511・精霊使いエルフの謝罪
第511話になります。
よろしくお願いします。
その『水の精霊』は、再び表面に生えた棘を飛ばしてきた。
バシュッ バシュッ
連続する『水の槍』による砲撃に対して、こちらも精霊さんがその牙で噛み砕き、イルティミナさんの白い槍が弾き飛ばして、大量の水の飛沫へと変えていく。
太陽光に、水がキラキラと反射する。
(……なぜ、攻撃してくるんだ?)
僕は、不思議に思った。
あの『水の精霊』が僕らと敵対している理由がわからない。
あの精霊を怒らせるような何かをしたっけ?
困惑している間にも『水の精霊』からの攻撃は続いていて、精霊さんとイルティミナさんがそれを防いでいく。
「…………」
あの『水の精霊』の真意が知りたい。
僕は、その姿を観察する。
すると、上空にいる青い球体に、イルティミナさんは反撃しようと『白翼の槍』を投擲する体勢に入った。
(あ)
僕は、慌てて止めようと思った。
けど、その寸前、
「ま、待ってください! 申し訳ない! こちらの勘違いです!」
そんな叫びが聞こえた。
え?
見れば、草原の彼方から、こちらへと走ってくる1人の人影が見えた。
エルフだ。
眼鏡をかけ、よれた旅服のコートを羽織った男エルフさんだった。
驚く僕らの前で、彼は、空気を震わせるような不思議な音色――エルフ語の言葉を響かせる。
ブルルン
(あ、棘が引っ込んだ)
空に浮かんでいる『水の精霊』の攻撃態勢が収まったんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
必死に走ってきたからか、僕らの前にやって来た眼鏡のエルフさんは、両膝に手をついて呼吸を荒げている。
カシャッ
イルティミナさんの白い槍が、その喉元に当てられた。
「何者ですか?」
低い声。
唐突に攻撃されたのもあって、イルティミナさんは警戒しているようだ。
殺意を当てられ、眼鏡のエルフさんは「ひぐっ」と喉を鳴らす。
僕は、彼女の手を押さえた。
「イルティミナさん」
矛を収めてるように促す。
イルティミナさんは僕へと視線を送り、もう一度、眼鏡のエルフさんを見てから、槍を引いた。
眼鏡のエルフさんは、ホッと息を吐く。
ジ、ジジ……
少し興奮している『白銀の狼』の鼻先も軽く撫でてから、僕は、眼鏡のエルフさんに話しかけた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
彼は、少し安心したように微笑んだ。
僕は、上空の青い球体を見上げて、
「もしかしてですが、あの『水の精霊』さんは、貴方の使役する精霊さんですか?」
と確認した。
彼は頷く。
そして、ガバッと頭を下げてきた。
「も、申し訳ないです! まさか、こちらの『白水晶の狼』が契約された精霊だと気づかなくて、とんでもないご迷惑をおかけしました!」
全力の謝罪だ。
拍子に、眼鏡が落ちそうなほどである。
(……うん)
その心に、嘘はなさそうだ。
僕は、イルティミナさんと顔を見合わせ、それから問いかけた。
「事情を教えてもらえます?」
「はい」
彼は頷く。
眼鏡の奥の瞳が『白銀の狼』へと向けられて、
「実は……こちらの精霊が、最近、この辺りに具現するという『野良精霊』ではないかと勘違いしてしまったんです」
と、申し訳なさそうに答えた。
◇◇◇◇◇◇◇
眼鏡のエルフさんは、エボロウト・ロックと名乗った。
胸に手を当て、
「自分は旅をするのが好きで、もうアルバック大陸を200年ほど放浪しているエルフなんです」
と自分を語った。
200年……。
(さすが、エルフさんだ)
スケールが違うね。
そんな筋金入りの旅エルフであるエボロウトさんは、同じような旅エルフの仲間から、この土地で『野良精霊』が具現したという情報を聞いたそうだ。
「野良精霊?」
僕は首をかしげる。
物知りなイルティミナさんも初めて聞く単語だったみたいだ。
エボロウトさんの説明によれば、
「偶発的に、この世界に具現してしまった精霊です」
とのことだ。
本来、精霊は精霊界に存在していて、こちらの世界には存在しない。
けれど、極稀に、精霊自身に具現する意思があり、世界の繋がりに何らかの不具合があると、こちらの世界に自然発生的に具現してしまうのだそうだ。
「それは、とても危険なんです」
エボロウトさんの声は、真剣だ。
精霊は、優れた戦闘力と高い知能を持っている。
けれど、人間の倫理観はない。
時に人に恵みを与えるけれど、ほとんどの場合は、人に災いを与えてしまうのだそうだ。
「100年ほど昔の話ですが、1体の『野良精霊』によって、10の村が壊滅し、1000人を超える死者を出したこともあります」
「…………」
「…………」
恐ろしいね、野良精霊さん。
エルフという種族は、精霊には、深い敬意を持っている。
エルフの国では、精霊王を祀るぐらいだ。
だからこそ、エルフたちは各地で『野良精霊』の存在を知ると、その土地まで赴き、精霊と交信して、人の世に災いを与える前に精霊界に帰るように説得するのだそうだ。
(なるほどね)
エボロウトさんも説得のために、この地に来たんだ。
「ですが、それならば、なぜ貴方は、私たちに攻撃をしかけたのですか?」
とイルティミナさん。
確かに。
説得すると言いながら、攻撃をする理由がわからない。
問われたエボロウトさんは、申し訳なさそうな顔をしながら、僕とイルティミナさんの後ろに立っている『白銀の精霊獣』を見た。
「白水晶の狼だったからです」
そう答えた。
(???)
