519・ご褒美の湯
第519話になります。
よろしくお願いします。
「いやぁ、良い湯じゃの」
湯船に浸かったキルトさんは、手にしたお猪口のお酒を口にして、愉快そうに笑った。
ここは、グラドアニスの街で泊まっている宿屋の客室に設置された露天風呂で、『岩喰い大蜘蛛』を倒した僕らは、そこでたくさんかいた汗を洗い流していた。
とはいえ、
(キルトさんもいるとはなぁ)
同じ湯船に浸かっている僕は、少し遠い目だ。
隣に座っているイルティミナさんも、少々、恨みがましい目で、酒盛りをする銀髪の美女を見ている。
実は、キルトさん、僕らと同じ宿に泊まっていたんだ。
それを知った僕らは、せっかくなのでクエスト達成と再会の祝いも兼ねて、一緒に食事をしようということになった。
この宿は、客室まで料理が運ばれてくる。
食事は、僕とイルティミナさんの泊まっている客室ですることになったんだけど、
「その前に、汗を流したいの」
と、キルトさんが言った。
確かに、その時の僕らは、汗と泥と魔物の体液で汚れていた。
そして、
「せっかくじゃし、皆で入るとするか」
とキルトさんが提案し、唖然となる僕らを無視して、宿の人に風呂飲み用のお酒も頼んでしまった。
いやいやいや。
我に返って、断ったんだよ?
いくらなんでも、僕は男だし、お嫁さんであるイルティミナさんはともかく、キルトさんと一緒にお風呂に入るのは問題があると思ったんだ。
だけど、
「何を今更」
と、笑うキルトさん。
「マールと風呂に入るのは、初めてでもあるまい。そなたらは、もうわらわの家族のようなものじゃ。遠慮も要らぬであろ?」
「…………」
「…………」
一緒に入ったのは、もう4年も前なんだけどなぁ。
でも『家族』なんて言われたら、断れなくなっちゃったんだよね。
……ま、いいか。
キルトさんは魅力的な女性だから、少しドキドキするけれど、僕だってもう妻帯者だからね。
「マール!?」
了承した僕を、イルティミナさんは愕然と見ていたけど……はて?
そんなわけで、現在です。
キルトさんは銀髪を結い上げ、水面に浮かせたお盆の徳利とお猪口でお酒を楽しみ、幸せそうな顔だった。
僕は、素直に温泉を楽しむ。
(うん、いいお湯加減だよ)
普通のお湯よりヌルヌルした感じで、硫黄の匂いも温泉らしかった。
はふぅ……。
思わず、吐息がこぼれちゃう。
ギュッ
(あいたっ?)
そんな僕の太ももを、イルティミナさんの指が湯船の中でつねってきた。
え? と彼女を見る。
イルティミナさんは、少しだけ頬を膨らませて、
「せっかく、夫婦水入らずの時間を、温泉で過ごせると思っていましたのに……」
「あ……」
怒っている奥さんに、ようやく気づく。
(そ、そうだったのか)
僕は驚き、すぐに謝った。
「ご、ごめんね、イルティミナさん。気が利かなくて」
「…………」
イルティミナさんは、ツーンとそっぽを向いてしまう。
悪いことしちゃったな。
でも、キルトさんとこうして会って、ゆっくりした時間を共有することは、これからそう何度もできることではないと思ってしまったんだ。
この世界は安全じゃない。
キルトさんの旅にも危険が伴うだろうし、僕らの仕事も命懸けだ。
次、無事に会える保証はないんだ。
(もちろん、そんな会えなくなるつもりは欠片もないんだけど……)
でも、心のどこかで覚悟もしてる。
イルティミナさんとは、ずっと一緒にいられるから、また夫婦の時間は作れると思うし、だから今日だけでも、キルトさんが一緒でいいかと思ってしまったんだ。
「…………」
そう伝えたら、イルティミナさんは唇を尖らせる。
やがて、嘆息して、
「はぁ……仕方のない子ですね、マールは。そんな風に言われたら、私が意地悪な女みたいではないですか」
え、いや、そんなことはないと思うけど。
焦る僕に、彼女はクスッと笑う。
「でも、そうですね。たまには……こういう時間を味わうのも、いいかもしれません」
そう言いながら、つねった場所を撫でてくれた。
イルティミナさん……。
見つめる僕に、彼女は、少しだけ恥ずかしそうにはにかみ、温泉のお湯をパシャッと指で弾いて、僕へとかけたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
キルトさんとイルティミナさん、2人のお姉さんとのお風呂を楽しむ。
「そなた、また大きくなったか?」
ふと、キルトさんが呟く。
その視線は、お湯に浮かぶイルティミナさんの胸へと向けられていた。
イルティミナさんは頷いて、
「そうですね。マールに吸われたり、揉まれたりしましたので育ったかもしれません」
なんて答えた。
(イ、イルティミナさぁ~ん!?)
