296・光ある日常
第296話になります。
よろしくお願いします。
「今朝は、いい天気だなぁ」
窓を開くと、外には青い空が広がっていた。
吹きつける風の心地好さに、僕はつい笑みをこぼしてしまう。
ここは、イルティミナさんの家の僕の部屋。
王都ムーリアに戻ってから、3日が経っていた。
宝物庫で王様とレクリア王女と別れたあと、僕らは『冒険者ギルド・月光の風』へと向かった。
到着したのは深夜だったけど、ギルド長のムンパさんはまだ起きていて、帰ってきた僕らのことを1人1人ハグしながら歓迎してくれた。
……大人の女性に抱きしめられて、ちょっとドキドキしたのは内緒。
それからキルトさんとムンパさんは、2人で話をすることになって、僕とイルティミナさんとソルティスとポーちゃんの4人は、ギルドの建物内にあるキルトさんの部屋にお泊りすることになった。
キルトさんが部屋に帰ってきたのは、翌朝だった。
帰ってきたキルトさんからは、お酒の匂いがした。
(きっと、ムンパさんと楽しい時間を過ごしたんだね)
それから、ポーちゃんをキルトさんのところに残して、僕と姉妹は『イルティミナさんの家』へと帰っていった。
帰ったその日は、恒例の大掃除。
そのまま日が暮れて、現在は、その翌日の朝というわけなんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
2階の自室を出ると、階下から美味しそうな匂いが漂ってきた。
(……イルティミナさん、もう起きてるんだ)
気持ちが華やぐ。
僕は、トントンと音を立てながら階段を降りていった。
居間を通り抜け、キッチンを覗く。
そこには、艶やかな深緑色の長い髪をお団子にまとめて、エプロンを身に着け、朝食の準備をしている若奥様風のイルティミナさんの背中があった。
「…………」
朝日に照らされるその姿に、目と心が奪われる。
と、彼女が、こちらに気づいた。
「あら? おはようございます、マール。もう起きていたのですね」
優しい笑顔。
僕は青い瞳を細めて、それから笑った。
「うん。おはよう、イルティミナさん」
イルティミナさんも嬉しそうに笑みを深くしてくれる。
(あぁ……いいなぁ)
柔らかな朝の空気と彼女の存在に、幸せを感じる。
暗黒大陸では、ずっと気が抜けない日々だったから、余計に今の時間が貴重な宝物みたいに思えたんだ。
イルティミナさんは、そんな僕を見つめて、
「? どうかしましたか、マール?」
と、微笑みながら小首をかしげた。
(うわぁ、その仕草も可愛いな……)
なんて思いながら、僕は「ううん」と首を振る。
それから、
「僕も朝食の準備、手伝うよ。何をしたらいいかな?」
と訊ねた。
イルティミナさんは「まぁ」と笑って、
「それでしたら、そこのお皿を取ってもらえますか?」
「うん、了解」
「ふふっ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
そうして僕らは、2人で笑いながら、朝の幸せな時間を過ごしたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
朝食ができあがると、居間にはソルティスもやって来た。
「ふぁ~あ」
相変わらずの大きな欠伸。
紫色の髪には、まだ柔らかそうな寝癖が残っている。
「おはよ、ソルティス」
僕は、苦笑しながら声をかけた。
「うにゅ……おはよ、マール」
彼女は、両手で目元をゴシゴシと擦りながら返事をしてきた。
妹に気づいたイルティミナさんも、キッチンで料理をしながら、こちらへと声をかけてきた。
「おはようございます、ソル」
「んむ……おはよぉ、イルナ姉」
「もうすぐ朝食が完成しますので、マールと2人で椅子に座って待っていてください」
