554・アラクネの暗い森
第554話になります。
よろしくお願いします。
最後の町を出発して、『ヒュパルス寺院』を目指して森の中を歩いていく。
樹々の立ち並ぶ緑の世界。
森の遥か遠方には、岩肌も見える山々がそびえていた。
(あそこか)
地図によれば、あの山の中腹に目的の『ヒュパルス寺院』が建立されているという。
…………。
僕が転生したアルドリア大森林・深層部もそうだけど、『神の眷属』を招く『神界の門』は、人里離れた大自然の奥地じゃないといけない決まりでもあるのかな?
簡単に行けないし、出られない場所ばかりだ。
悪心を持った人に見つからないようにという配慮かもしれないけど、召喚される当人としては、微妙な気持ちである。
(だって僕、死にかけたし……)
アルドリア大森林の塔には、召喚された僕を世話するための人々が暮らしていたらしいけど、その環境の大変さでいなくなってしまってたしさ。
目的の『ヒュパルス寺院』にも、同じような役目を負った一族が暮らしているという。
その人たちのおかげで、4年前、ラプトとレクトアリスは保護されたと聞いている。
……ちょっと羨ましい。
もし、その一族の人たちがいなければ、あの2人も苦労しただろうな。
でも、言い換えたら、その一族の人たちは、ラプトとレクトアリスの恩人みたいなものになる。
(どんな人たちなんだろう?)
会えるのが、ちょっと楽しみだ。
今回の旅は、何て言うか、ラプトとレクトアリスのこっちの世界における故郷を訪れるみたいな感覚なんだ。
だから、少しワクワクしてる。
そんなことを思いながら、森を中を歩いている時だった。
「……ん?」
僕の嗅覚に反応があった。
甘い匂いだ。
まるで蜜みたいな、美味しそうな匂い……でも、奥に怖さを感じる不思議な匂いだった。
これは、
「魔物の匂いだ」
僕は呟いた。
それを聞いて、皆の足が止まる。
「近いのか?」
キルトさんが聞いてくる。
僕は頷いた。
「うん、結構、近いと思う。あと獣臭くないから、虫とか爬虫類とかの魔物かもしれない。僕らの進行方向だよ」
「そうか」
頷いたキルトさんは、他の3人にも視線を向ける。
「先頭は、わらわが行く。続いて、マール、イルナ、ソル、最後がポーじゃ。警戒して行くぞ」
「うん」
「はい」
「わかったわ」
「ポーは、了承した」
鬼姫様の指示に従い、僕らは隊列を組んで歩きだした。
…………。
少し湿った土の地面を踏みしめながら、樹々の中を進んでいく。
茂った葉の隙間から見えていた青空は、いつの間にか見えなくなり、太陽も隠れた曇天となって、周囲は、より一層、薄暗くなっていた。
(視界が悪いな)
まだ日中なのに、まるで日暮れの時間みたいだ。
遠い樹々の向こう側は、暗闇に飲まれて、はっきり見えなくなっている。
サクッ サクッ
足音を忍ばせながら、歩みを続けた。
その時、
「む」
唐突にキルトさんが足を止めた。
(わっ?)
あまりに急だったので、その背中にぶつかってしまいそうになった。
慌てて足を踏ん張り、止まる。
後ろの方では、ソルティスが「……ちょ!?」と転びそうになって、ポーちゃんに腕を引っ張られて支えられていた。
「どうしたの?」
僕は小声で訊ねる。
キルトさんは前方の空間を鋭く見つめ、
「糸じゃ」
と、短く答えた。
(糸?)
困惑している間に、彼女は足元から小枝を拾うと、それを何もない空間へと放り投げた。
ピトッ
小枝が空中で停止した。
(ほえっ?)
驚く僕は、ようやく気づく。
そこに髪の毛よりも細そうな半透明の糸が1本、木と木の間に張り巡らされていて、それに小枝がくっついていたのだ。
「蜘蛛の糸ですね」
イルティミナさんが冷静な声で告げる。
キルトさんは頷き、
「――いるな。それも複数集まっておるようじゃ」
そう言いながら、その黄金の瞳を周囲の樹々へと巡らせていった。
空気が冷たく張り詰めていく。
そして、背の高い樹々の上方、薄暗い空間から『クスクスクス』と笑い声が落ちてきた。
「アラ、気ヅカレチャッタワ」
甘い女の声。
(人語!?)
