046・旧街道の終着へ
第46話になります。
今話で、旧街道での物語は、ようやく終わりとなります。
よろしくお願いします。
――夜が明け、そして、朝が来た。
(今日も、いい天気だなぁ)
旅立ち3日目の今朝も、天気は快晴だった。
東の山脈から、太陽が顔を出し、早朝の空は、どこまでも青く澄んでいる。
遠くから、鳥の鳴き声が聞こえてくる。
僕はそれを聞きながら、毛布の中で寝返りを打って、
(あれ? イルティミナさんは?)
そばに彼女の姿がなくて、驚いた。
実は、昨夜の僕は、久しぶりにイルティミナさんの抱き枕にされたんだ。
「……一緒に寝てもいいですか、マール?」
と不安げに聞かれて、「やだ」なんて言えない。
特に、あんな話のあとだから、今夜は、彼女の好きにさせてあげようと思ったんだ。
……いや、僕も嬉しかったのは、否定しないよ?
イルティミナさんの大人な身体は、柔らかくて、温かくて、いい匂いがするから。
でも彼女は、まるで僕がいることを確かめるように、何度も撫でたり、匂いを嗅いだりしてきて、ちょっとくすぐったくて、恥ずかしかった。まさに飼い主に可愛がられる子犬の心境を味わったよ、うん。
でも、そんな彼女の姿が、今はなかった。
ちょっと慌てて、身体を起こす。
(あ、いた)
すぐに見つけて、安心した。
イルティミナさんは、とっくに起きていて、もう出発の準備をしていたんだ。
もちろん、キルトさんとソルティスも起きていて、彼女と一緒にキャンプ道具を片づけている。
みんな、本当に早起きだね?
そして彼女たちも、こちらに気づいた。
「おはようございます、マール」
「ようやく起きたの? おそよー、ボロ雑巾」
「うむ。よう眠れたか、マール?」
3人の笑顔は、なんだか、昨日までより眩しかった。
それに青い瞳を細めて、
「おはよう、みんな」
僕も、一緒に笑ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
太陽の位置から見て、今は6時ぐらいかな?
みんなで簡単な朝食を済ませて、僕も着替えた。
キャンプ道具も片づけ、焚き火の始末もして、僕らの出発の準備は、ほとんど終わっている。
(でも、向こうはまだかな?)
視線を送った先には、また別の焚き火があった。
そばでは、御者さんたちが、キャンプ道具を片づけている最中だ。3人連れの親子と巡礼者さんの一団は、お客様なので、出発まで丸太の椅子に座って、休んでいる。
そんな彼らの周囲には、クレイさんの仲間が、魔物などが出ないか、見張りに立っていた。
(出発まで、もうちょっとかかりそう)
ま、のんびり待つかな?
野盗やオーガは、もういないんだ。今の僕には、心の余裕が、たっぷりある。
(ん?)
その時、向こうから2人の人影が、こちらに近づいてきた。
あれは……クレイさんとシャクラさん?
「おはようございます、キルトさん、皆さん」
「おぉ、クレイか」
キルトさんは、手にしていた荷物を地面に置いて、立ち上がる。
僕も、彼に駆け寄った。
「おはよう、クレイさん」
そして、彼の右腕を見つめ、それから、彼の顔を見上げる。
「腕は、もう大丈夫なの?」
「あぁ、お陰様でね」
彼は笑って、肩を回したり、僕の前で、右手を閉じたり、開いたりしてくれる。
その動きに、ぎこちなさはなく、ちゃんと力も入っているようだ。
(あぁ、よかった)
見ていたイルティミナさんとソルティスも、頷いている。
「後遺症もなさそうですね」
「私が治したんだから、当たり前よ。――ほら、尊敬していいのよ、クレイ?」
偉そうな少女の物言いに、クレイさんもシャクラさんも、ちょっと苦笑いをしていた。
話を聞くと、今から30分ほど前に、クレイさんはようやく意識を取り戻したらしい。そこで仲間から話を聞いて、急いで、僕らの元へ来てくれたのだそうだ。
そして、2人は頭を下げる。
「この度は、本当にご迷惑をおかけしました。キルトさんたちがいなければ、全員、無事では済まなかった」
「ふむ。しかし、仕方なかろう」
キルトさんは、鷹揚だ。
2人の頭を上げさせ、落ち着いた声で言う。
「20人規模の野盗と聞いていたが、実際には、その倍はいたのじゃ。さすがに5人で対処できる数ではない」
そう。
戦闘中は、無我夢中で気づかなかった。
でも、あとで死体の数を数えたり、イルティミナさんたちの証言からわかったんだけど、襲ってきたのは40人近い野盗だったんだ。
(前提となる情報が間違ってるって、ちょっと酷いよね?)