「うへ~い」
欠伸を噛み殺しながら、彼女は言われた通り、僕の対面の椅子に座った。
(やれやれ)
僕は苦笑しながら、そんな少女を見つめる。
実は、ソルティスは15歳になった。
誕生日を迎えたのは、アルバック大陸に上陸した直後ぐらいだった。
月日の経つのは早いものだね。
その時はお祝いできなかったので、明日、暗黒大陸からの帰還の祝いも兼ねて、キルトさんの知り合いのお店でソルティスの誕生日祝いでもある食事会が開かれることになっていた。
(……15歳、か)
シュムリア王国では、15歳には特別な意味がある。
そう……彼女は、僕より一足早く、成人してしまったのだ。
大人である。
お酒も飲めるし、結婚もできてしまう年齢になってしまったんだ。
(あのソルティスがねぇ)
初めて会った時は、ちょっと生意気な子供だったのに……。
あれから、2年近く。
「…………」
改めて見て見れば、ソルティスの身体は、だいぶ成長していた。
背は、だいぶ伸びた。
ちょっと前まで僕と同じぐらいだったのに、今は僕より少し高い。
(……い、いや、ほんのちょっとだけだよ? まだ追い越せるよ、うん)
思わず、自分に言い聞かせる僕。
それと、手足もスラリとしてきた感じ。
あと身体のラインに、凹凸ができてきたかもしれない。
今も、ソルティスのTシャツの胸元は、内側から押し上げられている感じだった。
(…………)
前は、真っ平らだったのに……。
複雑な思いで見ていると、急にソルティスがこちらを向いた。
「ん? 何よ?」
僕の視線を感じたらしい。
僕はビクッと背筋を伸ばして、ブンブンと首を横に振った。
「いやいや、何でもないよ!」
「…………。そ?」
彼女は怪訝な眼差しでこっちを見ていたけれど、すぐに顔を戻した。
そして、長いまつげを伏せて、吐息をこぼす。
寝起きのせいか、ちょっと物憂げな雰囲気だ。
それが、いつもより大人っぽく見えて、なんだか戸惑ってしまう。
(……どうした、僕?)
ちょっとドキドキしてるぞ。
自分の胸に手を当てて、僕は首を捻った。
(ん?)
その時、ふと気づいた。
ソルティス、今までは肩ぐらいの髪の長さだったのに、いつの間にか、胸元にまで届いている。
「髪、伸ばしてるの?」
思わず、僕は聞いた。
ソルティスは「ん?」とこちらを見て、
「……まぁ、なんとなくね」
と答えた。
(ふ~ん?)
見つめる僕の視線を避けるように、彼女は向こう側を向いてしまう。
柔らかそうな紫色の髪が背中を流れて、
(……あれ?)
その毛先をまとめている『蝶の髪飾り』に、ふと僕は気がついた。
(あれって、去年の誕生日に僕がプレゼントした『オリハルコン』の髪飾りだよね?)
驚く僕の表情に、少女は気づく。
その視線を追いかけて、僕が何を見ているかを理解した。
なぜか不機嫌そうに唇を尖らせる。
「……何よ? 使わないと勿体ないでしょ?」
「う、うん」
僕は頷いた。
でも、なんだか嬉しかった。
僕は笑って、
「ありがと、ソルティス」
「……ふん」
ソルティスは、またそっぽを向いてしまった。
でも、髪の間から見えるその耳は、ちょっとだけ赤くなっていた。
「お待たせしました、さぁ、朝食ができましたよ」
そこにイルティミナさんが料理のお皿を持ってやってくる。
わ、来た。
僕は、慌てて自分のお皿を受け取った。
ソルティスも受け取ろうとして、
「……? どうかしたのですか、ソル?」
イルティミナさんが不思議そうに、妹に問いかけた。
ソルティスは、
「何が?」
と聞き返す。
イルティミナさんはしばらく妹の顔を見つめていたけれど、
「……いえ、何でもありません。さぁ、どうぞ」
と優しく微笑んだ。
ソルティスは、
「ん。ありがと、イルナ姉」
と返事をする。
(???)
