583・破壊と脱出
第583話になります。
よろしくお願いします。
竜の顎に生まれた次元の穴からは、今も大量の『魔素』が魔界から流入していた。
(……っ)
気持ち悪い。
神狗だからか、その高濃度の魔素は『悪魔』の存在を感じさせて、僕は眩暈がしそうだった。
「早く、装置を破壊しなきゃ」
「はい」
僕の呟きに、イルティミナさんは大きく頷いた。
その手の『白翼の槍』を構える。
タナトス魔法武具の力を解放して、装置を破壊するつもりなのだろう――けれど、そんな彼女の妹が「ちょっと待って」と姉の行動を遮った。
(え?)
「迂闊に手を出しちゃ駄目よ、イルナ姉。下手したら装置が暴走して、次元の穴が拡大しちゃうかもしれないわ」
「!」
「!」
僕らはハッとする。
もしそうなったら、かつて古代タナトス魔法王朝が滅びた時のように、そこから再び『悪魔』たちがこちらの世界に侵入してくるかもしれない。
そうなったら、世界は終わりだ。
ソルティスは前に出て、
「装置の全容を確かめさせて。どうすれば安全に停止させられるか、調べたいの」
そう言った。
僕もイルティミナさんも反論はない。
僕らが頷いたのを確認して、ソルティスは『魔力発生装置』へと近づいて、その周りをグルグルと回り始めた。上から下まで、しっかりと確認している。
ブツブツ
小さな呟きが聞こえる。
あれは魔力回路……こっちが放熱で、ここに経路が繋がってる……これが界の位相をずらして……次元の安定化は……。
そんな難しい言葉ばかりだ。
「…………」
「…………」
理解が及ばない僕らは、少女の様子をただ見守るのみだった。
「……なるほどね」
やがて、彼女は頷いた。
小さな指で装置を示して、
「イルナ姉。悪いけど、ここの装甲を外してもらえる?」
と頼んだ。
僕の奥さんは「はい」と頷いて、言われた箇所の装置の外壁の隙間にガチッと槍の先端を突き刺して、テコの原理でそれを強引に剥がした。
ベキッ メキメキ ガラン
人ほどの大きさの外壁が、音を立てて床に落ちる。
その中は、青白い光を放つ魔法陣の刻まれた機械や歯車、液体の満ちたチューブなどが詰め込まれていて、低い音を立てながら今も稼働し続けていた。
ソルティスは、そこに顔を突っ込む。
「ふんふん、やっぱりね」
くぐもった声が聞こえた。
顔を戻して、少し乱れた髪のまま、ソルティスは僕を振り返った。
「マール、紙と筆、用意して」
「え?」
「今から私が言う装置の部分だけでいいわ。正確に絵に描いて記録してちょうだい」
「う、うん」
僕は頷き、すぐに荷物の中から紙と筆、インクを取り出した。
ソルティスは言う。
「ここの魔法陣3つと、この魔力回路と繋がっているコードの先の回路全部、構造を描いておいて」
「わかった」
頷いて、僕は紙に筆を走らせる。
シャッ シャシャッ
丁寧に、何度も目視して間違いのないように注意しながら、絵を描いていく。横から見ながら、ソルティスは『うんうん』と満足そうに頷いた。
それから、
「これがこの装置の中枢なの。だから、あとでコロンチュード様にも見せて、対策を練らないと」
と言った。
(対策?)
