343・希望の帰路へ
第343話になります。
よろしくお願いします。
フレデリカさんも合流して、僕らは3人でプールでの時間を楽しんだ。
アルンのお姉さんは、泳ぎも達者だった。
「訓練しているからな」
と誇らしげに答えてくれる。
アルン騎士は、鎧を着たまま泳いだり、水中で鎧を脱いだりする訓練もしているんだって。
訓練の厳しさに、候補生の半分は騎士になるのを諦めるのだとか。
(そうなんだ?)
つまりアルンの騎士は、自他共に認められるエリートなのだ。
そんな話をフレデリカさんとしている間、イルティミナさんは少しだけつまらなそうだった。
ザパァ
「ふぅ」
少し泳ぎ疲れたので、僕は、プールサイドに腰かける。
水を飛ばすため、顔を左右に振るった。
プルプル
それを見て、フレデリカさんはおかしそうに笑った。
「なんだか子犬みたいだ」
「え?」
そ、そうかな?
ちょっと恥ずかしくなる。
そんな僕の様子に、アルンのお姉さんは「ふふっ」と優しく瞳を細めた。
それから彼女も水からあがって、僕の左隣へと腰かける。
「…………」
白い指が伸びてきて、僕の頬に触れた。
(?)
僕は、そんなフレデリカさんの顔を見つめる。
彼女の碧色の瞳は、どこか熱っぽい光を宿して、僕のことを映していた。
そして、
「マール殿も、このアルンで暮らさないか?」
不意に、そんなことを言われたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
(アルンで暮らす?)
思わぬ提案に、僕はキョトンとしてしまった。
フレデリカさんは微笑む。
「シュムリアは良い国だ。しかし、アルンも劣ることはない。むしろ勝っている部分も多いのだ」
「…………」
と、言われても……。
困ってしまう僕に、彼女は続ける。
「ラプトとレクトアリスも喜ぶ。もちろん私も嬉しい。どうだろうか?」
その瞳は真剣だ。
軽い口調だけれど、その思いは本物みたいだ。
神狗である僕が他国に移るのは、きっと複雑なしがらみがあって難しい気がする。それはフレデリカさんもわかっているんだろう。
でも、そう提案してくる。
(…………)
僕は、名前の挙がった2人を見た。
ラプトは、相変わらずポーちゃんと泳ぎの練習をしていた。
でも、一向に上達していない。
それでも、一生懸命にがんばり続けることだけはやめなかった。
レクトアリスは、プールサイドで、今もソルティスの勉強に付き合ってあげていた。
優しい顔だ。
教え子の成長を見守る慈愛を、その姿から感じる。
2人とも僕の大切な友人で、もしも一緒に暮らせたなら、きっと楽しい毎日が送れることだろう。
「…………」
目の前のお姉さんもいる。
彼女もきっと優しくて、頼もしくて、一緒にいる時間は楽しくなりそうだ。
一瞬、そんな未来を夢想した。
でも、その夢を見ながらも、僕の視線は自然とイルティミナさんへと向けられていた。
「…………」
プールの中で、黙って話を聞いていた彼女。
フレデリカさんの提案に驚いた顔をしていたけれど、一言も口を挟まなかった。
そして、ただ僕を見つめる。
(……うん)
僕はフレデリカさんへと向き直った。
それから、
「ごめんなさい」
と口にしたんだ。
フレデリカさんは、表情を変えない。
見つめてくる彼女に、僕は続けた。
「フレデリカさんの提案は凄く嬉しかった。アルンは好きだし、そこで暮らすのも悪くないと思ってる。……でも、僕の大切な人はシュムリアにいるんだ」
その言葉に、フレデリカさんは瞳を伏せる。
「そうか」
寂しそうな、でも『わかっていた』とでも言いたげな声だった。
イルティミナさんも、安心したように息を吐く。
そんな彼女に、
「イルティミナ殿」
