613・2人きりの逃走1
第613話になります。
よろしくお願いします。
気がついたら、真っ暗な世界にいた。
ここは……?
ピチョン
足元は、足首まで浸かる黒い水に埋め尽くされていた。
奇妙な感覚。
(あぁ……これは夢だ)
唐突に、そう理解する。
つまりは明晰夢という奴だ。
僕がそう自覚したからだろうか? まるでタイミングを計ったみたいに、正面の空中に人影が浮かびあがった。
黒い髪に黒い肌の少年。
その口元には、赤い三日月のような笑みがあった。
…………。
『闇の子』か。
かつて殺した僕らの世界の仇敵を目にしても、心はそれほど動じなかった。
3年ぶりの再会。
僕と奴は、しばし見つめ合った。
スイッ
不意にその黒い腕が持ち上がり、その人差し指が遠い彼方を指差した。
(?)
僕の青い瞳は、その先を追う。
黒い世界の遥か遠方に、かすかな紫色の光が灯っていた。
闇のオーラだ。
その禍々しい光の集まる場所に、巨大な竜人が鎮座していた。
あれは、
(……闇の竜王オルガード・ロア・ルグノーバリアス?)
そう見えた。
その竜国の王は、こちらに背を向けて座り、竜のような両手を大きく天に広げて、何かに祈りを捧げているみたいだった。
奴は、魔の眷属。
つまり祈りの対象は、この『闇の子』なのだろう。
けど、その黒い少年は苦笑する。
フルフル
僕の考えを否定するように、首を左右に振った。
(……え?)
戸惑う僕に対して、闇の子はその黒い指をゆっくりと竜王オルガードの頭上へと向けていく。
僕の視線も、それを追いかけた。
そこで気づく。
竜王オルガードの身体から、細い糸が伸びていた。
頭から。
腕から。
手から。
足から。
腰から。
胸から。
その竜人の全身から、まるで操り人形であるかのように細く煌めく糸が天へと向かって伸びていたんだ。
(何、あれ……?)
そう思いながら、糸の先を追うように視線を持ち上げていく。
…………。
そこに、巨大な闇がいた。
(――は?)
膨大な魔力を感じさせる禍々しく、悍ましい漆黒の生き物が黒い空に蠢いていたんだ。
闇に紛れ、正確な輪郭はわからない。
人のようにも、獣のようにも見える。
けれど、1つだけ確かなのは、それはこの世界にいてはいけない存在だということだ。
すなわち、それは神の天敵。
かつて人類を滅亡の縁まで追い込んだ、忌むべき上位存在。
なぜ?
僕は恐怖と共に思う。
(なぜ、ここに『悪魔』がいる……?)
絶望が心を砕く。
同時に、夢の世界が壊れていく。
クスクス
闇の中で立ち尽くす僕の姿を、黒い少年は、ただただ楽しそうな赤い三日月の笑みで眺めていた。
◇◇◇◇◇◇◇
「っ……はっ」
次の瞬間、僕は夢から目覚めた。
ドクッ ドクッ
心臓が早鐘のように鳴っている。
夢の冷たい恐怖が全身を駆け巡り、けれど、夢から覚めたことでそれがゆっくりと溶けていった。
(うはぁ……)
心が落ち着いてきて、僕は大きく息を吐く。
同時に、
「気がついたのですね、マール?」
すぐ目の前からイルティミナさんの声が聞こえた。
(え?)
驚く僕の前には、艶やかな深緑色の髪があった。
とてもいい匂いのする、大好きなイルティミナさんの髪だ。
そして、その髪の向こうに、こちらを見つめる白い美貌の横顔だけが見えていた。
あ……。
凄い至近距離。
ドクン
思わず、さっきとは別の意味で心臓が大きく高鳴ってしまった。
そこで自分の状況に気づく。
どうやら今の僕は、イルティミナさんに背負われているみたいだった。
(あ……えっと)
彼女に声をかけようとして、
「うぐ……っ!」
その瞬間、強烈な痛みが全身を駆け巡り、僕は呻き声を漏らしながら硬直してしまった。
イルティミナさんが慌てた顔をする。
「無理に動かないで。マールの肉体は『究極神体モード』の反動で、今、ボロボロになってしまっているんです。どうか安静にしていてください」
…………。
言われて、状況を思い出した。
そうだ、僕らは10万の竜国軍から逃れるために、逆に特攻を仕掛けて、大将首を刎ね、そのままグノーバリス竜国領へと抜けようとしていたんだ。
でも、僕の記憶は、竜国軍を突破する途中で途切れている。
…………。
視線を巡らせると、ここは森の中のようだった。
周辺には、背の高い木々が乱立して、その枝葉と地面には白い雪が所々に積もっている。地面が傾斜しているので、もしかしたら山中なのかもしれない。
ここはいったい?
