033・酒夜の告白
第33話になります。
よろしくお願いします。
――楽しい時間だった。
酒場の中には、他の冒険者たちの声が賑やかに響いている。それをBGMに、美味しい料理に舌鼓を打ち、僕らは、他愛ない話に花を咲かせる。
うん、転生してから一番、賑やかな時間だったと思う。
でも不思議なことに、そういう時に限って、悪いことも起きるみたいで、
(あれ?)
僕はふと、隣のイルティミナさんの異変に気づいた。
いつの間にか、彼女の料理を食べる手が止まっている。どうしたんだろう、あんなに美味しい料理なのに?
ガタッ
彼女は突然、片肘をテーブルに着いた。え?
そうして身体を支えながら、彼女は、辛そうに息を吐く。その美貌は、耳まで紅潮して、それを美しい髪が柔らかく隠している。頬を流れた汗が、白い首筋を伝っていく。
「ど、どうしたの? イルティミナさん、大丈夫?」
「……あ」
声をかけると、彼女はハッと顔を上げる。
心配そうな僕を見つけると、彼女は、いつものような笑顔を作った。
「な、なんですか、マール? 私は、どうもしませんよ?」
「…………」
嘘だ。
他の人には、どう見えるかわからない。でも、僕には、それが無理に作った笑顔にしか見えなかった。
「嘘つかないで」
「…………」
「イルティミナさん、具合、悪いんだよね? ……それとも、本当のことが言えないぐらい、僕は頼りない?」
話してもらえない自分が情けなくて、ちょっと泣きたくなってしまった。
そんな僕を見て、イルティミナさんは慌てたように「い、いえ、そんなことは!」と、否定する。でも、次の瞬間、眩暈を起こしたように彼女の上半身がグラッと傾いた。
(危ない!)
反射的に両手を伸ばして、彼女を抱きとめる。
イルティミナさんの身体は、火がついたように熱くなっていた。
そこに至って、ようやく同席していた2人も、僕らの様子に気がついた。
「え、どったの?」
「イルナ? どうかしたか?」
僕の腕の中で、イルティミナさんは「はぁはぁ」と荒く呼吸を乱している。
さすがにキルトさんが立ち上がった。
僕らのそばに来ると、イルティミナさんの額に手を当て、その白い手首から脈を取る。彼女は表情をしかめ、そして視線を巡らせる。その黄金の瞳が止まったのは、カウンターにある木製のジョッキを見つけた時だった。
そこには、半分だけ、ビールのような金色の液体が残されている。
キルトさんは、唸るように言った。
「ふむ……どうやら、酒精にやられたか」
「酒精?」
僕は、オウム返しに聞き返す。
「酒のことじゃ。こやつは、あまり酒に強くない」
え?
つまり、酔っぱらってるってこと?
僕は、唖然とする。
でも、ソルティスが怒ったように、そんな僕を見る。
「ただ酔ってるんじゃないわよ。血中の魔力も暴走してるんだから」
「え……血中の魔力?」
「イルナ姉の体質なの。疲れてる時に、アルコールを摂取すると、魔力のコントロールが効かなくなるの。辛いんだから!」
そ、そうなんだ?
