053・マールと姉妹の新生活3
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感謝の3日連続更新、最終日になります。
それでは、第53話です。
どうぞ、よろしくお願いします。
喫茶店での僕の発言に、けれど、イルティミナさんは何も答えなかった。
反対もしない。
でも、賛成とも言わない。
ただ僕の顔をしばらく見つめて、
「…………。ソルが待っているので、そろそろ帰りましょうか?」
「う、うん」
彼女は、いつものように微笑んで、席を立った。
戸惑いながら僕も立ち上がり、イルティミナさんと手を繋いで、王都の帰り道を歩いていった。
帰り道で、彼女とは、普通に他愛ない話をした。
でも、『冒険者になりたい』と言ったことに関しては、やっぱり口にされなかった。
やがて、緩い坂道の先に、姉妹の家が見えてくる。
「あ、ソルティスだ」
2階の窓が全開にされていて、そこで、シーツの埃を払う眼鏡少女の姿があった。
彼女も、こちらに気づいて、
「おかえりー」
と元気に手を振ってくる。
僕らも大きく手を振り返して、お腹を空かしているだろう食いしん坊少女のために、歩く足を少し速めてやった。
◇◇◇◇◇◇◇
「どーよ?」
2階の1室の真ん中で、ソルティスは、腰に両手を当てて、得意げに笑う。
そこは、今朝まで物置だったという。
でも、今は、ピカピカの綺麗な空き部屋になっていた。
(おぉ~)
壁や床には、チリ1つない。
水拭きもされているようで、足を踏ん張ると、床板はキュッと鳴る。
隣のイルティミナさんも、感心した顔だ。
「驚きました。まさかソルが、ここまでちゃんとやるとは……」
「ふふん、私だって、やる時はやるのよ!」
小さな指が、鼻の下をこする。
うん、指が汚れていたのか、そこがチョビヒゲみたいに真っ黒になった。
イルティミナさんは、嬉しそうに笑う。
「貴方も、マールのためにがんばったのですね? 偉いですよ、ソル」
「…………」
ソルティスは、ポカンとした。
その顔が赤くなり、両手を振り回す。
「ち、違うから! コイツのためと違うから! わ、私はただ、自分の仕事を完璧にしたかっただけで、絶対に違うから!」
「はいはい。では、がんばったソルのために、すぐお昼にしましょうね?」
「ちょっと聞いて、イルナ姉!?」
1階へと階段を降りていく姉を、妹は必死に訴えながら、追いかける。
それを見送り、僕は、改めて部屋を見る。
(そっか。ここが僕の部屋か)
あの姉妹と一緒に暮らすための、僕の居場所。
ちょっと頬が、にやけた。
庭の見える窓から、涼やかな風が吹き込んでくる。
うん、とても気持ちがいい。
「そうだ。ソルティスに、お礼を言わなきゃね」
青い瞳を細めた僕は、すぐに気づいて、急いで2人のことを追いかけた。
◇◇◇◇◇◇◇
イルティミナさんは、さっそく買ってきた食材を使って、肉と野菜がふんだんの美味しいパスタ料理を作ってくれた。
もちろん、ソルティスのお皿は、量が3倍だ。
「ありがと。これあげる」
「うっさい! 別にマールのためじゃないわよ!」
大きなお肉の塊をあげると、彼女は顔を赤くして、そっぽを向いた。
でも、お肉はそのまま食べてくれた。
(うんうん、実にソルティスらしい)
そんな僕らの姿に、イルティミナさんは、とても優しい眼差しで微笑んでいた。
お昼が終わったら、3人で大掃除の時間だ。
1ヶ月間、放置されていた家は、どこもかしこも埃が溜まっている。庭の雑草も、刈る予定だ。
2人とも、長い髪を結い上げて、お団子にする。
イルティミナさんは、もしこのまま和服を着たら、若奥様から美人若女将にクラスチェンジすると思った。
(うん、眼福、眼福)
心の中で手を合わせる僕と美人姉妹は、埃を吸わないよう鼻と口を布で覆い、
「それでは、始めましょう」
「おー!」
「おー!」
家長の合図と共に、大掃除を開始した。
サッサッ パタパタ ポンポン
箒で掃き、ハタキで叩き、干した布団に布団叩きを食らわせる。
開け放たれた家中の窓から、埃たちが逃げていく。
(よしよし)
目に見えて綺麗になっていくと、ちょっと楽しい。
そして僕は、次の狙いとして、2階にある1室を開けようとする。
(ん……?)
