435・キルトの旅立ち
第435話になります。
よろしくお願いします。
翌日、僕らは『イルティミナさんの家』の庭へと集まった。
空は快晴。
美しい晴天だ。
太陽の輝きに青い瞳を細めて、僕は、ゆっくりと視線を落としていく。
「…………」
目の前には、銀髪の美女が立っていた。
キルト・アマンデス。
僕の剣の師匠にして、この国最強の……いや、この世界最強の『金印の魔狩人』の女性だ。
彼女の手には、木剣がある。
僕の手にも、同じく木剣が握られていた。
僕らは、これまでの日々と同じように、イルティミナさんの家の庭で向き合っていた。
周囲では、イルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんが、僕らの最後の稽古を見届けるために、家の縁側に座って見守ってくれている。
夏の風が吹き抜ける。
涼やかで、気持ちのいい風だ。
それに豊かな銀髪を揺らしながら、キルトさんが微笑み、告げた。
「では、始めようかの」
「うん」
僕は頷く。
そして僕らは、手にしていたそれぞれの木剣を正眼に構えた。
まるで鏡のように。
師匠と弟子として、同じ動きで、同じ構えを取った。
チリッ
空気が暑さを忘れ、冷え込んでいく。
お互いにぶつけ合う闘気が、周囲の景色を陽炎のように揺らめかせる現象が起きていた。
剣の腕では劣っていても、気持ちも負けるわけにはいかない。
(……いや、違う)
今日だけは、絶対に勝つ。
それが、これまで僕を剣士として育ててくれたキルトさんへの最大限の恩返しなんだ。
僕は意識を高める。
そして、
「――神気開放」
その言葉を口にした。
同時に、全身に熱い神気が流れ、髪の中からピンと立った獣耳が、お尻からはフサフサした尻尾が生えていく。
「ほう?」
キルトさんは、小さく笑った。
嬉しそうに。
そして、何かを期待するみたいに。
僕も笑った。
それから、お互いに表情を消して、剣のみに意識を集中する。
ここから先は、言葉は不要だ。
語るべき言葉は、思いは、全て、自分たちの手にある木剣を介して行えばいいのだから。
(さぁ、行くぞ)
手にした木剣を、僕は、ゆっくり上段へと構えた。
◇◇◇◇◇◇◇
3年前の僕は、『神狗の本能』によって強さを渇望していた。
キルトさんは、そんな僕を見かねて、その強さを与えるために『剣』を教えてくれた。
その最初に教えられた『剣』。
それが、上段からの振り落としだ。
初めて見た時の衝撃を、今でも覚えている。
全ての動作と意識が剣技のみに集約されている、無駄のない、本当に美しい『剣』だった。
あぁ、『剣』とは、こんなに美しいものなのか……たった一振りで、僕は、その輝きに完全に魅了されていた。
そして、その輝きを追い求めた。
僕が、どこまでそれに近づけたかは、わからない。
でも、
(今こそ、その『剣』に追いつく時なんだ)
僕は集中する。
キルトさんは木剣を正眼に構えたまま、微動だにしていなかった。
お互いの呼吸が重なる。
(――今)
その瞬間、僕は『神狗』の脚力で大地を蹴って、キルトさんへと全力で襲いかかった。
シュッ
キルトさんの突きが、迎撃に来る。
それを『神狗の動体視力』で確認しながら、僕は踏み込んだつま先の角度を僅かに変えた。
その微小の変化で、突きをかわす。
紙一重の見切り。
懐に飛び込んだ僕は、そのまま、自身の最強の剣技である『上段からの振り落とし』を放った。
ヒュオッ
キルトさんは木剣から片手を放し、半身になってあっさりとそれを回避した。
(あはっ)
心の中で笑ってしまった。
自分の一番自信のある剣技が通用しない事実に、けれど、それでこそキルト・アマンデスだという嬉しさに、なぜか笑ってしまったんだ。
そのまま互いの位置を入れ替え、僕とキルトさんは、また向き合う。
「…………」
「…………」
まだ終わりじゃない。
今度はキルトさんの方から、じわりじわりと間合いを詰めてきた。
(来い!)
僕は木剣を正眼に構えて、それを待ち受けた。
◇◇◇◇◇◇◇
僕とキルトさんの剣の応酬は、それからも続いた。
師匠と弟子。
長年、お互いの剣を見てきたから、次に相手が何をしようとしているのか、すぐにわかってしまう。
カッ ゴキッ ガギィン
間合いを変え、剣技を変え、木剣をぶつけ合い、かわし合う。
僕が『神狗』となったことで、身体能力はほぼ互角だ。
あとは、心と技。
剣技は、キルトさんが1歩も2歩も先を行っている。
でも、心だけは負けない。
少なくとも今の僕は、かつてないほどに集中できていて、信じられないほど思った通りに自分の肉体を操作できていた。
それが、技の差を埋めてくれている。
そんな気がした。
キルトさんの木剣と、僕の木剣がぶつかり合う。
…………。
そのたびに、不思議と、キルトさんが僕の成長を喜んでいるのが伝わってきた。
(まだだよ)
僕は、自分の剣にその意思を乗せる。
まだ勝敗は決していない。
僕は、キルトさんに善戦して満足なんてしない。
(……僕は、勝利を目指しているんだっ!)