僕は、温泉の熱さ以外でも、顔を真っ赤にしてしまったよ。
キルトさんは「そうかそうか」と大笑いだ。
嫁は強し、ではないけれど、僕の奥さんとなって、イルティミナさんはそっち方面の話題にも強くなったみたいだ。
僕ばかり動揺している。
そんな僕に気づいて、彼女は、クスクスと小悪魔っぽく笑った。
もう……。
でも、その仕草も可愛くて、僕は少しだけ2人きりでないことを後悔してしまった。
そんな風に、他愛もない話を楽しむ。
やがて、お風呂を出て少し涼んだら、食事の時間だ。
部屋のテーブルには、宿の料理人が存分に腕を振るった料理の数々が並んでいった。
(わぁ、美味しそう……)
温泉地に合わせたのか、しゃぶしゃぶだ。
綺麗な赤身、霜降りのお肉が花びらのようにお皿に並べられ、付け合わせの野菜も美味しそうだ。
タレも、ゴマダレ、果実酢ダレなど種類がある。
あとは白米。
デザートは、黒糖プリンのようなスイーツだ。
ちなみに、しゃぶしゃぶのお湯は、温泉水らしいよ。
「いただきま~す!」
両手を合わせ、僕は、期待を込めて料理を口へと運んだ。
モグモグ
んん、最高だ!
満面の笑顔の僕に、2人のお姉さんたちも微笑んで、「いただこう」、「ふふっ、いただきます」と手を合わせ、料理を食べ始めた。
その美味しさに、2人も満足そうだ。
イルティミナさんは、僕の分のお肉もしゃぶしゃぶしてくれて、僕はその愛情も食べれて胸がいっぱいだった。
キルトさんは、ちょっと苦笑いしていた。
「楽しいね?」
僕は、2人に笑いかける。
「はい」
「うむ」
イルティミナさん、キルトさんも笑顔だった。
それから僕らは、宿の人の勧めもあって、この土地の地酒を3人で飲むことにした。一緒にお酒が飲めて、キルトさんも嬉しそうだった。
やがて、食事も終わった。
宿の人たちがやって来て、空になったお皿や調理器具が片付けられていく。
それから、宿の人に頼んで、この部屋にもう1つ寝具を運んでもらった。
キルトさんの分だ。
せっかくなので、今夜はキルトさんも一緒に寝てもらうことにしたんだ。
暗くなった部屋の中で、3人で横になり、笑いながら話をした。
楽しい時間。
でも、昼間のクエストでの疲れがあったのか、僕のまぶたは段々と重くなってきた。
気づいた2人が優しく笑う。
何かを話しかけられた気がしたけれど、眠気が強くて、よくわからなかった。
…………。
終わらせたくないな、この時間を。
そう思いながら、でも、僕の意識は、温かな闇の中へと落ちていく。
「おやすみなさい、私の可愛いマール」
そんな甘い声と共に、髪が撫でられる。
今度は、反対側の耳元で、
「また明日の、マール」
そう囁かれた。
僕は、何とか「うん……」と頷いて、そのまま眠ってしまった。
その夜、僕、イルティミナさん、キルトさんの3人がグラドアニスの街で過ごした楽しい時間は、こうして終わりを迎えたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、僕ら3人は、グラドアニスの街門前にある馬車・竜車の乗降場にいた。
僕とイルティミナさんは、王都ムーリアに帰るんだ。
でも、キルトさんは、このまま徒歩で更に南下をするそうで、僕らとは、ここでお別れになるんだ。
「またの、マール、イルナ」
そう言って、彼女は、僕らを抱きしめてくれる。
(キルトさん……)
その匂いと温もりを味わい、心に刻む。
これから、また彼女に会えるのは、しばらく先になってしまうと思うから。
抱擁を解く。
キルトさんは、笑っていた。
寂しさよりも、未来への希望を感じさせる笑顔だった。
だから、僕も笑った。
「またね、キルトさん」
「うむ」
キルトさんは頷く。
イルティミナさんも彼女を見つめて「いずれ、またどこかで会いましょう」と声をかけていた。
キルトさんも「そうじゃの」と鷹揚に返事をしていた。
僕らは、チャーターした竜車に乗り込む。
キルトさんは、それを見上げていた。
すると、彼女は、ふと思い出した顔をして、
「マール、イルナ」
(ん?)
