036・竜車での口づけ
第36話になります。
今話から、王都街道での物語になります。
どうぞ、よろしくお願いします。
僕らを乗せた竜車は、メディスを出発して、王都ムーリアへの街道を進んでいく。
(うわ、これが竜車なんだ?)
前世も含めて、初めての体験に、車内の僕は少々、興奮気味だ。
竜車の客室は、思ったより狭くない。
というより、広い。
3人掛けの座席が、車内の前後に造られているけれど、その間には、床に固定されたテーブルがあった。座席の背もたれと座面には、赤いクッション素材が使われて、お尻や背中も痛くならない。
天井には、照明が埋め込まれ、窓にはカーテンも付けられている。座席の手すりや窓枠など、細部にも装飾が施されて、かなりの高級感があった。
(凄い凄い、もっとチープだと思ってたのに!)
ちょっと予想外。
ちなみに、車内前方の座席に、キルトさんが座っていて、その横には、あの大型リュックとサンドバッグみたいな皮袋が積まれていた。車内後方の座席には、イルティミナさんを挟んで、僕とソルティスがそれぞれの窓側に座っている。
僕は、カーテンを開いて、窓から外を見る。
(思ったより、速くはないね?)
竜車の進む速度は、人が走るぐらい――時速10数キロぐらいだった。
街道は、土を固めた道で、3車線ぐらいの広さがある。
道の左右には、だいたい500メートルごとに石塔が建っていて、今は朝なのでわかり辛いけれど、その先端が淡く光っている。きっとこの光があれば、夜でも、街道を進めるだろう。
(これ、王都まで続いているのかな?)
首をかしげる僕を乗せ、竜車は、そんな街道を、トコトコと進んでいく。
ガタッ ゴトト
(うわわ、結構、揺れるんだね)
サスペンションが悪いのか、土の道のせいなのか、時折、竜車が大きく跳ねることがある。でも、遊園地のアトラクションみたいで、ちょっと楽しい。
僕は、座席に膝立ちになって、今度は、後方の窓ガラスを覗き込んだ。
僕らの竜車の後ろを、2台の馬車が追走している。
1台は、僕らの竜車よりも一回り小さい4人乗りの馬車、もう1台は、逆に一回り大きい10人乗りぐらいの竜車だ。この2台の車両と一緒に、僕らは、王都ムーリアを目指すことになる。
そして、後方の2台の御者席には、明らかに御者とは違う、武装した人たちの姿があった。
(あの人たちが、護衛の冒険者かな?)
見えているのは、各車に1人ずつ。
イルティミナさんが、護衛は5人と言っていたから、他の人たちは、車内で休んでいるのかもしれない。
見えているのは、精悍な顔つきの青年と、雰囲気のある壮年の男性だ。
それぞれ、剣と盾、巨大な戦斧を装備している。
(ちょっと強そう……)
イルティミナさんたちと、どっちが強いんだろう?
(いやいや、こっちには金印のキルト・アマンデスがいるんだぞ! 負けるわけない!)
なんて虎の威を借りて、勝手に対抗心を燃やしている、馬鹿な僕である。
さて、そんな冒険者たちを乗せた2台の馬車の向こうには、だんだんと遠くなっていく城壁に包まれた都市メディスがあった。
「…………」
ちょっとだけ、心が寂しさを覚えた。
森に1人だった僕が、転生した異世界で、初めて訪れた街だ。
本当に、人がいっぱいで、賑やかな場所だった。
見るもの、聞くもの、触れるもの、全てが新鮮で、とても楽しかった。また、来ることがあるのかな?
「ばいばい、メディス」
小さく、さよならの挨拶を呟く。
土煙の向こうに、メディスの街の城壁は消えていく。僕は、それを見届けて、座席に座り直す。
(…………)
ウズウズ
……駄目だ、我慢できない。
僕は、座席から降りて、キルトさんのいる前の座席に移動する。キルトさんと荷物の隙間に、小さい身を入れて、前方の窓から景色を楽しもうとする。
「ちょっと、ボロ雑巾? 少し落ち着きなさいよ。うっとうしいったらないわ!」
ソルティスが呆れた声を出す。
「う、ごめん。……でも、楽しくって!」
「まぁまぁ、ソル。大目に見てあげてください。――マールにとっては、初めての竜車の旅なのですよね?」
「うん!」
イルティミナさんの援護を受けて、僕は、元気よく頷く。
彼女の妹は、渋~い顔だ。
隣にいたキルトさんが、苦笑いする。
「そういえば、ソルが初めて馬車に乗った時も、似たような感じであったの?」
おや?