アルンのお姉さんは、不意に声をかけた。
それから、
「すまないが、私と1つ、泳ぎで勝負をしてもらえないだろうか?」
そんなことを言い出した。
僕とイルティミナさんは驚く。
「泳ぎですか?」
「そうだ」
頷くアルン騎士のお姉さん。
「わかっていますか? 私は『魔血の民』なのですよ?」
イルティミナさんは確認する。
自分は『魔血』を宿した人間であり、その身体能力は『魔血』のない人間を大きく上回っているのだと。
それでも、
「構わん」
フレデリカさんはきっぱりと告げた。
その瞳は真っ直ぐに、僕の『大切な人』であるイルティミナ・ウォンへと向けられている。
イルティミナさんは「わかりました」と頷いた。
(…………)
僕は戸惑ってしまったけれど、2人の真剣な表情に何も言えなかった。
そして、2人のお姉さんはプールへ。
プールの端までは、50メード。
それを往復して100メードの勝負となった。
「マール殿、合図を」
「う、うん」
2人が準備をしたのを確認してから、僕は大きく息を吸って、
「ヨーイ、ドン!」
ザパァン
その合図に反応して、2人は泳ぎ出した。
反応はフレデリカさんが速かった。
また訓練されたアルン騎士らしく、その泳ぎのフォームも無駄がなく、かなり速度がある。
(……でも)
イルティミナさんも凄く綺麗に泳ぐ。
そして、序盤はフレデリカさんがリードしていたけれど、少しずつ差が縮まっていく。
魔血のあるなし。
それが生み出す身体能力の差だ。
一かきごとに、一蹴りごとに、生まれる推進力が違った。
50メードを泳いだ時には、差がなくなっていた。
ここでターン。
慣れているのか、フレデリカさんの方がターンが速い。
また、ここでアルンのお姉さんの方がリードした。
いい勝負だ。
でも、前半は体力を温存していたのかもしれない。残り50メードとなった途端、イルティミナさんの速度が一気に上がった。
後半20メードの地点でフレデリカさんに並ぶ。
そして、一気に抜き去った。
ゴールした時には、3メード以上の大差がついてしまっていた。
プールサイドに上がる2人。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「…………」
フレデリカさんは呼吸を荒げている。
一方のイルティミナさんは、多少、呼吸が速くなっているぐらいだった。
さすが『魔血の民』。
それに気づいて、フレデリカさんは苦笑する。
それから大きく息を吐き、
「やはり届かなかったか」
と呟いた。
短い言葉なのに、そこには色々な重さがあるように感じた。
イルティミナさんは、真紅の瞳を伏せる。
「貴方もなかなかでしたよ」
「……ふっ」
勝者のお姉さんの言葉に、敗者のお姉さんは、また苦笑を浮かべた。
それから、フレデリカさんは僕を見る。
ポン
その白い手が、僕の濡れた髪に置かれた。
「負けてしまった。さすが、イルティミナ殿だったよ」
「うん」
僕は頷いた。
フレデリカさんは笑って、僕の髪を少しだけ乱暴に撫でた。
イルティミナさんは、黙ってそれを見ている。
フレデリカさんの手が僕の頭から離れて、彼女はゆっくりと天井を振り仰いだ。
「……あぁ……届かなかったなぁ」
切なそうな呟き。
ふと濡れた青い前髪から1粒の水滴がこぼれて、涙のようにフレデリカさんの白い頬を流れていった。
◇◇◇◇◇◇◇
それから2日間ほど軍施設で休養した僕らは、再び『飛行船』でシュムリア国境付近の街まで飛び立った。
1週間で、その街に到着。
そこで僕らは、再び別れの時を迎えた。
「なんや寂しいわ、マール」
シュムリア王国へと向かう竜車の前で、ラプトがそう言った。
僕も無理をして笑い、
「うん、僕もだよ、ラプト」
