571・嵐の予兆
第571話になります。
よろしくお願いします。
空は灰色の雲に覆われていた。
(雨が降りそうだなぁ)
茂みに隠れながら、僕は、その空模様にぼんやりそんなことを思った。
目の前に広がるのは、幾つもの山の斜面を切り拓いて作られた広大な段々畑――そこで作られる作物は、王都の人々のための食料ともなっていた。
その畑に、魔物が出没するという。
下手をすれば王都民の食糧難、あるいは食品価格の上昇が起きてしまうため、『金印の魔狩人』であるイルティミナさんに討伐依頼が届いたんだ。
そして今は、畑近くの茂みに隠れて『魔物待ち』だ。
かれこれ3時間。
もうすぐ夕暮れで、今日はもう現れないんじゃないかと思い始めた……その時だ。
「来ました、マール」
「!」
すぐ隣のイルティミナさんの声に、僕はハッとした。
視線を巡らすけれど、地上には何の姿もない。
けれど、段々畑の上空、灰色の雲を背景に、1体の巨大な影が飛んでいた。
それは人型をしていて、けれど、その頭部は黒い鳥の頭で、背中からは巨大な翼が4枚も生えていた。
手には、先端が2つに分かれた金属の槍が握られている。
――『死凶の黒魔鳥』。
あれは、そういう名前の魔物で、実は僕らより前に討伐クエストを受けた『銀印の魔狩人』のパーティーが2組、壊滅させられているんだ。
かなり手強い魔物らしい。
ズズン
死凶の黒魔鳥は、段々畑の上に着地する。
せっかく育てた野菜が衝撃で土と共に弾けて、その魔物の巨大さを嫌でも感じさせた。
(体長は5メード以上あるぞ)
空を飛ぶのに、かなり大型だ。
翼を広げたら、その翼長は15メードにもなるかもしれない。
ゴクン
感じられる強い『圧』に、僕は知らずに唾を飲み込んだ。
「マール」
そんな僕の背中に、イルティミナさんの手が触れる。
……温かい。
それに心が落ち着いて、僕は改めて深呼吸すると、イルティミナさんに『ありがとう、もう大丈夫』と視線で伝えた。
彼女も頷く。
「それでは、手筈通りにやりましょう」
「うん」
「大丈夫。必ず勝てますよ」
そう頼もしく微笑んだ。
僕も「うん」と笑った。
そうして僕ら2人は、地上に現れた『死凶の黒魔鳥』を討伐するために動き出したんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「精霊さん、お願い」
そう口にしながら左腕の『白銀の手甲』を前方に突き出すと、魔法石が光って、そこから『白銀の精霊獣』が姿を現した。
ジ、ジガアアッ
召喚と同時に、精霊さんは茂みを突き抜け、白い流星のように走りだした。
狙うは、巨大な鳥人の魔物。
その襲撃に気づいた『死凶の黒魔鳥』は、大地を蹴って空へと逃げた。
ドパンッ
その凄まじい脚力で地面が爆ぜ、翼の羽ばたきで土煙が舞い上がる。
そんな魔物の真下の空間で、精霊さんの牙がガチンッと火花と共に咬み合わされた。
強襲した精霊さんの速度は素晴らしかったけれど、『死凶の黒魔鳥』はそれ以上の速さだったんだ。
(やはり並の魔物じゃない!)
けど、並じゃないのはこっちも同じだった。
ドパァン
逃げた途端、その『死凶の黒魔鳥』の翼が白い閃光に撃ち抜かれ、弾け飛んだ。
イルティミナさんの槍の砲撃だ。
逃げる方向を予測し、回避のタイミングに合わせて正確無比な投擲をした――言葉にすると簡単だけど、それを実現するのは本当に至難の業なんだ。
でも、彼女はそれができる。
だからこその『金印の魔狩人』だ。
「マール!」
「うん!」
その時には僕も準備が整っている。
片翼を失い、『死凶の黒魔鳥』が地上へと落ちてきたタイミングで、手にした『大地の剣』を地面に突き刺した。
「大地の破角!」
僕は叫ぶ。
同時に流し込まれた神気によって剣のタナトス魔法が発動し、巨大な魔物が墜落した瞬間、その地面から無数の黒い角が生えて、その肉体を貫いていった。
ドシュッ ドシュシュッ
『キュオアアアッ!?』
魔物の甲高い悲鳴が木霊する。
貫いたのは右足と脇腹、それ以外はかすかに肉を削った程度だ。
そして、その瞬間には、白い槍を手元に戻したイルティミナさんが茂みから飛び出し、『死凶の黒魔鳥』へと襲いかかっていた。
(僕も!)