視線で問いかける僕と姉に、ソルティスは教えてくれる。
「この『魔力発生装置』がここに存在するってことは、今後、また同じ装置が造られる可能性があるってことでしょ? その対策を練らないといけないのよ」
あ……。
言われて、間抜けな僕はようやくその可能性に気づいた。
姉の方は気づいていたのか、
「対策できるのですか?」
と妹に聞く。
ソルティスは頷いた。
この装置は発生した魔素を魔力波として遠方へと共振させて飛ばすのだから、それを逆手に妨害波を送り込み、魔力回路に不具合を起こさせることもできるそうなのだ。
一応、詳しい原理も説明されたけど、難しすぎて僕には理解できなかった。
とりあえず、『対策ができる』ということだけ理解できた。
そして、そのためには今、僕が描いている中枢の魔力回路の正確な図面が必要で、だから、貴重な時間を費やしてそれをやってもらっているのだと説明してもらった。
(なるほどね)
思った以上に責任重大だった。
ちょっと筆が震えそうだ。
やがて、複雑な魔法陣たちや魔力回路の構造などを何とか描き終える。
ソルティスも横から見ていて確認してくれたから、描き間違いはないと思う。
チラッ
彼女を見れば、
「うん、オッケー」
と指で丸を作って、片目を閉じて笑ってくれた。ん、よかった。
それから少女は、イルティミナさんに装置のこことここのチューブを切断、この魔力回路を指示した順番に破壊して欲しいと頼む。
姉も了承して、妹の指示通りに作業を行った。
…………。
まるで爆弾の解体作業だ。
いや、まるでというか、本当にその通りなのだろう。
2万もの『獣国軍の武具』を稼働させるだけの魔力を操る装置なのだ。下手をしたら、その暴走による魔力爆発で、周囲一帯が生命のない更地になってもおかしくない。
……いや、それ以前に最悪、魔界との穴が拡大し、悪魔の侵入によって世界が終わるんだったっけ。
(…………)
し、慎重にね、イルティミナさん。
僕はハラハラしながら、僕の奥さんとその妹の共同作業を見守った。
そして、5分後。
ブシュウウ……ッ
装置の排気口から大量の白い蒸気が噴き出して、ガガガ……と音を立てながら、竜の顎が閉ざされた。
その真上にあった黒点も、
バチュン
1度、黒い放電を散らした直後、消滅した。
(……あ)
嫌な魔の気配が遠ざかり、消えていく。魔界との繋がりが断たれたんだ。
ソルティスも、
「よし」
と頷いた。
装置が停止して、魔素の発生も止まった。
現在も戦場で獣国軍の兵士たちが使っているだろう『獣国軍の武具』も、これで力を発揮できなくなったはずだ。
これで、戦争も終わる。
ソルティスは白い『竜骨杖』を停止した装置へと向けた。
不敵に笑って、
「さ、あとは残ったこのガラクタを、再利用されないように完全にぶち壊してやらないといけないわね」
杖の魔法石に光が灯っていく。
僕とイルティミナさんも頷く。
僕は『大地の剣』を逆手に持ち替え、イルティミナさんも『白翼の槍』を投擲する構えを取った。
…………。
やがて、僕とイルティミナさんのタナトス魔法武具の攻撃で禁忌の装置は粉々になり、とどめにソルティスの炎のタナトス魔法でその残骸も溶解、蒸発させられた。
これで任務完了だ。
「さぁ、あとはキルトたちと合流して、この場から離脱しましょう」
「うん!」
「急ぎましょ!」
イルティミナさんの言葉に、僕らは頷く。
10人の獣国兵の遺体を残して、僕ら3人は、その広間をあとにするように走りだした。
◇◇◇◇◇◇◇
侵入した時と逆の道を辿っていく。
ギギン ドパァン
やがて、遠方からの戦闘音が聞こえてくるようになった。
(キルトさん、ポーちゃん!)
1000人の獣国兵を相手に、僕らの元へと行かせないよう足止めとして、2人は今も戦っているんだ。
必死に足を動かす。
戦闘音も近くなり、やがて、建物の出入り口が見えた。
2人の背中が目に入る。
(!)
