471・海上の稽古1
第471話になります。
よろしくお願いします。
シュムリア王国、アルン神皇国の使節団が乗った2隻の大型船が、青く広がる大海原を共に進んでいく。
天気は快晴だ。
(風が気持ちいいな)
甲板に立った僕は、その海風に茶色い髪をそよがせながら、青い瞳を細めた。
隣には、軍服姿のフレデリカさんがいる。
短くなった青い髪がなびき、彼女の白い手は、それを軽く押さえていた。
僕は笑った。
「ねぇ、フレデリカさん? 将軍さんは元気?」
そう問いかける。
アルン最強の将軍アドバルト・ダルディオス、それが彼女の父親だ。
僕を見て、彼女は微笑んだ。
「あぁ、元気でやっている」
そう頷いた。
世界一の大国アルン神皇国は、けれど国土を平定してからまだ半世紀ほどで、各地ではまだ反乱もあるという。
そして将軍さんは、その鎮圧に今も活躍しているそうだ。
けど、
「だが、第2次神魔戦争以降は、後進の育成にも力を入れ始めたみたいだ」
とのこと。
ダルディオス将軍は、もう50歳半ば。
イルティミナさんやキルトさんたちとは違って、これ以上、個人の武の向上は見込めない。
とはいえ、将軍さんの真価は、個人の武力ではなく、何万もの騎士団を手足のように指揮するその用兵能力だ。だからこそ、今も第一線で活躍している。
だけど、やはり何か思うところはあったみたいで、有望な若手への指導が多くなったそうだ。
(そうなんだ?)
僕の知る将軍さんは、エネルギーに満ちた人だった。
衰える姿なんて、想像できない。
それは実の娘であるフレデリカさんも同じみたいで、だからか、その話をしている時は、なんだか少し寂しそうでもあった。
……また、将軍さんにも会いたいな。
「父もきっと、またマール殿と会いたいと思っているだろう」
フレデリカさんは、そう微笑んだ。
僕も笑った。
と、船室に通じる扉が開いて、
「こんなところにいたのですか、マール。それにフレデリカまで」
僕の奥さんであるイルティミナさんが姿を見せた。
彼女は少しだけ険のある視線を、隣のフレデリカさんへと送っている。
軍服のお姉さんは苦笑して、
「たまたま気分転換に外の空気を吸いに来たら、マール殿と鉢合わせただけだ。別に2人で示し合わせたわけではないのだぞ?」
「……本当ですか?」
イルティミナさんは、確認するように僕を見る。
僕は「うん」と頷いた。
「本当だよ」
「……そうですか」
まだ不審そうだったけれど、彼女は、切り替えるように大きく息を吐く。
それから、僕に微笑んで、
「まぁいいでしょう。――マール、船内食堂で夕食の準備ができたそうです。一緒に食べに行きましょう?」
あ、そうなんだ?
「うん!」
僕は大きく頷いて、彼女へと駆け寄った。
そんな僕の姿に、イルティミナさんも嬉しそうに「ふふっ」と笑ってくれる。
「…………」
ふと振り返ったら、フレデリカさんは1人その場に残って、そんな僕ら夫婦を切なそうに眺めていた。
(?)
「フレデリカさんも一緒に行こ?」
「!?」
「…………」
イルティミナさんは表情をギョッと驚かせ、フレデリカさんも目を大きく見開いた。
それから、瞳を伏せて、
「あぁ、わかった」
そう小さく困ったように笑いながら、こちらに近づいてくる。
イルティミナさんは、唇を尖らせ、なんだか恨みがましそうに僕の横顔を睨んでいた。
(え、えっと……?)
僕は困惑する。
イルティミナさんはそんな僕を見つめ、
ギュッ
その綺麗な白い手で、僕の手を握ってきた。
「……浮気、しないですよね?」
「え?」
浮気って……。
(そんなのするわけないじゃないか)
だって僕は、ずっとイルティミナさん一筋なんだから。
ポカンとする僕。
その表情を見つめて、やがて、彼女は大きく嘆息する。
「いえ、いいんです。私は、マールを信じていますから」
「う、うん」
僕は戸惑いつつ、頷いた。
やって来たフレデリカさんは苦笑しながら、イルティミナさんに話しかける。
「貴殿は苦労するな」
「……誰のせいですか」
「ふっ……だが、マール殿の妻となったのだ。それぐらいの心労は覚悟しておくのだな」
「…………」
フレデリカさんの視線は、繋がれた僕らの手に向けられる。
「羨ましい……そう思われる立場にいるのだ、貴殿は」
「…………」
「その幸せを忘れないでもらいたい」
イルティミナさんは、不満そうに「貴方に言われる筋合いではありませんよ」と低い声を漏らす。
フレデリカさんは「そうかもな」と苦笑した。
(???)