それに、今、ここにいるのは僕とイルティミナさんの2人だけだ。
他のみんなはどうしたのだろう?
…………。
息を吸うと、肺が痛い。
それを我慢しながら、僕は聞いた。
「あれから……どうなったの?」
その問いに、僕の奥さんは微笑んだ。
それから、
「大丈夫、安心してください。竜国軍は無事に突破することができました。今は追手を逃れながら、竜国領を目指して獣国領内を北に向かっている所ですよ」
と教えてくれた。
(……そうなんだ?)
よかった。
安心感から、大きく息を吐いてしまう。
ズキッ
イタタ、それだけで身体が痛む。
どうやら究極神体モードで、相当に肉体にダメージを負ってしまったみたいだ。当分、まともに動ける気がしない。
そんな僕に、イルティミナさんは痛ましそうに微笑んだ。
それに、僕も誤魔化すように笑って、
「それじゃあ、他のみんなは?」
と、周囲を見ながら聞いた。
キルトさん、ソルティス、ポーちゃん、それに王国騎士さんたちも……彼女たちは今、どこにいるのだろう? 突破できたのなら、彼女たちも無事なはずだ。
でも、近くに姿は見えなかった。
「…………」
イルティミナさんは何も言わなかった。
雪の積もった地面を、僕を背負いながら、ただただ歩いていく。
???
(イルティミナさん?)
僕は不思議に思いながら、彼女を見つめた。
彼女は深く息を吐く。
空気の冷たさに、それはすぐに白く染まって、後方へと長くたなびいた。
「わかりません」
え?
彼女は前を見つめ、少し辛そうな表情だった。
そして続ける。
「竜国軍を突破したあと、周囲は激しい乱戦となりました。キルトやソルたちとは、そこで離れ離れになってしまい、その後どうなったかはわからないのです」
◇◇◇◇◇◇◇
唖然とする僕に、イルティミナさんは教えてくれた。
「マールの作戦は成功しました」
予想通り、横長になった竜国軍は守りも薄く、総大将の首を取ったあとの混乱に乗じて、反対側まで一気に突破することに成功したのだそうだ。
けど、予想外だったのが1つ。
それは、こちらの疲労だ。
突破したあと、僕らは近くの山林などに逃げ込み、身を隠しながら竜国領を目指すことになっていた。
けど、
「予想以上に体力を消耗していた私たちは、山林などに逃げ込む前に、竜国軍の追手に追いつかれてしまったのです」
そう言って、彼女は唇を噛んだ。
…………。
その時は、その場の誰もが疲労困憊状態だった。
僕自身、意識を失っていたし、イルティミナさんが背負ってくれていなければ、あの戦場で命を落としていただろう。
それほどの極限状態。
そして、あのキルトさんやポーちゃんでも抗えぬほどの竜国軍の勢いに押されて、その場は敵味方入り乱れての激しい乱戦となったのだそうだ。
イルティミナさんは、僕を守るので必死だった。
もはや連携する余裕もない。
気がつけば、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんともはぐれて、1人で竜国軍と戦う状況だったという。
(…………)
改めてイルティミナさんの姿を見れば、彼女の全身はボロボロだった。
鎧には損傷が多く、肌にも少なくない傷が見える。また、その衣服には、自身の血が沁み込んでいるようだった。
……こんなになってまで、僕を守ってくれたんだ。
そう思ったら、胸が熱くなり、またその足枷となった自分が悔しかった。
彼女は言う。
「正直、もう駄目だと思いました。けれど、マールと2人で死ねるのならば悪くはない……と、そう思えたりもして、けれど、槍を振るう手だけは止まらなくて……」
「…………」
「そして、限界だと思えた時に、マールの精霊が助けてくれたのです」
(……精霊さんが?)
