005・希望の崩落
第5話になります。
よろしくお願いします。
太陽の光が眩しくて、僕は目を覚ました。
同時に、激しい喉の違和感に気づいて、大きく咳き込む。
「ゲホッ、ゴホゴホッ」
しばらく苦しんで、ようやく呼吸が落ち着く。
(あれ……僕は、いったい……?)
見回した周囲は、森だ。
僕は森の中に倒れていた――そう気づいた瞬間、昨夜の出来事を思い出す。
「!」
慌てて左肩を押さえた。
傷はなかった。
でも、麻のような服は、大きくお腹の辺りまで裂けている。
座り込む地面は、大量の血液によって、赤黒く変色していた。
(……夢じゃ、ない)
僕は木の幹に手をついて、フラフラと立ち上がる。
(?)
口の中の違和感に気づいて、ペッと吐き出す。
唾液と共に出てきたのは、赤黒い塊だった。血が喉の奥で乾いて、固まっていたらしい。
「…………」
夢じゃないけど……でも生きてるんだね、僕。
その事実を噛み締める。
そうして僕は、朝靄に霞んだ早朝の森を、塔へと帰るためにゆっくりと歩きだした。
◇◇◇◇◇◇◇
ガラガラ ペッ ゴクゴクッ
無事、塔へと帰還した僕は、光る水で喉をうがいし、空腹も満たして、ようやく落ち着いた。
「ふぅ」
水面には、少し憔悴した男の子の顔が映っている。
その頬には、飛び散った血の跡が残っていた。
服の破れた部分にも、血液が沁み込んで、赤黒く変色してしまっている。
…………。
間違いなく、あの巨大な骸骨に、僕は斬られたんだ。
そうわかる。
僕自身、その時の痛みも、恐怖も覚えている。
「なら、何で生きてるんだろう、僕?」
上衣を脱いだ。
現れた子供の上半身には、傷1つ残っていない。
真っ新な肌だ。
その左肩から、みぞおちの辺りまでを、小さな指でなぞる。
(……確かに、ここを斬られたのに)
わからない。
もしかしたら、転生して不死身になってしまったのかな?
ジャボ ジャボ
考え込みながら、素っ裸になった僕は、女神像の足元にある、光る水の溜まった貝殻の台座に座った。
血と泥で汚れた身体と服を洗おうと思ったんだ。
(う……少し冷たいね)
我慢しながら、沐浴する。
と、その時、自分の胸元でユラユラと揺れている物に、ふと気づいた。
首にかかったペンダントだ。
「あれ?」
昨夜は、照明代わりにもした光る蒼い宝石は、今、輝きを失って、灰色になっていた。
(え、なんで?)
僕は、濡れた裸のまま、居住スペースへ向かった。
引き出しの中にまだ残っている、2つのペンダントと見比べる。2つは、まだ淡い光を放っている。
僕の手にある灰色の石は、まるで何かの力を失ったような感じだ。
(…………)
もしかして、これのおかげ?
そう思った。
もしそれが事実なら、僕はこの異世界で、あと2つの命を手に入れたことになる。
僕はしばらく呆然と、手の中にある3つの宝石たちを見つめてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
服が渇くまでの間、僕は素っ裸のままで、見張り台から外を見ていた。
「…………」
広がる大森林。
ここからの脱出が、僕の当面の目標だ。
でも、この森には、夜になるとあの巨大な骸骨が出没する。それも森にあった紫色の光の数を思えば、恐らく何十、いや、何百体もだ。
出会えば殺される。
昼間の内に、森を出るのは、距離的にも不可能だろう。
(……難易度、高すぎるよ)
2つの命、魔法のペンダントを手に入れたけれど、それだけではどうにもならなかった。
…………。
「いや、大丈夫。まだ大丈夫だって」
落ち込みそうな自分を、慌てて励ます。
この森にはまだ、脱出に役立つような何ががあるかもしれないんだ。
ピィン
首から下げた、新しい蒼い宝石を指で軽く弾く。
(うん、この『魔法のペンダント』だって見つけたんだしね)
そう笑った。
「よし、昼間の内に、また森の中を調べてみよう!」
そう決めた時だった。
ポツッ
肌に何かが当たった。
(ん?)
