595・リマと獣神様
第595話になります。
よろしくお願いします。
僕は、保護した少女に会うことを決めた。
けれど、
「その前に、まず、その子がしたという話の内容を、わらわたちにも教えてもらえぬか?」
と、キルトさんが言い出した。
保護した時の状況を見るに、あの子は心に傷を負っている。
迂闊に接すれば、より悪化するかもしれない。
そうならないためにも、あの少女に関する事前情報を知っておいた方がいいと提案してくれたんだ。
(うん、その通りだ)
それには、僕も納得した。
獣人の女騎士さんも頷いて、
「確かに、おっしゃる通りですね。では、あの子から私どもの聞いた限りの話をお伝えします」
と言ってくれたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
あの少女の名前は、リマというそうだ。
年齢は9歳。
やはり、このベイルナアドの街の住人だった。
リマちゃん曰く、パパとママとの3人暮らし。
街の人たちとも仲良しで、学校の友達もいっぱいいて、毎日が楽しかったそうだ。
そんなある日、
ドゴォン
街中に大きな音が響いた。
(……音?)
疑問に思ったけれど、女騎士さんが『恐らく、街の庁舎が攻撃された破壊音かと……』と推測してくれた。
リマちゃんはびっくりした。
パパとママもびっくりしていて、街のみんなが騒いでいた。
兵隊さんもたくさん、北門に走っていった。
でも、誰も戻ってこない。
代わりにやって来たのは、とっても怖い人たちだった。
怖い人たちは、真っ黒だった。
身体が柔らかな毛じゃなくて、真っ黒い鱗に覆われていた。
(……竜人だ)
恐らく、竜国軍がやって来たのだろう。
パパは怒っていた。
周りの大人たちも怒っていた。
すると、怖い人たちの前にいた大人たちが、パタパタと倒れた。
みんな、静かになった。
ママは、リマちゃんの手を引いて、反対側に逃げだした。
周りの人も逃げだした。
まるで運動会みたい。
でも、その直後、痺れるような低い音が街中に広がって、そうしたら全員、立ち止まってしまった。
誰も動かない。
ママも動かない。
いくら呼んでも、引っ張っても、リマちゃんを見向きもしなかった。
(???)
どういうこと?
キルトさんやイルティミナさん、女騎士さんに確認したけど、彼女たちにもわからないらしい。
そして、怖い人が何かを言った。
すると、街中の人が一斉に歩きだした。
ママと手を繋いでいたリマちゃんは、怖かったけれど、一緒についていった。
北門を抜け、みんな、歩いていく。
どこへ行くの?
ママに聞いても、誰に聞いても、返事もしてくれない。
歩いて。
歩いて。
途中で、リマちゃんは転んでしまった。
ママと手が離れて、でも、ママは待ってくれなくて、人波に呑まれて見えなくなってしまった。
リマちゃんは泣いた。
でも、周りの人は誰も見向きもしてくれない。
ドン
誰かにぶつかられた。
また転んでしまう。
そうしたら、誰かに踏まれた。
また踏まれた。
痛い。
痛い、痛い、やめて、助けて。
でも、誰もやめてくれなかった。
助けてくれなかった。
気がついたら、街道には誰もいなくなっていて、リマちゃんだけが取り残されていた。
近くに、森が見えた。
街には、あの怖い人たちがいるかもしれない。
ママも、街のみんなも、おかしくなっちゃった。
だから、リマちゃんは森に隠れた。
リマちゃんのパパは、実は狩人で、リマちゃんは小さな頃から森に入っていたそうだ。
動物や魚の捕まえ方。
食べられる植物の見分け方。
危険な魔物からの隠れ方。
色んなことを教わっていた。
それを思い出しながら、リマちゃんは、まさに命懸けのかくれんぼをがんばったのだ。
その間、なんと3ヶ月。
(…………)
その事実に、話を聞いていた僕らは何も言えなくなった。
リマちゃんには、狩人の才能があったのかもしれない。
でも、まだ幼かった。
体力は少しずつ削られ、心も壊れそうだった。
そのせいかな?
その時のリマちゃんは、頭がぼんやりしていて、魔物の接近に気づかなかった。
気づいた時には、手遅れだった。
慌てて隠れたけれど、魔物はすぐそこだった。
気づかれる!
絶望で、涙が滲んだ。
心の中で、何度もパパとママに『助けて!』と叫んだ。
でも、誰も来ない。
助けはない。
そして、魔物に見つかりそうになった、その寸前、別の気配が現れた。
それに驚いて、魔物たちは逃げてしまった。
助かった?
でも、あの怖い人たちかも知れない。
リマちゃんは震えていた。
そして、その人たちがやって来て――。
◇◇◇◇◇◇◇
「それが、マール様たちだったようです」
女騎士さんは、そう締め括った。
すぐに僕らは、何も言えなかった。
あの少女は、思った以上に過酷な状況にあったみたいだ。
その事実が心に刺さる。
キルトさんが重く息を吐く。
「竜国軍が攻めてきた時の貴重な情報じゃったの。しかし、それではベイルナアドの住人は皆、操られ、街を捨てて別の場所に移動していった、というのか?」
その声には、強い疑念が滲んでいる。
確かに、
(そんなこと、ありえるの?)