剣を抜き、ワンテンポ遅れて追従する。
イルティミナさん、僕、精霊さん、3つの狩人が迫るのを見て、その魔物は串刺しになったまま、手にした金属の槍を高く掲げた。
二又の先端に、赤い放電が走る。
「!」
次の瞬間、そこから赤い稲妻が僕ら目がけて放たれた。
(おわっ!?)
慌てて急停止し、横に転がる。
バヂィン
すぐ横を稲妻が走り抜け、でも、直撃していないというのにそれだけで激痛が身体を襲った。
凄まじい熱波で、皮膚が焼けたんだ。
「ぐ……っ」
歯を食い縛り、痛みに耐える。
イルティミナさんと精霊さんは、その素晴らしい身体能力で赤い稲妻を完全に回避して、魔物の元へと到達していた。
「シイッ!」
ジガアッ
1人と1体の攻撃に、死凶の黒魔鳥は手にした槍で必死に応戦する。
ガッ ギィン ガガィン
翼と足を奪われているというのに、その魔物は2対1でありながら、決して劣らぬ戦いを見せていた。
確かな技量。
そして、高い知性と精神力。
他の魔物とは、明らかな格の違いを感じさせる凄まじい強さで、『死凶の黒魔鳥』は『金印の魔狩人』と『白銀の精霊獣』の猛攻に抗っていた。
…………。
一瞬、魔物でありながら、その強さに戦士として敬意を持ってしまった。
(負けるものか!)
僕も走りだす。
そして、
「――神気開放!」
自身の持てる全ての力を振り絞って、その魔物を倒すため、『神狗』となって挑みかかった。
…………。
そこからの戦いは、本当に激闘だった。
僕も加わって3対1になっても『死凶の黒魔鳥』は簡単にはやられず、その槍の技量や赤い稲妻、更には口から紫色の火を噴いて、逆に僕らを脅かす状況も作っていた。
本当に恐ろしい魔物だ。
正直、1対1なら僕は負けていた。
イルティミナさんであっても、正直、危なかったかもしれない。
ここ数年で、最も強い相手だと思った。
だけど、やはり初手で動きを封じたことが効いていて、『死凶の黒魔鳥』は少しずつ傷を増やしていった。
それは時間の経過と共に、加速度的に増加して、
「うああああっ!」
叫びながら懐に飛び込み、振るった僕の剣によって、ついには、その心臓を深く貫かれた。
ドックン
剣身から、その巨大な鼓動が伝わる。
僕へと振り下ろされた魔物の金属槍は、イルティミナさんの『白翼の槍』と精霊さんの爪が受け止め、その下で僕は更に体重を込めて剣を突き刺した。
『――――』
剣身から伝わる鼓動が……止まった。
その状態のまま10秒ほど。
やがて、魔物の巨体から力が抜けて、そのまま潰されそうになった僕は、イルティミナさんに襟首を掴まれながら後方へと引っ張られた。
ズズゥン
その目の前で、巨大な魔物が地に伏した。
「はぁ、はぁ、はぁ」
僕は剣を構えたまま、それを見つめる。
そんな僕を庇うように、イルティミナさんが『白翼の槍』を構えながら前に出て、いまだ警戒するように魔物を睨み続けた。
ヒュッ ドスッ
確認するように、その頭部に槍を差す。
魔物はピクリともしなかった。
(……絶命してる)
間違いなく。
それを理解して、僕らの間にようやく弛緩した空気が戻った。
「は……ふうぅ」
僕は大きく息を吐く。
イルティミナさんも槍を支えにするようにして、長い吐息をこぼしていた。
僕らの全身は、紫の返り血に染まっていた。
もうベトベトだ。
そんなこともお構いなしに、精霊さんが甘えるように鼻っ面を押し付けてきて、僕は苦笑しながらその頭を撫でた。
(よしよし)
ありがとね、精霊さん。
精霊さんがいなかったら、あの状況でも僕らは負けていたかもしれない。
そんな感謝を込めて、撫でまくる。
それに満足したのか、やがて精霊さんは左腕の『白銀の手甲』の中へと戻っていった。
残されたのは、僕ら2人。
僕はイルティミナさんと見つめ合い、そして微笑み合った。
「お疲れ様でした、マール」
「うん」
イルティミナさんも。
そう思っていると、そんな僕の奥さんに突然、抱きしめられた。
(…………)
彼女の手が震えていた。
極限の緊張からの解放によるものだろう……イルティミナさんをしても、それほどの相手だったんだ。
ポンポン
その背中を労うように軽く叩く。
すると、より強く抱きしめられて、甘やかな匂いと共に、その長く綺麗な髪が僕の首筋をくすぐった。
抱きしめられたまま、ふと空を見る。
灰色の空。
(……やっぱり、雨が降りそうだ)
そうなる前に、今回の拠点とした街まで帰りたいな。
愛する奥さんの腕の中で、僕は大きな安心感と共に全身の力が抜けて、ぼんやりそんなことを思ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「イルティミナ様、マール様、本当にありがとうございました」
50代ぐらいの身なりの良い女性が、僕ら夫婦に丁寧に頭を下げてきた。
ここは依頼元となる街の庁舎で、この女性はその街長さんであり、僕らは今、クエスト報告でその応接室にお邪魔しているところだったんだ。
ちなみに、街の人口は3万人ほど。
王都近郊でも、かなり大規模な街だ。
王都ムーリアで消費される大部分の野菜などは、この街の人々によって栽培、加工されていて、だからこそ、これほどの大都市なのかもしれないね。
で、その大都市を襲っていた脅威は、これで去った。
そうしたのは、僕の奥さんでありシュムリア王国が誇る金印の魔狩人イルティミナ・ウォンなのだ。
(えっへん)
僕もちょっと鼻が高いよね。
いや、まぁ、僕自身は、そこまで役に立ってなかったかもだけどさ。
街長さんの感謝に、イルティミナさんも大人らしく丁寧に受け答えしている。
(…………)
でも、ちょっと疲れているかな?
