044・鬼姫キルトVS人喰鬼
第44話になります。
よろしくお願いします。
「クレイさん!」
僕とソルティスは、2台目の馬車前へと向かった。
地面の上には、血痕が広がり、そこに意識のないクレイさんが倒れている。
右肩の傷には、ローブ姿のおじいさんが、緑色の光を放つ杖を押しつけて、必死に止血をしているようだった。
(う……ひどい)
まともに傷口を見て、僕は青くなった。
血に溢れた肉の中に、白い骨が覗いている。そこには神経なのか、血管なのか、筋のような糸状の物も垂れていて、見ているだけで恐ろしい。
強引に引き千切られたから、余計に損傷が激しいみたいだった。
でも、僕とは対照的に、ソルティスは冷静だった。
傷の状態を、しっかりと近くで確認し、
「まだ、いけそうね。――どいて。回復魔法、私が代わるわ」
「す、すまん」
魔法を使い続けて疲労しているのか、おじいさんは、少しフラフラしていた。
代わったソルティスは、緑に光る大杖を、クレイさんの肩に押し当てる。
そのまま、僕に命令した。
「マール。アンタは、コイツの腕、持ってきて」
「え?」
「繋げるわ。――再生させるよりも、早いでしょ?」
「……繋げられるの?」
僕は驚いた。
同じ魔法使いのおじいさんだって、驚いた顔をしている。
ソルティスは、「ふん」と鼻で笑った。
「当たり前でしょ? 私を誰だと思ってるの? ――ほら、急げ!」
「わ、わかった」
慌てて、地面を見回す。
少し離れた場所に、クレイさんの右腕は落ちていた。
そちらへと走る。
間近で見た腕は、血に濡れていて、かじられた跡や肩との接合部の傷もそのままで、ちょっと怖い。
前世も含めて、『千切れた腕』を見るのも触るのも、初めての経験だ。
覚悟を決めて、持ち上げる。
(お、重い……)
想像より、重さがある。
血で滑るそれを抱えて、僕は、急いでソルティスのところに戻る。
視線を走らせれば、そんな僕らの周囲で、クレイさんの仲間が野盗たち相手に奮戦していた。
『馬車にも、クレイにも近づかせない!』
そんな決意の表情で、武器を振るっている。
エルフのシャクラさんも、必死な顔だ。
(がんばってっ。必ず、クレイさんは治すから!)
心で呼びかけ、必死に走る。
「持ってきた!」
「よし。じゃあ、マール、アンタの『癒しの霊水』、肩と腕にかけてやって。その方が、後遺症の可能性は減るし、治りもいいわ」
「うん」
僕は、腰ベルトに下げていた水筒袋を外し、言われた通りにする。
バシャバシャ
光る水をかけた途端、ジュッと白い煙が上がった。
傷の再生が始まったんだ。
「いいわ。――おじいちゃんは、腕と肩をピタッとくっつけて、支えてちょうだい」
「う、うむ」
おじいさんは、白い煙をあげるクレイさんの腕を持ち上げ、彼の肩に押しつける。
「よし。じゃあ、回復魔法を高位レベルに切り替えるわ。一度、魔法が切れるけど、気にしないで」
「わかった」
「頼む、お嬢ちゃん」
光る大杖が離れた途端、傷口から血が溢れだした。
(うわっ!?)
びっくりする僕とは対照的に、ソルティスは、一度、大きく深呼吸した。魔法石の緑の光が強くなり、その輝く大杖を、クレイさんの胸――心臓の辺りに押し当てる。
そして彼女は、歌うように詠唱した。
「勇敢な、この弱き者の傷を癒してあげて。――ラ・ヒーリォム」
魔法石の緑の光が、クレイさんの身体に吸い込まれた。
その輝きが、肩の傷口から溢れだす。
よく見たら、それは細い光の触手のようなものだった。
損傷した部位を繋ぎ、足りない部位には、光そのものが肉や骨へと変質する。
――魔法の展開は、およそ5秒ほどだった。
光が消え、大杖が離れた。
ソルティスは汗にまみれた美貌で、「ふー」と大きく息を吐く。
「オッケー。終わりよ」
呆気ないほど簡単に、クレイさんの腕は繋がった。
おじいさんが、恐る恐る、手を離す。
でも、クレイさんの腕は、しっかりと胴体に繋がっていた。
彼は、驚いた顔をする。
「本当に治っとる……。こんな高位の回復魔法を、まさか、その年で使えるとは……」
「ふふん。尊敬していいのよ、おじいちゃん?」
ソルティスは、得意げだ。
(よ、よかった……!)
