599・魔に侵された国
第599話になります。
よろしくお願いします。
「――武器も持たずに飛び出しおって、この馬鹿者がっ」
ゴン
戦いのあと、師匠であるキルトさんは、そう怒りながら僕の脳天に拳骨を落とした。
(い、痛い)
でも、反論できない。
久しぶりの強烈な魔の気配に当てられて、本能を抑え切れずに我を忘れてしまったのは事実なんだ。
少なくとも、無手で戦うなんて馬鹿すぎる。
落ち込む僕は、
「……ごめんなさい」
と、ただ謝るばかりである。
さて、そんな僕は今、宿屋のベッドに上体を起こして座っていた。
あの『究極神体モード』の反動で、いつものように、身体に上手く力が入らない状態になってしまったんだ。
「全く無茶をして……」
イルティミナさんは心配そうに、僕の髪を撫でてくる。
僕は、申し訳なく笑うばかりだ。
そんな僕ら夫婦に、キルトさんはため息をこぼす。
それから表情を改め、
「しかし、グノーバリス竜国の王が『魔の眷属』であったか。考えられる中で、最悪に近い事態じゃったの」
と呟いた。
その声の重さに、僕らは沈黙する。
すでに、奴の正体と語った内容は、キルトさん経由でロベルト将軍にも伝えてもらっていた。
あの大将軍さんも、きっと頭を抱えたことだろう。
ソルティスが、嫌そうに口を開く。
「それってつまり、もうグノーバリス竜国全体が『魔の勢力』って考えていいってことでしょ? ちょっとやばすぎない……。私ら、国1つを相手にしないといけないの?」
「…………」
そうなる、よね。
実は僕は、これまでグノーバリス竜国にいる『魔の存在』は、竜国内で暗躍してるだけだと思ってたんだ。
でも違った。
相手は、その国の王本人で、竜国はその支配下にあるんだ。
下手をしたら竜国の兵士、民、全てが『魔の勢力』の手先として動くかもしれないのである。
(……くそ)
僕は心の中で悪態をつく。
アイツは3年前にいなくなったというのに、奴の残したものは、今だ世界を危機に陥れようとする。本当になんて嫌な奴だ。
キルトさんも唸る。
「まさか、1国の王を傀儡とするとはの。3年前、『闇の子』の奴は、いったいどれほどの深謀遠慮を巡らせて動いていたというのか……計り知れぬの」
その声には、強い憎しみと感心が同居していた。
あの黒い少年。
僕らは皆、その姿を思い出して、苦々しい思いを抱いていた。
イルティミナさんは頷き、
「しかし、これで当時の疑問も1つ、晴れました」
と言った。
え?
驚く僕らに、彼女は言う。
「かつて『闇の子』は、まるで軍隊のように眷属を使役し、数々の計略を実行していました。しかし、そのための資金、資材はどこから出ていたのか?」
(……あ)
その意味に、僕らは気づく。
「グノーバリス竜国が後ろにいたってこと?」
「はい」
僕の奥さんは頷いた。
確かに、それなら辻褄の合うことも多い。
第2次神魔戦争において『魔界』との次元を繋げる巨大装置など、どこで建造したのかも謎だったのだ。
その後ろに国家があったとしたら?
