541・両国友好の象徴
第541話になります。
よろしくお願いします。
抱きつく小さな皇女様の背中を、キルトさんは優しくポンポンと叩く。
(仲いいんだなぁ)
その様子からも、キルトさんがこの地に滞在していた時に、どれだけ2人が親しくなったかが伝わってくるよ。
その睦まじい様子に、僕の心は温かくなる。
ん?
その時、ふとフレデリカさんと視線が合って、お互いが同じ感情を持っていることに、つい笑い合ってしまった。
「……む」
気づいたイルティミナさんが何かを言おうとした。
でも、その前に、キルトさんと抱き合っていたパディア皇女が僕とフレデリカさんの様子を見つけたようで、するとその眦が吊り上がった。
(え?)
驚く間もなく、皇女殿下の人差し指が僕へと突きつけられた。
「お前! あのマールね!」
怒ったような声。
突然のことに、僕はびっくりしてしまった。
いや、声を発しようとしていたイルティミナさん、一緒にいたフレデリカさん、抱きつかれたままのキルトさん、他のみんなも驚いた顔をしている。
そんな中、その小さな皇女様は、僕を睨みつけ、
「私、知ってるわ! 貴方がキルトやフィディの思いを袖にした『極悪神狗』ね! この2人を悲しませるなんて、許せない!」
え? え? え?
何、どういうこと?
(僕、2人を悲しませるようなこと、何かしたっけ?)
覚えがない。
覚えがないけど、自覚がないだけで何かをやっちゃってたのだろうか?
不安になって、キルトさんとフレデリカさんを見る。
2人はギョッとした顔をしてパディア皇女を見つめ、それから僕の視線に気づいた。
キルトさんは、すぐに言う。
「いやいや、殿下。わらわたちは別に、このマールに何もされておりませぬぞ?」
「その通りです。マール殿は何も……」
フレデリカさんも何度も頷いた。
けど、パディア皇女は、そんな2人をキッと睨んで、
「何言ってるよの!? むしろ、貴方たち2人に何もしていないのが問題なんじゃない!」
「…………」
「…………」
その剣幕に気圧されたのか、2人のお姉さんは黙ってしまった。
えぇ……?
僕としては訳がわからない。
ソルティスは横目で僕を見ながら「……知~らない」と呟き、ポーちゃんは我関せずの態度を貫いている。
パディア皇女は、また何かを僕に言おうとして、
「――そこまでに」
その前に、僕の隣に立っていたイルティミナさんが静かに……でも、その場の空気が凍りつくぐらいの重い迫力を伴った声で呟いた。
…………。
パディア皇女殿下は口を開けたまま停止し、他のみんなも動けない。
その中で、イルティミナさんはニコリと微笑んだ。
「この子は、私の愛しいマールです。どうか謂れなきけん責は、そこまでにして頂けませんか? 了承して頂けない場合、私も覚悟を決めなければなりません」
何の覚悟でしょう……?
静寂の中、誰かがゴクッと喉を鳴らした。
パディア皇女は涙目になりながら、コクコクコク……と何度も頷いた。
イルティミナさんは笑みを深くする。
「よかった」
柔らかな一言。
それによって、凍りついていた空気が再び暖かさを取り戻し、皆の呼吸が取り戻されたように感じた。
はふぅ……。
僕も思わず息を吐く。
ふとイルティミナさんの方を見れば、視線が合った彼女は、僕へと優しく微笑みかけてくる。
『何か?』
そんな感じ。
僕は『ううん』という意思を込めて、首を左右に振った。
今の一幕については、あんまり詳しく追及しちゃいけない……そんな気がした。
パディア皇女は泣きそうな顔をしていて、キルトさんは苦笑しながら、そんな彼女の背中を撫でている。
まだ幼いシュタインクラム皇子は、何が起きたのかわからなくてキョトンとしていたけれど、アナトレイア皇后様は何かから守るように皇子を抱きしめていた。
アザナッド皇帝陛下は、クスクスと困ったように笑い声をこぼす。
それから僕とイルティミナさんを見て、
「そちたちといると、本当に宮中では経験できないようなことを味わえる。いやいや、本当に楽しく新鮮なことだよ」
そうおっしゃられた。
よくわからないけれど、お気に召してもらえたのなら光栄です……。
とりあえず僕は頭を下げておいた。
イルティミナさんも美しく微笑んだまま、優美に一礼していた。