僕は、2人の年上のお姉さんのやり取りに、ただただ困惑するしかない。
そして、
「さぁ、参りましょう、マール」
グイッ
イルティミナさんが僕の手を引っ張って歩きだした。
あ、うん。
フレデリカさんは、少し離れてついてくる。
そうして僕らは3人で船の廊下を歩いて、船内食堂へと向かったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
今日の空は快晴で、風も穏やかだった。
青い空からの日差しは温かく、船の甲板は、少し暑さも感じるぐらいだった。
「では、始めるかの」
「うん」
その甲板で、僕とキルトさんは向き合っていた。
約束した剣の稽古だ。
離れた場所では、イルティミナさんやソルティス、フレデリカさん、ポーちゃんが見守っていた。
それだけではなく、手の空いている船員さんたちまで何十人も集まっている。
ザワザワ
皆の視線が、少し恥ずかしい。
でも、仕方がない。
だって、これから始まるのは、引退した『元・金印の魔狩人』と現役の『銀印の魔狩人』の稽古なんだ。
船員さんたちは、シュムリア王国の軍人でもある。
強さには、普通以上に興味があるだろう。
そんな人たちにとって、僕らの稽古は、見物したくて堪らないものなんだ。
それに、昔の僕もそうだった。
ずっと前、ケラ砂漠のクエストで砂上船に乗った時、キルトさんとイルティミナさんの稽古を見れることになって、とても興奮したんだ。
『金印』と『銀印』の対決。
それには、きっとお金を払ってでも見たいだけの価値がある。
(その『銀印』が僕なのは、ちょっと微妙だけれど……)
でも、いいんだ。
僕自身、キルトさんに稽古をしてもらいたいんだから、周りの目は気にしない。
うん、気にしないんだ。
そう決めて、大きく深呼吸。
それから、左右の手にそれぞれ1本ずつ、木剣を握った。
「ほう?」
それを見て、キルトさんが呟いた。
「しばらく見ぬ間に、そなたは二刀流を使うようになったのか、マール?」
「うん」
僕は頷いた。
これまで以上に強くなるために。
そのために、難易度は高いけれど、僕は二刀流に挑戦しているんだ。
呼吸を整え、2つの木剣を正面に構える。
左足を半歩前へ。
それに合わせて、木剣の位置も少しだけ、左側を前にずらして構えた。
「…………」
それを静かに見つめるキルトさん。
彼女は、小さく笑った。
そして、あちらは今までにしてきた稽古と同じように、1本の木剣だけを正眼に構えた。
(!)
静かな圧。
重く、静謐で、美しく、けれど、恐ろしい圧力だ。
これだ。
懐かしい感覚。
これが、あのキルト・アマンデスだ。
その久しぶりの稽古の感覚を思い出して、僕はつい笑ってしまった。
(さぁ、試すぞ)
今の僕の全力を。
あのキルトさんにぶつけて、見せつけてやるんだ!
笑みを消す。
意識を戦いに向けて集中していく。
周りで見ていた船員さんたちが、向き合う僕らの空気に気圧されたように沈黙していった。
その周囲の目も、もう気にならない。
見つめるのは、目前に立つキルトさんのみだ。
「――来い」
彼女が静かに告げた。
僕は「はい」と師匠に答え、前方へと大きく踏み込んでいった。
◇◇◇◇◇◇◇
踏み込みと共に、左手の木剣は、キルトさんの手首を『撫で』に行く。
スッ
半歩引くことで、その剣はかわされた。
(想定内だ)
引くことを予想して、すでに右手の剣は下がった位置へと振り抜かれていた。
カンッ
時間差と予測。
その2つで繰り出した連撃は、けれど、キルトさんがほんの数センチ木剣を横に動かすことで、あっさりと防がれてしまった。
(やっぱり駄目か)
まるで全てをわかっていたかのような動き。
こんな小手先の技では、やはりキルトさんに通用しない。
(――全力だ)
覚悟を固める。
僕は、キルトさんへと再び大きく踏み込んだ。
「むっ」
キルトさんの表情が、かすかに引き締まる。
そんな彼女へと、僕は2つの木剣を振るった。
ヒュッ カツン ガン カィン
左右に踏み込みながら、止まらぬ連撃を繰り出し続け、二刀流の最大の利点である手数によって、木剣1本のキルトさんに挑んでいく。
「おぉおおおっ!」
先のことは考えない。
全ての体力、集中力をこの数十秒で使い果たすつもりで、木剣を振るい続けた。
ガン ゴン カカッ ガィン ガガガッ ゴガン
まるで竜巻のように回転しながら、木剣を繰り出す。
上下左右、様々な角度から。
速度を変化させ、フェイントを織り交ぜ、左右で違う剣技を繰り出しながら、キルト・アマンデスの防御を突き崩そうと足掻いた。
「…………」
でも、キルトさんは冷静だ。
表情を変えることなく、静かに、最小限の動きだけで僕の2つの木剣による攻撃を、たった1本の木剣で食い止め続けた。
さすがキルトさんだ。
僕の呼吸は、もう限界だった。
これ以上の連撃は行えない。
動きが鈍れば、即、やられてしまうだろう。
(そうなる前に――)
僕は、左手の木剣を上段から振り下ろす。
キルトさんが受けず、後ろに下がってかわそうとするのが見えた。
極限の見切り。
ほんの数ミリ、届かない。
それがわかった僕は、木剣を握っていた指の力を抜いた。
「ぬっ?」
キルトさんが驚いた顔をする。
僕の振るった木剣は、僕の左手の中から抜け出して、キルトさんめがけて放られたんだ。
ナイフ投げならぬ、木剣投げ。
虚をつくための最後の手段。
ザッ
けれど、キルトさんはそれさえも、素晴らしい身体能力と反射神経で半身になり、あっさりとかわしてしまった。
木剣は、キルトさんの横を通り抜けていく。
でも、充分だ。
虚を突かれたキルトさんに対して、こちらは予測済みの動きだった。
「はっ!」
回避したキルトさんめがけて、僕の右手の木剣は、渾身の一撃としてすでに放たれていた。
これは、当たる。
もはや木剣で弾けるタイミングではなく、避ける動作も間に合わない。
(――やった)
僕は歓喜した。
キルトさんから1本取れるという未来を幻視して。
けれど、
トン
(え?)