誤情報を掴まされるし、馬車ギルドからは護衛の人数を絞られるし、オーガに右腕も取られるし、クレイさんって、もしかしたら運が悪い人なのかもしれない。
――でも彼は、とても誠実な人だった。
「いえ、例えそうでも、自分たちは護衛です。なんとしても、皆さんを守らねばなりませんでした。――ですので、今回の自分たちの報酬は、全て、キルトさんたちにお譲りします」
(えぇ!?)
僕は驚き、3人は顔を見合わせる。
でも、クレイさんの表情は真剣だった。
隣のシャクラさんは、少し心配そうだったけれど、クレイさんの決断に反対はしない。
そして、呆れていたキルトさんは、きっぱり言った。
「いらぬ」
「ですが――」
「勘違いをするな、クレイ。今回、わらわたちも戦ったのは、自分たちの護衛依頼を果たすためぞ?」
「……え?」
クレイさんは、驚いた。
僕も驚く。
(自分たちの、護衛依頼?)
戸惑う僕の顔へと、キルトさんの白い人差し指が向けられる。
「このマールの依頼でな。王都ムーリアまで、無事に行けるようにと雇われた」
「マール君に?」
「うむ。前払いで、報酬ももらっておるぞ」
そういえば、
(メディスで交渉した時、そんな話になったっけ)
今更、僕も思い出す。
イルティミナさんは、自分の胸元を――服の内側にある灰色の魔法石を触りながら、大きく頷き、ソルティスは「そうだっけ?」とか呟いている。
そして、クレイさんとシャクラさんは、僕を凝視していた。
「金印の魔狩人を、護衛に雇えるなんて……君は、いったい?」
「あはは……」
そりゃ、王国トップ3の1人を、こんな子供が雇ってたら驚くよね?
多分、一般人が頼んでも、『金印の魔狩人』は依頼を受けないと思う。
そうなると、僕の正体は、身分を隠した大貴族の息子か、あるいは王家の隠し子か……なんて話になるのかもしれない。
(でも、ただの子供なんだよね、僕)
あとは、転生して、ちょっと記憶がないくらいかな?
イルティミナさんに出会えた幸運で、こうして、キルトさんやソルティスとも一緒にいられるけど、実はそれだけの奴なんだ。
誤魔化し笑いをする僕に代わって、キルトさんが言う。
「わかったな、クレイ? わらわたちは、単に降りかかった火の粉を払っただけ。そなたらの報酬を、もらう理由はない」
「しかし――」
「それに、そなたは前もって、万が一の可能性を、わらわたちに話していたではないか? きちんと筋は通しておる。そして王都大橋の前で、そなたは『メディスに戻る』よう提案した。『旧街道を通る』ように強引に決めたのは、こちらじゃ」
「でも、俺たちは護衛として――」
パンッ
納得しないクレイさんの右腕を、キルトさんは、軽く叩いた。
「こうして、皆、無事だった。――それで良かろう?」
「――――。はい」
彼は、唇を噛みしめ、深く頭を下げた。
隣のシャクラさんも、金髪を肩からこぼして、恋人と同じように頭を下げていた。
(さすが、キルトさん)
早朝の空の下、僕は清々しい気持ちで、そんな彼らの姿を眺めていた――。
◇◇◇◇◇◇◇
キルトさんとの話が終わって、クレイさんたちは、向こうへと戻ろうとした。
「あの、クレイさん?」
「ん?」
そんな彼を、僕は引き留めた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「聞きたいこと、かい?」
彼は、不思議そうに僕を見る。
突然のことに、イルティミナさんたち3人は、ちょっと驚いた顔をしている。
本当に聞くか、少し迷った。
でも、僕は深呼吸してから、彼を真っ直ぐに見つめて、
「クレイさんは、イルティミナさんたち『魔血の民』のこと、怖くないの?」
率直な疑問を、彼にぶつけた。
口にしてはいけない質問かもしれない。
でも、彼は、キルトさんのことを最初から尊敬してるみたいだったし、今も、その態度は変わらなかった。
そして、この世界にあるだろう差別や迫害を、僕は、ちゃんと知りたかった。
される側ではなく、する側の『人間』たちの言葉も聞きたかったんだ。
僕の言葉に、イルティミナさんたち3人は、表情を強張らせる。
クレイさんもシャクラさんも、驚いていた。
(ごめんなさい、酷いことを聞いて……)
心の中で謝り、でも、僕は彼を見つめて、答えを待った。
その目を見つめ返して、クレイさんは、表情を改める。
そして、
「怖くないよ」
と言った。
シャクラさんも、隣で頷く。
正直、嬉しかった。
とても。
でも、
「どうして?」
僕は、彼の後ろを見た。
その先にある焚き火の近くには、今も、3人を怖がる人たちがいる。
別に『魔血の民』だから、怖がっているわけではないかもしれないけれど、それでも、僕はそこに、その差別や迫害の『黒い影』を重ねて見ていた。
クレイさんは、僕の視線を追いかけ、ようやく納得した顔をする。
それから、頷いた。
「そうだね。そういう人たちも、確かにいる」
「うん」
「でも、世の中全てがそういう人じゃない。良き友人として、理解している人も大勢いる。ただ、そうじゃない人の方が、なぜか声が大きいんだ」
……それは、人を攻撃する行為だから?