それも、アルバック大陸から遠く離れ、鎖国された国であれば、僕らに気づかれる可能性は限りなく低くなる。
奴はそのために、竜国の王を眷属にしたのか。
(……なんて奴だっ)
憎らしいほどに頭が切れる。
キルトさんは、豊かな銀髪をガシガシとかいた。
吐息をこぼし、
「敵ながら、その智謀には恐れ入る。じゃが、それも過去の話じゃ。――今は、目の前にあるグノーバリス竜国の脅威についてを考えようぞ」
と鉄の声で言った。
◇◇◇◇◇◇◇
「これまで見てきた竜国の魔法技術を見て、やはり、竜王オルガードは『タナトス王の知識』を得ていると思うか?」
キルトさんは、そうソルティスに聞いた。
少女は頷いた。
「思うわ」
即、肯定して、
「っていうか、それ以外に、どうやってあれだけの魔法技術が得られるっていうのよ?」
と苦笑した。
(それもそうか)
きっぱり言われて、僕らも苦笑してしまう。
3年前、復活した『タナトス魔法王』は『闇の子』と手を結び、タナトス時代の魔法技術を奴に与えてしまったんだ。
ならば、奴の眷属である竜王オルガードも、その知識を得ていておかしくない。
むしろ、グノーバリス竜国が『闇の子』の隠れた拠点だったのなら、積極的に教えられていた可能性は高いだろう。
(…………)
400年前の叡智。
完全ではないとはいえ、現在の技術で再現された古の魔法たち。
それが今、僕らに牙を剝いている。
僕は呟いた。
「――ある意味、僕らは『古代タナトス魔法王朝』と疑似的に戦っていたのかもしれないね」
みんな、僕を見た。
銀髪の美女は頷く。
「そうかもの」
と、その事実を認めた。
人類史上最も繁栄した王朝が相手と考えると、途端に勝ち目がなくなったような錯覚を覚えてしまうのは、僕の心が弱いからだろうか?
すると、ソルティスが肩を竦めた。
「何、言ってんのよ」
ん?
「私らの使う魔法や武具だって、タナトスの叡智なのよ? 私らだって、その継承者。要はどちらの使い方が正しいか、それを決める戦いってことよ」
ビシッ
と、僕の顔に、綺麗な人差し指を突きつけてくる。
隣でポーちゃんも、ビシッとしていた。
僕は驚き、そして笑った。
「うん、そうだね。ソルティスの言う通りだ」
力は力。
ただ、それだけでしかない。
それは使う者の心掛け次第で、善にも悪にも傾いてしまうのだ。
なら、
(僕らが正しいって証明してやるんだ)
そう心の中で強く頷く。
確かに、奴らの方が知識の面では1歩も2歩も先んじているかもしれない。
でも、こっちだって負けてない。
コロンチュードさんが対抗装置を作ってくれてるし、現に、襲ってきたあの『闇の竜王』を追い返すこともできたんだ。
まだまだ勝機はあるのだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「――しかし、竜王オルガードか。奴の力は侮れぬな」
僕がやる気を出していると、ふと、キルトさんがそう呟いた。
みんな、彼女を見る。
イルティミナさんが頷いた。
「確かに。私とキルトの奥義を食らい、マールの神狗としての攻撃を受けて、尚、健在でしたからね。正直、ただの『魔の眷属』とは思えません」
……言われてみれば。
僕も考える。
確かに『魔の眷属』は強いけど、それでも、あれほどじゃなかった。
あれは、竜王が特別だったのかな?
それとも、別の要因なのか?
戦いに生きる美女は、自分の右手を見つめる。
「あの手応えは、かつて戦った『タナトス魔法王』の強さを思い起こさせた。恐らく、彼の魔王と同じように『古の叡智』を力にしての結果じゃろう」
と断言した。
こういう時のキルトさんの予想は、外れたことがない。
確かに、あの『闇の竜王』は、魔道具らしい翼で空を飛んでいたし、何らかの『タナトスの叡智』が働いていた可能性は高かった。
キルトさんは厳しい顔だった。
そして、
「問題は、数じゃな」
と言った。
(数?)
「奴の強さが特別なものではなく、量産できる強さだとしたら、わらわたちの勝ち目は薄い」
「……あ」
言われて気づいた。
確かに『タナトスの叡智』で得られる強さなら、それは他の兵士にも適応できるのだ。
つまり、
(あの強さの兵士が何十万人も?)
その想像に震えた。
ソルティスも顔色を青くしている。
僕の奥さんも、美貌をしかめながら、
「それ以外にも、竜国にいる『魔の眷属』が竜王オルガードのみとは限りません。他にも何十人、あるいは何百人もいる可能性もありますね」
「…………」
僕は言葉もない。
確かに『闇の子』は、万を越える人間たちを魔物に変えていた。
なら、グノーバリス竜国にも複数の『魔の眷属』がいることも、充分に有り得ることだった。
奴らの強さは、『銀印の冒険者』に等しい。
そこに魔物の能力が加わり、更に『タナトスの叡智』が与えらえるとすれば……?