魔力の知識がない僕には、よくわからない。
(でも、辛そうなのはわかるよ)
今も苦しげな息が、支える僕の首にかかっている。
キルトさんが「ふむ」と頷いた。
「滅多に起きることではないが、心身ともに、疲労が重なっておったせいか。もう少し、様子を見てやるべきであったの」
「あの……それって、やっぱり僕のせいかな?」
不安になって、聞いてしまった。
イルティミナさんは、昨日から、ずっと大変だった。
僕みたいな子供を連れて、トグルの断崖を100メートルも登って、アルドリア大森林を40キロも踏破し、闇のオーラの赤牙竜ガドと死闘を繰り広げ――それらは全て、昨日1日で起こったことだ。その上、メディスの街まで徹夜で歩き、今日は、僕の観光案内までさせてしまった。
僕が、メディスに残るかどうかの話でも、その優しい心には、大きな負担をかけてしまっただろう。
「そなたのせいではない」
キルトさんは、きっぱりと言った。
「これは全て、イルティミナ自身のせいじゃ。自身の疲れも把握せず、酒を口にするのがいかん」
「そうよ。うぬぼれるのも、大概にしなさい、ボロ雑巾」
ソルティスが、ベシッと僕の後頭部を手刀で殴る。
そして、少し柔らかい声になって、
「ま、イルナ姉も『ボロ雑巾と王都まで行ける』ってことで安心して、浮かれちゃったんでしょ。珍しいわ、こんな失敗するイルナ姉なんて」
「…………」
僕は、イルティミナさんの顔を見る。
苦しそうに息を吐いて、僕を見る真紅の瞳は、優しいものだった。
「マール、心配させて、ごめんなさいね」
「ううん」
「大丈夫ですよ? 部屋で少し休めば、すぐによくなりますから」
そう言って、彼女は、椅子から降りようとする。
(おっと!)
彼女の足が泳いで、僕は慌てて、また彼女を抱きしめる。
「す、すみません」
恐縮し、顔を赤くするイルティミナさんに、僕は首を振った。
そして、後ろの2人を振り返る。
「キルトさん、ソルティス。僕、イルティミナさんと一緒に、ちょっと部屋まで行ってくるよ」
「ふむ、その方が良さそうじゃな」
「そうねー。1人だと、階段とか心配だし」
2人も頷いてくれる。
イルティミナさんは、少し慌てたように僕の身体を遠ざけようとしながら、何かを言おうとした。
「イルティミナさん……僕に支えられるの、嫌?」
口の動きが止まった。
そして、代わりに、大きなため息がこぼれ落ちる。
「まさか。嫌ではありません」
よかった。
僕は、安心して笑ってしまった。
「……マールは、いけない子ですね? 私の血は、また別の意味で、暴走しそうです」
「え?」
「いえ、なんでもありませんよ」
笑って、彼女は覚悟を決めたように、僕の肩に体重を預けてくれた。
ちょっと密着して、恥ずかしい気持ちもある。
だけど、そんなことを気にしている場合じゃないから、僕は彼女の腰にしっかりと手を回しておく。
「すまぬな、マール。イルナのこと、任せるぞ?」
「イルナ姉、ゆっくり休んでね」
心配する2人の声に、僕らは頷いた。
そうして、至近にある互いの顔を見る。
「じゃあ、行こう?」
「はい、マール」
頬を赤くした彼女が頷いて、僕らは身を寄せ合いながら、3階に通じる階段の方へと歩き始めた――。
◇◇◇◇◇◇◇
イルティミナさんに肩を貸しながら、僕らは無事に階段を上り切って、3階に辿り着いた。
「ごめんなさい、重かったでしょう?」
「ううん」
申し訳なさそうなイルティミナさんに、僕は首を振る。
嘘じゃない。
初めて、彼女を見つけた時、僕は、トグルの断崖から塔まで、彼女を背負って歩いたんだ。それを思えば、自分の足でも歩いてもらった分、今の方が全然、楽だった。
「軽かったよ、イルティミナさん」
「そ、そうですか」
なんだか、少し照れたようにうつむくイルティミナさん。
(???)