ググッ
でも、開かない。
鍵がかかっているわけでもないのに、動かない。建てつけが悪いのかな?
必死に力を込めていると、通りかかったソルティスが、その様子を見つけて青ざめた。
「ちょ……駄目よ、ボロ雑巾!」
「え?」
ドンッ
突き飛ばされた。
尻餅をついた僕の前で、彼女は、扉を庇うように仁王立ちする。
「開けたら、せっかく突っ込んだ荷物が出てきちゃうでしょ!?」
「……荷物?」
「マールの部屋にあった奴よ」
…………。
ソルティスは、額の汗を拭って、遠くを見ながら爽やかに笑った。
「ここはもう、一生、開かずの間になったのよ」
そして、彼女は去っていく。
いや、まぁ……それでいいなら、いいんだけどね。
(でも、イルティミナさんに見つかったら、怒られないかなぁ?)
ちょっと心配になる。
その30分後――案の定、姉に叱られる彼女を見かけることになったけれど、僕は庭の草むしりを続行した。
「ふぅ」
見上げる青空は、残酷なほどに綺麗だった。
◇◇◇◇◇◇◇
「――はい。では、これで大掃除は終了です」
雑草の最後の1本を引っこ抜き、
「終わった~」
「私……もう駄目ぇ……」
汗だくになった僕らは、地面に座り込んだ。
イルティミナさんは、抜いた1本を、庭の隅に集められた刈った雑草の山に落として、僕らに笑いかける。
「2人とも、お疲れ様でしたね」
「うん」
「イルナ姉も、お疲れー」
「フフッ、先ほど、お風呂も沸かしておきましたから、まずはマールから入ってください」
え、いいの?
驚く僕の横で、やっぱりソルティスが抗議する。
「ちょっと、コイツが一番風呂なの?」
「そうですよ。あとソルは、この刈った雑草を袋詰めしておいてくださいね?」
「ちょ……なんで、私が!?」
彼女は、愕然とする。
そんな妹に、イルティミナさんは、にっこりと笑った。
「荷物を詰め込みすぎて、2階のドアを歪ませたのは、誰でしょう?」
「…………。さ、さぁ、がんばるわ~」
ソルティスは、そそくさと立ち上がった。
う、う~ん?
「僕、手伝おうか?」
「駄目ですよ、マール。これは、ソルの罰ですから」
イルティミナさんは、きっぱりと言った。
それから、汚れていない手の甲で、僕の頬を羽根のように撫でる。
「本当に、貴方は優しい子ですね。――さぁ、マール。貴方はお風呂に入って、さっぱりしてきなさい」
「……うん、わかったよ」
その言葉に甘えて、僕は笑った。
「じゃあ、お先にお風呂、頂かせてもらうね?」
「はい」
イルティミナさんは微笑み、大きく頷いた。
姉妹の家のお風呂は、地下にあった。
脱衣所は狭かったけど、浴室は広くて、壁は岩が剥き出しになっている。
ツルツルした黒石でできた湯船も、水面は床と同じ高さで、3人ぐらい一緒に入れそうな大きさだ。
(なんだか、旅館の温泉みたい)
すっぽんぽんの僕は、その風情を楽しみながら、頭からかけ湯する。
あぁ、いい熱さだよ。
汗や埃、泥汚れと一緒に、疲れも流れていく感じだ。
「あぁぁぁぁ~」
年寄り臭い声を出しながら、湯船に浸かった。
(お風呂って、幸せだぁ……)
しみじみと、その幸福を堪能する。
――その時だった。
「お湯加減は、いかがですか、マール?」
脱衣所の木戸が開いて、イルティミナさんが入ってきた。
(え?)
