576・赤く染まる夜空
第576話になります。
よろしくお願いします。
獣国軍の武具についての説明を受けたあと、僕らは、更に詳しい戦地の情報を確認した。
それによると獣国軍の兵士数は、やはり20万という大規模なものだそうだ。
その内、『獣国軍の武具』を装備しているのは、約2万人。そして、獣国軍の武具を持った兵士は、普通の兵士の約100人分の戦力と計算されるという。
つまり実際の戦力は、
(200万人ってこと!?)
その事実に、僕は仰天した。
世界最大の国、アルン神皇国でさえ動員できる軍勢は100万人と言われているんだ。
獣国軍の戦力がどれほど異常か、これだけでもわかるだろう。
(……エルフ軍が劣勢な訳だ)
キルトさんも難しい顔で「むぅ」と唸っている。
「これはもはや、獣国アルファンダルの全軍が動員されていると見て間違いない。しかし、まるで国の命運をかけたようなこの進軍は、いったいなぜじゃ?」
「…………」
それは僕らにもわからない。
そもそも、獣国アルファンダルは何を目的としてエルフの国に攻め込んだのか? それすらわかっていないんだ。
(……何か、嫌な感じがする)
背骨に虫が這いまわっているような気持ち悪い感覚だ。
コロンチュードさんの話は続く。
現在、エルフの軍勢は2万5000人ほどだという。
ここまでの戦闘で5000人のエルフが戦闘不能に、あるいは犠牲になってしまったそうだ。
「…………」
あまりの人数に息が詰まる。
全体の6分の1の被害。
これはかなり甚大な被害であり、この時点で敗戦となってもおかしくないレベルだった。
ただ、
「獣国軍は、降伏を認めないんだ」
とのこと。
捕虜となったエルフは全て殺され、和平の使者も、非戦闘員である女子供も容赦なく殺されたのだという。
またエルフという種も誇り高い種族だった。
降伏するぐらいならば、死を選ぶ。
特に獣国軍の残忍さと侵略行為への怒りもあって、勝てないとわかっていても、死を賭して最後まで抵抗するという決断をしているそうだ。
(…………)
国を捨て、転移魔法陣を使って逃げるという道はないんだね。
背水の陣。
まさに今は、そんな状況なのかもしれない。
「レクリア王女は、グノーバリス竜国の暗躍を懸念されていたが、獣国軍の動きにその辺の疑いはなかったか?」
キルトさんは問う。
コロンチュードさんはしばし考え、
「……わかんない」
と首を振った。
彼女は前線に立つよりも、少しでも早くこの砦に入って『転移魔法陣』の構築をしていたから、獣国軍と多く対峙していないんだって。
なので、
「……実際に戦った人、呼んでくるよ」
え?
驚く僕らを残して、彼女は部屋を出る。
10分ほどで戻ってきた時には、1人のエルフの男性を連れてきていた。
(……あ)
僕は驚く。
向こうも僕に気づいたみたいだけれど、特に反応はなかった。
「どうも」
短い挨拶。
美しい金の髪に、切れ長の銀の瞳。
そのエルフさんは、御魂石の護衛隊隊長を務めていたエルフさんで、4年前、僕の実力を見定めるために僕と一騎打ちをした相手だった。
ティトテュリス・ハールスタン。
凄腕のエルフの精霊使いの戦士だった。
◇◇◇◇◇◇◇
ティトテュリスさんの外見は4年前と変わらない。
けれど、戦火を潜り抜けてきたからか、表情はより精悍で厳しく、一方でどこかやつれたようにも見えた。
コロンチュードさんが、
「……何でも聞いて?」
と促した。
僕らは頷いて、彼が戦った獣国軍の中に『グノーバリス竜国』の竜人の姿はなかったか、あるいは、その関与を疑う何かはなかったかを訊ねた。
その問いに、一瞬、彼は怪訝な顔をした。
けれど、
「いや、竜人の姿はなかった。私が相手をしたのは、醜き獣人ばかりだ。他の同胞からもそのような報告は聞いていない」
生真面目な口調で、そう答えた。
(そっか)
落胆と共にその言葉を受け止める。
けど、ラプトやレクトアリスの忠告もあったし、グノーバリス竜国の関与が全くないとは思えない。上手く隠蔽されているのだと考えるべきだろう。
キルトさんは問う。
「他に何でもよい。何か、気づいたことはあるか?」
「…………」
ティトテュリスさんは、考えるように沈黙した。
それから口を開く。
「奴らの戦いぶりには、鬼気迫るものがあった」
「…………」
「攻めているのは自分たちなのに、まるで自分たちの国が攻められているような、あとがないような恐ろしいほどの必死さがあった。その姿が私の心には焼き付いている」
鬼気迫る……?
「えっと……それは闘争本能が強いとか、そういうことではなく……?」
「あぁ」
僕の確認に、彼は頷いた。
「あれはまるで死に抗おうとするような、恐怖から逃れようとする必死さだ」
…………。
僕らは、つい顔を見合わせてしまった。
(どういうことだろう?)