僕は思わず、自分の左腕にある『白銀の手甲』を見つめてしまった。
イルティミナさん曰く、飛び出してきた精霊さんは周囲の竜国兵を蹴散らし、僕とイルティミナさんを咥えて走ってくれたのだそうだ。
結果として、竜国軍から逃れることができたという。
そして安全な場所まで移動したら、精霊さんは役目を終えたとばかりに手甲に戻っていったそうだ。
(……そっか)
僕は手甲を撫でる。
「ありがとう、精霊さん」
ジ、ジジ
小さな精霊さん声が聞こえて、僕は微笑んだ。
その様子を見て、イルティミナさんも優しく微笑んでくれる。
でも、すぐに表情を曇らせて、
「そうして私たちは助かりました。ですが、他の皆がどうなったのかは確認する余裕もなくて、結局、わからないままなのです」
そう辛そうに教えてくれた。
…………。
僕は頷いた。
「きっと大丈夫だよ」
「え?」
驚くイルティミナさん。
そんな彼女を安心させようと笑いながら、
「キルトさんがそう簡単に死ぬとは思えないし、ソルティスのそばには『神龍』のポーちゃんもいるんだ。王国騎士もみんな強い。だから、みんな大丈夫な気がするんだ」
自分の胸に手を当てて、そう言った。
嘘じゃない。
なぜかわからないけれど、直感的にそう信じられるんだ。
イルティミナさんは、そんな僕のことを眩しそうに、真紅の瞳を細めて見つめていた。
そして、
「――はい。マールが言うならば、きっと」
そう頷いて、笑ってくれたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
イルティミナさんの話によれば、乱戦があったのは2日前だという。
つまり、
(僕は2日間も眠っていたのか……)
ちょっと驚きである。
「いつもならば、ソルが回復魔法を使ってくれるのですが……。私には使えなくて、本当にごめんなさいね、マール」
イルティミナさんに、そう謝られてしまった。
「ううん」
僕は、首を左右に振る。
確かに、ソルティスの回復魔法があれば、僕の目覚めも早かったのかもしれない。
でも、そんな風に魔法が使ってもらえるのは、当たり前じゃないんだ。
それぐらい、僕もわかっている。
むしろ、イルティミナさんは自分も傷だらけだというのに、この2日間、僕を背負いながら移動をし続けてくれたのだ。
僕には、そのことへの感謝しかない。
「……ずっと守ってくれて、ありがとね、イルティミナさん」
ギュッ
彼女の首に回した両手に、もう少し力を込めた。
僕の奥さんは驚いた顔をする。
それから「いいえ」と、はにかむように微笑んだ。
その頬が少し赤くなっている。
…………。
もう少し回復したら、僕も魔法が使える。
そうしたら、僕の回復魔法で、すぐにイルティミナさんの怪我を癒してあげよう――そう強く心に誓ったんだ。
…………。
それからも、イルティミナさんは僕を背負って山林の移動を続けた。
尾根伝いに北上しているという。
「竜国軍も追手を出しているようですが、今の所、幸いにも見つかってはいません」
彼女はそう微笑んだ。
イルティミナさんは、王国トップの魔狩人だ。
自然の中での身の隠し方は、軍隊などよりも、ずっとわかっているかもしれない。
それともう1つ、
「やはり総大将を失ったことで統率が失われ、そもそも、きちんとした追跡が行われていないようですね」
とのことだ。
10万の竜国軍の本来の目的は、ロベルト将軍率いる王国軍本隊だ。
そちらを追うか、総大将を討ち取った僕らを追うか、統率者のいなくなった竜国軍内では、その決断もままならない状況なのだろう。
だからこそ追跡も散発的。
そのおかげで、イルティミナさんもここまで無事に逃げ切れているのだそうだ。
(…………)
なら、きっとみんなも無事だよね。
ふと、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんの顔が思い浮かび、その安否を思って少しだけ心が苦しくなった。
嫌な予感は、頭を振って追い払う。
今頃、みんなもグノーバリス竜国を目指していると思う。
(きっと、向こうで再会できるはずだ)
僕はそう信じてる。
…………。
やがて、西の空から太陽が沈む。
世界は薄暗くなり始め、周囲の気温も少しずつ低下しているみたいだった。
「ふっ……ふっ……」
僕を背負って、イルティミナさんは歩き続ける。
熱い息は、白くたなびく。
しばらくすると、根本付近に大きな洞のある大木を見つけた。
夜の移動は危険だ。
竜国軍の追手も足は鈍るだろうし、何より山林には魔物という脅威も存在する。夜目の利く魔物との戦闘は、極力、避けなければならない。
「イルティミナさん?」
「はい」
呼びかけの意図を、彼女も理解していたのだろう。
こちらを見て、
「今夜は、ここで野宿といたしましょうか」
そう穏やかに微笑んだんだ。
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ただいま、
『転生した弓使い少年の村人冒険ライフ! ~従姉妹の金髪お姉さんとモフモフ狼もいる楽しい日々です♪~』
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