彼女は、すっぽんぽんだった。
その白い裸身の前を、タオル1枚だけで隠している。いや、大きすぎる胸は、半分以上、はみ出ていて、タオルの長さが短いのか、股間の隠れ方もきわどかった。
「な、ななな……???」
なんで!?
硬直する僕に、イルティミナさんは、少し恥ずかしそうに笑う。
「まずはマールから、と言ったでしょう? 次は、私です」
えぇ、一緒に入るつもりだったの!?
不安そうに、彼女は言う。
「嫌ですか?」
「い、嫌じゃないけど」
でも、恥ずかしいというか……。
口ごもる僕の前で、イルティミナさんは「よかった」と安心したように笑う。
(うぅ、そんな顔をされたら、もう断れない)
のぼせそうな僕の前で、彼女は、湯船のお湯を木桶ですくい、その身体にかけていく。
「あぁ……気持ちいい……」
「…………」
こら!
変な風に考えるな、僕。
(僕は、紳士だ、紳士だ、紳士だ、紳……)
必死に言い聞かせ、思い込ませる。
イルティミナさんの白い肌は、とても綺麗で、流れるお湯も美しかった。結い上げられた髪の、白いうなじにある後れ毛も、とても色っぽい。長身で美人なのに、胸は大きく実り、お尻もたわわに育っている。それなのに、鍛えられた腰はくびれ、足も長くてスタイルも抜群である。
頬はかすかに上気し、桜色の唇が吐く息は、とても熱そうだ。
(イ、イルティミナさんって、完璧すぎる)
必死に理性を保とうとする僕。
でも、その耳に、
「さぁ、マール? 背中を流してあげますので、湯船から出ていらっしゃい?」
「…………」
嘘でしょ?
ブンブンと首を振る僕に、イルティミナさんは、艶っぽく笑った。
白い両手が、僕の両脇の下にスッと入る。
(あ)
気づいた時には、あっさり湯船から引き出されていた。ひゃぁああ!?
慌てて、股間だけは両手で隠す。
「…………」
イルティミナさんは、一瞬だけそこを見つめる。
頬を赤らめ、
「コホン……さ、さぁ、マール。そこに座ってください」
僕を浴室の床に下ろして、回れ右をさせた。
(もう……好きにして?)
羞恥の限界を超えた僕は、もはや諦めの境地で、彼女の言うがままに床に座っていた。
イルティミナさんは、僕のタオルに黄色い粉をかける。クシャクシャと揉むと、白い泡だらけになった。どうやら、粉石けんらしい。
一緒に泡だらけになった白い手が、僕の背中に、タオルを当てる。
(う……)
ちょっとピクッとなった。
タオルが、ゆっくりと上下に動いていく。
「ソルの背中とは、少し違いますね? ……やっぱりマールは男の子です」
「…………」
一瞬、眼鏡少女の裸を、想像しかけた。
いかん、いかん。
(明日から、顔が見れなくなるよ……)
慌てて振り払い、僕は、ジッとしている。
イルティミナさんは、それ以上、何も言わないで、ただ僕の背中を優しく洗ってくれた。
どの位、時間が流れたのか、
「……マール?」
不意に、彼女は言った。
「喫茶店での話ですが……マールは、どうして冒険者になりたいと思ったのですか?」
「え?」
唐突な質問に、僕は、つい振り返ろうとした。
でも、その頭を、白い手が押さえる。
「こら。こっちを向いたら、駄目ですよ」
「あ、う、うん」
「……マールの気持ちを、この私に、もう少しだけ教えてもらえませんか?」
イルティミナさんの声には、真剣な色があった。
(もしかして、ずっと考えててくれたのかな?)
