500・奇妙な視線
第500話になります。
よろしくお願いします。
「え、何それ?」
思わぬソルティスの言葉に、僕とイルティミナさんは驚いてしまった。
彼女の姉は、少し考え、
「それは、誰かに尾行されている……ということですか?」
「うん」
頷くソルティス。
彼女の説明によると、ヴェガ国から帰国してから何回か、そういう気配や視線を感じていたそうだ。
そして特に最近は、それが強くなったとか。
しかも、買い物だったり、散歩だったり、何かしらの用事でソルティス1人でいる時にだけ、それは起こるのだそうだ。
なので、
「なるべく、ポーには一緒にいてもらうようにしてるんだけど……」
とのこと。
僕は、ポーちゃんを見る。
「ポーは、その気配を感じない。けど、ソルティスが恐怖を感じているのは本当」
彼女は、そう答えた。
う、う~ん。
イルティミナさんが確かめるように妹を見る。
「気のせいではないのですね?」
「気のせいじゃないわ! 私も最初はそう思ったけど……でも、ずっとそういう気配や視線があるの。間違いなく、誰かが私のことを監視してるのよ」
ソルティスは、強く訴えた。
妹の必死な表情に、イルティミナさんは頷いた。
「わかりました」
そして、
「それでしたら、このあと、ソルティスには1人で帰宅してもらって、私とマールとポーがその後をつけて、誰かいないか確かめてみましょう」
「いいの?」
姉の提案に驚くソルティス。
僕も驚いたけど、断る理由はどこにもなかった。
「うん」
「任せてください」
2人で笑う。
ポーちゃんは感謝するように、こちらにペコッと頭を下げる。
ソルティスは瞳を潤ませ、
「お願い」
と頷いたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
日暮れ近く、ソルティスは1人で姉の家を出発した。
「またね」
「いつでもいらっしゃい」
僕とイルティミナさんとポーちゃんは見送りに立つ。
ソルティスも、
「ポーのこと、一晩よろしくね」
と笑顔で手を振った。
もちろん、これは演技だ。
もしソルティスの言うことが本当なら、その人物には、すでにこの家のことを監視されているかもしれない。
「ばいばい」
ソルティスは歩いていく。
しばらく見送って、僕らは家の中に戻った。
「誰かの視線とか気配、あった?」
僕は、凄腕の魔狩人である自分の奥さんに聞いてみた。
「いいえ」
彼女は首を振る。
「もしそのような人物が実在するのなら、少なくとも、こちらに気づかせないだけの能力はあるみたいですね」
「そっか」
「マールも、匂いは?」
僕も首を振った。
「ごめんね。街中だと匂いが多すぎて、わからないんだ」
ご近所さんも含めて、人の数は多い。
ソルティスを尾行していそうな人物の特定の匂いを探すのならともかく、それもわからない以上は、僕の嗅覚も役には立たなかった。
イルティミナさんも「そうですか」と頷く。
ポーちゃんは、
「ソルを追う」
と言った。
僕とイルティミナさんも頷いて、玄関ではなく裏口から外に出て、ソルティスの帰った道を追いかけた。
…………。
…………。
…………。
夕焼けに染まった道を、紫髪の少女が1人歩いている。
そこから100メードほど離れて僕が、更に100メード離れて、イルティミナさんとポーちゃんが続いた。
2手に分かれたのは、3人集まると目立つと思ったからだ。
「…………」
見たところ、異常はない。
というか、僕とソルティスの間には、誰も同じ方向に歩いている人がいなかったんだ。
いるとしたら、塀の上の猫とか、屋根の上のカラスとか。
(……ソルティスの勘違い?)
それとも、今はたまたま、尾行されていないだけなのかな?
気がつけば、もうソルティスの家だ。
彼女は、そのまま玄関の鍵を開けて、家の中に入っていく。
…………。
離れてその様子を見守って、しばらく待った。
でも、変化がない。
誰かが家の様子を覗いていることもなく、たまに家の前の通りを歩いていく人はいたけれど、それも普通の通行人みたいだった。
やがて、イルティミナさんたちも合流した。
「どうですか?」
聞かれたけど、
「怪しい人はいなかったよ」
正直に答えた。
イルティミナさんは「そうですか」と頷いて、僕らは、そのままソルティスの家へと向かった。
コンコン
「ソルティス?」
玄関の扉を叩いて、呼びかける。
トタトタ ガチャ
すぐにソルティスが姿を現した。
「いた!?」
慌てたような顔だ。
それに驚きながら、僕らは『怪しい人物は誰もいなかった』と伝えた。
「……そんな」
彼女は驚いた顔だ。
「今も、私のことを見ている視線と気配があったのよ。だから、今度こそ掴まえられると思ったのに、なんで……!?」
えっ?