とは思う。
イルティミナさんはしばし考え、
「しかし、街の無傷な状況を思えば、リマという少女の話とも合致します。その信憑性は高いのでは?」
「ふぅむ」
その言葉に、キルトさんも考え込んでしまった。
女騎士さんは、状況を見守っている。
やがて、キルトさんは顔をあげた。
「考えられるとしたら、何らかの『魔法』かもしれぬ。幸い、ここには『金印の魔学者』もいるのじゃ。あとで、奴に確認してみようぞ?」
(うん、そうだね)
その提案に、僕らも頷いた。
…………。
そうして話を聞いたあと、僕らは、実際にリマちゃんに会いに行くことにした。
◇◇◇◇◇◇◇
女騎士さんの案内で、1つの部屋の前までやって来た。
この中に、リマちゃんがいる。
コンコン
女騎士さんが扉をノックして、僕へと場所を譲った。
(……うん)
深呼吸して、僕はドアノブを回す。
ガチャ
開いた扉の向こうには、1つだけベッドがあった。
ベッドの上には、あの森で保護した少女が上体を起こして座っていた。
『……あ』
彼女は、僕を見て驚いた顔をする。
ベッドの近くには椅子があって、そこには、獣人の女の人が座っていた。
民間人の服装をしているけれど、姿勢が良いので、多分、この人も王国騎士なのだろう。リマちゃんを怖がらせないよう、鎧や軍服は控えたのだと思えた。
彼女と視線が合う。
小さく頷いて、立ち上がり、椅子を譲ってくれた。
僕は軽く会釈する。
ベッドに近づき、その椅子に座らせてもらった。
イルティミナさん、キルトさん、女騎士さんたちは扉前に集まって、距離を保っている。
なので、僕とリマちゃんは2人きりだ。
リマちゃんは、僕を見つめている。
緊張しているみたいだ。
なので、僕の方から、
『こんにちは』
と笑いかけた。
ちなみに、話しかけたのはドル大陸の公用語でだ。
喋るのはまだ片言だけど、ヒヤリングはできるので、日常会話ぐらいなら問題なかった。
僕の笑顔に、リマちゃんも安心したみたいだ。
パッと表情を輝かせ、
『こ、こんにちは、獣神様!』
と挨拶してくれた。
獣耳がピンと立ち、先の白い尻尾がパタパタと揺れている。
というか、
(……獣神様?)
そう呼ばれたよね?
驚いている僕に、リマちゃんは不思議そうな顔をする。
『え、えっと……獣神様、なんですよね?』
と聞かれてしまった。
……少し考える。
獣神というのは、かつてドル大陸が1つの国だった時、そこで信仰されていた獣の姿をした神様たちのことだ。
その信仰は、現在もヴェガ国などで続いている。
ちなみにヴェガ国の獣神は『翼を生やした獅子』の姿だ。
そんな国々と同じように、きっとこの獣国アルファンダルでも『獣神信仰』が続いていたのだろう。
もちろん、僕は『獣神様』じゃない。
(ないけど……)
僕は、ニコッと笑って、
『どうして、僕が獣神様だと思ったの?』
と聞き返した。
彼女の言葉を否定せず、代わりに、その真意を確かめるように疑問を返したんだ。
彼女は言った。
『だって、パパとママが言っていたから!』
パパとママが?
『困った時には祈りなさいって。そうすれば、光と共に獣神様がやって来て、きっと助けてくれるからって!』
『…………』
それを聞いて、思い出した。
リマちゃんを保護した時、僕は『神狗』に変身した。
その時、僕の周囲では、放散した『神気』がパチパチと火花のように白く輝いていたんだ。
リマちゃんはそれを勘違いしたのだろう。
(…………)
でも、それを口してはいけない気がした。
困っていると、
ギュッ
リマちゃんの両手が、僕の手を握った。
細く、小さな手だ。
『お願いします、獣神様。パパとママを、街のみんなを助けてください。もうわがままを言いません。いい子になります。だから、だから……お願いします』
震える声。
大きな瞳には、涙の粒が溜まっている。
ドクン
その瞳を見て、胸の奥が熱くなった。
すがるような光。
でも、その奥には、冷たい理知の輝きも見えたんだ。
(もしかしたら、この子は……全てをわかっているのかもしれない)
そう思った。
リマちゃんは、心のどこかで僕が『獣神様』でないことをわかっていた。
でも。
それでも、そう願うしかなかったんだ。
だって、そうしなければ、残酷な現実に気づいて、心が壊れてしまうから。
…………。
僕は目を閉じる。
ギュッ
その小さな手を握り返して、
(――神気開放)
そう心の中で、神なる言葉を紡いだ。
途端、熱いマグマのような力が全身に駆け巡り、ピンと立った獣耳とフサフサした太い尻尾が生えてくる。
パチッ パチチッ
周囲には、放散する神気がキラキラと白く輝いた。
『……あ』
リマちゃんは呆けた。
その神々しい光に照らされながら、僕を見つめる。
僕は頷いた。
『僕の名前は、マール。君の言う通り、僕は《狗の神様》なんだ。だから、約束するよ。みんなを助けるために、全力でがんばるって』
必ず助けるとは、言えなかった。
石化した人々の情報を思えば、そこまで無責任にはなれない。
ただ、助けるために全力でがんばることだけが、今の僕にできる精一杯の約束だった。
『…………』
リマちゃんは、僕を見つめた。
僕の手を、胸に抱く。
『はい、お願いします……マール様』
そう言って、泣いた。
頬を伝った涙が、僕の手の甲に落ちる。
熱い、熱い涙だった。
その熱に心を焼かれながら、僕は『神なる狗』として大きく頷いたんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