それに驚く僕の視界の先で、1本の樹の枝に、複数の足を伸ばして巨体を支える魔物の姿が映り込んだ。
巨大な蜘蛛だ。
体長3メードはある大蜘蛛で、けれど、その頭部から人間の女性の上半身が生えていた。
女性部分は、とても美しいと思った。
その蜘蛛の複数の眼と人間の瞳が、暗闇の中で妖しく輝いている。
「アラクネか」
キルトさんは警戒した声で、その魔物の名前を呼んだ。
クスクス
その蜘蛛女の魔物は、可愛らしく不気味な笑い声を響かせながら、樹上から僕らを見下ろしていた。
「美味シソウナ獲物」
カサッ
その長い蜘蛛の足が動いて、木と木の間を移動する。
僕は警戒して『大地の剣』と『妖精の剣』を抜き放ち、そちらへと剣先を固定し続けた。
キルトさんは、背負った『雷の大剣』の柄に手を当てるだけで、アラクネの動向を観察するように見続けている。
正面にいたアラクネは、ゆっくり移動して、僕らの側面へと辿り着く。
クスクス
アラクネの美貌が妖しく笑う。
蜘蛛の口元からは、鋭い牙が蠢いてキシキシと嫌な音を響かせた。
イルティミナさんは、そちらを見ながら、
「キルト」
「わかっておる」
その呼びかけに、キルトさんは魔物から視線を外さないまま頷いて、
「ソル」
「え?」
「アラクネが最初にいた付近へと、光を飛ばせ」
と、指示を出した。
ソルティスは「わ、わかったわ」と頷いて、手にした『竜骨杖』の魔法石を輝かせ、光り輝く3羽の魔法の鳥たちを創り出す。
「行きなさい」
ヒュッ
白い杖を振るって、その『光鳥』たちを最初にアラクネがいた樹上方向へと飛翔させた。
その付近の闇が払われ、
(!)
僕は息を呑んだ。
その暗がりとなった樹上には、10体近い他のアラクネたちが潜んでいたんだ。
「アラ?」
「見ツカッチャッタワ」
「マァ、ヤルワネ」
「フフフッ」
彼女たちは、獲物を狙う眼差しで僕らを見つめながら、妖しく笑って舌なめずりをする。
ゾクゾク
何だか背筋が震えるよ。
最初に姿を見せたアラクネが移動したのは、僕らの視線と意識を集め、囮となって他のアラクネたちに襲わせるための行動だったんだ。
(かしこいな)
人語を喋るし、知性はかなり高そうだ。
計画が破綻したのもあって、その恐ろしい蜘蛛女の魔物の群れは、頭上の樹々をゆっくりと散開しながら、正面を切って僕らを襲おうとし始めた。
来るかっ!?
僕の警戒感も極限まで高まり、いつでも迎撃できるように握る剣に力を込める。
イルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんもいつでも動ける構えだ。
そんな中、
「……ふっ」
キルトさんが突然、小さく笑った。
次の瞬間、その銀髪がフワリと舞ったように見え、その小柄な全身から凄まじい『圧』が噴き出したんだ。
(んぐっ!?)
息が詰まった。
それは、恐ろしいほどに凝縮された殺気だった。
直接向けられたわけではないのに、僕の全身は緊張で硬くなり、咄嗟に動けなくなっている。
それはソルティスも同様だった。
イルティミナさん、ポーちゃんでさえ、かすかに顔色を悪くして、それに耐えている。
そして、それを直接向けられるアラクネたちは、全ての個体が動きを止めた。
指先一つ、1ミリの身じろぎも停止して、目前に現れた異常なまでの脅威を示す人型の存在を凝視していた。
「――やるのか?」
銀髪の美女は、静かに問いかけた。
彼女は、柄に手をかけた状態のままで、いまだに抜剣していない。
それを抜かせるのか?