その思いを込めて、木剣を叩きつけていく。
ガッ ガギィン
キルトさんが防戦に入った。
流れが自分に来たことを直感して、僕は、一気に攻勢を強める。
ガッ ゴツッ ガゴンッ
キルトさんは必死に耐える。
どれほど剣を振るっても、あと1歩、彼女の肉体までは届かない。
(我慢比べだ)
僕がこのまま押し切れるのか、それとも、キルトさんが耐え切るのか、その勝負になっていた。
…………。
…………。
…………。
長いような、短いような、不思議な時間が過ぎた。
僕は攻める。
キルトさんは守る。
その状況は、ずっと変わらなかった。
だけど、僕には『神狗』としての3分間のタイムリミットがあったんだ。
(もう時間がない)
だから、僕は最後の賭けに出た。
攻勢を止める。
ピクッ
剣士としての条件反射で、キルトさんは、思った通りに反撃に来た。
僕は、そこにカウンターを合わせる。
僕の仕掛けた罠だ。
きっとキルトさんは、その罠をわかっていただろう。
反撃しないで、僕のタイムリミットを待てば、彼女の勝利は揺るがなかったはずだ。
でも、キルトさんは、その誘いに乗った。
罠を食い破る。
その意思が伝わる。
弟子である僕の挑戦に、師匠として応えるために、あえて危険を承知で罠に飛び込み、反撃をしてくれたのだ。
それに感謝と敬意を覚えながら、
(僕が勝つ!)
自分の勝利を信じて、僕は木剣を振るった。
…………。
…………。
…………。
気がついたら、青空が見えていた。
(あれ?)
自分が地面に仰向けに倒れているのを、そこで、ようやく自覚した。
鈍い痛みが、頭部にある。
そんな僕の視界の中に、煌めく銀髪を揺らしながら、キルトさんの美貌が覗き込んできた。
「大丈夫か?」
……あぁ、そうか。
(僕は……負けたんだ)
最後の勝負に出たけれど、その賭けには敗れてしまったみたいだ。
…………。
そうか。
その事実に、けれど悔しさはあまりなくて、妙な納得感だけが残っていた。
自分の全てを出した、その感覚がある。
それで届かなかったのだ。
なら納得してしまうよね。
キルトさんの手が伸ばされてきて、僕は、その手を掴む。
グッ
あっさりと身体を起こされた。
ん……。
気づけば、耳も尻尾もなくて、もう『神体モード』も解除されているみたいだった。
僕は、息を吐く。
キルトさんの手が、そんな僕の髪を優しく撫でた。
「強くなったの、マール」
そう微笑んだ。
それはお世辞でも労いでもなく、彼女の感じた事実を伝えてくれたのだと、なんとなくわかった。
……うん。
「ありがと、キルトさん」
僕も笑った。
結局、僕は、師匠であるキルト・アマンデスに勝つことはできなかった。
情けない。
でも、それに安心している自分もいた。
キルトさんは、僕にとっての憧れの人だから。
ずっと。
それは、ずっと変わらない。
そんな僕を見つめて、
「そなたは、これからも強くなる。わらわは、そなたの師となれたことを誇りに思うぞ、マール」
キルトさんは、そう言ってくれた。
…………。
なぜだろう?
その言葉が胸の中にストンと入り込んできて、なぜか、目から涙が溢れてきてしまった。
慌てて、腕で目元を擦る。
キルトさんは、驚いた顔をした。
すぐに小さく苦笑すると、僕の頭を、その胸に抱き寄せてくれた。
柑橘系の、甘やかな匂いがする。
キルトさんの匂いだ。
これからしばらく会えなくなってしまう彼女の匂いだった。
それを思ったら、余計に涙が止まらなくなってしまった。
困ったな。
イルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんも、僕らの方へとやって来る。
「よしよし」
ポンポン
その間もずっと、幼子をあやすように、キルトさんの手が僕の背中を叩いていた。
◇◇◇◇◇◇◇
最後の稽古から、10日が過ぎた。
キルトさんは、各方面へと冒険者を引退する報告と挨拶、引継ぎなどを済ませて、ついに旅立ちの今日を迎えた。
僕らは、王都にある竜車と馬車の乗降場に集まっていた。
「ふむ、良い天気じゃの」
青い空を見上げて、キルトさん。
そんな彼女は、黒い全身鎧に『雷の大剣』とサンドバッグみたいな荷物を背負うという、冒険者の頃と変わらない格好だった。
でも、その姿も今日で見納めだ。
見送りは、僕、イルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんの4人だ。
ムンパさんを始めとした他のみんなとのお別れは、もう済ませてあるんだ。
「キルト……」
ソルティスが名残惜しそうに名を呼ぶ。
そんな少女に気づいて、キルトさんは、白い歯を見せて笑った。
手を伸ばし、頭をクシャクシャと撫で回す。
「そんな顔をするな、ソル。ちと、あちこちを旅して回って来るだけじゃ。何も今生の別れではないのじゃぞ?」
「……そうね」
頷くソルティス。
