377・神狗アークイン
第377話になります。
よろしくお願いします。
視界を埋め尽くしていた光が、ゆっくりと消えていく。
(……う)
視力が戻る。
目の前には、光の人型となった自分の手のひらがあった。
……元に戻っている。
魂だけの自分に。
そう気づいた時、そんな自分の光る指の間から、離れた床に倒れている人影を見つけた。
(!)
それは、ボク自身――マールの死体だった。
青い瞳に生気はない。
心臓のある胸には、大きな傷があって、そこから流れた赤い血が、黒い床に血だまりを作っていた。
周囲を見る。
そこは『漆黒の天空城』の最上階にある、あの『闇の子』と戦ったバルコニーだった。
上空では、光と闇が瞬いている。
大いなる『神々』と『悪魔』が、今も戦っている。
(…………)
視線を落とす。
倒れて動かない僕の死体の前に、黒い少年が佇んでいた。
(……『闇の子』)
その手には、僕の血に濡れた『闇の長剣』が握られ、その漆黒の瞳は、物言わぬ死体となった僕をジッと見つめていた。
表情は、虚無に近い無表情だ。
上空に吹く冷たい風が、その黒い髪を揺らしていく。
奴は、目を閉じる。
タン
足音を響かせ、後ろを振り返った。
その先にあるのは、この闇の城の最上部となる尖塔に設置された巨大な魔法石――『悪魔王の結晶』だった。
オォォオオオ……ッ
どれだけの魔力を集めたのだろう?
その魔法石の表面からは、悍ましいほどの『闇のオーラ』が吹き上がり、まるで黒い太陽のようだった。
黒い少年は、そちらへと歩きだした。
(…………)
あの魔力を吸収して、『闇の子』は『悪魔王』となる。
それは世界の終わり。
もはや『神々』や『悪魔』でも敵わない存在が、この世界に産み落とされるのだ。
――止めなければ。
そう強く思う。
けれど、魂だけとなった僕には、どうすることもできない。
(……イルティミナさん)
ふと、最後に見た彼女の姿を思い出す。
死への後悔が。
未来への渇望が。
胸の内側に溢れてくる。
それは強い熱を持ち、ふと気がついたら、魂だけとなった僕の身体の内側から光を放っていた。
(え……?)
呆然となる僕。
その時、不意に思い出す。
その輝きと熱は、ここに赴く前、『狩猟の女神ヤーコウル様』が僕の胸に触れながら流し込んできた『力』と同じものであることを。
そして、その『光』をまとった『何か』が、魂だけとなった僕の中から抜け出した。
シュオオン
それは、倒れたままの『マールの死体』に吸い込まれる。
…………。
…………。
…………。
ドクン
その鼓動が聞こえた気がした。
ドクン ドクン
それは大きく脈動を始め、その全身に、吸い込まれた『光』が流れていく。
強い神気を感じる。
ジュゥウウ……
同時に、マールの肉体に刻まれていた負傷が、少しずつ消えていく。
自動回復。
ラプトやレクトアリスが備えた、完全な『神の子』だけが有する特殊能力が発動していた。
(……いったい、何が……?)
魂だけの僕は、呆然と、自分の肉体に起きている現象を見つめた。
そして、ついに、
ピクッ
その指が動く。
そのまま手のひらが床に置かれて、腕の筋肉が動いて、その上半身をゆっくりと起こしていく。
拍子に、茶色い髪が揺れる。
ジュオオ
その髪の中から、ピンと立った獣耳が生えていく。
持ち上げられた腰の下、そのお尻の辺りからは、フサフサした長い尻尾が伸びていく。
ググッ
膝が曲がり、足の裏が床を踏みしめる。
そして、その『神狗』となった少年は、『妖精の剣』を片手に立ち上がった。
カララン
剣先が黒い床を撫で、軽い音色を響かせる。
その刀身に、『神武具』の虹色の粒子がまとわりつき、形状を変化させていく。
いつもの『虹色の鉈剣』ではない。
刀身が2メードもある反りのある片刃の剣、それは『虹色の長刀』とでも呼ぶべき代物だった。
ヴォン バサンッ
背中には、『虹色の金属翼』が生み出され、それが大きく広げられる。
「……ふ、はぁぁ」
その口元が開き、とても熱そうな吐息がこぼれた。
その気配に『闇の子』も気づいた。
「?」
歩みを続けていた足が止まり、背後を振り返る。
「……え……っ?」
そこに立つ『神狗の少年』を見つけて、黒い少年は絶句し、そして目を瞠った。
しばらく呆然とした顔だった。
けれど、すぐに歓喜の表情が、それを塗り潰していく。
「…………」
その眼前で、
カシャン
甦った『神狗の少年』は、『虹色の長剣』を肩に担ぐようにして構えると、その美しい青い瞳で『闇の子』のことを見据えたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「ははっ……そうだ、そうだよ、マール。君がそんな簡単に死ぬわけないじゃないか」
黒い少年は、嬉しそうに両手を広げる。
まるで吸い寄せられるように、前へと足を進めながら、
「それでも驚いたよ。君の生命活動は、完全に停止していたはずだ。それなのに、こうして立ち上がるなんて……いったい、どういう原理だい?」
「…………」
「いや、いいんだ」
言葉を止めて、ゆっくり首を振る。
そして、
「君はいつだって、僕の予想を超えてくる。それでこそ、ボクの愛したマールだよ」
そう幸せそうに笑ったんだ。
…………。
僕は混乱していた。
魂であるはずの僕は、ここにいる。
けれど、そんな僕の目の前で、魂がないはずの僕の肉体は、こうして動いているんだ。
(……何が起きているの?)
