389・氷華洞窟
第389話になります。
よろしくお願いします。
ポトルの町を出た僕とイルティミナさんは、2人で街道を北上する。
気温はとても低くて、吐く息は白く染まっている。
でも、大好きな人と一緒にいるからか、僕は、そんな寒さも全然気にならなかった。
(なんだか、2人で散歩デートしてる気分)
そんな感じだった。
イルティミナさんも穏やかな表情で、視線が合うと、僕らはお互いに笑い合った。
やがて、3時間ほど歩くと、
「ここからは、この街道脇の森へと入っていきます」
イルティミナさんがそう教えてくれた。
僕らが歩いてきた街道の左側には、鬱蒼とした森林が広がっていたんだ。
その先には、遠くに雪を被った山脈も見えている。
「行きますよ」
「うん」
僕らは、木々の間を抜けて、その森林の中へと入っていった。
緑の世界を歩いていく。
イルティミナさんの話によれば、あと半月もすれば、この森林も含めた地方一帯は、深い雪に覆われてしまうんだって。
(そうなんだ?)
つまり、モアールの『氷の宝石』を手に入れるのは、今の時期しかないんだね。
これは是が非でも手に入れなきゃ!
自然と気合も入る。
そうして長く森を歩いていくと、木々に包まれた世界に、唐突に地面の裂け目が現れた。
(わっ!?)
幅10メード、長さ50メードはありそうな地面の亀裂だ。
直前まで、全然、気づかなかった。
驚いている僕に、イルティミナさんは、口元を手で押さえて小さく笑っている。
それから、
「これを下った先に、『氷華洞窟』への入り口があるのですよ」
と教えてくれたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
近くの木にロープを縛って、僕らは地面の亀裂の中へと入っていく。
亀裂の深さは、30メードほどだった。
広さのある裂け目だったので、太陽光も差し込んでいて、そんなに暗くはない。
(ゆっくり、ゆっくり)
ギシッ ギシシッ
ロープを軋ませながら、僕らは慎重に降下する。
亀裂の中ほどぐらいの足場に降りて、そこからは、螺旋を描くような傾斜に沿って、ゆっくりと下っていく。
やがて、亀裂の底に辿り着いた。
ヒュォオオ……ッ
周囲の岸壁の一角に、冷たい風を吐き出す裂け目があった。
「あそこです」
イルティミナさんが教えてくれる。
僕は頷いた。
(……あれが『氷華洞窟』の入り口なんだ?)
見た目は、どこにでもあるような洞窟の裂け目にしか見えない。
人里離れた森の地面の亀裂の底にあることもあってか、なるほど『氷華洞窟』の場所は、一般の人には簡単に見つからないはずだと思えた。
僕の横顔を、イルティミナさんは優しく見つめる。
それから視線を洞窟に向けて、
「では、行きましょう」
そう告げると、先頭に立って、真っ黒な亀裂の中へと入っていった。
◇◇◇◇◇◇◇
(寒い!)
洞窟に入って一番に思ったのが、それだ。
外気とは、だいぶ温度差があるようで、洞窟の奥からは強い冷気が風となって吹きつけていた。
ギュッ
防寒ローブをしっかりと身体にまとわせる。
それから、イルティミナさんはランタンを灯し、僕は『光鳥』の魔法を使って、2種類の光源を用意して奥へと進んだ。
コツ コツ
足音が反響する。
入り口は狭かったけれど、進んでいく内に、内部はとても広くなった。
天井までは、高いところで4~5メード。
幅も5メードはありそうだ。
(思ったより広いんだね)
感心しながら進んでいく。
しばらく歩いていくと、洞窟の分岐が現れた。
右へと進む道と、左へと少しずつ下っていく傾斜の道だ。
(どっちだろ?)
僕は、イルティミナさんの横顔を見上げる。
彼女は、少し沈黙し、
「確か、こちらでしたね」
そう言って、左の道を選んで歩きだした。
僕も続く。
(そういえば……)
ふと思い出した。
「キルトさんが言っていたけど、イルティミナさんたちって、前にも『氷華洞窟』に来たことがあるの?」
「はい」
僕の質問に、彼女は頷いた。
「前は『氷の宝石』を手に入れたい王家御用達の宝石商がいて、けれど、『氷華洞窟』には魔物がいるので、私たちに依頼が来たんです。もう5年も前の話でしょうか」
少し懐かしそうに語るイルティミナさん。
(へ~、そうなんだ?)
僕は興味深く、その話を聞いていたんだけど、
ギュッ
突然、イルティミナさんは僕の手を握った。
(え?)