あの言葉を受け入れるのに、彼女にも時間が必要だったのかもしれない。
僕は、頭を整理して、正直に答えた。
「えっと……理由は、2つかな?」
「2つ?」
「うん。1つ目は、イルティミナさんたちと、これからも一緒にいるため」
僕は、目の前の湯気を見つめる。
その中から、あの時の声が聞こえてくる。
「メディスの街で、キルトさん、言ってたよね? 足手まといの僕が一緒にいると、いつか誰かが死ぬって。話を聞いて、僕もそう思った。でも、あれから王都まで旅をして、やっぱりみんなと一緒にいたいって、思ったんだ」
「…………」
「そのためには、足手まといじゃなくて、仲間にならなきゃって思った。同じ冒険者として、みんなの役に立たないとって」
すぐには、無理かもしれない。
でも、1歩ずつでも歩きださなければ、いつまでも目的地には辿り着かないんだ。
イルティミナさんは、黙っていた。
ただ僕の背中を、ゆっくりとタオルでこすっている。
「理由の2つ目は、強さが欲しかったから」
「…………」
言うべきか、少し迷った。
でも、イルティミナさんには、全てを言ってもいいかな? とも思った。
だから、言う。
「僕は、『悪魔を倒せる力』が欲しい」
「悪魔を?」
さすがに驚いた声だった。
僕は、頷く。
「多分、失った記憶が、そう求めてるんだ。理由は、僕にもわからない。でも、この身体が、何度も叫ぶんだよ」
「…………」
目を閉じる。
今も、『マールの肉体』の声がする。
「人を魔物に変える子供、その行いを止めろ!」
「…………」
「悪魔がいるかもしれない暗黒大陸に、すぐに行くんだ!」
「…………」
「この世界にいる悪魔を倒せ!」
僕は、目を開けた。
「心の中で、ずっと、そんな声が急き立てるんだ。……いったい僕は、なんなんだろう?」
背中をこする手は、いつの間にか、止まっていた。
僕らは、何も言わなかった。
ピチョン
天井の水滴が、湯船に落ちる音がする。
波紋が広がって、やがて、消えた。
「だから、僕が冒険者になりたいのは、そんな理由なんだ」
「そうですか」
僕が言うと、イルティミナさんのタオルを持つ手は、またゆっくりと動き出す。
やがて、彼女は木桶にお湯をすくい、
ザバァ
「はい。綺麗になりましたよ、マール」
「ん」
泡と汚れが、僕から流れ落ちていく。
(あ~、気持ちよかった)
立ち上がった僕は、イルティミナさんの背後へ、トトトッ……と歩いて回る。
「マール?」
「今度は、僕の番だ。イルティミナさんの背中、僕が洗ってあげる」
「え?」
びっくりした彼女に向かって、僕は、笑いかけた。
彼女は、苦笑する。
「わかりました、お願いします」
「うん」
「フフッ……私は髪が長いので、そちらも手伝ってもらえると助かります」
「ん、いいよー」
もう、何でも来いだ!
イルティミナさんのタオルを借りて、粉石けんをつけて、泡立てる。
モコモコ
その間に、彼女の指が、まとめていた美しい髪をほどいた。森のような色の髪が、白い背中にこぼれ落ちる。
泡のついた指で、その髪に触れた。
(わ……気持ちいい)
指通りが良くて、ずっと触っていたくなる不思議な髪だ。
僕は、それを丁寧に洗ってやる。
「あぁ……とても上手ですね、マール?」
「そう?」
「はい。このまま、ずっと洗っていてもらいたくなります」
あはは。
イルティミナさんに褒められて、僕は、一生懸命にがんばった。
髪を洗い終わったら、今度は背中。
(……思ったより、大きいんだね)
僕が子供だからか、とても頼もしく見える。
でも、しっとりした肌で、すっごく綺麗だった。
その背中を泡まみれにしてから、お湯をかけると、水滴は玉になって流れていく。
「はい、終わり」
「ありがとうございました」
そして僕らは、一緒に湯船に浸かった。
ドキドキした。
でも、安心感もあった。
「…………」
「…………」
何も言わず、ただ並んで座っている。
やがて、のぼせそうになって、お湯から出ようかと思った頃、イルティミナさんが前を向いたまま、ポツリと言った。
「明日、ギルドに行って、マールの冒険者登録をしましょうか……」
「…………」
その横顔は、上気した頬にほつれ髪がくっついていて、艶やかに美しい。
「うん」
前を見て、頷く。
湯船の中にあった僕の手を、イルティミナさんの手が優しく握った。
僕も握り返した。
「…………」
「…………」
もうしばらくの間、僕ら2人は、ただただ温かな湯船の中に浸かっていた――。
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