でも、寂しそうな表情は変わらなかった。
キルトさんは、困った顔をする。
うつむいているソルティスの背中に、ポーちゃんが小さな手を触れさせた。
「…………」
幼女の蒼い瞳が、キルトさんを見つめる。
コクッ
大きく頷いた。
それを見て、キルトさんも笑った。
「ソルを頼む」
ポーちゃんは、もう一度、頷く。
イルティミナさんは、妹の様子を見つめ、それからキルトさんへと真紅の瞳を向けた。
「どうか、達者で」
「うむ」
キルトさんは頷いた。
大人の2人は、それだけの挨拶みたいだ――と、僕はそう思ったんだけど、
「キルト」
不意にイルティミナさんが、意を決したみたいに口を開いた。
「ん?」
キョトンとするキルトさん。
そんな彼女に、
「10年前、私とソルを助けてくれたこと、本当に感謝しております。ありがとうございました」
「…………」
突然の謝意に、キルトさんは驚いた顔をした。
彼女は苦笑して、
「10年も経ってか……」
そう呟いた。
イルティミナさんは、少しだけ居心地が悪そうに笑って、「10年経ったからですよ」と言った。
キルトさんは頷いた。
「そなたら姉妹に会えた運命に、わらわも感謝しておるよ」
ポンッ
自分より背の高いイルティミナさんの頭に、白い手を乗せる。
10年前は、きっとイルティミナさんの方が背が低くて、キルトさんは今と同じ仕草を何度もしていたのだろうと思わせた。
僕の知らない2人の時間。
それが感じられたんだ。
イルティミナさんの頭から手を放したキルトさんは、その黄金の瞳を、最後に僕へと向けた。
「…………」
「…………」
僕らは見つめ合う。
でも、語るべきことは全て、先日の稽古で剣に乗せて語った気がした。
だから、言うべきことはなかった。
キルトさんも同じだろう。
お互いの思いが伝わって、僕らは、笑い合った。
クシャッ
キルトさんは、自分の豊かな銀髪を、少し乱暴に手でかいた。
それから、
「マール」
僕の名を呼びながら、1歩、僕へと近づいた。
(ん?)
僕は、彼女を見上げる。
キルトさんは、僕の顔を見つめた。
その瞳が伏せられて、ふと顔が落ちてくる。
(ん)
唇が触れあった。
……え?
キョトンとなる僕。
イルティミナさんとソルティスの姉妹は、ギョッとした顔で硬直し、ポーちゃんは『お~』と声を出さずに口を開けていた。
(え? え?)
戸惑う僕を、キルトさんは、かすかに赤くなった頬で見つめた。
それから、悪戯っぽく笑う。
「餞別じゃ。確かにもらったぞ」
え?
「あ、うん」
あまりに明るく言われたので、僕は思わず頷いてしまった。
「キ、キキ、キルトォ……?」
イルティミナさんが震えた声を出す。
にじり寄ろうとする彼女を見つけて、キルトさんは「おっと」とわざとらしく何かに気づいた顔をした。
「そろそろ、竜車の出発時間じゃな」
ザッ
荷物を背負い直すと、後ろへと踏み出す。
そのままクルッと回転して、こちらへと背を向けると、乗降場に止まっている竜車の1つへと向かって歩き始めた。
唖然とする僕ら4人を振り返って、
「では、またの!」
楽しそうに片手をあげる。
その姿は、乗降場に集まった人の中に、あっという間に消えてしまった。
僕らは呆気に取られていた。
まるで、夏に吹いた涼やかな風にさらわれたように、キルトさんは行ってしまった。
(……あはは)
僕は苦笑する。
それも、キルトさんらしいかな?
ソルティスも同じような顔で苦笑いを浮かべ、ポーちゃんはいつもの無表情で、キルトさんの消えた方向を見つめていた。
ムギュッ
イルティミナさんは、僕を背中側から抱きしめる。
「……全く、キルトはもうっ」
怒ったような声。
でも、そこには少し切なそうな響きも宿っていた。
(……うん)
僕は、そんな彼女の手に、自分の手を重ねた。
ふと視線をあげる。
頭上に広がる青空には、煌めく太陽と真っ白な入道雲が見えていた。
その輝きに、僕は青い瞳を細める。
とある夏の日、キルト・アマンデスという銀髪の美女は、こうして僕らの前から姿を消して、この広い世界へと旅立っていったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
キルトは旅立ってしまいましたが、いつかまた戻ってきますので、皆さん、どうか安心してその時を待ってやって下さいね。
また次回からは、『番外編クオリナの休日』を11話ほどお届けします。
こちらは、なんと全編クオリナ視点の物語になっています。(書籍マール以外で、初めてマール以外の視点の文章です!)
実は、書籍2巻でまっちょこ様にクオリナのイラストを描いてもらったのがあまりに素敵で、ついつい書きたくなって、本当に書いてしまいました♪
もしよかったら、どうか次回からもまた読んでやって下さいね~!
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。