相手を傷つけようとするから、その力を強めようとして、それで大きな声になるのかな?
「でも、小さな声にも耳を傾ければ、きっと聞こえる」
「うん」
だから、クレイさんの声を聞きたい。
僕の視線に、彼は頷いて、
「そうだね、俺が怖くない理由は、やっぱり冒険者だからだろうね」
「冒険者が理由?」
「あぁ」
彼は、キルトさんたちを見る。
「彼女たちのように『魔血の民』は、僕ら『人間』と比べて、とても戦闘力が高いんだ。戦士としても、魔法使いとしても」
「うん」
「だからかな? 『魔血の民』は、よく冒険者になる。もちろん差別で、他の職には、なかなか就けないのも理由だろうけど、でもそれで、同じ冒険者をしていると、彼らとの接点も多くなるんだ」
一度、シャクラさんを見て、そして、僕に笑った。
「それに、俺たちの友人にも、『魔血の民』はいるんだよ」
「友だち?」
「あぁ、友だちだ」
すがるような僕の声に、彼は、はっきりと頷いた。
(あ……)
なんか、その一言だけで、心が救われた気がした。
見たら、イルティミナさんたちの表情も、さっきとは違っている。
そこには、柔らかな光があった。
「そうなんだ? やっぱり強い?」
「あぁ、強いな」
「でも、きっとイルティミナさんの方が強いよ」
ちょっと負けず嫌いが出た。
でも、クレイさんは笑って、大きく頷いた。
「そうだな。彼女の方が強いかもしれない。でも、彼も努力家だ。いつかは追いつくかもしれないぞ?」
「…………」
「2人に負けないように、俺たちも精進しないとな」
ひょっとしたら、差別や迫害の根には、嫉妬もあるのかな?
『魔血の民』は、自分たちよりも優れた人たちだから、自信のない『人間』たちは、余計に反感を覚えるのかもしれない。だから、攻撃して自分より下にしておきたくて、そうやって自分を守って、心を安心させたいのかもしれない。
(そんな単純じゃないかもしれないけど……)
でも、悪魔の血を引いているから、というのが理由なだけではない気がした。
僕は、クレイさんを見つめる。
彼のような存在がいるのは、とても救われる気分だった。
「クレイさんは、いい人だね」
「ん?」
「ありがと」
つい、お礼を言ってしまった。
彼はキョトンとしたけれど、すぐに笑った。
「お礼を言うのは、こちらだよ」
「え?」
「危うく、忘れるところだった。――シャクラ、あれを」
(???)