放たれた問いには、相手の生死を決定するだけの確かな重さが載せられていた。
…………。
空気が凍りつき、とても重い。
やがて、最初のアラクネが震える声を響かせた。
「恐ロシイ人間ノ女……」
その声には、確かな怯えの感情が宿っている。
そして、
「イイワ。私タチハ、オ前タチノコノ森デノ行動ニ、一切ノ関与ハシナイ。好キニスルト良イ」
そう言った。
それは実質的な敗北宣言だ。
キルトさんは、黄金の瞳でアラクネたちを見つめたまま、「そうか」と短く応じた。
殺意の『圧』が弱められる。
途端、まるで金縛りから解放されたように、アラクネたちはザザザ……ッと木の葉を散らしながら、樹上の暗がりの中へと消えていった。
その闇の中から、
「早ク、コノ森カラ消エロ……恐ロシイ魔血ノ女メ……」
怯えた声が響く。
すぐに、その声の主の気配も消えていった。
…………。
周囲に漂っていた魔物たちの気配は、もはやどこにもなくなっている。
(完全にいなくなったね)
それを理解して、
「ふぅ」
僕は抜き放っていた2つの剣を、カチンと鞘に納める。
イルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんも臨戦態勢を解除して、緊張が解けたようだ。
キルトさんも一息つく。
「ふむ、どうやら戦闘にはならずに済んだようじゃの」
「うん」
僕は頷いた。
あれだけの魔物を剣も抜かずに引かせるなんて、さすがキルトさんだ。
僕の尊敬の視線に気づいて、キルトさんは苦笑する。
「あのアラクネは、厄介な魔物での」
そう前置きして、教えてくれた。
アラクネは、目に見えぬほどの半透明の細い糸を2種類、戦闘領域に張り巡らすんだって。
1つは粘性がない、アラクネ自身の移動用の糸。
もう1つは粘性が高く、獲物に絡めて動きを封じるための糸だ。
アラクネは、その2種類の糸によって自在に空間を移動し、獲物をしとめる難敵なのだそうだ。
「大柄な見た目に反して俊敏性もある。知性も高く、狡猾な面もある。この森であれだけの数となると相当、面倒じゃったろう。――戦わずに済むのなら、それが一番じゃ」
そう教える声には、確かな安堵があった。
(そっか)
でも、その一番の方法が実践できちゃうんだから、本当に凄いよね。
彼女は笑う。
「今回は、アラクネの知性が高かったことがプラスに働いたの」
そう茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。
それを見て、僕とイルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんは顔を見合わせ、思わず破顔してしまった。
また、ここからは彼女の予想なんだけど。
アラクネというのは、魔物の中でもかなり上位に来る強さを持っていて、恐らく、この森のほとんどは彼女たちの縄張りだと思われるそうだ。
で、僕らは、そんな森の主たちの通行許可を得たので、これから戦闘はほとんどないだろうってさ。
(それは楽でいいね)
僕らとしては、万々歳の結果だ。
だけど冷静になって考えると、こんな『アラクネの生息する森林』を抜けないといけない『ヒュパルス寺院』って、やっぱりとんでもない場所にあるよね。
アルドリア大森林・深層部では、夜に『骸骨王』が闊歩してたし……。
(……何だかなぁ)
僕ら『神の眷属』って、いつも危険な場所に召喚されるよね。
ちょっとだけ遠い目になってしまった。
…………。
それはさておいて、それからも僕らは油断なく、森の中を進んでいった。
アラクネとキルトさんが言った通り、それからは魔物に襲われることもなく、夜の野営も何事もなくて、無事に朝を迎えることができた。
そして翌日のお昼頃、僕らは遠方に見えていた山の麓に辿り着いた。
見上げた感じ、岩肌の斜面が多く、所々に植物が生えている険しい山だった。
早速、登山を開始する。
岩の山肌は急斜面も多くて、かなり登るのに苦労させられる。
(これは大変だ)
この山の中腹のどこかにあるだろう『ヒュパルス寺院』を見つけるのは、また一苦労になりそうだと気が重くなってしまったよ。
それでも足を止めずに歩いていると、
「あら? これ、階段だわ」
と、ソルティスが発見した。
岩肌の斜面に掘られたそれは、かなり風化してわかり辛く、苔も生えていたけれど、紛れもない石でできた階段だった。
その段差はジグザグを繰り返しながら上方へと続いている。
(へぇ……)
もしかして、これを登れば『ヒュパルス寺院』に辿り着けるのかな?
僕らは顔を見合わせる。
(うん)
頷き合うと、その石の段差に足をかけた。
ラプトとレクトアリスが召喚された400年の歴史ある古寺院――それを目指して、僕ら5人は階段を登っていったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
ただ今、少年マールの転生冒険記は週1回更新です。もしよかったら、また来週の更新も読んでやって下さいね~!
※次回更新は来週の金曜日0時以降を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




