567・キルトの報告と提案
第567話になります。
よろしくお願いします。
「――イルティミナさん、そっちに行ったよ!」
目前に立ちはだかる『黒い鱗をした虎の魔物』を斬り伏せながら、僕は、自分の奥さんへと警告した。
シュザク山地の岩盆地。
そこに現れる『黒き竜獣』と呼ばれる魔物の群れの討伐が、今回、僕らが受注した『金印クエスト』だ。
20体以上の群れと、それを統率する1体のボス。
特にボスは体長が5メードもあって、知能も高く、僕らに対しては群れの部下に戦わせながら、隙を見て、ボス自らが襲いかかってくるんだ。
今も3体に囲まれるイルティミナさんに、上空から襲いかかっていた。
僕の警告がなくても気づいていたかもしれない、イルティミナさんはその奇襲をあっさりと回避して、群れの1体の首を『白翼の槍』で刎ね飛ばす。
ダキュン
頭部が舞い、鮮血が激しく散る。
群れのボスは、奇襲が失敗に終わるとすぐに後方へと跳躍して、安全圏へと逃げてしまう。
そして、また群れが襲ってくる。
(ええい、面倒臭い!)
1対1なら、イルティミナさんなら簡単にボスを倒せるだろう。
けど、中々その状況を作らせてもらえなかった。
そりゃ、魔物だって生き延びるために必死だから、それを卑怯だなんて思わないし、理解もできるけど……。
でも、歯痒い。
「焦ってはいけませんよ、マール。辛抱強く、丁寧に戦っていきましょう」
僕の不満を感じたのか、イルティミナさんがそう言ってくる。
「うん」
僕は頷いた。
冷静に僕のことまで見れるぐらい、イルティミナさん自身には余裕があるみたいだった。
なら、僕も落ち着こう。
(イルティミナさんの言う通りにすれば、きっと大丈夫だろうから)
その信頼は確かだった。
そして、戦闘はそれから30分以上続いた。
思った以上に長引いているけれど、でも、イルティミナさんが予想していた展開なのか、『黒き竜獣』たちは数を減らし、残りはボス1体と仲間の2体だけになっていた。
ボスの表情には焦りが見える。
一方で、僕は肩で呼吸をしていた。
さすがに疲労は隠せない。
イルティミナさんも疲労はあるだろうけれど、それを表に見せることはなく、呼吸も乱さずに『白翼の槍』を構えていた。
「あと少しです」
「うん」
僕は頷いた。
『ガォオオッ!』
ボスが吠える。
それに呼応して、群れの仲間の2体が襲いかかってきた。
(負けるもんか!)
僕は前に出る。
同時に、ボスはこちらに背を向けて、反対方向へと走り出した。
……へ?
(まさか、仲間を囮にして逃げる気!?)
そう気づいた。
まずい。
もしボスを逃がしてしまったら、結局、魔物の脅威は消え切らず、クエストは失敗判定だ。
慌てて追いかけたいけれど、目前の2体が邪魔をする。
くそっ。
歯軋りしながら、僕は2体に剣を構える。
と、
「こちらは任せます」
(え?)
イルティミナさんの声は上空から聞こえた。
見れば、白い槍を手にした彼女は地面を蹴って、まるで白い風となって2体の『黒き竜獣』の頭上を跳躍し、逃げたボスを追いかけていたんだ。
は、速い。
その反応を見るに、彼女はこの展開も予想していたのかもしれない。
2体の『黒き竜獣』は、慌てて彼女を追おうとする。
ヒュコン
その1体の胴体を、僕の振るった剣が切断した。
「行かせないよ」
今度は僕が、君たちを足止めする番だ。
残った1体へと僕は『大地の剣』と『妖精の剣』を向けて、魔物を威圧しながら前へと一気に踏み込んだ。
…………。
…………。
…………。
3分ほどで、彼女は戻ってきた。
「お待たせしました」
そう言った彼女の手には、切断されたボスの頭部が握られていて、血の跡を残しながらズルズルと長いたてがみが地面に引き摺られていた。
(さすがだね)
彼女の無事とその強さに、僕は笑う。
イルティミナさんは、僕の周りにある2体の魔物の死体を確認して、大きく頷いた。
「こちらも終わったようですね」
「うん」
ボスを追われて魔物も焦っていたみたいだからね、余裕でした。
イルティミナさんは微笑む。
その手で僕の前髪を軽くかきあげて、
「お疲れ様でした、マール」
チュッ
おでこにキスしてくれた。
えへへ。
大好きな彼女からのご褒美に、僕の表情はだらしなくなってしまう。
それを見て、イルティミナさんも少し照れ臭そうに、でも、なんだか嬉しそうにはにかんだ。
これで今回のクエストも無事に完了。
そうして、その日の内に、僕とイルティミナさんの夫婦は、王都へと向かう竜車に乗って帰路についたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「よう、お疲れ様じゃったの」
数日後、冒険者ギルドの受付でクエスト完了手続きを済ませると、階段の上から声をかけられた。
見れば、そこにいるのは銀髪の美女。
「キルトさん」
「キルト」
驚く僕らに、彼女は笑顔で片手を上げた。
それから、僕らはキルトさんの部屋へと招かれた。
キルトさんは、グノーバリス竜国のことでずっと冒険者ギルドに滞在していて、僕らが帰ってきたのを見つけて声をかけてくれたらしいんだ。
「ほれ、茶でも飲め」
そう言って、珍しくキルトさん自ら紅茶を淹れてくれる。
どうもどうも。
砂糖とミルクを入れて、僕はそれを味わう。
(ん……美味しい)
クエストから帰ってきたばかりもあってか、思わず吐息がこぼれてしまった。
僕の奥さんも美味しそうに飲んでいる。
そんな僕らに、キルトさんは微笑んだ。
「どうであった、今回のクエストは?」
そう聞かれる。
僕は、
「魔物自体はそんなに強くはなかったけど、群れで襲ってくるから、ちょっと面倒な相手だったかな」
って答えた。
キルトさんは「ほう」と唸る。
「そんなに強くなかった、か。マールも言うようになったの?」
え?