その答えは、実際に戦ったエルフの戦士にもわからないらしい。
それから彼には、実際の獣国軍の戦い方も教えてもらった。
それによれば、獣国軍はあまり連携などはせず、個々人の戦闘力に物を言わせて相手を圧倒しようとする戦いをしてくるらしい。
獣人は身体能力が高く、闘争本能も強い。
その反面、社会的集団性に関しては苦手としている者も多く、個人の自由さを大事にする者が大半なのだそうだ。
(それが戦い方にも表れているのかもしれないね)
そして、それが付け入る隙となるのかも。
また獣国軍は、4人の将軍と『獣王』と呼ばれる国王によって指揮されているそうだ。
皆、優れた武人らしい。
この5人を討てれば、戦局はまた変わるかもしれないとのことだ。
「ふむ……4将軍と獣王、か」
呟くキルトさんの黄金の瞳には、ギラリとした鋭い戦士の光が灯っていた。
…………。
ティトテュリスさんから聞きたい話は聞けた。
僕らはお礼を言って、彼は退室する。
その直前に、彼は僕を見て、
「……助勢に来てくれて、感謝する。神なる子よ」
そう言った。
僕は驚き、「ううん」とかつて手合わせした戦士に笑いかけた。
ティトテュリスさんは小さく微笑み、すぐにその笑みを消して戦士の顔に戻ると、部屋を出ていった。
◇◇◇◇◇◇◇
その夜、僕ら5人は砦の1室を与えられ、そこで夜を過ごすことになった。
ベッドも何もない石造りの部屋だ。
眠る時には、冒険者としていつも野営している時みたいに毛布を使う。とはいえ、野生の獣や魔物に襲われる心配はないので、気持ちはかなり楽なんだけどね。
そうして就寝準備をしていると、
カリカリ
イルティミナさんがペンを使って、紙に何かを書き込んでいる姿に気づいた。
「何してるの?」
自分の奥さんに問いかける。
手元を覗き込むと、たくさんの文章と箇条書きされた文が並んでいた。
彼女は微笑む。
「レクリア王女への報告書です。こちらで得た情報を紙にまとめていました」
報告書?
なるほど、確かにそれは重要なことだ。
(でも、そういうのって、いつもキルトさんがやっていた気がするんだけどな?)
そう思って、銀髪の美女を見る。
気づいたキルトさんは笑った。
「王女がイルナの後ろ盾になったと聞いてな。ならば今後、こういうことはイルナにやらせた方が良いじゃろう。その方が王女の心証も良くなり、より信用も得られるからの」
「……そういうもの?」
「そういうものじゃ」
ふ~ん?
よくわからないけれど、キルトさんも『金印の魔狩人』として長くシュムリア王家や貴族と付き合ってきた人だ。
彼女がそういうなら、きっと大事なことなのかもしれない。
でも、
「私としては、面倒な仕事が増えたとしか思えませんがね」
僕の奥さんは、そうぼやく。
キルトさんは苦笑し、「我慢せい」と自分の後輩を叱った。
僕も困ったように笑った。
それから、
「がんばってね。手伝えることがあったら、僕も手伝うから」
そう言いながら、イルティミナさんの綺麗な長い髪の流れる背中を、慰めるように優しく撫でてやった。
彼女は気持ち良さそうだ。
紅い瞳を伏せて、甘えるようにこちらに身を寄せながら「はい」と頷いた。
(よしよし)
そんな大好きな奥さんを、僕も優しく撫で続ける。
そんな僕ら夫婦に、キルトさんは苦笑していた。
と、その時だった。
「――ねぇ、あれ、何かしら?」
窓の外を見ていたソルティスが、ふとそう呟いた。
皆がそちらを見る。
「向こうの山の向こう、空が真っ赤だわ」
(え?)
僕らは立ち上がって、みんなでソルティスのそばに近寄って、窓の外を見た。
…………。
山の中腹にある『白輝の砦』からは、地上の様子がよく見えた。
広がる大森林、流れる河川、草原、そして遠くに連なる美しい山脈の景色――でも今の時刻、それらは夜の闇に飲まれて、本来、見えないはずだった。
でも、見えている。
遠い山の向こう側が赤く染まって、夜空を煌々と照らしていたからだ。
(……何、あれ?)
まるで炎が星々の暮らす夜空を燃やしているかのようだ。
キルトさんが表情をしかめた。
「森を燃やしておるのか」
(森を?)
誰がなんて聞く必要はない。それは間違いなく、獣国軍の仕業だろう。
でも、なぜ?
その疑問には、僕の美しい奥さんが答えてくれた。
「エルフたちは獣国軍に抗うため、森に身を隠しながらゲリラ戦を行っていると聞きます。つまり、その身を隠す場所をなくそうとしているのでしょう」
「…………」
そのために森を焼いているの?
僕は、息を呑む。
森にはたくさんの動物がいて、植物があって、生命に満ち溢れている場所だ。それを人のエゴで灰燼と化そうとしているのか。
なんて罪深い。
(けど、それだけ獣国軍も必死なんだ)
ティトテュリスさんの言葉を思い出す。
これが戦争。
ソルティスはブルリと身を震わせ、小さなポーちゃんがその肩を強く抱いた。
キルトさんは厳しい表情で、その赤い空を睨んでいる。
「…………」
ギュッ
僕は無意識に、すがるようにイルティミナさんの手を握っていた。
彼女も強く握り返してくれる。
夜空が赤く燃えている。
まるで世界を焼き尽くすのような紅蓮の輝きに、僕の青い瞳は、そこで散りゆく生命の悲鳴が見えるような気がしたんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、来週の月曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。