そんな感じで、僕ら5人とアルン皇家の4人家族との時間は、色々とありながらも和やかなままに過ぎていったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
楽しい時間は流れるのも早い。
美味しい食事に会話も楽しくて、でも気がついたら、僕らはそろそろ暇を乞う時刻になっていた。
それを伝えると、
「そうか。それならば、今宵はアドバルトの屋敷に泊まるといい。その方がそちらも気楽であろうし、あの者との積もる話もあろう?」
と、皇帝陛下はおっしゃってくださった。
そして、陛下の視線はキルトさんを見て、端正な顔立ちが悪戯っぽく笑う。
「それに、そちもアドバルトと酒比べを楽しみたいであろうしね」
「これは陛下……」
図星だったのか、キルトさんは弱り切った顔だ。
あはは……。
(さすが陛下、よくわかっていらっしゃる)
ちょっと感心しちゃったよ。
けれど、そうしてみんなが笑う中、パディア皇女だけは『何を言ってるの、父様!?』というような愕然とした顔だった。
キルトさん大好き皇女様だ。
きっと今夜は、キルトさんも離宮に泊まって、久しぶりにお喋りしながら夜を明かせると思っていたんだろう。
けど、皇帝たる父の御言葉。
逆らう訳にもいかなくて、彼女は涙目で「うぅぅ」と唸りながら、なぜか僕を睨んでくる。
(……って、なんで僕?)
ちょっと戸惑う
と、アナトレイア皇后様がフレデリカさんに声をかけた。
「フィディ。今夜は貴方もダルディオスのお屋敷に戻りなさい。マール様たちと久しぶりの旧交を温めるのも良いでしょう」
「……え?」
フレデリカさんは驚いた顔だ。
けど、すぐに軍人の顔になって跪く。
「恐れながら、私の役目はパディア皇女殿下の護衛です。ご配慮には感謝いたしますが、その任を疎かにする訳には参りません」
忠義を尽くす者の凛とした表情だ。
皇后様は困った顔をする。
パディア殿下は嬉しそうな顔をしたけれど、皇帝陛下は静かに告げた。
「これは命令ではない。けれど、忠臣たるそちへの余たちからの願いだ」
「…………」
「受けてはもらえぬか?」
「……陛下」
皇帝陛下は、ただ柔らかな微笑みを浮かべられていた。
ここまで言われては、フレデリカさんも断る訳にはいかない。
白い軍服の麗人さんは「ははっ!」と主君の気遣いに感謝して、深く頭を下げながら、その願いを了承したんだ。
「…………」
パディア皇女は、まだ涙目だ。
そして、やっぱりなぜか僕を睨んでくる。
(え、えっと……?)
こういう時、僕はどうしたらいいの?
困っていたけれど、そんな皇女殿下のことを皇帝陛下と皇后様が、左右から包むように抱きしめて、
「パディア、今宵は父たちと共に寝よう」
「ふふっ、久しぶりに家族皆でゆっくりと過ごしましょうね」
そう囁きかけた。
パディア皇女は、驚いたように両親を見て、それから「うん!」と花が咲くような笑顔を輝かせた。
そうして彼女は、弟皇子を抱きしめる。
僕らとフレデリカさんを見て、
「いいわ、今夜はフィディを貸してあげる! でも、明日にはちゃんと帰ってきてね!」
「はい、必ず」
その言葉に、忠臣たる近衛騎士は笑顔で頷いた。
そうして僕らは、今夜はダルディオス将軍のお屋敷に泊まることになり、皇家の皆様と過ごした離宮をあとにしたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
護衛の引き継ぎもあるとかで、フレデリカさんが合流するのはダルディオス将軍の屋敷でとなり、彼女とは離宮で別れた。
渡り廊下を渡って皇帝城に戻る。
廊下の先では、将軍さんが待っていてくれて事情を説明すると彼は驚いた顔をした。
「そのようなことを陛下が……」
彼は感じ入った顔で呟き、目を閉じる。
トンッ
キルトさんはその胸を叩き、
「陛下の仰せじゃ。美味い酒を期待しておるぞ?」
と笑う。
将軍さんは苦笑して、「この鬼娘が……任せるが良いわ」と請け負い、色々な準備をしなければならないとかで城内のどこかへと行ってしまった。
それを見送ると、
「では、私たちも許可を求めなければなりませんね」
「うむ」
イルティミナさんとキルトさんが頷き合う。
え?