ギュッ
僕らは、互いに抱きしめ合った。
そばでは、レクトアリスとポーちゃんも、別れを惜しんで抱き合っている。
それから、僕はレクトアリスとも抱き合った。
ギュッ
「またね、マール」
レクトアリスが柔らかく微笑む。
僕も笑って、
「うん。またね、レクトアリス」
そう言葉を交わす。
ラプトも「またやで、ポー」と金髪幼女を抱きしめ、ポーちゃんはポンポンとその背中を小さな手で叩いていた。
キルトさんとダルディオス将軍も握手をする。
「鬼娘たちのおかげで、無事、7つ目の『神霊石の欠片』も手に入ったわい」
「うむ」
キルトさんは頷いた。
「次に会う時は、神々が降臨される時であろうな」
その声には、希望への強い力が満ちている。
7つの『神霊石の欠片』が集まった以上、神々が召喚され、世界が救われるのも時間の問題だった。
けれど、将軍さんは言う。
「しかし、その時が来るまで『闇の子』が何を仕掛けてくるかわからんわい。そなたらも、充分、注意するのだぞ?」
キルトさんは「わかっておる」と頷いた。
彼女は自らの右手を見つめ、
「あと1歩じゃ。ここまで来た以上、その1歩を決して踏み損ねたりはせぬ」
グッ
その手を強く握り締める。
金印の魔狩人キルト・アマンデスの心には、油断はなさそうだった。
(うん、本当に頼もしいな)
ソルティスも同じ眼差しでキルトさんを見ていて、僕に気づくと、つい2人で一緒に笑ってしまった。
そんな僕の後ろでは、
「道中、気をつけてな、イルティミナ殿」
「はい、貴方も」
フレデリカさんとイルティミナさんが、そんな挨拶を交わしていた。
2人とも穏やかな雰囲気だ。
「世界が平和になったなら、マール殿を連れて、またアルンへと遊びに来るといい」
「そうですね」
イルティミナさんは瞳を伏せながら頷く。
すると、フレデリカさんは悪戯っぽい表情をして、
「まぁ、マール殿1人でも、別に私は構わないのだがな」
と続けた。
途端、イルティミナさんが能面のように怖い顔になって、彼女を睨んだ。
アルンのお姉さんは吹き出す。
「冗談だ。だから、そんな顔をするな」
「笑える冗談ではありません」
「そうか?」
フレデリカさんは意外そうだ。
それから、少しだけ生真面目な顔になって、
「大丈夫だ。貴殿は胸を張って、ただマール殿の気持ちを信じていればいい」
と告げた。
イルティミナさんは驚いた顔をする。
フレデリカさんは笑った。
それに、イルティミナさんは苦笑して、
「また会いましょう、フレデリカ」
「あぁ、またな」
アルンとシュムリア両国のお姉さんは、固い握手を交わしたんだ。
そうして、それぞれに別れの挨拶をしたあと、シュムリア王国から来た僕ら5人は、竜車へと乗り込んだ。
窓からアルン神皇国の4人を見る。
その後ろには、アルン騎士たちが整列していた。
ガシャン
一斉に敬礼する。
ダルディオス将軍とフレデリカさんもだ。
アルン神皇国を象徴するようなその姿は、とても格好良くて、なんだか眩しかった。
ガタタン
竜車が動きだす。
ラプトとレクトアリスが手を振ってくれて、僕らも窓から大きく手を振り返した。
竜車は、速度を上げる。
見送りの姿は、段々と小さくなる。
やがて、車輪が雪煙を散らしながら街道へと入って、みんなの姿は見えなくなった。
「…………」
広がる冬の青空は、とても綺麗だ。
僕は座席に座る。
ふと気づくと、他の4人が僕を見ていた。
みんなが笑う。
僕も笑った。
――こうして7つ目の『神霊石の欠片』を求める冒険は終わり、僕らはシュムリア王国への帰路についたのだった。
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