004・探索と夜紫光
第4話になります。
よろしくお願いします。
翌日も快晴だった。
「紫色の光、なくなってる」
早朝、見張り台から森を見下ろした僕は、その事実に気づいた。
昨夜、あれだけ森の中にいた紫色の光たちは、太陽の光の下では、どこにも見つけられない。
(……夜行性の光なのかな?)
首をかしげる。
でも、どこで光っていたかは覚えている。
明るい内に、僕は、その場所まで行ってみることにした。
◇◇◇◇◇◇◇
礼拝堂にあった壊れた長椅子の一部、細長い木材を杖の代わりにして、2時間ほど森を歩いた。
現場に到着したけれど、
「……何もないね」
結果は、これ。
緑の木々が生い茂り、流れる風に、草木が葉を揺らしている。
それだけだ。
誰かの足跡もなければ、紫色の光を発しそうな何かも見つけられない。
(間違いなく、この場所だったよね)
森を歩いている間も、何度も振り返って、塔の位置を確認したから、方角も合っているはずだ。
ポスン
「はぁぁ」
徒労感に襲われて、僕は、近くの木の根元に腰を落とした。
しばらく動けない。
(…………)
それにしても、穏やかな森だ。
吹く風は、柔らかく僕の髪を揺らし、森のどこからか小鳥たちの鳴き声がする。
木の枝の上を走ったり、茂みに駆け込むリスやウサギのような小動物の姿も、ここに来るまでの道中で、何度か見かけていた。
平和な森の景色。
日本の都会では、決して見かけることのない光景だ。
(お腹、空いたなぁ)
ぼんやりと思った時、近くの草むらに、茶色い毛玉がいることに気づいた。
まん丸くて、耳が長い生き物。
(……毛玉ウサギ、かな?)
勝手に命名してしまった。
僕は、足元に落ちていた手頃な石を拾う。
僕は空腹だった。
そして、ここは異世界、きっと弱肉強食の世界だ。
毛玉ウサギに逃げる気配はない。円らな瞳が、僕のことを見つめている。
(馬鹿な奴め、僕のお昼ご飯になるがいい!)
僕は、石を持つ手を、大きく振り被った。
…………。
…………。
…………。
やっぱり投げられませんでした。
「……だって、可愛すぎる」
地面に両手をついて、うなだれる僕。
毛玉ウサギは小首をかしげ、ピョンピョンとどこかに行ってしまった。
い、いいんだ。
だって、もし毛玉ウサギを手に入れても、ナイフも火もないのに、どうやって捌いたり調理すればいいと思う?
「……帰ろう」
僕は重い腰を持ち上げて、トボトボと帰路についた。
◇◇◇◇◇◇◇
「ぷはぁ!」
塔に戻った僕は、光る水で食事を済ませた。
(……本当に不思議な水だね)
これだけで、やはり空腹も収まっている。
10杯ぐらいガブガブと飲んで、お腹を満たした僕は、また森の探索に出かけた。
今度は、巨大な崖の方だ。
1時間ぐらい森を歩いて、その崖に到着した。
「……大きいね」
呆然と呟いた。
天を貫くような垂直の壁に、見上げる首も痛くなる。
まさに断崖絶壁。
それが左右に、どこまでも続いている。
試しに登ってみようと、手をかけた。
ボロッ
「うわ?」
酷く脆い岩質で、体重をかけた途端、簡単に崩れてしまった。
尻もちをつきながら、見上げる。
「これは登れないぞ」
上までは100メートルはある。
素人の腕では、まして、今の子供の肉体となった僕では、とても無理だと思った。
よく見たら、周囲には、落石の跡も結構ある。
(…………)
僕はため息をこぼして、立ち上がった。
他に、もっと登れそうな場所があるかもしれない。
お尻をパンパンと払いながら、僕は気を取り直して、崖に沿ってまずは右側へと歩いていった。
10分ほどして、
「おや?」
僕は、崖の一部が、妙に赤くなっていることに気づいた。
近づいてわかった。
壁画だ。
崖の壁に、赤い塗料を使った、大きな絵が描かれていたんだ。
(だいぶ古そうだね)
あちこちが風化している。
けれど、その絵は、巨大な動物のようなものが描かれているのがわかった。
動物は、人の姿をしているけれど、目玉が大きくて、手が4本あって、翼と尻尾が生えていて、口には牙もあって、その口から炎を吐いている。
その周囲には、爪楊枝のような何かを手にした小人たちが集まっていた。
炎の先にいる小人たちは、みんな横になっている。
「…………」
怪物と人の戦いの絵……かな?
横になっている小人たちは、つまり……。
その意味に気づいて、僕は震える。
(……この異世界には、こんな恐ろしい魔物が実在するのかな?)
思わず、周囲を見回した。
吹く風が冷たかった。
平和に見えていた森の景色も、何だか不気味に思えてくる。
「…………」
もう少し崖を確認したけれど、他に壁画はなかった。
みんな、風化して、崩れてしまったのかもしれない。
結局、他に登れそうな場所も見つけられなくて、僕は落胆しながら、丘の上の塔へと戻った。
◇◇◇◇◇◇◇
塔に戻ったら、もう夕暮れだった。
見張り台から、茜色に染まった空を眺めて、僕は考え込んでいた。
(この森から、どうやって出たらいいんだろう?)