そこに映った2人の姿は、全身が真っ赤に染まっていた。
荒い呼吸をしながら、黒い大剣を構えるキルトさん、拳を構えるポーちゃんは、それぞれの銀と金の髪が大量の血を吸って、重く体に張りついていた。
2人の周囲には、100人以上の獣国兵の死体がある。
『キエエイッ!』
新たな獣国兵たちが襲いかかる。
「むん!」
迎え撃つキルトさんは、横薙ぎに黒い大剣を振り抜いて、その3人の胴体を切断し、青い雷で焼きながらながら吹き飛ばした。
ドパッ
飛び散った内臓と共に、弾けた血液が2人に降りかかる。
ほぼ同時に、仲間ごと巻き込むことを躊躇せず、獣国兵たちから魔法の光弾と炎の渦がキルトさんとポーちゃん目がけて殺到した。
ポーちゃんが1歩、前に踏み出す。
「ポォオオオオッ!」
神龍の咆哮。
それは2人の周囲に円形に衝撃波を広げて、迫る魔法を空中で撃ち落とした。
ドパパパァンッ
無数の爆発が、空間に咲く。
衝撃で負傷した獣国兵、またその遺体が吹き飛ばされ、けれど、それを無視して他の獣国兵たちは更にキルトさんたちへと挑みかかっていく。
まるで決死の特攻だ。
自分や仲間の命を顧みず、ただ敵を倒そうとするその強い意思を感じた。
ドクン
その姿が恐ろしい。
死を恐れない敵ほど、恐ろしい敵はない。
キルトさんとポーちゃんの最強コンビでなければ、この場はとっくに突破されていたのではないかと思えた。
と、キルトさんの側面から、新たな獣国兵が襲いかかる。
キルトさんはそちらを向き、
ドパァン
その獣国兵にイルティミナさんの投擲した槍がぶつかって、大きく吹き飛ばした。
キルトさんたちが僕らに気づく。
「来たか!」
声をあげる彼女たちのそばで、僕らも武器を構える。
キルトさんも獣国兵を睨みながら、
「首尾は!?」
戦いで興奮した声で、こちらの成果を問う。
それに僕が答える。
「装置は破壊したよ! あとは逃げるだけ!」
「よし!」
キルトさんは大きく頷き、
「こちらも、連中が『獣国軍の武具』を使わなくなったのを確認した。撤収じゃ!」
そう言いながら、大剣を大きく振り被った。
その剣先に、青い雷が集束する。
それを見ながら、彼女が何をしようとするのか察した僕は、『神武具』を操作して、自身の背中に4枚の虹色の金属翼を形成させていく。
その間、僕とキルトさんを守るように、イルティミナさん、ソルティスの姉妹が立ち回り、ポーちゃんも獣国兵たちを吹き飛ばして、接近させないようにする。
そして、
「鬼神剣・双絶斬!」
リリィン
キルトさんの奥義が放たれ、連撃となった2つの青い三日月が僕らを包囲していた獣国兵の一角を吹き飛ばし、陣形に大きな崩れを発生させた。
大量の土煙が僕らを隠す。
次の瞬間、
バフン
巨大な翼をはためかせ、4人の仲間を抱えた僕は、土煙の煙幕に穴を開けるようにしながら、虹色の残光をたなびかせ、上空へと一気に飛翔していった。
気づいた獣国軍から、弓矢や魔法攻撃が飛んでくる。
(でも、遅いよ)
逃げることに集中している今、それらを避けるのは容易だった。
僕らの姿は、すぐにその射程圏外へと到達して、夜空の遥か高みにある雲にまで届いていた。
バヒュウウ
上昇をやめ、速度を落として滑空する。
(ふぅ)
ここまで来れば、もう安全だ。
雲の上には、美しい星々の輝く満天の星空が広がり、そこに紅白の月たちが仲睦まじく寄り添っていた。
綺麗な景色だ。
それを眺めながら、戦場を離脱した実感が湧いてくる。
「キルト、ポー、怪我は?」
僕の身体の下、虹色の金属の翼に抱きかかえられながら、ソルティスが2人に聞いた。
キルトさんは笑う。
「掠り傷ばかりじゃ。すぐに手当てが必要な怪我はない。あとで、ゆっくり治してもらえればよい」
「…………」
コクコク
ポーちゃんも小さな首を何度も上下させる。
「そう」
ソルティスはホッと息を吐いた。
全身が真っ赤だから、2人の血か返り血か判断がつかなかったけど、どうやら返り血がほとんどみたいだ。よかった……。
僕も内心、安堵する。
「そちらの方も問題はなかったか?」
そう聞かれた。
イルティミナさんとソルティスは、顔を見合わせる。
問題はなかったけど、あったといえばあったような……ちょっと答えに窮してしまった。
そんな僕ら3人の表情に気づき、
「どうした?」
キルトさんは怪訝に問いかけた。
それを受け、イルティミナさんが「実は――」と話しだす。
装置の元には、獣国軍の4人の将軍の内の1人がいて、精鋭兵を率いて防衛に当たっていたこと、その全員を僕らが倒したことを伝えた。