ふと見上げたら、空に灰色の雲が広がっていた。
雨だ。
ポツッ ポツポツポツッ ザザァアアアア
唖然としている間にも、雨足は一気に強くなる。
「い、痛い痛い!」
素っ裸の僕は、ぶち当たる雨粒に悲鳴を上げる。
森の探索どころじゃない。
僕は涙目になりながら、慌てて、塔の中へと避難することになった。
◇◇◇◇◇◇◇
雨は一向にやまなかった。
試しに、外へ出てみたけれど、雨の弾幕で視界は悪いし、ぬかるんだ地面で転ぶし、散々だった。
(やむまで、塔で大人しくしていよう……)
そう決めた。
そんな僕は今、居住スペースにこもって本を眺めていた。
何か役立つことが書かれていないかと思ったんだけど、やっぱり文字は読めないし、魔法陣の意味もわからないしで、ただの退屈しのぎみたいになっている。
食事代わりの光る水の入ったお椀を片手に、何時間か眺めた。
(ふ~ん、33文字かな?)
なんとなく、そこに使われる文字の種類を数えてしまった。
ひらがなが50音で、実質46文字、アルファベットが26文字だから、その中間ぐらいだね。
ガリガリ
暇つぶしに、廃墟の石を拾って、その33文字を床に書く。
(……雨、早くやまないかなぁ)
ガリガリ ガリガリ
汚れで曇った窓ガラスの向こう側で、雨はますます勢いを増している。
ガリガリ ガリガリ ガリガリ……
…………。
――それから3日間、ずっと雨はやまなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
4日目の早朝、久しぶりの太陽をようやく拝むことができた。
(あぁ、明るいっていいなぁ)
窓からの光に、自然と笑みもこぼれてしまう。
ふと室内を振り返る。
この3日間で、読むこともできない33種類の文字が、床と壁一面に刻まれてしまっている。
「……ち、ちょっと、やり過ぎちゃったかな?」
朝日を浴びて、我に返った感じ。
もはや33文字の形、全てを暗記してしまったよ、僕。
反省しつつ、さて、今日こそは再び森の探索をがんばろう、そう意気込んで礼拝堂へと移動した時だ。
ドォンッ
突然、大きな音が響いた。
「!?」
ドッ ドドォオオン
轟音が続き、振動が塔全体を揺らしている。
バラバラと細かい砂や石の破片が、塔の上から降ってくる。
ほんの数秒で、揺れは収まった。
音もしない。
……今のは、地震?
(いや……)
何か違う。
直感がそう告げている。
妙な胸騒ぎを覚えた僕は、塔の最上階にある見張り台を目指して、螺旋階段を全力で駆け上った。
◇◇◇◇◇◇◇
「崖崩れだ」
見張り台から見つけたのは、僕を閉じ込めている巨大な崖の一部が崩落している姿だった。
崩れたばかりなのか、森の向こう側に土煙が舞っている。
長雨の影響?
(いや、理由なんてどうでもいい!)
僕は、そこを凝視する。
垂直だった壁が、そこだけ斜めに抉れているように見える。
「あそこからなら、崖の上に登れるんじゃないの!?」
そう思った。
もちろん、実際に確認してみなければわからない。
でも、希望を抱くには充分な出来事だった。
(よし、行こう!)
青い瞳を輝かせ、僕は、一目散に階段を下りると、あの崩落現場を目指して塔を出発した。
◇◇◇◇◇◇◇
新しい杖を使いながら、1時間ほどかけて、ぬかるんだ地面の森を抜けた。
「…………」
崩落現場についた僕は、そこに広がっていた惨状に言葉を失う。
巨大な壁面が崩落し、流れ出した大量の土砂が、近くの森の木々たちをなぎ倒していた。
土から逆さまに生える木の根。
それは、まるで助けを求める誰かの手のように見える。
崖の近くには、5メートル、あるいは10メートル以上の大きさの落石も転がっていた。
慎重に、土砂の中を進む。
(……登れる、かな?)