あ、そう言われると、ちょっと偉そうだったかも……。
(でも、本当にそう感じたんだよね)
僕は戸惑ってしまう。
でも、イルティミナさんは落ち着いていて、
「そう感じるのも仕方がありませんよ。今回のクエストは、恐らく『銀印』レベルのクエストでしたから」
と言った。
(え、銀印?)
僕は目を丸くして、自分の奥さんを見る。
キルトさんも「ふむ、やはりか」と呟いた。
え、キルトさん?
僕の視線に、キルトさんは苦笑する。
「いや、多少は予想していての。何しろ、わらわたちは王都から2週間で帰れる範囲での行動しか許されておらぬ」
「うん」
「じゃが、その範囲に都合よく『金印クエスト』があるとは限らぬであろ?」
「……あ」
言われてみれば、そうだ。
金印のクエストっていうのは、銀印の冒険者でもこなせない超高難易度のクエストなんだ。
でも、そんな超高難易度クエストが、王都近郊にホイホイとある訳がない。
イルティミナさんも頷いて、
「かといって、『金印の魔狩人』を放置しておくのも勿体ないですからね。それで今回は『銀印クエスト』を宛がわれたのではと思っています」
(そっかぁ)
自分が少しは強くなったのかと勘違いしてしまった。
恥ずかしい……。
ちょっと落ち込んでしまった僕の髪を、イルティミナさんの白い手が撫でる。
「ですが、マールの成長があったのも事実でしょう」
「え?」
「自覚していないのかもしれませんが、『銀印クエスト』も高難易度なのですよ? それを、そんなに強くなかった、と言えるのですから」
「…………」
僕は目を瞬いた。
言われてみれば……僕自身は『銀印の魔狩人』なんだし、それで余裕を感じられるってことは、やっぱり僕も強くなったってことなのかな。
「その通りです」
僕の心を見透かしたように、イルティミナさんは頷いた。
そ、そっか。
(僕も、ちゃんと強くなってたんだね)
えへへ、嬉しいな。
そんな僕の頭を、イルティミナさんは『よしよし』とペットを誉めるように撫でてくれる。
キルトさんは苦笑し、
「全く、仲良し夫婦め」
そう言いながら自分のカップを持ち上げ、一口、紅茶を飲んだんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「それで、グノーバリス竜国の方で何か動きはありましたか?」
僕の奥さんが、そう聞いた。
僕は、紅茶のおかわりを頼もうとしていた動きを止め、イルティミナさんとキルトさんを見る。
キルトさんは豊かな銀髪を揺らし、首を左右に振った。
「今のところは何も」
そう答えた。
イルティミナさんは「そうですか」と頷いた。
「わらわも伝手を使って、色々と情報を集めているのじゃが、何しろ遠い別大陸の話じゃからの。有益なものは中々得られぬ」
そっか。
でも、それも仕方ないよね。
「じゃがの、王国の上層部では動きが慌ただしくなっておっての。何やら緊張感が高まっておるようなのじゃ」
え?
「グノーバリス竜国がそろそろ本当に動くのやもしれぬ」
「…………」
「…………」
眼光鋭いキルトさんの言葉に、僕ら夫婦は黙り込む。
動く……つまり、戦争だ。
「本当に?」
僕はそう聞いてしまった。
キルトさんは難しい顔で、
「確かな情報は、まだこちらには落ちておらぬが、近い内に何かはあるであろうな。そうなれば、レクリア王女からも連絡が来よう」
「…………」
その答えに、僕はうなだれてしまった。
戦争……。
もし本当に起きたとしたら、どれだけの犠牲者が出るのだろう?