少女の顔が真っ赤になって、すぐに抗議の声を張り上げる。
「あ、あれは、私がまだ小っちゃかった頃の話でしょ!?」
「そうであったか?」
「うぅ~、なんなのよ、2人してボロ雑巾の肩を持って~。あとで、こいつがどうなっても、私、知らないからね!」
柔らかそうな紫の髪を散らして、ツンとそっぽを向く。
(???)
僕がどうなるっていうんだろう?
でも、今の僕には、その疑問よりも目の前の景色の方が重要だった。改めて、窓ガラスから前を見る。
(おぉ、引っ張ってる、引っ張ってる!)
年配の御者さんの手綱の先で、あの大きな灰色竜が、僕らのいる客車を引きながら、ノッシノッシと歩いていた。
四肢の先にある爪が、ガッチリと土の地面をホールドし、1トン近い重量を引いている。
本当に、凄い力だ。
土の地面の凹凸も無視して、一定の速度のまま、進んでいく。
(竜って、凄いんだなぁ)
あまりにパワフルな生物に、ちょっと圧倒される。
そして、僕らの進路の先には、大きくそびえる山々があった。
その緑豊かな山たちは、今は、早朝の空気に青く霞んでいる。街道は、その麓の方へと、真っ直ぐに伸びていた。
「もしかして、あの山を越えるの?」
「うむ、そうじゃ」
キルトさんは頷き、そして、いつものイルティミナ先生が教えてくれる。
「あれは、クロート山脈ですね。予定では、あの山の中腹にある村の宿で、一晩を過ごすことになっています」
「そうなんだ?」
「まぁ、小さな村です。宿の他には、特に何もありませんけれどね」
ふぅん?
「なぁに、酒が飲めれば、それで良いわ」
キルトさんは、豪快に笑う。
うん……本当に、お酒が好きなんだねぇ。
そんなパーティーリーダーの発言に、イルティミナさんは苦笑して、ソルティスはまだ機嫌が直っていないのか、ずっと窓の方を向いている。
僕は、また自分の席に戻る。
もう一度、カーテンを開けて、外を眺めた。
(あぁ、楽しいなぁ)
知らない景色を見て、面白い話も聞けて、最高じゃないか。
「旅って、いいね!」
「フフッ、そうですね」
イルティミナさんの笑顔に、機嫌を良くして、僕はまたしばらく、落ち着きのない時間を過ごしていくのだった――。
◇◇◇◇◇◇◇
あれから1時間ほどが経った。
「……だから言ったのに」
ソルティスの呆れた声が突き刺さる。
そんな僕は今、座席にもたれかかって、波のように襲ってくる吐き気と戦い、グッタリしていた。あぁ、気持ち悪い……。身体がずっと揺れていて、胃の辺りがムカムカしている。
――そう、僕は竜車に酔ったのだ。
(完全に、竜車の揺れを舐めてました……しくしく)
最初の内は、良かった。
でも、興奮が抜けてくると、ずっと続いていた振動は、ボディーブローのように効いてきて、ついに気持ち悪さを引き寄せてきたんだ。
イルティミナさんが、僕の手を握りながら、心配そうな顔をしている。
「大丈夫ですか、マール?」
「……駄目、……もう死にそう」
強がる元気もありません。
キルトさんが、思い出したようにポンと手を叩き、呆れているソルティスを見た。
「そういえば、ソルも、初めての竜車では同じ結末であったな?」
「……苦い記憶よ」
フッと笑って、遠い目をする少女。
キ、キルトさん……そういうことは、もっと早く思い出して欲しいです。
(だからソルティスは、僕に『落ち着け』って言ってたんだね?)