(許可?)
僕とソルティスはキョトンとし、真似っ子のポーちゃんと3人で顔を見合わせてしまった。
それから教えられたのは、僕らはシュムリア王国の使節の一員としてここにいるので、別の滞在場所に行くならば、王国側からも許可を得なければならないそうなんだ。
使節団の代表は、レクリア王女。
なので、彼女の元を訪れて、ダルディオス将軍にしたのと同じ説明をする。
すると、
「構いませんわ」
と、王女様は笑顔で許可してくれた。
それどころか、
「旅が順調でしたので、1週間ほどの日程の猶予もございます。その間は、マール様たちもご自由に、どうかゆっくりなさってきてくださいましね」
と、むしろ促すようなことを言われてしまったんだ。
実は、アルン神皇国までの道程は、かなりの長旅になることが予測されていた。
なので、道中、何があるかわからず、旅の日数にはある程度の余裕をもって、僕らはシュムリア王国を出発していたんだ。
でも、旅が思った以上に順調だったので、誕生祭までの時間ができてしまったとのこと。
その時間を『自由に遊んでいていい』とレクリア王女はおっしゃってくれたんだ。
(え、いいの?)
いやいや、僕らはともかく、使節団の皆さんはアルンの外交官との話し合いなどが予定されているそうで、そんな中、僕らだけ遊んでいるのは気が引ける。
そんな僕に、
「いいえ。マール様たちは、このアルンの地まで来てくださっただけで、充分に仕事は果たされているのですわ」
と、レクリア王女はおっしゃった。
(え、どういうこと?)
僕は目を瞬いてしまう。
聞けば、今回のシュムリア使節団の訪問は『パディア皇女の誕生祭』だけでなく、『外交会談』も目的とされているそうなんだ。
シュムリア王国とアルン神皇国、その両国のトップと友好関係を築いている僕らの存在は、実は2国間の潤滑剤のような役目を果たしているのだとか。
つまり、僕らは『両国友好の象徴』らしい。
だから、今回の皇帝陛下の提案に従うことも、その友好関係をより深めるための行動となるそうなんだ。
(へぇ、そうなんだ)
僕は目から鱗だ。
自分たちとしては、ただ陛下が仲良くしてくれて嬉しいな……ぐらいなのに、それは両国の間に多少なりとも影響も与えてしまうらしい。
もっと言うと、アルンの皇帝陛下だけでなく、アルン最強の将軍アドバルト・ダルディオスとも親密な関係であることも、外交においては良い点なのだとか。
レクリア王女は、口元を手で押さえながら笑う。
「ふふっ、マール様たちのおかげで、外交上の手札が増えていきますわ」
「…………」
その微笑みは綺麗なんだけど、凄い政治的な色がした。
…………。
凄い人だよなぁ、レクリア王女って。
彼女は僕らと同世代で、ソルティスも天才的で頭が良いけれど、レクリア王女は、彼女とはまた違ったベクトルで頭が良くて、天才なのだと思った。
キュッ
彼女のたおやかな両手が、僕の手を握る。
「ありがとうございます、マール様。どうかこれからも、マール様はご自身の御心のままに行動してくださいましね?」
そう言ってくれる。
でも言外に、それによってシュムリア王国に幸運や利益をもたらしてくれることを期待されている気がした。
(……いや、期待されても困るんだけどな)
ま、彼女も直接は頼んでこない。
なら、ここは言葉通りに、僕らは自由にさせてもらえばいいかな……うん。
僕は、イルティミナさん、キルトさん、ソルティス、ポーちゃんの4人と顔を見合わせて、頷き合った。
それでは、お言葉に甘えて。
そうして僕らは無事にレクリア王女の許可も得て、今夜、泊まらせてもらう予定のダルディオス将軍のお屋敷へと向かったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。