521・甘えたくて
第521話になります。
よろしくお願いします。
「はい、イルティミナさん。お粥だよ~」
作ってきたお粥のお椀を持って、僕は、イルティミナさんの寝ているベッドの横に座った。
彼女は「ありがとう、マール」と微笑み、身体を起こす。
すぐに手を貸して、そのまま後ろに倒れないように背中を支えてあげた。
(まだ熱いね)
触れた背中は、熱っぽい。
「いただきます」
イルティミナさんは手を合わせると、木製のスプーンでゆっくりとお粥を口に運びだした。
モク モク
何回か噛んで、飲み込む。
「美味しいです」
「よかった」
そう言ってくれるイルティミナさんに、僕は笑顔で返事をしたけれど、やっぱり彼女はまだ食欲がなさそうだった。
熱のせいだ。
家にあった常備薬を飲んで、昨日はそのまま眠ったけど、朝になっても高い熱は残っていた。
モク モク
でも、彼女は食べ続ける。
風邪を治すには栄養が必要だし、それがわかっているから、一生懸命食べているんだと思う。
だけど、
「あまり無理しないでね? 食べれなかったら、果実水も用意してあるから」
僕は、そう言っておいた。
イルティミナさんは、少し驚いたようにこちらを見て、それから笑った。
「無理はしておりません。マールが私のために作ってくれたのだと思ったら、どうしても食べたくて」
なんて言ってくれる。
(イルティミナさん……)
こんな時なのに、そんな風に言われて、僕は少し嬉しくなってしまった。
そんな僕を見て、彼女はまた微笑み、食事を続けた。
…………。
いつもよりゆっくりだけど、彼女はお粥を全部食べてくれて、用意していた果実水もしっかりと飲んでくれた。
そして、食後のお薬。
粉の薬を、水と一緒に飲み込む。
そうして彼女は、まるで大仕事を終えたみたいに、大きく息を吐いた。
「…………」
僕は、その背中をゆっくり撫でる。
彼女は、僕の手を握ったまま10分ほどお喋りして、それからお腹も落ち着いたのを見計らって再びベッドに横になった。
「そばにいてくださいね、マール」
そう念を押される。
僕は笑って「うん」と約束した。
イルティミナさんは安心したように微笑み、目を閉じる……薬が効いたのか、あっという間に眠ってしまった。
…………。
その寝顔をしばらく見つめて、僕は繋いでいた手を離して、濡れタオルを用意した。
前髪をどけて、その額に乗せる。
手の甲で柔らかな頬に触れると、滑らかな弾力と共に、まだ高い体温が伝わってきた。
少し赤みがかってもいる。
「……イルティミナさん」
小さく呟いた。
昨夜、眠りにつく前に、
「どうやら、体調管理が甘かったようです」
彼女は、そう言っていた。
疲労の蓄積を見誤り、それが肉体の限界値を越えてしまったのだろうとのことだった。
つまり過労。
だから『安静にして休んでいれば治る』とイルティミナさんは言っていた。
幸い、次のクエストまでは1週間の休みがある。
もしもクエスト2日前までに治らなければ、僕は、冒険者ギルドに報告して、お医者様か、魔法使いを手配してもらおうと思っていた。
最悪、クエスト延期もお願いするつもりだ。
(依頼人には、本当に申し訳ないけれど……)
でも、イルティミナさんの命には代えられない。
そもそも、彼女は働きすぎな気もするんだよね。
『金印の魔狩人』だから仕方ないのかもしれないけれど、クエストは予約だらけで休みが少なく、しかも全て高難易度の手強い魔物が討伐対象だ。
僕も一緒に戦うけど、主戦に立つのは、やはり彼女自身だ。
負担は、僕よりずっと大きい。
それに加えて、ギルドや依頼人との交渉、事務手続きなども、パーティーリーダーとなる彼女が一手に引き受けている。
イルティミナさんは、何でもできるお姉さんだ。
だけど、超人じゃない。
本当は、ただの普通の女の人。
だから、疲れだって溜まっていく。
今回は、それが許容を超えて、表面に溢れてしまったんだ。
「…………」
彼女の寝顔を見つめる。
薬が効いているのか、それほど苦しそうな感じはしないけれど。
(でも、僕が、もっと気をつけていれば……)
ここまでにはならなかったかもしれない。
彼女が言ってくれなかったのも、隠してたのも、全ては僕が頼りないからだ。
ギュッ
眠っても繋いだままの手に力を込める。
せめて、イルティミナさんの看病だけは、しっかりがんばるんだ――僕は、自分自身をそう奮い立たせた。
◇◇◇◇◇◇◇
3日目の朝、イルティミナさんの高熱は収まった。
「でも、まだ少し熱いかな?」
ベッドに寝ている彼女とおでこを合わせながら、僕は呟く。
顔を離すと、やっぱり彼女の頬は赤く、瞳も潤んでいて、何か言いたげな表情をしていたけれど、何も言わずに大人しくしていた。
今日も、台所でお粥を作る。
寝室に戻ってくると、彼女はすでにベッドの上に上体を起こしていた。
「大丈夫?」
ちょっと驚き、慌てて近づいた。
彼女は「はい」と頷く。
まだ身体は重そうだけど、フラフラしている様子はなかった。
僕は、ホッと息を吐く。
そんな僕を見つめて、イルティミナさんは少しだけ恥ずかしそうに、こんなことを言った。
「あの……もしよかったら、マールが食べさせてくれませんか?」
え?