(心が……苦しいな)
ギュッ
思わず、手で胸を押さえてしまう。
イルティミナさんが心配してくれて、そんな僕の背中をさすってくれた。
キルトさんはちょっと申し訳なさそうな顔だ。
けど、毅然とした声で言う。
「公表はされておらぬが、実はシュムリア王国とヴェガ国の間で、大型の『転移魔法陣』を構築することが決まったそうじゃ」
えっ?
僕は顔をあげた。
イルティミナさんが「ヴェガ国とですか?」と確認する。
キルトさんは「そうじゃ」と頷いた。
「ドル大陸に置いて、最も友好関係にあるのはヴェガ国じゃからの。もしもの時は、そこからシュムリアの軍隊を派遣する可能性も考えてのことじゃろう」
そこから、詳しい話。
ヴェガ国は、キルトさんに求婚したアーノルド王が即位したばかりの獣人の国だ。
魔法石産業から脱却し、新しい産業に移行しようとして国内の政情も少し不安定で、そこに転移魔法陣を繋ぐのはどうかという意見もあったらしい。
転移魔法陣は、諸刃の剣。
下手をしたら、それを利用してシュムリア王国が攻撃される可能性もあるからね。
ヴェガ国としても、逆に王国軍に侵攻されるリスクがある。
でも、
「アーノルドが説得をがんばったらしくての」
新王は、ヴェガ国政府の意見を統一し、転移魔法陣の構築をシュムリア王国へと打診したのだそうだ。
王国でも、議論は紛糾した。
だけど、現時点で最も憂慮すべきはグノーバリス竜国の『魔の気配』であるとレクリア王女が断言して、両国の間に転移魔法陣が作られることになったそうだ。
若きヴェガ国王と次期シュムリア女王。
2人によって、それが決定したんだね。
(そっかぁ)
どちらも良く知る人物だから、2人が未来のために共闘しようとしてくれるのが何だか嬉しく思ったよ。
キルトさんも、自分に求婚したアーノルドさんの活躍に満更でもなさそうな顔をしているように見えるのは、僕の気のせいじゃないと思う。
イルティミナさんは頷いた。
「それが本当なら、竜国に対して、かなり有効な対抗策になりますね」
「うむ」
キルトさんも同意する。
僕もそう思った。
だって、僕らがグノーバリス竜国に対して行動を起こすために、最も問題となっていたのは『距離と時間』なんだ。
それが一気に解決する。
これまでなら後手に回り、最悪、対応が手遅れになってしまう可能性もあった。
でも、その遅れが可能な限りに減らせるんだ。
(うん!)
レクリア王女とアーノルド王は、世界平和のために凄い決断をしてくれたぞ。
落ち込んだ僕の表情も明るくなって、キルトさん、イルティミナさんもどこか安心したように微笑んでいた。
◇◇◇◇◇◇◇
そんな感じで話をして、やがて、僕らはキルトさんの部屋をあとにした。
部屋を出る時に、
「そう言えば、ソルたちも明後日にクエストから帰ってくるそうじゃ」
と教えられた。
ふぅん、そうなんだ?
僕らもクエストが終わったばかりで数日は休暇の予定だから、ソルティスたちにも会えるかな?
「会いたいな」
僕は呟いた。
イルティミナさんも「そうですね」と微笑む。
キルトさんは笑って、
「そうじゃな。それなら、会って誕生日会でもするとするかの?」
と言った。
(え?)
僕とイルティミナさんは、銀髪の美女を見てしまう。
キルトさんは笑って、
ツン
その指が僕のおでこを軽くつついた。
「マールも18歳になったのであろ?」
「え? あ、うん」
実は、アルン神皇国の旅をしている間に、みんな1歳ずつ年を重ねたんだよね。
キルトさんは34歳。
イルティミナさんは25歳。
僕とソルティスは18歳。
ポーちゃんだけは、まだ13歳だったかな?
でも、そんな感じで、特に僕はシュムリア王国に帰ってきた直後ぐらいに18歳になったから、お祝いらしいお祝いは何もしていなかったんだ。
…………。
い、一応、イルティミナさんからは誕生日プレゼントをもらったよ?
その、彼女自身を……夜の時間に、ね。
なんか、色々とサービスしてもらって、気持ちよすぎて怖いぐらいでした。
コ、コホン
思い出すと赤面してしまうので、これぐらいにして、
「重い現実ばかり見ていると、心が疲れてしまうからの。そなたの誕生日を利用して、少し心をリラックスさせようではないか?」
キルトさんはそう片目を閉じた。
僕とイルティミナさんは、顔を見合わせる。
すぐに破顔して、
「うん、わかった」
「ふふっ、そういうことでしたら、私も反対する理由はありません。むしろ、マールのために良き誕生日会にしましょう」
僕の奥さんは拳を握って、鼻息を荒くしていた。
あはは。
キルトさんも笑って、
「よし、それでは決まりじゃの」
パン
僕の背中を軽く叩いた。
――そうして2日後、僕らは『マールの18歳の誕生日会』という名目で集まることになったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、来週の金曜日9月30日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




