕も自分の足で歩こう――そう思っていたんだけど、
フラッ
(……あれ?)
思った以上に、平衡感覚がおかしくなっている。
すぐにイルティミナさんに抱えられるように支えられてしまった。
「マール?」
その白い手が、僕の額へ。
……ひんやりして、気持ちいい。
何だかホッとする。
けれど、僕とは逆にイルティミナさんは、少しだけ表情を曇らせた。
「……熱がありますね」
「え?」
あ……そうなんだ。
究極神体モードで限界まで戦ったから、全身に炎症が起きてしまっているのだろう。きっとそのせいだ。
僕は笑った。
「これぐらい、大丈夫だよ」
気温も低いし、ね。
きついけれど、手足は動く。
がんばれば、自分の足で歩くことぐらい、充分にできそうだった。
でも、
「駄目です」
イルティミナさんは有無を言わさず、昨日のように僕を背負った。
(わっ?)
慣れた動きにびっくりする。
抵抗する間もない。
「目を離すと、マールはすぐ無理をしてしまいますから、今日も私の背中にいてください」
「で、でも――」
ピトッ
反論しようとした僕の口に、彼女の人差し指が当てられた。
「私の可愛いマール? どうかお願いです。今は言うことを聞いてください」
「…………」
「ね?」
「……うん、わかったよ」
真摯な紅い瞳に見つめられて、僕は頷くしかなかった。
彼女は微笑み、
「ありがとう、マール」
と、柔らかくお礼を言ってくれる。
いや、お礼を言うのは、こっちなんだけどな……。
…………。
そうして今日も、僕はイルティミナさんに背負われて、移動することになった。
雪の残る山中の林を歩いていく。
僕とイルティミナさんの吐く息が白くたなびき、青い空へと消えていく。
僕らがいるのは、山々の尾根の部分だ。
おかげで眺めは良く、ふと首を巡らせれば、山の麓に広がる平野部分も見渡すことができた。
(……ん?)
その平野に、無数の黒い影が動いていた。
目を凝らす。
その正体に気づいて、息を呑んだ。
それは、四足竜に跨った竜人の部隊――すなわち、竜国軍だった。
数は200騎ほど。
僕の様子に気づいて、
「どうやら私たちの追手ですね。似たような部隊は、この周囲一帯に広がって探索しているようです。ですが、やはりその総数は少なそうですね」
と、イルティミナさん。
追跡部隊として動員されているのは、恐らく1万人ぐらいだろうとの予測だ。
(……1万、か)
10万の竜国軍の1割と考えると、確かに少ない。
でも、単純に1万人と考えると、多いなぁ……とも思えてしまう。
不安が顔に出ていたのかもしれない。
イルティミナさんは微笑んで、
「あのような派手な追跡では、誰も見つかりませんよ。大丈夫。このまま山野に身を隠しながら移動すれば、私たちも見つかることはありません」
「……うん」
彼女を信じて、僕は頷いた。
サクッ
その長い足が、再び雪の残った地面を踏みしめ、歩きだす。
「このまま、竜国領を目指しましょう。マールの考えた通り、追手もそこまで逃げるとは思わないでしょうから、必ず裏をかけますよ」
そう愉快そうに言ってくれる。
イルティミナさんには、逃げ切れる自信があるみたいだった。
(頼もしいお嫁さんだ……)
僕も微笑んだ。
熱があるせいか、少しだけ甘えたい気持ちになっているのかもしれない。
心のままに、僕は、彼女の柔らかな髪に押しつけるようにソッと頬を寄せた。
「…………」
イルティミナさんは少し驚き、それから優しく微笑んだ。
「さぁ、行きますね」
「うん」
そうして彼女は足を速め、僕らは再び北を目指した。
◇◇◇◇◇◇◇
あれから2日、山林を歩いた。
2日目には、僕の熱も下がって、イルティミナさんの背中から降りて自分の足で歩くことにしたよ。
でも、
「もっとマールと密着していたかったのに……残念です」
「…………」
そう言って、僕の奥さんは頬に手を当て、ため息をこぼしていた。
あはは……。
正直に言うと、イルティミナさんと身体を触れ合わせていられる時間は、僕も幸せだった。
でも、それで彼女の負担になるのは駄目だよね?
そんな訳で、一緒に歩くことにした。
身体の炎症は、まだ残っている感じだったけど、動けないほどではなくなっていた。
それと『神気』も回復したので、
「僕らの身体を癒す光を。――ラ・ヒーリオ」
パァアアッ
僕は、魔法発動体の腕輪を光らせて、自分たちに回復魔法を使ったんだ。
「ん……」
イルティミナさんも瞳を伏せて、それを受けてくれる。
実はイルティミナさん、思った以上に怪我が多くて、肋骨に骨折もしてたんだ。
な、何で黙ってたの!?
それなら、いつまでも背負ってもらわなかったのに……と怒ったけど、
「マールに心配かけたくなくて」
「…………」
殊勝にそう言われてしまうと、僕も何も言えなくなる。
でも、彼女は、
「それに……こういう機会でもないと、最近のマールは、おんぶさせてくれなくなりましたからね」
と、ちょっと悪戯っぽく続けた。
か、可愛い……。
(じゃなくて!)