僕は、見つめ合う2人の少年を見つめる。
嬉しそうに語る『闇の子』とは対照的に、『神狗の少年』は何も答えない。
ただ、その表情には、静かな闘志があった。
「…………」
静謐で強大な圧。
同じ僕とは信じられないほどに美しく、落ち着いた表情と気配だ。
ジリッ
間合いを縮める。
それに『闇の子』も気づいて、苦笑しながら『闇の長剣』を構えた。
そこには強者の余裕があった。
けれど次の瞬間、『神狗の少年』は霞むような速さで『闇の子』の間合いへと踏み込み、『虹色の長刀』を居合い抜きのように放った。
「!?」
(!?)
それは、今までの僕からは考えられない速度の斬撃。
ギィイイン
辛うじて『闇の子』は、それを防いだ。
でも、その瞬間には、『神狗の少年』は更なる斬撃を繰り出していた。
ヒュッ
「くっ!?」
必死に身体を逸らした『闇の子』の頬に、裂傷が刻まれる。
ヒュッ カッ カシュッ ギキィン
攻撃は止まらない。
その鋭さは、今までの僕の比ではなく、初手を取られた『闇の子』は防戦一方となった。
黒い肌には、小さな傷が増えていく。
(強い!)
その強さに、僕は驚愕する。
その剣技の冴えは、もしかしたら、あのキルトさんさえも上回り、この『闇の子』に匹敵しているかもしれない。
そして『闇の子』は、
「――なめるな」
キィン
剣技での戦いを繰り広げながら、その頭上に魔力を集中させていく。
小さな黒点。
それが『闇の子』の頭上に生まれ、そこから黒い光線が撃ち出される。
パヒュッ キィン
その髪の毛のような細い光線を、『神狗の少年』は、当たり前のように『虹色の長剣』で斬り、拡散させて防いだ。
(――は?)
それは、拳銃の弾丸を剣で斬ったようなものだ。
まさに神業。
それを目の当たりにして、『闇の子』も目を丸くしている。
ドシュッ
そんな『闇の子』の左腕を、ついに『神狗の少年』の振り上げた『虹色の長刀』が切断した。
「ぐっ!」
苦悶の表情を浮かべながら、『闇の子』は『闇の長剣』を薙ぎ払った。
ドパァアアン
そこから紫炎のような『闇のオーラ』が噴き出し、目前にいた『神狗の少年』を飲み込む。
(!)
業火に焼かれた、そう思った。
でも、違った。
紫の炎に飲まれる直前、『虹色の金属翼』がその身を包み込んでいたんだ。
炎の中に、繭のような金属の塊が見える。
そして、
ボバァアン
その翼が解放され、その風圧で紫色の炎は吹き飛ばされてしまった。
「…………」
舞い散る名残り火が、彼の横顔を照らし、消えていく。
その表情には、僅かの心の乱れもない。
……僕は、圧倒されてしまった。
その剣の技量に、そして、その精神の強さに。
同じ姿形をしていても、けれど、その内側にあるものは、間違いなく僕とは次元が違っている。
何より、僕以上に『マールの肉体』を操り、神武具を使いこなしている事実。
(まさか……)
僕は気づいた。
切断された左腕を再生しながら、『闇の子』も気づいたのかもしれない。
その表情をしかめて、
「君はマールじゃない……。その姿は同じでも、中身は、あまりにもマールと違う。……いったい、君は誰だ?」
そう問いかける。
ヒュォオオ……
吹く風が『神狗の少年』の茶色い髪を揺らしていく。
その前髪の間から覗く青い瞳は、真っ直ぐに黒い少年を見つめ、そして、強い煌めきを放っていた。
彼は、静かに息を吸う。
そして、
「――僕は、神狗アークイン。お前を殺すため、ここにいる偉大なるヤーコウル神の猟犬だ」
光の少年は、そう美しい名乗りを告げたんだ。
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