僕らは、閉めかけた扉を途中で止めて、キルトさんを見返す。
彼女は、僕らを見つめ、
「そなたら、『グノーバリス竜国』についての話を、何かしら聞いておるか?」
と聞いてきた。
グノーバリス竜国って、
(確かドル大陸にある竜人の国で、この間、軍事行動の予兆があるってムンパさんに言われた国だよね?)
イルティミナさんは、その話を伝える。
キルトさんは「そうか」と呟いた。
(???)
なんだか、少し考え込んでいる様子だ。
「キルト?」
イルティミナさんも怪訝そうに表情をしかめながら、その名を呼んだ。
キルトさんは顔をあげる。
「実は、その噂はわらわも耳にしておった。そして、それを聞いて以来、どうも胸騒ぎが収まらなくての」
胸騒ぎ……?
僕らは、まじまじと彼女を見つめてしまった。
キルトさんの表情からは、理由はわからないのに、何やら不吉な予感を感じているような印象が見受けられた。
これって、
(まさか、鬼姫の勘?)
それこそ予言みたいな直感力で、未来を言い当てる奴だ。
僕とイルティミナさんは、沈黙してしまう。
キルトさんは息を吐く。
あえて明るく笑って、
「いや、つまらぬことを聞いたの。まぁ、気にするな。その時が来れば、嫌でも関わることになるであろ」
「…………」
「…………」
それ、気にしないでいられるかなぁ?
僕は困ってしまったけど、イルティミナさんは「わかりました」と頷いていた。
う~ん。
イルティミナさんは、僕の様子に気づいて、
「大丈夫ですよ? マールのことは、私が必ず守りますからね」
と微笑んだ。
相変わらずの過保護なお嫁さんに、僕は、ちょっと苦笑してから「うん」と頷いた。
そんな僕らに、キルトさんも笑っている。
「では、達者での」
そう言いながら、途中で止まっていた扉を最後まで閉めてくれた。
バタン
重い音が車内に響く。
御者さんが手綱を振るって、動き出した竜と共に、竜車の車輪がギシギシと回り始めた。
僕らは、窓から顔を出した。
遠ざかるキルトさんは、笑ったまま、大きく手を振っている。
「またねぇ!」
僕も大きく手を振り返した。
イルティミナさんも同じようにしている。
多くの人の中でも、キルトさんの存在感は強くはっきりと見え、陽の光に綺麗な銀髪がキラキラと輝いていた。
でも、その姿も、竜車が通りを曲がって見えなくなる。
「…………」
「…………」
僕らは席に座った。
お互いの顔を見て、寄り添うように肩を触れ合わせる。
窓の外には、青空が広がっていた。
いつか同じ空の下にいるキルトさんに、また会える日を願って……。
グラドアニスの街を出発した竜車は、僕ら2人を乗せたまま、王都ムーリアへと向かう街道を真っ直ぐに北上していった。
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※次回更新は、来週の月曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