まぁ、いいか。
とりあえず階段を上がり切ったことで、転落の危険はなくなったんだ。ちょっと一安心。
そうして僕は、部屋の扉を開ける。
室内は、もう薄暗くなっていた。
窓からは、メディスの街の光と、2つの月の光が差し込んでいる――そのおかげで、視界は一応、確保されていた。
(照明は、点けなくていいよね)
それよりも、まずはイルティミナさんを、ベッドに横にしてあげたかったし、もし、そのまま眠るなら、灯りは要らない。
「足元、気をつけてね?」
「はい」
暗い中を、僕らは密着しながら、ベッドの方へ近づいていく。
そうしてイルティミナさんは、清潔なシーツの上に、大きなお尻を下ろした。やはり、起きているのは辛いようで、すぐにベッドに身体を横たえてしまう。
「ふぅぅ」
大きな吐息が一つ、桜色の唇からこぼれる。
深緑の美しい髪は、シーツの上に広がって、窓からの明かりにキラキラと輝いている。白い肌は紅潮して、しっとりと汗に濡れていた。
(……変なコト考えるな、僕)
紳士な僕は、心の中で自分を殴っておく。
「じゃあ、寝るのに邪魔だろうから、僕はもう行くね?」
彼女のそばにいたい気持ちもあったけど、我慢する。
でも、立ち上がろうとした僕のシャツの袖を、イルティミナさんの白い指が摘まんでいた。
「もう少し……一緒にいてもらえますか?」
「…………。うん」
不安そうな声だったので、僕は、頷いた。
部屋に一つだけある椅子を引っ張って来て、ベッド脇に座って、イルティミナさんの手を握る。彼女の手は、とても熱かった。その白い指は、すぐに僕の手を握ってくる。
彼女は、安心したように笑った。
「ありがとう。マールは、優しいですね?」
「ううん」
僕は、困ったように首を振る。
3人はああ言ったけれど、今回のことは、やっぱり僕のせいなんだ。イルティミナさんがあまりに優しいから、僕は、それに甘え続けて、大切な彼女をこんな目に遭わせてしまった。
謝りたかった。
でも、謝っても、彼女は認めないだろうし、余計に困らせるだけなので、それを口にもできない。
(どうしてだろう?)
今も、こんな子供の手を握ってくれる彼女に、僕は、つい聞いてしまった。
「どうしてイルティミナさんは、僕に優しいの?」
「……え?」
驚いたように、真紅の瞳が僕を見る。
それを見返しながら、僕は、ずっと思っていたことを口にする。
「僕は、ただの他人だよ?」
「…………」
「たまたま、イルティミナさんの命を助けたけれど、そのお礼は、充分にしてもらってる。ううん、充分以上だ。……それなのに、どうして僕に、そんなに優しくしてくれるの?」
わからなかった。
自分で言うのもなんだけど、僕は『得体の知れない子供』だと思う。
なぜか森の奥で1人で暮らしていた。
しかも、記憶がない。
例え、命を救われても、こんな子供には、関わりたくないと考えるのが普通だと思うんだ。
でも、彼女は違った。
足手まといの僕を見捨てずに、森から連れだしてくれて、時には、自分が赤牙竜の囮になって、命がけで僕を守ろうとしてくれた。
(なんでなの?)
本当にわからなかった。
戸惑いや不安の光に、僕の青い瞳は揺れている――イルティミナさんの真紅の瞳は、それを黙ったまま見つめ返し、やがて、大きく息を吐いて、彼女はこう答えた。
「私が、マールに優しいのは、きっと私自身のためですよ」
「…………」
「少し、昔話をしましょうか?」
困惑する僕に、彼女は、いつものように優しく笑った。
そして、天井を見ながら、寝物語をするように語りだす。
「私は昔、遠い山奥の村で生まれ、暮らしていました」
「…………」
「そこは、人里を離れた何もない村でしたが、のどかで大らかで、村の人もみんな優しくて、私は、その村のことが大好きだったんです」
話している彼女の瞳は、とても優しかった。
でも、そこに急に影が落ちる。
「ですが今から7年前、私が13歳の時に、私の暮らしていた村は、人狩りの襲撃にあってなくなりました」
「……え?」