クレイさん、腕が治ったよ。
感極まって、僕は、ソルティスに抱きついた。
「ありがと、ソルティス! さすがだよ! 偉い、凄い、僕、やっぱり君を尊敬する!」
「ちょ、マ、マール……っ!?」
ガクガクと揺する。
ソルティスは、なぜか慌てた顔だった。
ガキン ズザザザァ
(!?)
そんな僕らの横に、野盗の1人が吹っ飛んできた。
折れた剣を手にした彼は、白目を剥いて、口から泡を吹いている――どうやら、気絶しているようだった。
「――その者の腕は、治ったようですね」
驚く僕らの耳に聞こえてくる、涼やかな声。
ハッと振り返れば、そこには白い翼の槍を持つ、銀印の美しい魔狩人の姿があった。
「イルティミナさん!」
ポイッ
反射的に、ソルティスを投げ捨て、僕は彼女へと駆け寄った。
「あぁ、マール」
それを見て、イルティミナさんは、嬉しそうに微笑む。
後方からは、「ちょ……ボロ雑巾!」と誰かの怒ったような声が聞こえたけど、どうでもよかった。僕らは一度、抱きしめ合い、それから離れると、急いでイルティミナさんの全身を確認する。
(怪我は……ない!)
よかった。
安心して息を吐いて、笑う。
そして、思い出した。
「あ……巡礼者さんたちの竜車は?」
「大丈夫ですよ。向こうの野盗は、全滅させてきました」
見れば、奥にある竜車の近くには、動く人影は1つもない。
その周りの地面には、人の死体が……あるいは、人の形を留めない残骸が、無数に転がっている。
その惨状に、思わず、唾を呑む。
それを生み出した、恐るべき銀印の魔狩人は、その真紅の瞳を僕の背後へと向けた。
「こちらも、決着がつきそうですね」
「え?」
シャクラさんたちは、まだ戦っている。
でも、静かに告げた彼女の視線は、シャクラさんたちではなく、その奥の戦場へと向けられていた。
ガィン ギィン バチィイン
銀髪をひるがえし、雷の大剣を振るう魔狩人と、凄まじい速度で襲いかかるオーガの恐るべき激闘が、そこにはあった。
激突するたび、雷の青い光が散っている。
「キルトさん……」
「そろそろ、彼女も本気になりますよ」
イルティミナさんは、ポツリと言った。
え?
(本気って……今まで、本気じゃなかったの!?)
