034・キルトとの夜
第34話になります。
よろしくお願いします。
(……あれ?)
ふと僕は、目を覚ました。
すぐ目の前には、まぶたを閉じたイルティミナさんの美貌が、驚くほど近くにある。どうやら彼女に抱きしめられたまま、いつの間にか、眠ってしまったらしい。
(パブロフの犬かな、僕は?)
抱き枕にされると、条件反射で寝てしまうとか……ちょっと自分が恥ずかしい。
そうして僕は、彼女を起こさないよう注意して、身体を起こす。
部屋は、もう真っ暗だ。
壁にある照明が、淡くオレンジ色に室内を照らしている。誰が点けたんだろう?
視線を巡らせると、隣のベッドにソルティスが寝ていた。
「くか~、くか~」
紫色の柔らかそうな髪を、シーツに散らして、幸せそうなイビキを立てている。仰向けになったお腹は、ポッコリ膨らんでいた。うん、君、いっぱい食べたんだねぇ?
なんだか、そのお腹を撫でたくなる。
それを我慢して、他のベッドも覗いてみる。
「……キルトさん、いないね?」
まだ酒場にいるのかな?
この部屋には、時計がないので時間がわからない。
僕は、窓辺に立った。
メディスの街は、家々の灯りや街灯によって、光に美しく飾られていた。
黒い影になって見える家々も、日本とは違う独特の形をしていて、なんだか幻想的にも見える。特に、聖シュリアン教会は、ライトアップもされているようで、遠くからでも『綺麗だな』と素直に思えた。
空を見上げると、赤と白2つの月が星々の中に輝いている。
(紅の月があの高さだと……今、22時ぐらいかなぁ?)
時計がなくても、時間がわかる――僕も、異世界生活に慣れてきたようだった。
室内を振り返る。
イルティミナさんもソルティスも、ぐっすりと眠っている。美人姉妹の姉の方は、泣いた目元がちょっと赤くなっていたけれど、もう苦しそうな様子もなくて、どこか安心しているような寝顔だった。
(うん、よかった)
それに、つい笑った。
そして僕は、なんとなくキルトさんを探しに、2人の眠る部屋をあとにした――。
◇◇◇◇◇◇◇
(あ、いた)
階段を下りると、銀髪の美女は、やっぱりまだ酒場にいた。
でも、カウンター席に座る彼女の隣に、見知らぬ男が座っている。金髪碧眼で、海外の映画スターみたいにハンサムだ。笑うたびに、白い歯が輝いている。
「…………」
お邪魔かな?
声をかけるのをためらっていると、キルトさんがふとこちらを向いて、僕に気づいた。
その美貌が、パッと明るく輝く。え?
「おぉ、マールか? よく来たの!」
「…………」
「何をしている、早うこちらに来い。――ほれ、連れが来たぞ。わかったら、貴様はとっとと去ね」
シッシッと、白い手が振られる。
ハンサム男さんは、軽く肩を竦めて、椅子から立ち上がった。そのまま、仲間らしい冒険者の人たちがいるテーブルに戻っていく。彼は、その仲間たちに、肩を叩かれたり、笑われたりしている。
僕は、入れ替わるように、キルトさんの隣に座った。
途端、彼女は、ため息をつく。
「やれやれじゃ。声をかけてくる男が多くて、敵わぬ。ゆっくり、1人で酒を楽しむこともできぬよ」
「あぁ、ナンパされてたの?」
キルトさん、美人だもんね。
彼女は苦笑して、僕の頭をポンポンと叩いた。
「そなたが来てくれて、助かった」
「僕、虫よけ?」
「フフッ、許せ」
そう告げる笑顔は、とても美しくて、格好いい。
(うん、たくさんの男の人に声をかけられるよ、この人は)
僕だって、少し見惚れてしまった。
キルトさんは、手にしたジョッキのお酒をグッとあおる。プハッと美味しそうに息を吐いて、カウンターテーブルに片肘をつきながら、僕をその黄金の瞳で流し見た。
「それで? イルナの様子はどうじゃ?」
「うん、もう落ち着いてる」
「そうか。それなら、よかった。――手間をかけたの、マール」
「ううん」
元々は、僕のせいだろうし。
思い出したら、申し訳なさで気分が落ち込んできた。
そんな僕を見つめて、キルトさんは、不意に言った。
「マールと出会って、イルナは、よかったかもしれぬの」
「……え?」
僕は、顔を上げる。
キルトさんは、遠くを見ながら、どこか寂しそうに言った。
「ここ3年ほど、あやつは、少し情緒不安定であっての。時々、自暴自棄になるような無茶をすることがある。今回、赤牙竜に分断されたのも、それが原因じゃ」
「…………」
「じゃが、そなたと共にいるイルナは、とても安定している。そなたには、感謝せねばの」
キルトさんは、穏やかに笑う。
僕は、そんな彼女に、恐る恐る聞いてみた。
「キルトさんは、イルティミナさんの身体のこと、知ってるの? その、子供の……」
彼女は、驚いた顔をする。
「そなた、イルナから聞いたのか?」
「うん」
「そんなことまで話したか……イルナめ、相当に、入れ込んでおるな?」
難しい顔をして、そして、ため息をこぼす。
「気をつけよ、マール。あの女は、色々とこじらせておる。特に、その件があって以来、男からは距離を置いてきた。その反動もあるかもしれぬ」
「…………」
「冷静な女に見えて、内側には、誰よりも情熱を秘めた女じゃ。狙われると大変ぞ?」