キルトさんは、
「そうか。やはり、戦争の要となる装置じゃ。それだけの備えをしておったか」
と頷いた。
そして、
「3人とも、よく勝ったの」
微笑み、僕らの勝利を誉めてくれた。
(えへへ)
ちょっと嬉しい。
ソルティスも嬉しそうに表情が綻んでいる。
けど、イルティミナさんの表情は変わらず、
「彼らは誇り高い戦士でした。そして、勝利のためには自らの名誉さえ捨てる悲壮な覚悟もしておりました。それは何かに追い込まれての行動のように私は感じました」
「……ふむ」
その言葉に、キルトさんは頷いた。
「わらわたちの戦った獣国兵もそうであった」
実力差は、すぐに理解できたはずだった。
それでも獣国兵たちは恐れを抱くこともなく、いや、それを必死に飲み込んで、命を捨てるようにキルトさんたちに挑み続けていたのだという。
(…………)
それは狂気か、覚悟か。
僕は言う。
「その獣国の将軍さんが言ったんだ。『お前たちなら、奴らに抗えるかも』って」
「奴ら?」
「うん」
僕は頷き、
「それから、同胞を助けて欲しいって」
「…………」
それを聞いて、キルトさんは考え込む。
これらのガルヴェイガ将軍の遺言は、何を意味しているのか、現時点でははっきりしたことは定かじゃない。
だけど、
「やはり、グノーバリス竜国の介入があったか」
キルトさんは呟いた。
その想像をさせるだけの意味を、ガルヴェイガ将軍の遺言は感じさせた。
ただ、それがどういった介入なのか、なぜ獣国軍はそれに従っているのか、その辺の理由がわからない。
しばし沈黙が落ちる。
風切り音だけが鼓膜を震わせる。
やがて、イルティミナさんが口を開いた。
「キルト、実はもう1つ、伝えておかなければならない大事な事案もあります」
「む?」
怪訝な表情のキルトさん。
そんな銀髪の美女に、イルティミナさんは『魔力発生装置』が魔界との穴を開ける装置であったことも伝えた。
それを聞き、キルトさんは呆けた。
珍しく、あのポーちゃんも驚いた顔をしていた。
「何じゃと? ……それは、確かか?」
「はい」
イルティミナさんは頷いた。
長い深緑色の艶やかな髪を風になびかせながら、
「3人で確認した事実です。ソルがその構造を解析し、マールによってその装置中枢の魔力回路の図面も作成しました」
そう口にする。
キルトさんは黙り込んだ。
その間に、イルティミナさんが妹が語っていた対策などについても話し、その全てを聞いたキルトさんは、
「そうか」
と言って、長い吐息をこぼした。
「わかった。今後の対策は、砦に戻り、ロベルト将軍やエルフたちとも話し合って考えねばならぬ。シュムリア本国にも、すぐに連絡せねばな」
「うん」
僕は頷いた。
ここまでの禁忌に、人類が再び手を出すとは思っていなかった。
きっとキルトさんもそうだろう。
他の人たちだって同じはずだ。
その愚かさを止めるためにも、みんなで知恵を絞って、力を合わせないといけない。
姉妹とポーちゃんも頷いていた。
キルトさんも頷き、ふと遠く輝く紅白の月を見上げた。
「ラプトとレクトアリスの語った世界の危機か……。まさかこれほどとは思わなんだが、しかし、これで明らかに『魔』の介入があったことは断定できるの」
…………。
獣国軍の武具、禁忌の魔力発生装置。
どちらも、これまでの人類の技術力では成し得ない物で、だからこそ、その実現には人知を超えた存在の介入があったと考えられるんだ。
すなわち、それこそが『魔』の存在。
その正体はわからないけれど、それは間違いなく存在する。
そうわかったんだ。
「…………」
僕は、夜空を映す青い瞳を細める。
その相手こそ、『闇の子』が亡き今、僕が戦うべき相手なのかもしれない――ふと、そう思えた。
ヒュウウ……
夜の空を飛び、その風圧が僕の茶色い髪を揺らす。
漠然とした不安と脅威。
それを感じながら、僕ら5人は虹色の輝きを散らして、星々の煌めく空を飛翔していった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
小説と全く関係ないのですが、ついにサッカーW杯が開幕しましたね。
思えば、マールの連載が始まったのは前回大会の年でした。
今回、日本は厳しい予選グループに入りましたが、本気のドイツ、スペインなどの強豪国と戦えるのは楽しみです♪
どうか番狂わせで世界を驚かせて欲しい。
がんばれ、ニッポン!
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