見上げる崩落部分は、高さ50メートルほどまではなだらかな斜面になっている。けれど、その先の50メートルは、また切り立った垂直の崖になっていた。
もっと近くで見ないと、その崖を登れるかはわからない。
僕は、足を踏み出そうとして、
「……?」
妙な臭いに気づいた。
何だか生臭い臭いが、周囲に漂っている。
発生元は、恐らく、あの大きな岩の裏側だ。
(なんだろう?)
僕は何の気なしに、その大岩の裏側に回ってみた。
ビチャッ
靴の裏が、紫色の液体を踏む。
「…………」
僕の足が止まった。
足元に広がる土砂一面に、紫色の粘液ような液体が撒き散らされていた。
その中心。
その紫の粘液の中に、巨大な怪物の死体が横たわっていた。
体長は、9~12メートル。
赤い皮膚をした、四足歩行の鰐みたいな怪物だった。
太い首にはたてがみがある。
その下顎からは、2メートル以上ある曲がった牙が2本、特徴的に生えていた。片方の先端は、なぜか赤く染まっている。
臭いの元凶は、これだった。
(……何だよ、この怪物は?)
震えながら、僕は近づいた。
赤い皮膚に触れる。
とても硬くて、まだ、ほんのり温かい。少し前まで、この怪物は生きていた証拠だ。
(……もしかして、崖崩れに巻き込まれて、死んじゃったのかな?)
最初は、そう思った。
でも違った。
赤い皮膚には、たくさんの切り傷が開いていて、そこから紫色の血液が流れている。頭部には、致命傷らしい大きな傷もあった。
つまり『何か』が、この怪物と戦って殺したんだ。
「…………」
その事実に、背筋が凍える。
コン コン
この怪物の皮膚は、とても硬質だ。叩くと、まるで岩みたいな感触と音だった。
(……こんな皮膚を切り裂けるなんて)
いったい、相手は、どんな恐ろしい化け物だったんだろう?
そう思って、ようやく気づいた。
もしかしたら、この怪物を殺した『何か』は、まだ近くにいるかもしれないんだ。
慌てて、周囲を見回す。
広がる土砂に、地面に突き刺さった大きな落石たち。
遠くには森の景色。
特にそれらしい存在は見つからなかったけれど、臆病な僕の心は落ち着かなかった。
「い、一度、塔に戻ろう」
僕は死体に背を向けて、急ぎ足に歩きだそうとする。
その時だ。
僕の視界の中、少し離れた土砂の地面の中から、白い何かが生えているのが見えた。
それは5本の指を携えていて、
「え……人の手!?」
愕然とした僕は、慌てて駆け寄った。
それは間違いなく、人間の白い手だった。
急いで、土砂を掘り返す。
ガッ ガッ
白い手は、白い腕に繋がり、やがて、人の上半身が現れた。
(……女の人だ)
泥に汚れているけれど、端正な顔立ちをした女の人だった。
意識を失っているのか、まぶたを閉じていて、その美貌の上に深緑色の長い髪が、柔らかくかかっている。
「だ、大丈夫ですか? しっかり!」
声をかけながら、脇の下に両手を通して、土砂の中から必死に引きずり出した。
ズルッ ズズズ……ッ
ようやく全身を出せた。
(よかった)
安堵したのは、束の間だった。
その女の人は、白い鎧を身に着けていて、その全身に傷を負っていた。
擦り傷、打撲は言うに及ばず。
特に足は両方とも、膝とは違う箇所で折れ曲がり、有り得ない方向を向いてしまっている。
何よりまずいのは、右の脇腹だ。
その部分の金属鎧には、大きな穴が空いていて、その奥の傷口から流れる血が止まらない。
(……ど、どうしよう?)
ここは異世界の森だ。
救急車も呼べなければ、医療品もなく、僕には医学的知識も技術もない。
ハァッ ハァッ
苦しそうな美貌。
僕は泣きそうな思いで、ただ、その人の手を握り締めることしかできなかった。
ご覧いただき、ありがとうございました。