「父様や母様、そして優しい村の人たちに守られて、私と当時6歳だった幼いソルは、村を脱出させてもらいました。でも、村の人たちは皆、殺されて、生き残ったのは、私たち姉妹だけだったんです」
一度、彼女は、大きく息を吐く。
「よくある、珍しくもない話ですよね?」
「…………」
「それから、私は、幼い妹を守りながら生きるのに、必死でした。村の人たち以外の他人を、私は、信用できませんでした。だから私は、自分だけを頼りにして、この世界で生きてきたんです」
そう告げる彼女は、僕と繋いでいない方の手を、見つめていた。
その手が経験してきた、彼女のこれまでの人生には、いったいどれほどの痛みや苦しみがあったんだろう? 僕には、とても想像することもできない。
「――でも」
その手を握って、彼女は瞳を伏せる。
そして、開いた真紅の瞳は、小さく笑いながら、僕を見た。
「正直に言えば……私は、誰か頼りになる大人に、自分のことを助けてもらいたかったんですよ?」
「…………」
「だから私は、マールにとっての、そんな大人になりたかったんです」
ギュッ
僕の手が、強く握られる。
「ごめんなさい、自分勝手な話ですよね?」
「ううん」
嬉しかった。
ただ嬉しくて、ありがたくて、泣きたくなるほどに。
そんな僕を見て、イルティミナさんは『よしよし』とあやすように、頭を撫でてくれる。
そうして、彼女は、紅い瞳を伏せる。
「もう1つだけ……別の理由もあります」
「え?」
「私は、子供が産めません」
え……?
あまりに唐突で、一瞬、意味が分からなかった。
「3年前にわかりました。村を逃げる時に負った深手が原因で、私は、子供を産めない身体になっていたんです。女としては欠陥品です。一生、母親として生きることは、なくなりました」
「…………」
「でも、マールは可愛くて、だからつい、自分の子供のように甘やかせたくなった部分もあるんです」
行き場のない母性を、僕に向けた――泣きそうな笑顔で、彼女は、そう告白してくれた。
(イルティミナさん……)
僕は、自分の心の中を、覗き込む。
そうして見つけた正直な気持ちを、僕は、彼女にぶつけてみた。
「じゃあ、イルティミナさんと結婚する男の人は、幸せだね」
「え?」
彼女は、驚いた顔をする。
僕は笑った。
「だって、子供に奥さんの愛情を、奪われることがないんだもん。その分も、イルティミナさんに愛してもらえるんだよ? その人、すっごく幸せだよ」
「――――」
結婚って、子供が欲しくてするわけじゃないんだ。
大好きな人とずっと一緒にいたいから、その人と幸せになりたいから、するんだと思う。子供はきっと、その幸せの一つで、全てじゃない気がする。
(まぁ、前世でDTっぽい、僕の勝手な意見だけどね?)
でも、本当にそう思った。
そして、イルティミナさんは、
「マール」
グイッ
わっ?
突然、僕の手を引き寄せ、きつく抱きしめられた。
(えっ? あ、あの? イルティミナさん?)
ちょっと慌てる。
でも、抜け出そうとした時、彼女の手が震えていることに気づいた。
(いや……手だけじゃない)
イルティミナさんは、身体中を震わせていた。
――泣いてる。
抱きしめられる僕からは、その顔は見えない。
でも、わかる。
彼女はポロポロと涙をこぼして、声を殺して、泣いていたんだ。
「…………」
僕は何も言わず、彼女の頭を撫でた。
サラサラした綺麗な髪を、優しく、慈しむように、イルティミナさんが僕に向けてくれた愛情のように、撫でてやった。
触れた途端、ビクッと彼女の身体が震えて、
「ふっ……ぅ……ぅぅう……」
堪えきれない嗚咽が聞こえ始める。
そこにいるのは、きっと7年前のイルティミナさんだった。
抱えきれない重荷を負わされた、可哀想な女の子――その頃、そばにいられなかった悔しさを晴らすように、せめてと、僕は、その少女の髪を優しく撫で続ける。
それしかできなかった。
「マール、あぁ……マールぅ」
暗い室内に、すがるような彼女の声が、いつまでも響いていた――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