「まだ身体が辛くて……その……あ~んを、私に」
そう言って、瞳を伏せる。
(別にいいけど……)
僕は頷いて、
「うん、わかった」
「あ……ありがとうございます、マール」
彼女は嬉しそうだ。
なんだか、ちょっと元気になったみたいだし、僕も嬉しくなった。
そんなわけで、僕は木製スプーンでお粥を掬い、フーフーと息を吹きかけて適温に冷ましてから、彼女の口元へと運んだ。
「はい、イルティミナさん。あ~ん」
「あ、あ~ん」
ひな鳥のように口を開ける病人のお姉さん。
パクッ モクモク
味わうようにお粥を咀嚼している。
「どう? 食べれそう?」
「はい」
「よかった。それじゃあ、もう一度、あ~んして」
「はい。あ~ん」
素直に開かれた口に、スプーンを入れる。
パクッ モクモク
イルティミナさんは幸せそうだ。
そんなに美味しいのかな? でも、味わえるぐらいに体調が回復したのならよかったよ。
僕も笑ってしまった。
そうして僕らは、最後まであ~んをしながら、イルティミナさんの食事を終えた。
お薬を飲ませて、一息。
「ごめんなさいね、マール。甘えてしまって」
すると突然、イルティミナさんに申し訳なさそうに微笑まれて、そう言われてしまった。
(え?)
僕はびっくりする。
「病気になって気が弱っているのか、なんだかマールに甘えたくて……。つい我が儘を言ってしまって……」
「そんなことないよ」
慌てて首を振った。
むしろ、いつも僕の方がイルティミナさんに甘えてしまっているんだから、こういう時ぐらい頼って欲しいんだ。
「その方が、僕も嬉しいから」
そう伝える。
イルティミナさんは、眩しそうに僕を見つめて、
「そんなことを言われると、今の私は本当にマールに甘えてしまいますよ?」
「うん」
僕は胸を叩いた。
「大丈夫。僕はイルティミナさんの旦那様だよ? だから、思いっきり甘えてよ」
そう笑いかけた。
イルティミナさんは布団の上で両手をキュッと握り締めると、瞳を伏せる。
「それでは……甘えますね」
「うん」
「これから私は横になりますが、眠りにつくまでは、ずっと手を繋いで、頭をポンポンしてください」
少し恥ずかしそうな声だ。
もちろん僕は「いいよ」と頷いた。
それからイルティミナさんは、ゆっくりとベッドに横になった。
彼女の右手を、僕の右手で握る。
それから、上目遣いで見つめてくる僕の奥さんに微笑みかけながら、左手で、その頭を優しく撫でるように叩いてあげた。
「イルティミナさんは、いい子だね。ほら、ゆっくりねんねしてね」
ポン ポン
幼い子供をあやすみたいな気持ちで、そんな風に声をかけてみる。
彼女は「あ……」と呟いた。
それから、嬉しそうな、恥ずかしそうな表情で唇を引き結んでしまった。
(大丈夫かな?)
これで合ってるよね?
少し心配になったけれど、イルティミナさんから何も言われなかったので大丈夫だと思うことにした。
ポン ポン
「よしよし。大好きだよ、イルティミナさん。ゆっくりお休み」
「…………」
繋いだ手に力を込めながら、彼女はまぶたを閉じた。
大きく息を吐く。
なんだか熱っぽそうで、顔も耳まで赤くなっていた。
あれ? もしかして、熱がぶり返した?
でも、表情は苦しそうな様子はなくて、むしろ満たされているような雰囲気だった。
「よしよし……愛してるよ、イルティミナさん」
「……っっ」
ポン ポン
なんだか必死に目を閉じている感じ。
やがて、薬が効いて眠りにつくまでの15分ぐらい、僕は、大切なイルティミナさんをあやし続けた。
ご覧頂き、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