唖然とする僕の前で、彼女の真紅の瞳は、かすかな畏怖の感情を秘めて、自分たちのリーダーを見つめていた。
◇◇◇◇◇◇◇
跳躍したオーガが振り下ろす両腕を、キルトさんの大剣が受け止める。
ガギィイイン
岩みたいなオーガの両拳と接触した刀身から、青い稲妻が空中に走った。衝撃で、キルトさんの足元の地面がひび割れ、凄まじい風圧が円形に広がる。
醜い猿のような口元を歪めて、オーガは笑う。
『くはっ……これも当らねえ。お前、本当に強えなぁ?』
「ふん」
オーガの賞賛に、でもキルトさんは、つまらなそうに鼻を鳴らす。
大剣を傾けると、オーガのバランスが崩れ、その腹部を横薙ぎに狙う。ドンッと霞むような速さで後ろに跳躍して、オーガはそれをかわす。
5メートルほど離れて着地し、
『おろ?』
その腹部から、紫色の鮮血が流れていた。
驚いた顔のオーガに、キルトさんは、ため息のように言った。
「もうよい。そなたのことは、よくわかった」
『……あ?』
「力、速さ、なるほど、確かに優れておる。……しかし、それだけじゃ。無駄な動きが多すぎる。しょせん、そなたは、ただ口うるさいだけのオーガに過ぎぬのじゃな」
『…………』
楽しそうだったオーガの表情が、強張っていく。
美しい金印の魔狩人は、大剣を肩に担ぎ、黄金の瞳を細めて、鉄のように告げる。
「――そなたでは、わらわに勝てぬ」
ビキィッ
オーガの両腕の爪が、長く伸びた。
『ははぁ……この俺が、お前より弱いってぇ? なかなか面白いこと、言うねぇえええ!!』
ドンッ
大地が陥没し、オーガの姿がかき消える。
今までで、一番早い突撃。
そこから繰り出される右腕の爪は、大剣を担いだままのキルトさんに、確実に当たると思った。
――でも、違った。
ヒュオ
『あ?』
(……え?)
攻撃が、キルトさんの身体をすり抜けた。
オーガはポカンとし、遠くで見ている僕は、唖然とする。イルティミナさんが「さすが」と、恐れを混じらせながら、短く呟いた。
違う。
すり抜けたんじゃない。キルトさんの足元が、10センチほど横にずれている。
(よけた!?)
黒い巨碗が、白い美貌の頬に触れるほどの最小回避。
その紅い唇が、告げた。
「――今度は、こちらから行くぞ」
『!?』
反射的に、オーガは恐怖を感じて、後方に逃げようとした。
でも、間に合わない。
神業のような見切りによって、2人の距離は、あまりに接近しすぎたんだ。
『くっ!』
振り下ろされる大剣に、オーガは頭部だけは守ろうと、両腕を持ち上げる――瞬間、剣の軌道が、縦から横に変わった。
ザシュッ
『がっ!?』
がら空きになった腹部が、斬り裂かれた。
ドシュッ
思わず、こぼれた内臓を押さえようと黒い腕が下がった瞬間、無防備になったオーガの左目を、繰り出された大剣の刺突が抉る。
ブチチィッ
顔を押さえて仰け反った途端、オーガの巨体を支える両足のアキレス腱が切断された。
べシャン
そのまま仰向けに倒れた黒い巨体の左手を、振り落とされた大剣の重量が叩き潰す。
ゾブゥ
痛みに転がった背中に、逆手に持たれた大剣が突き刺さる。
ズガン ゴロゴロゴロ
悲鳴をあげる横っ面を、大剣の平らな部分がぶっ飛ばした。黒い巨体は、地面の上を、土煙を上げながら転がっていく。
(う、あ……)
声が出なかった。
あの恐ろしいオーガが、一方的に、やられていた。
最後の方は、剣が向かった先に、遅れてオーガの肉体が飛び込んでいき、まるで、自分から当たりに行っているみたいだった。
きっと、キルトさんには、戦いの未来が全て見えていた。そして、オーガの動き全てを、彼女がコントロールしたんだ。
「さすが、鬼姫キルト……」
イルティミナさんが、畏怖に震える声で賞賛する。
僕も、ゴクンと唾を飲んだ。
(これがキルトさんの……キルト・アマンデスの本気!)
けれど、オーガは諦めていない。
無事に残った右腕1本で、巨体を跳ね上げ、血のような右眼で、恐るべき魔狩人を睨みつける。
『ぐはぁ……まだまだぁ!!』
ドゥッ
驚くことに、右腕1本のみで跳躍する。
でも、今までに比べて、その動きはあまりに緩慢だった。
落下地点にいたキルトさんは、ゆっくりと大剣を下段に構え、上空へと振り抜く体勢を取った。
ベキンッ
(!?)