見た目的には凛としていて、それを感じさせないけれど、長い付き合いである僕には、何となくわかるんだ。
……強敵だったもんね。
街長さんは、魔物の脅威を取り去ってくれたことで、祝いの席を設けたいとおっしゃっていた。
(う、う~ん?)
気持ちはわかる。
けどなぁ。
その提案を聞いたイルティミナさんは、少し困ったように僕を見て、
「マールは、どうしたいですか?」
と聞いてきた。
僕が参加したいって言ったら、きっと彼女は無理をしてでも付き合ってくれるだろう。
でも、
「ごめんなさい。今日はちょっと疲れちゃったから、それよりも早く休みたいかな」
僕は、そう答えた。
イルティミナさんは「そうですか」と頷いて、しばし僕を見つめた。
(…………)
もしかして、気づかれてる?
やがて、イルティミナさんはとても優しい微笑みを僕へと送ると、街長さんに向き直って、申し訳ないけれどその宴を辞退する旨を伝えたんだ。
街長さんは、残念そうだった。
でも、無理強いはしないでくれた。
仕事とはいえ、僕らは街の危機を救った恩人みたいな立場だったからかもね。
何はともあれ、ここでのクエストは終了だ。
(今夜はゆっくり休んで、明日、王都ムーリアに帰ろう)
そう思った。
その時、応接室の窓に雨粒が当たった。
カタン カタ カタカタカタ……ザアアアッ
雨はあっという間に勢いを増して、大粒の雨が激しく窓ガラスを叩き始めた。
あぁ、やっぱり降ってきた。
僕らは何となく、その様子を眺めた。
コンコンコン
そんな僕らの耳に、応接室の木製の扉を強くノックする音が聞こえた。
「どうぞ?」
街長さんが怪訝そうに許可すると、すぐに扉が開いて、雨に濡れたままの兵士さんが息を切らしながら立っている姿があった。
何だか、表情が硬い。
(???)
怪訝に思っていると、彼の視線は僕らに向いた。
「失礼いたします。実はたった今、王都ムーリアからの翼竜便が到着しまして、ウォン夫妻宛てに『王家紋の封蝋』がされた手紙が届けられました」
え?
それって、
(つまり、王家からの手紙?)
僕は驚き、イルティミナさんも表情を少し厳しくした。
僕の奥さんは、兵士さんから手紙を受け取る。
表裏を確かめ、その封蝋に「……間違いありませんね」と呟いて、彼女は封筒の中身を確認した。
あったのは、便箋が1枚。
「…………」
僕と街長さん、兵士さんが見守る中、イルティミナさんは無言で手紙の文面に視線を走らせていく。
すると、空気が変わった。
部屋の空気が重く、冷たくなったような錯覚がしたんだ。
街長さん、兵士さんも戸惑った顔だ。
その原因は、イルティミナさんから発せられる気配の変化だ。
今までは落ち着いた日常の雰囲気だったのに、今は、まるで魔物と対峙している時のような重苦しく、鋭い気配に満ちていた。
(……イルティミナさん?)
僕は彼女を見つめた。
その視線に気づいて、イルティミナさんは一度、大きく息を吐く。
それから僕を見つめて、
「レクリア王女からの緊急の連絡でした。――ドル大陸の『獣国アルファンダル』が隣国の『エルフの国』へと軍事侵攻を行い、両国の戦争が始まったとのことです」
「……は?」
僕は呆けた。
その意味が、上手く理解できなかったんだ。
でも、彼女の視線は変わらず、その意味が少しずつ僕の中に浸透してくる。
ガタガタ ザアァアアッ
窓ガラスを打ちつける雨音は、更に激しさを増していく。
その時、灰色の空が光輝き、大きな雷鳴が轟いて、それは、これから訪れる嵐の激しさを物語っているかのようだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週4日後の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。