意外と彼女は、優しい子なのだ。
でも、できれば、はっきり理由まで言って欲しかったよ……うぅ、気持ち悪い。
弱り切った僕に、3人は、困ったように話し合う。
「どうする? ボロ雑巾のために、竜車を一度、停めてもらう?」
「そうしましょう!」
「いや、駄目じゃ。他の馬車と団体で行動しておるのじゃ、マール1人のために停められぬ」
「あ~、そっか」
「良いではありませんか、他の車両には、先に行ってもらえば!」
イルティミナさんは、必死に食い下がる。
でも、キルトさんは、難しい顔だ。
「しかしの。今はともかく、王都までは、あと3日ぞ? 酔うたびに停めていては、話にならぬ。今後のことも考えるなら、少々酷じゃが、このまま竜車の揺れに慣れさせた方が、マールのためにも良かろう」
「……しかし」
「あとは、吐いてもいいように、袋を用意してやるかの」
そう言って、キルトさんは、大きな皮袋の中をゴソゴソやる。
(うぅ……みんなの前で、吐きたくないよ~)
ささやかな男の意地が、訴える。
イルティミナさんは、痛ましげな表情で、苦しむ僕を抱きかかえた。
ムギュッ
大きな胸の押し潰される感触が、頬に当たる鎧から伝わってくる。白い手は、僕の背中を上から下へ、吐き気を落ち着かせようと撫でてくれている。
ソルティスは、残念そうに息を吐く。
「……ボロ雑巾から、ゲロ太郎に改名かしら?」
ソルティス、お願い、勝手に名前を変えないで……僕、マールだから……。
やがて、キルトさんは、荷物の中から水筒の袋を取り出して、中身を窓から捨てようとする――と、それを見ていた、イルティミナさんの真紅の瞳が、大きく見開かれた。
「そうだ。そうでした!」
「ん? なんじゃ?」
「どしたの、イルナ姉?」
「マール、もう少し待っててくださいね?」
2人の仲間に答えず、イルティミナさんは、僕を座席に戻して、自分の大型リュックを急いで漁りだす。
ガサゴソ ポイ ポイ
多くの荷物が床に放り出され、
「あった!」
イルティミナさんの手にあったのは、キルトさんの持っている物と同じ水筒袋だった。
はて……あれは、なんだっけ? 何かを忘れている気がする。
「マール、これを飲んでください」
「…………」
イルティミナさんに、飲み口を差し出される。
でも、僕は、動けなかった。
(口を開けたら、吐いちゃいそう……)
グッタリしたままの僕を見て、イルティミナさんは、美貌をしかめた。
そして、何かを決意した顔になると、
「ごめんなさい、マール」
謝って、その飲み口に、自分が口をつけた。
中身を口に含むと、白い手が、僕のあごを強引に持ち上げる。
――イルティミナさんの唇が、僕の唇に押しつけられた。
(……え?)
柔らかな、プルンとした濡れた感触。
そして、驚く僕の唇の間へと、彼女の長い舌が差し込まれる。そこから、トロトロと液体が流れ込んできた。
「……んむっ?」
混乱しながら、僕はむせるように嚥下する。
視界の隅で、キルトさんとソルティスの驚いた顔が見えている。
やがて、液体全てが流し込まれると、ようやくイルティミナさんの唇が離れていった。
「ん……っは」
ケホ ケホ
僕は、軽く咳き込みながら、彼女を見上げる。
イルティミナさんの白い美貌は、無我夢中といった表情のまま、心配そうに聞いてくる。
「どうですか?」
えっと……何が?
そう聞こうと思って、ふと気づいた。
(あれ? なんか、気持ち悪さが……消えてる?)
そして、思い出す。
彼女の手にある水筒袋の中身は、確か、
「癒しの霊水……?」
「はい、そうです。よかった……顔色が戻りましたね? 無事に効いたようです」
「…………」
あぁ、そっか。
イルティミナさんは、『癒しの霊水』を僕に飲ませてくれて、その力で酔いが治ったんだ。
苦しみから解放されて、僕は、大きく息を吐く。
「ありがとう、イルティミナさん。おかげで助かったよ……」
「いいえ。よかった、マール」
笑い合って、僕らは互いの顔を見る。
視線が、なぜか、彼女の桜色のふっくらした唇に吸い寄せられた。
「…………」
「…………」
2人一緒に、顔が赤くなる。
キルトさんがあごを撫でながら、「なるほどの」と頷いた。
「癒しの霊水で、酔いを治したか。しかし、理屈はわかるが……」
「……もったいないわ」
ソルティスは、ありえないって顔で、首を振っている。
でも、イルティミナさんは、僕を庇うように抱きしめて、2人に反論する。
「マールの苦しみを救うのに、もったいないことなどありません。そもそも、これは彼の私物です。何か文句があるのですか?」
「いや、ないが」
「うん。もったいないだけ」
彼女の剣幕に、2人はプルプルと首を振る。
確かに、癒しの霊水は、怪我も治せる回復薬だ。
(普通、ただの車酔いには、もったいなくて使わないよね?)
でも、イルティミナさんは使ってくれた。
迷いもなく、ただ僕のことを助けるために、そう決断してくれたんだ。
思わず、僕を抱きしめる彼女の顔を、見上げた。
「…………」
ゆっくりと青い目を伏せる。
そして僕は、もう少しだけ力を抜いて、彼女の胸に甘えるように、ソッと自分の体重を預けてみることにしたんだ――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日、金曜日の0時以降になります。よろしくお願いします。
※小説と全く関係ありませんが、嬉しかったので書きます! W杯、日本勝利おめでとう! やったー!!(冷静になったら、消しますから許してください)