突如、オーガの額に1メートルほどの歪な角が生えた。
その角の先端は、内側から禍々しい紫色の光を放ち、それは渦を巻いて、オーガの全身を包み込む。
「嘘でしょ!? あれ、闇のオーラじゃない!」
ソルティスの驚愕した叫びが響く。
愕然とする僕らの前で、まるで紫の炎をまとったようなオーガが、凄絶に笑った。加速しながら、キルトさんめがけて落下する姿は、まるで紫の炎に包まれた黒い隕石のようだった。
(熱いっ!)
こんなに離れている僕らの肌が、ビリビリと焼けている。
「キルトさん!」
「キルト」
「キルトっ!?」
まずい!
あの闇のオーラの紫炎が放つ高熱に、オーガの肉体は耐えられても、キルトさんの肉体は耐えられない。少しでも触れられた瞬間に、彼女の身体は、燃え散ってしまう。
『くはっ、ははははぁぁああ!!』
勝利を確信して、オーガが高らかに笑う。
闇の紫炎に包まれたオーガが肉薄する中、うつむくキルトさんは、大きく息を吐き――そして、ポツリと呟いた。
「――鬼剣・雷光斬」
バチバチィイ
刀身の内側にあった青い稲妻が、外側へと噴き出した。
美しい金印の魔狩人は、青い輝きに包まれた大剣を、神速の一閃としてオーガに放つ。
バチィイイイイイイン
青と紫2色の凄まじい光が、地上で弾けた。
次の瞬間、青い稲妻によって紫の炎が吹き飛び、その中にいたオーガの巨体が弾き飛ばされる。
ドゴォオ
近くにあった大岩に、黒い巨体が、頭から激突した。
大岩の表面で、蜘蛛の巣のようにひび割れが走り、オーガの血がべっとりと張りつく。そこからズルッと崩れ、仰向けに落ちたオーガの肉体の前面は、赤黒く焼け爛れていた。
大剣を振り抜いたキルトさんの動きに合わせ、美しい銀髪が弧を描くように宙を舞い、背中へと流れて落ちていく。
(す、凄い……)
僕は、震えが止まらない。
赤牙竜ガドを倒した一撃は、あの『闇の紫炎』という全霊をかけたオーガの奥の手さえも粉砕してみせたのだ。
ブォン
大剣を一振りし、キルトさんは、刃についた紫色の血を払う。そして彼女は、大岩の前に倒れたオーガの元へ、悠然と近づいていく。
水分を失い、白く濁った右眼で、オーガは、茜色の空を呆然と見上げていた。
『……こ、れほどか……《魔血》の力ってのは?』
血を吐きながら、彼は呆れたように呻く。
そして、その瀕死の視界に、あの美しい金印の魔狩人の姿が映り込んだ。
オーガは、口元を歪めて、笑った。
『くはっ……さす、が……《悪魔の子》だ。恐れ入った、よ』
「そうか」
キルトさんの美貌は、無表情のままだ。
そんな彼女に向かって、オーガは、黒い右手を弱々しく伸ばす。
『なぁ? 最後に頼みが……あるんだ』
「なんじゃ?」
『死ぬ前に……一口だけでいいから、お前の肉……喰わせて、くれよぉ?』
キルトさんは、小さく笑った。
そして、無言のまま、雷の大剣を天高く掲げる。
それを見上げるオーガは、どこか子供みたいな顔で、『そっかぁ』と残念そうに息を吐いた。
黄金の瞳は、それを見下ろし、紅い唇が静かに口にする。
「そなたの命、このキルト・アマンデスがもらい受けるぞ。――さらばじゃ、オーガよ」
バチィイイイイン
大剣が振り下ろされ、茜色の世界は、再び、迸る稲妻によって青く染まった。
「…………」
「…………」
「…………」
僕ら3人は声もなく、その決着を見届ける。
――たった1人で恐ろしい人喰鬼を狩り殺した、金印の魔狩人キルト・アマンデス。
彼女は、黄金の瞳を軽く伏せ、その焼け焦げた死骸のそばで、ただ1人、銀色の美しい髪を、空を渡ってきた風に長くなびかせていた――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