戸惑う僕に、彼は言う。
「マール君、これを君に受け取ってもらいたい」
クレイさんの言葉と共に、シャクラさんが僕の前に来て、その白い手に持った何かを差し出してくる。
それは、左腕用の『白銀の手甲』だった。
手の部分は、手袋になっていて、先端からは、指が出るようになっている。
手の甲から肘までが、白銀に輝く金属製の装甲に覆われていて、手首と肘付近のベルトで固定する構造だ。手首外側の関節部には、緑色の魔法石が埋め込まれ、周辺の装甲には、不思議な文字と紋様が刻まれている。
「これは?」
僕は、『白銀の手甲』とクレイさんたちの顔を、交互に見比べる。
イルティミナさんたち3人も、興味深そうに、横から覗き込んでいた。
「右腕を治してくれたお礼だよ。君の持っていた『癒しの霊水』を、俺の治療のために使わせてしまったと聞いた」
「え? でも」
治したのは、ソルティスだ。
そう思って、彼女を見る。
でもソルティスは、小さな肩を竦めて、
「私、魔法使っただけだし、何も失ってないもの」
「…………」
「それに『癒しの霊水』がなかったら、後遺症もなく治せたかは、自信ないわ。そこは、アンタの手柄」
クレイさんは、自分の右腕を左手で押さえた。
その右手を見つめ、
「あの瞬間、俺は、これから片腕になると覚悟した。つまり、冒険者でいられなくなるということだ」
「…………」
「でも、こうして今、指まで動かせる。違和感もない」
彼は、僕を見た。
精悍な顔にある、その切れ長の瞳には、深い感謝があった。
「ありがとう、マール君。君のおかげで、俺は、まだ冒険者でいられるんだ」
「……クレイさん」
『癒しの霊水』は、あれで空っぽになった。
でも、その代り、僕の心は、温かい何かで満たされた気がした。
(本当に、僕は何もしてないけど……)
でも、その感謝の気持ちを、受け止めたいと思ってしまった。
シャクラさんが僕の前に、膝をつく。
その細い手で、僕の左腕に、その『白銀の手甲』をつけようとしてくれる。
その様子を見ながら、クレイさんが言う。
「元々、それは、彼女の使っていた装備なんだ」
「――――」
エ、エルフ装備!?
「今は、手持ちも少なくて、それしか渡せる物がないんだ。使い古しですまない」
「いえ、全然! むしろ、これがいいです!」
全力で断言する。
クレイさんは、「そ、そうか?」と驚いたけど、すぐに安心したようだった。
シャクラさんに装備させてもらったそれを、僕はじっくりと眺め、そして朝日にかざすように持ち上げる。
(うわ、綺麗……)
白銀の輝きは、キラキラと反射して、見つめる僕の瞳を照らしている。
「そなたら、本当に良いのか?」
「はい。サイズが合わなくなって、シャクラも使えなかったんです。マール君の腕にピッタリで、よかった」
キルトさんの問いに、彼は笑い、シャクラさんも頷く。
ソルティスが「ふぅん」と呟いた。
「でも、ここに刻まれてるのって、精霊の紋様でしょ? もしかして、この装備、精霊魔法が使えるの?」
「え? 精霊魔法?」
僕は、キョトンとする。
少女は、そんな僕に見せるように、自分の大杖を突き出して、
「私が使うのは、タナトス魔法。精霊魔法っていうのは、エルフたちがよく使う、自然界の力を用いた特殊な魔法よ」
なんと、エルフ魔法!?
感動する僕の前で、クレイさんは、魔法使いの少女に向かって、大きく頷いた。
「よく知っているね。これには、『大地の精霊』の加護が与えられている。精霊と交信できれば、マール君も、その力を使えるはずだよ」
「そ、そうなの?」
「難しいと思うけどね。精霊と交信なんて、私にも無理だもん」
いや、エルフの魔法だ。
「僕、がんばる! ――ありがとう、クレイさん、シャクラさん!」
僕は、感謝を込めて、2人と握手する。
それから天に向かって『白銀の手甲』を突き上げ、「やるぞー」と希望に燃えてみた。
そんな子供に、2人は微笑ましそうに笑う。
ソルティスは『ま、お好きにどうぞ?』と肩を竦め、キルトさんは苦笑しながら、「すまんな」と改めて2人に、まるで僕の保護者のようにお礼を言っていた。
そして、ふと見たら、イルティミナさんは、ちょっと焦ったような顔で、なぜか自分の荷物や装備を漁っている。
「……私も、何かマールにあげられる物は……」
…………。
いや、イルティミナさんには、もう『マールの牙』を貸してもらっているからね?
――そうして、楽しかった早朝の一幕も終わる。
クレイさんたちは、仲間の元へと戻っていき、やがて全員の出発準備は整った。
「では、行くとするか」
「うん」
「はい」
「さっさと王都に行きましょ」
そうして、僕らは竜車に乗り込み、灰色竜は、僕らの乗る竜車を引いて、ゆっくりと動きだす。後方からは、もちろん、2台の馬車と竜車も続いている。
ゴトゴト
座席で揺られながら、窓の外を見る。
早朝の輝きが、僕らの進む旧街道を照らしている。
やがて街道で過ごす時間も、終わるだろう。
そして、王都ムーリアへ、僕らは、もうすぐ辿り着くはずだ――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。
※次話から物語の舞台は、王都ムーリアになります。もしよろしければ、王都でのマールたちの冒険も、見守ってあげてくださいね。よろしくお願いします。