ソルティスがうなだれた。
「……逃げたいわぁ」
さっきのやる気はどこへ行ったのか、そんなことを言う。
でも、気持ちはわかる。
ポム ポム
そんな少女を励ますように、ポーちゃんの小さな手がソルティスの肩を叩いていた。
それを見ていたら、
ギュッ
イルティミナさんが僕のことを背後から抱きしめてきた。
僕の髪に、形の良い鼻を押しつけてくる。
こういうことをするのは、彼女が自分を落ち着けようとしている時だと僕は知っていた。
だから、自由にさせる。
ついでに、こぼれてきた綺麗なイルティミナさんの髪を、僕も指で撫でながら、自分の気持ちを落ち着けようとした。
そんな僕らの前で、
「最悪の可能性を考えぬわけにはいかぬな。しかし、今は情報が足りぬ。それを得るためにも、今はこのまま北上し、グノーバリス竜国を目指すしかあるまいの」
キルトさんは、難しい顔でそう言った。
僕らは頷く。
事態が変化しても、僕らのやることに変わりはないのだ。
◇◇◇◇◇◇◇
王国軍3万人と僕らが『第1の拠点都市』を出発したのは、その2日後だった。
予定より1日遅れ。
これは先の『闇の竜王』の襲撃前、竜国の『魔法兵器』によって負傷した王国騎士たちが多数いたためだ。
全員、火傷の負傷だ。
とはいえ、この世界には回復魔法があり、王国で1番の使い手であるコロンチュード・レスタもいてくれた。
そのおかげで、死者はなし。
また全員が翌日には回復し、1日遅れのみで出発が可能になったのである。
(本当に、コロンチュードさんのおかげだよ)
あのハイエルフのお姉さんには、足を向けて寝られません。
ちなみに僕の方はというと、消耗した神気も回復し、身体能力も歩けるほどには戻っていた。
まぁ、多少ぎこちないけど。
でも、しばらくすれば、それも回復するだろう。
……ここまでくると、最後の回復は個人差なんだよね。
だから、実は負傷していた王国騎士さんたちの方が、今は僕よりもずっと元気だったりする。
(あはは……)
まだ痛む足で歩きながら、僕は心の中で苦笑した。
本当、僕って貧弱だ。
早く身体も大きくなって、肉体的にももっと強くなりたいな。
また『第1の拠点都市』には、竜騎士シュナイダルさんと金印の魔学者コロンチュードさんが王国軍1万と共に残ることになった。
後日、更に1万の王国軍の増援があるという。
これはロベルト将軍の指示だ。
あの『闇の竜王』の宣戦布告を受けて、警戒を強くしたんだ。
もし『第1の拠点都市』が攻撃され、陥落した場合、『対竜国用の魔法装置』は破壊されてしまうだろう。
そうなれば、行軍中の僕らを守る力はなくなる。
王国軍3万人と僕らは、『竜国の魔法武具』や『魔法兵器』などで一方的にやられて全滅してしまうのは確実だった。
だからこその措置だ。
(僕らの旅って、結構な綱渡りをしているんだな……)
街道を歩きながら、ふと青空を見上げて、改めてそう気づかされたよ。
そんな漠然とした不安を感じていると、
ギュッ
不意に僕の手が握られた。
見れば、僕の手を握ってくれているイルティミナさんの優しい微笑みがあった。
「大丈夫ですよ、マール」
「…………」
「貴方のことは、この私が守ります。このイルティミナが必ず。だから、心配しないでくださいね」
いつもの笑顔で、そう言ってくれた。
(…………)
彼女はいつだって、僕のことを思ってくれる。
気遣ってくれる。
その心に触れて、ただただ嬉しかった。
だから僕も笑って、
「うん、ありがとう、イルティミナさん」
その手を強く握り返した。
そうして僕らは、みんなと一緒に歩いていく。
自分たちの世界を守るために。
たくさんの人々のために。
何より愛する人のために。
美しく広がる獣国アルファンダルの大地を、僕らはどこまでも歩いていくのだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