絶対に当たると思っていた木剣の側面に、白い手が押し当てられていた。
キルトさんの右手だ。
木剣では間に合わないのを悟った彼女は、その柄から手を外して、その手で木剣を横に逸らしてきたんだ。
(嘘でしょ?)
まさに神業。
タイミングが数瞬でもズレれば、その手が砕かれるというのに、彼女は当たり前のようにそれを行い、そして僕の木剣はあっさりとその手に押し出されてしまった。
ヒュオッ
僕の木剣は、キルトさんの横を通り抜ける。
入れ違うように、キルトさんの木剣が下段から振り昇り、僕の喉笛に飛び込んできた。
(んぐっ!?)
見事なカウンター剣技。
僕は自分の踏み込んだ勢いのままに、キルトさんの木剣を喉に押し当てられていた。
真剣ならば、僕の頸動脈は切断されている。
…………。
強い風が吹き、僕らはその姿勢のまま、動きが止まっていた。
「……参りました」
絞り出すように、僕は言った。
悔しさと、そして同じだけの素晴らしい技量への敬意があった。
「うむ」
キルトさんは頷き、木剣を引く。
(……やっぱり駄目だったかぁ)
僕は、大きく息を吐く。
がっくりと肩を落とした瞬間、周囲からワッと歓声が吹き上がり、船員さんたちの興奮した顔が見えた。
「すげぇ!」
「さすが『元・金印』と『銀印』の戦いだ」
「小さいのにやるなぁ、あの坊主」
「よくやったぞ!」
「見事だ!」
「いい戦いだったぞ!」
大きな声で僕らを讃え、激しい拍手を送ってくれる。
(え? え? え?)
思わぬ反応に、僕は驚き、呆けてしまった。
イルティミナさんは満足そうに頷き、ソルティスは複雑そうな顔、ポーちゃんは無表情、フレデリカさんは「本当に見違えたな、マール殿は」と感心した顔だ。
戸惑う僕のそばで、キルトさんは苦笑している。
ポム
僕の頭に手を置いて、
「なるほど、なかなかに修練を重ねているようじゃの。その日々の努力は伝わってきたぞ」
「……キルトさん」
見つめる僕に、キルトさんは頷いた。
「そなたは強くなった」
短い一言。
でも、それは僕の胸にストンと入り込んで、なんだか強く感情を揺さぶられた。
泣きそうだ。
でも、そんなみっともないことはできなくて。
それこそ、師匠であるキルトさんの前だからこそ、できなくて。
グッ
僕は唇を噛み締め、
「うん」
ただ俯くように頷くしかなかった。
キルトさんは、優しく笑った。
その手が、僕の茶色い髪をクシャクシャと少し乱暴にかき混ぜて、泣きそうな僕の顔を周りから隠すように、ソッと抱きしめてくれた。
温かく、優しい匂い。
その肩に顔を押しつけながら、僕は、長く吐息をこぼす。
……あぁ。
優しくて、強いキルトさん。
そんな彼女が今、本当にここにいるんだということを実感して、なんだか安心してしまった。
太陽の日差しが心地好い。
広がる青い大海原の中で、久しぶりの師匠と弟子として、キルトさんと僕はしばしの抱擁を交わしたんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
ただ今、新作を毎日更新中です。
『回復魔法使いアオイの転生記 ~お姉さん剣士を未来の勇者に育成しよう!~』
https://ncode.syosetu.com/n9794hf/
もしよかったら、どうかこちらも読んでやって下さいね♪
またマールの次回更新は、明後日の金曜日0時以降を予定しております。どうぞ、よろしくお願いします。