姉妹の間で不思議な空気が流れた気がしたけれど、よくわからない。
それから3人で朝食を食べる。
イルティミナさんの料理はやっぱり美味しくて、ソルティスも笑顔になって、それからは、みんなで楽しい時間を過ごしたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
午後、僕とイルティミナさんは、王都ムーリアの街中へと向かうことにした。
目的地は、ベナス防具店。
暗黒大陸で壊れてしまった『妖精鉄の鎧』の修理と、もう1つ相談事があったんだ。
ソルティスも誘ったんだけど、
「アチシは家にいるわ~」
と断られた。
15歳になってもインドア派な眼鏡少女である。
ということで、久しぶりにイルティミナさんと2人きりだ。
一緒に家を出る。
(…………)
僕は、思い切ってイルティミナさんの右手を握った。
キュッ
イルティミナさんは驚いた顔をする。
少し恥ずかしそうに赤くなりながら、でも、嬉しそうに笑ってくれた。
……よかった。
僕らは笑い合い、王都の街中へと向かう坂道を下っていった。
◇◇◇◇◇◇◇
「また派手に壊したもんだな?」
ベナス防具店に着くと、片目の凄腕鍛冶職人であるドワーフのベナスさんが、僕の渡した鎧を見て、そんな感想をこぼした。
鎧の胸部と背部に、大穴が開いている。
ベナスさんの視力の残った左目が、それを覗き込んでいた。
「こんな大穴開けて、よく中身が生きてたもんだ」
と呆れたように僕を見る。
あはは……。
(中身は1度、死んじゃったんだけどね)
僕は苦笑して、
「みんなのおかげで、何とか生き残れました」
と誤魔化した。
『命の輝石』については、あんまり口外しない方がいいかなと思ったんだ。
ベナスさんは「ふん」と鼻を鳴らす。
「ま、お前さんらは前人未到の暗黒大陸から生還した英雄様だからな。その代償として、これぐらいの損傷もあったってことか」
「…………」
「…………」
英雄……?
僕とイルティミナさんは顔を見合わせる。
(『第5次開拓団』って、今じゃ世間的にはそんなイメージなのかな?)
確かに、凱旋した時の歓迎も凄かったもんね。
……本人的には、全然、自覚ないけど。
ぼんやりそんなことを考えていると、イルティミナさんが話題を戻すように、ベナスさんに話しかけた。
「それで修理は可能ですか?」
「おうよ」
ベナスさんは頷いた。
「去年、アービンカに送ってもらった部品の在庫がまだあるからな。損傷個所を交換すりゃ、すぐ直る」
わ、よかった。
僕は一安心だと、息を吐いた。
イルティミナさんも「よかったですね」と微笑み、僕の髪を撫でてくれる。
えへへ、気持ちいい。
そんな僕ら2人に、ベナスさんは苦笑する。
「んで? もう1つ、俺に相談したいことがあるっつってたな? そいつはなんだ?」
あ、そうだった。
思い出した僕は、慌てて左腕を前に出した。
「これです」
そこにあるのは、『白銀の手甲』だ。
ベルトを緩め、装備を外す。
(よいしょ)
ギュッ
抜く時に、少し抵抗が強かった。
「この手甲なんですけど、最近、サイズがきつくなってきちゃって……。どうにかできませんか?」
僕は、そう訊ねた。
実は、これが最近の悩みだった。
前までは平気だったのに、最近は抵抗が大きくて、つけ外しの時に少し苦労しているんだ。
「マールも成長しましたからね」
とイルティミナさん。
(……そうなのかな?)
あまり自覚はないんだけど、彼女は穏やかに笑って、
「だいぶ背も伸びましたよ? 前は片手で貴方を抱きあげられましたが、今ではもう無理でしょうね」
と言う。
た、例えが恥ずかしいな……。
(でも、そうなんだ?)
ソルティスだけじゃなくて、僕もちゃんと成長していたんだね。よかった。
ベナスさんは「ほ~ん?」と興味深そうに『白銀の手甲』を受け取る。
しばらく手の中のそれを眺めて、
「こりゃ、俺にはちと無理だな」
と言った。
(え?)