驚く僕に、
「なかなか複雑な経路で、距離もそれなりにあります。どうか、私から離れないでくださいね」
過保護なお姉さんは、そう笑いかけた。
う、う~ん。
(さすがに迷子にはならないよ?)
でも、大好きな人と手を繋げるのは嬉しいので、素直に従う僕なのでした。
◇◇◇◇◇◇◇
それからも、僕らは『氷華洞窟』の中を進んでいった。
イルティミナさんの言葉通りに、途中では何回も分岐があって、上に行ったり、下に行ったり、まるで迷路みたいだった。
(でも、段々と地下に向かってる感じかな?)
体内の感覚で、それだけはわかった。
そして、進むごとに冷気もますます強くなった。
洞窟の壁にも、白いものが見えてくる。
氷だ。
寒さで、洞窟内部の壁や床が凍りついてしまっているんだ。
コツ……ツルン
(わっ?)
踏み出した足裏が滑って、転びそうになってしまった。
幸いイルティミナさんと手を繋いでいたので、彼女に引っ張られて助けられたけれど、ちょっと驚いてしまったよ。ふぅ……。
と、
「マール、ちょっと待ってくださいね」
イルティミナさんがそう言って、背負っていたリュックを地面に下ろした。
ガサゴソ
荷物を漁り、中から『何か』を取り出す。
金属の針が無数に生えた、ベルト付きの数枚の板だ。
「それは?」
「スパイクです」
目を丸くする僕に、彼女は笑った。
それから僕を地面に座らせて、そのスパイクを足裏に押し当てる。つま先と踵を引っ掛け、ベルトと金具でしっかりと固定した。
「これでよし」
イルティミナさんは頷いた。
僕は立ち上がる。
カツ カツッ
地面に、スパイクの当たる音がする。
さっき滑った凍った地面に、もう一度、足を乗せてみた。
ガッ
「わっ、地面に刺さって、しっかり安定しているよ」
驚く僕。
イルティミナさんは「よかった」と笑った。
それから僕は、スパイクを履いたまま、少し動いてみた。
(ふむふむ?)
いつもと違って、ちょっと引っ掛かる感じだけれど、それも加味して動こうとすれば、そんなに支障はない感じだった。
イルティミナさんは頷いた。
「問題ないようですね」
「うん。ありがとう、イルティミナさん」
お礼を言うと、イルティミナさんも「いいえ」と、はにかんでくれた。
でも、その表情が真面目に戻って、
「ここから先は、『氷華洞窟』に棲みつく魔物たちも出てくるはずです。戦闘になることも踏まえて、今の内に、そのスパイクでの動きに慣れておいてくださいね」
と警告してくれた。
魔物……。
(そっか。そうだったね)
ここまで平穏だったから、忘れるところだった。
特に今は、大気中の魔素が濃くなって、魔物たちも活性化しているはずだから、余計に注意しなければいけないんだ。
表情を引き締め、
「うん」
僕は、しっかりと頷いた。
イルティミナさんも、僕の顔を見つめ、それから頷きを返してくれた。
それからイルティミナさんもスパイクを履いて、僕たちは『氷華洞窟』の奥へと向かっていったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「はぁ、はぁ」
吐く息が白く染まる。
先に進むほどに洞窟内部の温度は下がって、肌が剥き出しになっている顔の部分は、ちょっと痛いぐらいだった。
洞窟も、もう全面が青白く凍っている。
空間もだいぶ広くなっていて、天井までは20メード以上ありそうだった。
でも、その天井からは、5メード近い氷柱も生えている。
先が尖っていて、万が一、落ちてきたらとても危険そうだった。
(ひぇぇ……)
そんな刃物のぶら下がっているような空間の真下を、僕らは、スパイクを軋ませながら歩いていた。
と、その時、
「!」
突然、イルティミナさんが足を止めた。
(ん?)
手にした白い槍を、前方に構える。
カシャン
その翼飾りが開いて、中の紅い魔法石と美しい刃が外へと現れた。
戦闘態勢だ。
(え……?)
でも、すぐに気づいた。
カ……ッ カカ……ッ
僕らの足が止まっているのに、小さな音が洞窟の奥から聞こえていた。
寒さで息が吸い辛く、僕は肝心の嗅覚が、いつもより鈍くなっていたんだ。
だから、気づくのが遅れてしまった。
イルティミナさんは、真紅の瞳を細めながら、前方にある洞窟の闇を見つめている。
そして、
「――どうやら『氷魔』たちが現れたようですね」
その美しい『金印の魔狩人』は、この『氷華洞窟』にいる魔物たちの襲来を静かに告げたんだ。