僕だって18歳。
見た目は、まだ未成年の13歳っぽいけど……でも、おんぶされる年齢じゃないんだから当たり前だ。
「ふふっ、そうですね」
そんな僕を、慈母の表情で眺めるイルティミナさん。
……全くもう……。
と、まぁ、そんな一幕もありながら、僕らは2人で雪の残った山の中を歩いていった。
…………。
その間、竜国軍の追跡部隊は、何回か見かけた。
遠い平野を移動している姿だけでなく、2つ隣の山の斜面で、集団で山狩りをしている姿も見かけたんだ。
その時は、さすがにドキッとした。
「こっちです」
「うん」
優れた魔狩人のイルティミナさんと一緒に身を隠しながら、なんとか逃れたよ。
でも、思った以上にしつこい。
「竜国軍としても、圧倒的有利だった自軍の大将が殺されたのですから、そのプライドもあるでしょう。簡単には引けぬのでしょうね」
「…………」
それも、そうか。
人を殺せば、恨みを買う。
それは際限なく連鎖していくし、より不幸を生み出していく。
それが戦争。
(そして僕は、それに参加してるんだ)
その事実を改めて心に刻む。
ポム
「さぁ、こちらへ」
僕の肩を軽く叩いて、イルティミナさんは微笑んだ。
(…………)
その笑顔を見ている間だけは、僕は自分の血塗られた両手のことを忘れて、優しい気持ちになれる気がした。
◇◇◇◇◇◇◇
翌日の午前中だった。
起伏のある山脈を越えて、僕らは平野の森林を歩いていた。
その時に、
「ここからは、もうグノーバリス竜国領ですね」
ふとイルティミナさんが呟いた。
(え?)
彼女を見る。
僕の奥さんは、目の前に広がる森林を見つめて、
「前に見せてもらった獣国アルファンダルの地図を覚えています。それによれば、この森林の中に国境でありましたから、ここはもう竜国領に入っているはずです」
「…………」
そうなんだ?
明確な線などなく、地続きだから国境はわかり辛い。
でも、何でもできるお姉さんがそう言うのならば、きっと間違いないのだろう。
「ここからは、どうしますか?」
そのお姉さんは、そう聞いてきた。
竜国軍の追手を避け、グノーバリス竜国まで逃げるのが、ここまでの目的だった。
それが達成した以上、どうするか?
(…………)
やはり、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんと合流したいよね。
もちろん、共に戦った王国兵さんとも。
だけど、待ち合わせ場所を決めていた訳じゃないし、もしかしたら、追手もここまで来るかもしれない。
僕は顔をあげた。
「しばらく、この国境付近で身を隠しながら移動しよう」
1つの場所に留まるのは、危険だ。
でも、みんなも竜国領に集まってくるだろうから、国境付近を歩きながら、みんなを探そうと思ったんだ。
イルティミナさんは「わかりました」と頷いた。
…………。
そうして僕らは数日間、その森林を歩いた。
携帯食料を節約するため、野生のウサギなどを狩ったり、雪解け水の流れる小川を見つけて、それで喉を潤したりした。
夜は、木の洞や洞穴などで、2人抱き合って眠った。
幸い、竜国軍の追手は来なかった。
けれど、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんたちとも出会うことはなくて、ただ時間だけが過ぎていったんだ。
…………。
おかしい。
3日目となると、さすがに不安を覚えた。
(バラバラに逃げたから、到着の時間差があるのはわかるけど……でも、3日も遅れるということはないよね?)
普通ならあり得ない。
だとしたら、普通じゃない状況が彼女たちに起こったということ。
……大丈夫だよね?
だって、あのキルトさんやポーちゃんがいて、竜国軍に後れを取るなんて思えない。
きっと何か違う事情があるんだ。
きっとそう。
それで、少し遅れているだけなんだよ。
そう自分に言い聞かせていると、
ギュッ
突然、イルティミナさんに抱きしめられてしまった。
「きっと大丈夫です。だから、そんな思い詰めた顔をしないで……ね? 落ち着いて、キルトたちを待ちましょう」
「…………」
それほど思い詰めた顔をしていただろうか?
優しいイルティミナさんの顔を、僕は見つめてしまった。
……彼女だって不安がないはずないのに。
……大切な仲間や大事な妹のことが、心配じゃないはずないのに。
僕のために、それを隠して微笑んでくれていた。
自己嫌悪。
少し反省だ。
だから、僕もがんばって笑って、
「うん、そうだね」
彼女の手を強く握ったんだ。
その時だった。
クン
風の流れが変わり、僕の鼻に匂いが伝わってきた。
(!?)
これは人の匂いだ。
それも、竜人の……。
1人や2人じゃない。
もっと多い人数だ。
それはいつの間にか、僕らの周囲に集まってきていた。
(まさか、竜国軍の追手?)
でも、感じられる匂いには、彼らのまとう鎧などの金属のキラキラした匂いが少なかった。
イルティミナさんも周囲の気配の変化に気づく。
カチャッ
白い槍を構えながら、
「……囲まれていますね」
低い声で呟いた。
凛とした美貌には、強い警戒感が滲んでいる。
シュララン
僕も左右の手で『大地の剣』と『妖精の剣』と鞘から抜いて、イルティミナさんと背中を合わせながら構えた。
(…………)
雪の残った森林で、2人覚悟を決める。
冷たい風がそんな僕らの肌を撫で、森の奥へと吹き抜けていった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、来週の月曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。