どういうこと?
僕ら夫婦の表情には、ますます疑問が浮かんだ。
「白水晶の狼は、とても珍しく、非常に気位の高い精霊なんです。そして彼らは『自分よりも強い』と認めた者の言葉しか聞いてはくれません」
(あ……)
その言葉には、僕も思い当たった。
僕も、精霊さんに主人と認められたのは、精霊さんと本気で戦って、その首を僕が斬り落としたからだったんだ。
つまり、エボロウトさんは、同じことをしたかったんだね。
彼は髪をかきながら、恥じ入るように言う。
「私の位置からは、お2人の姿は見えず、その白水晶の狼だけが見えていました。それで彼が『野良精霊』だと思って、攻撃をしてしまって……」
彼は頭を下げ「本当にすみません」と、また謝った。
(そっか)
確かにあの時、精霊さんは寝転んでいて、僕らはそのお腹に寄りかかっていた。
背中側から見たら、僕らは死角になっていて、精霊さんだけが草原に寝そべって休んでいるように見えただろう。
なるほど。
理由がわかれば、納得だ。
僕とイルティミナさんは、互いに顔を見合わせ、この旅エルフさんをこれ以上責める意思がないことを確認した。
僕は笑った。
「わかりました。こっちも怪我してませんし、許します」
エボロウトさんは、
「申し訳ない。ありがとうございます」
少し安心したように、そう微笑んだ。
イルティミナさんは、そんな彼を見つめて「ただし」と口を挟む。
「もしも、次に私の可愛いマールに攻撃をしたならば、いかなる理由であれ、もう容赦はしませんのでそのおつもりで。よろしいですね?」
「は、はい!」
静かな『金印』の迫力に、旅エルフさんは青ざめながら、何度も頷いた。
◇◇◇◇◇◇◇
長く放浪生活をしているというエボロウトさんだけど、よく見たら、武器を持っていなかった。
(はて?)
不思議に思っていると、視線に気づいて、彼は微笑んだ。
「私は『精霊使い』ですから」
そう言って、彼は、自分の腰帯に触れる。
そこにあったのは、剣ではなく、長さ30センチほどの1本の横笛だ。
魔法石が7つ、填まっている。
その歌口に、彼は唇を当てると、吹き抜ける風のような美しい音色が草原に響き渡った。
プルン プルルン
(あ)
すると、空中に浮かんでいた『水の精霊』が全身を震わせて、その姿が空の青さに溶けるように、徐々に消えていく。
5秒ほどで、完全に見えなくなった。
ピカッ
同時に、笛の魔法石の1つが輝く。
同じ精霊を使役する者として、気づいた。
(あの笛に精霊が戻った)
どうやらあの笛は『白銀の手甲』と同じく『精霊を宿した道具』みたいだった。
エボロウトさんは微笑み、
「この笛には、私が契約した7体の精霊が宿っています」
と教えてくれた。
(7体!?)
それは凄いや。
僕の精霊さんだって、1体で赤牙竜クラスの強さなのに、それが7体だったらとんでもない戦力だ。
イルティミナさんも、彼を見る目が変わっている。
200年の放浪生活。
なるほど、その年月は伊達ではないらしい。
エボロウト・ロックというこのエルフさんは、優れた『精霊使い』であり、かなりの実力者のようだった。
…………。
あのまま戦闘してたら、僕らは勝てただろうか?
ちょっと疑問だ。
(イルティミナさんがいるなら、負けないと思いたいけど……ね)
閑話休題。
僕は聞く。
「具現したという『野良精霊』は、この近辺にいるんですか?」
彼は「はい」と頷いた。
「精霊界との繋がりがあるのは、この周辺の土地ですから、1万メード四方の範囲にはいるはずです」
10キロ四方、か。
(う~ん)
それって、僕らの滞在した街も含まれる範囲だよね。
街の安全のために魔物を討伐したけれど、その『野良精霊』がいたのなら、結局、安全ではない状況のままじゃないか。
「…………」
ふと見れば、イルティミナさんも同じことを考えている顔だ。
報酬はない。
けど、人々を守る『魔狩人』として見過ごせない。
エボロウトさんだって報酬はないのに、この国の人々のために危険な『野良精霊』を説得しようとしてくれてるんだ。
(うん)
僕は頷いた。
「イルティミナさん」
「はい、マール」
僕の考えがわかって、彼女は微笑んでくれた。
エボロウトさんは「?」という顔をしている。
僕は言った。
「エボロウトさん。僕らにも、その『野良精霊』の説得を手伝わせてください」
「え?」
眼鏡の奥の瞳が見開かれる。
僕とイルティミナさんは、それぞれの右手を持ち上げ、そこに金と銀の魔法印の輝きを灯した。
その輝きがエルフさんを照らす。
「僕は、マール。王都にある冒険者ギルド・月光の風に所属する『銀印の魔狩人』です」
彼は「銀印!?」と目を丸くする。
そして、僕の隣から、
「私は、マールの妻であり、同じく月光の風に所属する『金印の魔狩人』、名をイルティミナ・ウォンと申します」
「き……金っ!?」
美しい名乗りに、エボロウトさんは唖然となった。
さすが、金印。
放浪エルフであるエボロウトさんも、『イルティミナ・ウォン』については知っていたらしい。
まぁ、顔は知らなかったみたいだけど。
パクパク
こちらを指差し、酸欠の魚みたいに口を開閉するエボロウトさん。
ジジ……ッ
精霊さんは、そんな3人の人の様子を、黙って見下ろしている。
その中で、イルティミナさんは美しく微笑み「では、よろしくお願いしますね、エボロウト」と拒否を許さぬように告げた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。