悩みはそれだ。
今、目の前に広がる、この地平の果てまで続く大森林を、徒歩で抜けるのは無理だと思えた。
あの断崖絶壁を登れたら、その先に何かあるかもしれない。
そんな希望も持っていたけれど、今日、確認してみたところ、どうやら、それも難しいことが判明した。
「…………」
転生してから2日、何の成果もない。
心が重い。
気分が落ち込む。
(いや、大丈夫、まだ大丈夫)
自分に言い聞かせる。
まだ2日だ。
2日しか経っていないんだ。
必死に、自分をそう励ました。
絶望してしまったら、二度と立ち上がれないと思ったから。
――気がついたら、日が暮れていた。
周囲は、黒く染まり、星々が夜空に煌めいている。
(……あ)
そして、あの不思議な紫色の光もまた、ポツポツと森に生まれていた。
「…………」
思い切って、行ってみようか?
焦る心が、そう囁く。
夜の森を歩くのは怖いけれど、現状を打破する何かが見つかるかもしれない。
(うん、そうしよう!)
そう決めて、僕は、塔の外に出ることにした。
◇◇◇◇◇◇◇
2階部分の亀裂から、外に出た。
「…………」
真っ暗だ。
冗談ではなく、伸ばした自分の手さえ見えない。
(え~と……あ、そうだ!)
ふと思いついた僕は、一度、塔の中へと戻った。
再び、外へ出る。
「うん、結構、見えるぞ」
視界が確保できたことに、僕は笑った。
そんな僕の胸元では、淡く光る青い宝石が揺れている。
そう、あの居住スペースの机の引き出しに入っていた、3つの小さなペンダントの1つだった。
その輝きは小さいけれど、夜の闇を払うには充分な光量だった。
(ありがとね)
ピィン
小さな指で、軽く宝石を弾く。
青白い光が揺れる。
その儚げな青白い光を頼りにして、僕は、夜の森の中へとゆっくり進んでいった。
◇◇◇◇◇◇◇
夜の森は、昼間の平和な森とは、どこか雰囲気が違っていた。
(……なんか、不気味だね)
まるで影絵のような漆黒の世界。
夜行性の動物たちがいるのだろうか、時折、草木の揺れる音がして、その度に、臆病な僕の心は跳ねている。
「落ち着け、落ち着け、僕」
自分に言い聞かせ、ペンダントの淡い光で前を照らして、進んでいく。
1~2時間は歩いたと思う。
(確か……この辺だったはず)
周囲の森を確認する。
すると、20メートルほど離れた漆黒の木々の向こう側に、紫色の光が漏れているのを見つけた。
光は、少しずつ遠ざかる。
(移動してる?)
それに気づいた僕は、慌てて、黒い木々の中を追いかけた。
10メートル。
距離が縮まっていく。
5メートル。
紫色の光は、目の前の大木の向こう側だ。
僕は、その大木を回り込む。
3メートル。
すぐ目の前に、それはいた。
「……え?」
それは――巨大な骸骨だった。
下半身はなく、けれど上半身だけで、3メートルもの巨体だった。
その巨体は、ユラユラと空中に浮かんでいて、黒いボロ布を頭からまとい、その全身が、あの紫色の光を放っている。
大きな骨の手には、赤錆びて折れた大剣が握られていた。
(…………)
声が出なかった。
そんな僕を、巨大な骸骨は、落ちくぼんだ眼窩に妖しい光を灯して見つめている。
巨体が、揺らめくようにこちらへと動いた。
その圧力に押されるように、僕の足が無意識に1歩、下がる。
パキッ
小枝を踏んだ。
その音で我に返った僕は、脱兎のごとく、全力で逃げだした。
(うわぁあ! 何だあれ、何だあれ、何だあれ!?)
訳が分からない。
無我夢中で、黒い森の中を走った。
パシッ ビシッ
木々の枝が引っ掛かったのか、服が破れ、皮膚が裂かれる。
それでも足は止めなかった。
生物としての本能が叫んでいる。
あれは、決して生者が触れてはいけない、死の世界の住人だ!
安易に近づいていい存在ではなかったのだ。
(まずい、まずい!)
後方から、凄まじい圧力が迫ってくる。
前方の森の木々を照らす青白い光、そこに、妖しい紫色の光が追いつき、ついに重なった。
「っっ」
思わず、振り返った。
――死を司る巨大な骸骨が、すぐそこにいた。
赤錆びた大剣が、僕の眼前で、大きく振り上げられている。
反射的に、杖で防ごうとした。
ドプッ
振り下ろされた大剣は、その杖を簡単にへし折り、僕の左肩からみぞおち付近まで食い込んだ。
「……あ?」
強い衝撃。
驚き、声を漏らした僕の口から、血が溢れた。
痛みというより、灼熱の熱さが生まれて脳を焼く。
トサッ
僕は、地面に倒れた。
(い、息が……できない)
カフッ カヒュー
傷口は熱いのに、この小さな肉体の末端から冷えていくのを感じる。
(まさか……死ぬの、僕?)
その事実が、僕の心に突き刺さった。
転生してから何もしていないのに、この骸骨の正体も、この異世界のことも何もわかっていないのに……。
恐ろしい骸骨は、しばらく僕を見つめていた。
やがて、ゆらりと身を翻し、森の奥へと去っていく。
ゆらり、ゆらり。
その紫色の光を揺らしながら、漆黒の世界へと消えていく。
(あ……)
それを見届けた僕の視界は、急速にぼやけた。
もう……何も、見えない。
……なに、も、わからない。
意識が……もう……、……。
…………。
――異世界に転生して2日目の夜、僕は、こうして死んだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。