今も?
僕もイルティミナさんも驚いてしまった。
「それって、僕らじゃなくて?」
「違うわよ!」
ソルティスは怒ったように言う。
「マールやイルナ姉のような感じじゃなくて、なんていうか、粘りつくような視線なの! 独特の嫌な感じがあるのよ!」
「…………」
「…………」
黙ってしまう僕とイルティミナさん。
ポーちゃんが宥めるように、彼女の背中を上下にゆっくりと撫でた。
ソルティスは息を吐く。
「う~っ、何なのよ、いったい!?」
悔しそうな表情には、目に涙が滲んでいた。
(……ソルティス)
僕が思っているよりも、彼女は精神的に参っているみたいだった。
イルティミナさんも「ソル」と呼びながら、大切な妹の身体を優しく抱きしめている。
そのまま彼女は、周囲へと視線を向けた。
「…………」
仮にも『金印の魔狩人』の探索から逃れられるような人物が、本当にソルティスを監視していたのだろうか?
夕暮れの街。
赤く染まった、人気のない通り。
(どうなってるの?)
僕も、少し薄気味悪く感じてしまう。
「マール」
ふとイルティミナさんに呼ばれた。
ん?
「すみませんが、今夜はソルの家に泊まっても良いでしょうか?」
思わぬ提案。
ソルティスも「え?」と驚いていた。
僕の奥さんは、とても申し訳なさそうな顔をしていて、その瞳には、本当に妹を心配し思いやる光が揺れていた。
僕は笑った。
「うん、そうしてあげて」
「はい」
イルティミナさんは頷いた。
ソルティスは、そんな僕ら夫婦を見比べて、
「いいの?」
と不安そうに聞く。
イルティミナさんは優しく笑って、抱いている妹の髪を、その白い手でゆっくりと撫でた。
「もちろんです。貴方は私の大切な妹なのですから」
「……イ、イルナ姉ぇ」
ソルティスは瞳を潤ませ、姉に強く抱きつく。
ポーちゃんも感謝を示すように、僕へと、軽く頭を下げてきた。
(ううん)
僕は微笑みながら、首を振る。
思ったよりも、ソルティスは精神的にやられているみたいだし、イルティミナさんの存在がそれを癒してくれるなら、その方が良いと思った。
ポーちゃんも、ソルティスを心配していて大変だったろう。
2人とも、これで少しは安心できたら……と思うよ。
ちなみに、ソルティスの借りている家は平屋なので、さすがに僕まで泊まることはできないから、僕は1人でイルティミナさんの家で留守番だ。
「それじゃあね」
話も決まって、僕は家へと帰ることにする。
「ごめんね、マール」
しおらしくソルティスが謝ってきた。
僕ら夫婦の時間を邪魔することになって、申し訳なく思ったのかもしれない。
僕は笑った。
「いいよ」
ソルティスが苦しんでいるのは、僕も嫌だ。
イルティミナさんだって嫌だろう。
このまま2人で家に帰っても、ソルティスが気になって落ち着いてなんていられないんだ。
妹想いのイルティミナさんのためにも、これでいいと思ってる。
伝わったのか、
「……ありがと」
ソルティスもはにかむように笑ってくれた。
……可愛いなぁ。
本当に、いつもの口の悪ささえなければ、見た目だけは凄い美人さんなんだよね、この子は。
「じゃあね」
僕も笑って、手を振った。
イルティミナさん、ポーちゃんも見送りしてくれて、僕は、それを背に受けながら、1人で自宅へと向かった。
…………。
(ん?)
それには、ふと気づいた。
視線だ。
赤い夕陽に染まった道を歩く僕の背後から、誰かの視線を感じる。
(えっ?)
バッと振り向いた。
通りには誰もいない。
街路樹の上に、カラスが数羽とまっていて、地上には人の姿は1人もなかった。近くには、人の匂いもしない。
…………。
数秒して、また前を向く。
でも、
(感じる)
粘りつくような、絡みつくような視線……好意的なものには思えない。
ソルティスが言っていたのは、これかな?
だけど、なんで僕を?
意味がわからない。
わからないまま歩いて、自宅へと辿り着いた。
玄関から通りを振り返る。
奇妙な視線の気配は、ゆっくりと消えていった。
「…………」
夕闇の迫る王都の中、僕はしばらくの間、誰もいない真っ赤な通りを見つめて、立ち尽くしていた。
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次回、29日(水)の更新で、年内の更新は最後となります。
どうか次回のマール達の物語も読んで頂けましたら嬉しいです。どうぞ、よろしくお願いします!