僕は驚いた。
「無理……ですか? ベナスさんでも?」
「あぁ」
ドワーフの老人さんは頷いて、
「金属の装甲を広げることはできらぁ。だが、コイツには精霊が宿ってるんだろ? 下手にいじると、その精霊を殺しちまうんだわ」
えぇ、精霊さんを!?
僕は、真っ蒼になった。
「精霊魔法ってのは、エルフ特有の分野でな。普通の鍛冶とは、ちと違う。精霊魔法を使えるエルフの鍛冶師でもなきゃ、サイズを直すのも難しいわな」
「そ、そうなんですか……」
知らなかった。
ベナスさんは『白銀の手甲』を返してくれる。
僕は受け取り、それを大事に胸に抱いた。
そういえば、この『白銀の手甲』を僕にくれたエルフのシャクラさんも、成長して装備できなくなったからって、僕に譲ってくれたんだっけ。
(……どうしよう?)
精霊さんには、ずっとお世話になっている。
今更、お別れなんて嫌だよ。
でも、この先もっと成長したら、僕も装備できなくなってしまう。
いったい、どうしたら……?
悩む僕を、イルティミナさんは気遣わし気に見つめ、それからベナスさんを見た。
「そのようなエルフの鍛冶師に、心当たりはありませんか?」
「ねぇな」
ベナスさん、即答だった。
あご髭をこすりながら、
「そもそもエルフで鍛冶やってる奴なんて、相当な物好きだ。少なくとも、この王都にゃいねえよ。いるとすりゃ、それこそ『エルフの国』かね」
と言った。
(エルフの国……)
まさに今、コロンチュードさんが訪れている遠い異国の地だ。
さすがに無理だよ……。
僕は、ガックリ肩を落とす。
イルティミナさんが「……マール」と慰めるように、僕の背中を撫でてくれる。
ベナスさんもバツが悪そうに、
「力になれなくて、すまねぇな」
と口にする。
あ……っと、
「ごめんなさい、大丈夫です」
関係ないベナスさんにまで、余計な気遣いをさせてしまった。
いけない、いけない。
僕は気を取り直す。
「エルフの鍛冶師じゃないと直せないって、わかっただけでも助かりました。知らなかったら、精霊さんを死なせちゃってたかもしれないです。だから、本当にありがとうございました」
笑顔で、そう頭を下げた。
ベナスさんは「そうかい?」と、ちょっと複雑そうな顔だった。
それから僕らは『妖精の剣』の刃の研ぎと修正をしてもらい、『妖精鉄の鎧』の修理を頼んで、明日、受け取りに来ることを約束して、ベナス防具店をあとにした。
イルティミナさんと一緒に、人の多い王都の通りを歩く。
途中で、
「……残念でしたね」
ふとイルティミナさんが声をかけてきた。
「うん……」
僕は、正直に頷いた。
でも前を向いたまま、
「だけど、諦めるのは嫌だから、明日からエルフの鍛冶師さん、探してみるよ」
と続けた。
イルティミナさんは驚いた顔をする。
「キルトさんとか、ギルドにいるエルフさんとか、色んな人に聞いてみる。もしかしたら、コロンチュードさんなら何か他の方法も知ってるかもしれないし、帰ってきたら彼女にも聞いてみたいな」
「…………」
「まだまだ、僕は精霊さんとがんばりたいんだ」
そう言って、『白銀の手甲』をつけた左手を、青い空へとグッと伸ばした。
ギュッ
何かを掴むように、指を握る。
イルティミナさんは、どこか眩しそうに僕を見ていた。
「そうですね。私もお手伝いします」
「うん、ありがとう、イルティミナさん!」
僕は笑った。
イルティミナさんも笑ってくれた。
そうして僕らは笑ったまま、手を繋いで、我が家への道を歩いていった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。