なんだか、大袈裟なことを言っている。
危機感のない僕に、彼女は、困ったように笑った。
「まぁよい。そなたには、まだ早い話かもしれぬ」
「…………」
「しかし、イルナの好みは、こういう年下であったか。……本当に、わからぬものよ」
そうして、ジョッキをあおる。
中身は、空になった。
僕は、テーブルにあった酒瓶に手を伸ばして、そこにお酒を注いでやる。
「おぉ、気が利くな?」
キルトさんは驚き、そして、愉快そうに笑った。
そんな彼女に、僕は聞く。
「キルトさん、イルティミナさんとは付き合い、長いの?」
「ふむ? 7年ほどかの」
7年前っていうと、イルティミナさんの村が襲われた時だ。
「傷だらけだったあの姉妹を、わらわが見つけての。冒険者ギルドに連れていった。それ以来の友人じゃな」
「へぇ?」
「パーティーを組んだのは、3年前か。イルナが情緒不安定になり、それを心配して、ソルティスも冒険者になった。さすがにこれは、そばにいてやらねばまずい、と思っての」
「ソルティス、お姉さんを心配して冒険者になったの?」
あの幼い眼鏡少女の姿と、大杖を振るう冒険者としての少女の姿を思い出して、聞く。
キルトさんは、「うむ」と頷いた。
「あれはあれで、難しい娘での。姉に感謝をしながら、姉に負い目を感じて、生きておる」
「…………」
「幼い自分を守ってくれた姉に、恩返しをしたくて、必死に魔法を勉強したが、その分、同世代の子らと接する機会を失った。……ゆえに、ソルは、そなたとどう接して良いのか、わかっておらぬ部分もあろう」
「…………」
「じゃが、だからこそ、ソルにとって、マールとの出会いは良きことであったと、わらわは思っておるよ。勝手な話じゃがな」
『許せよ』と彼女は、申し訳なさそうに笑った。
僕は、正直に言う。
「僕は、イルティミナさんのこと好きだし、ソルティスのことも嫌いじゃないよ?」
「そうか」
「キルトさんのことも、格好いいと思ってる」
「……クハハッ、なるほど。こういう部分が、イルナの琴線に触れたか?」
彼女は、膝を叩いて、なぜか楽しそうだった。
「ふむ。早く引き離した方が、傷は浅いと思っておったが……やはり、わらわは判断を誤っておったな」
「?」
「いや、なんでもない。――マールよ。どうか、これからも2人と仲良くしてやってくれ」
言われなくても。
僕は、大きく頷いた。
それを見て、キルトさんは安心したように笑った。
そして、またジョッキをあおろうとする。
そんな彼女へ、僕は、なんとなく思ったことを言ってみた。
「なんだか、キルトさんって……2人のお母さんみたいだね?」
ゴフ……ッ
キルトさん、急にむせた。
うわ?
「だ、大丈夫?」
「い、いや、問題ない。少し驚いただけじゃ」
口元を腕で拭って、彼女は、苦笑いする。
「しかし、母親みたい……か。わらわも、年じゃのぉ」
「年って……」
キルトさん、若いくせに変なことを言う。
呆れる僕に、彼女は聞いた。
「そなた、わらわが幾つに見える?」
「ん、25ぐらい、かな?」
寝室の話で、イルティミナさんは20歳だと知ったから、そこから多めに5歳ぐらい足してみたんだ。個人的には、もうちょっと若い22、23ぐらいだと思ってるけど……。
でも、キルトさんは、可笑しそうに笑って、
「今年30ぞ」
「…………。嘘ぉ!?」
思いっきり、キルトさんの美貌を覗き込む。
白い肌には、艶も張りもあって、シミやシワは一切ない。銀色に輝く髪だって、凄く綺麗だ。外見だけなら、大人びた10代と言われても信じるレベルだよ?
(喋り方や雰囲気があるから、年を多めに言ったけれど……)
まさか、30歳とは……。
驚く僕に、キルトさんは、嬉しそうに頬を緩ませる。
「そなた、良い反応をしてくれるのぉ。女を喜ばせるコツを知っておるわ」
……いや、正直な反応です。
呆ける僕の頭を、キルトさんはクシャクシャと撫でる。
そして、そのまま、グッと引き寄せられた。
(わっ?)
コツッとおでこ同士がぶつかる。
お酒の甘い匂いのする声が、僕へと甘く囁いた。
「これからしばらくは、このような女たちとの旅になる。――どうか、よろしく頼むぞ、マール」
顔が離れ、そして彼女は笑った。
豪快に、明るく、太陽のような笑顔だった。
(あぁ……この笑顔に、あの姉妹も助けられてるんだろうなぁ)
そう思った。
キルトさんは、楽しそうに笑いながら、またジョッキのお酒をあおる。「今日の酒は、美味いのぉ」なんて言いながら、何杯も。
だから僕も、その空になったジョッキに、何回も酒瓶を傾けた。
それだけでも、なんだか楽しかった。
――僕がメディスで過ごした初めての、そして最後の夜は、そんな風にして更けていったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次話にて、メディスの街での物語はいったん幕となり、次々回からは、王都への街道編になります。(相変わらずのスロー展開で、申し訳ないですが、もしよろしければ気長にお付き合いください)
※次回更新は、2日後の月曜日0時以降になります。よろしくお願いします。
 




