番外編・転生マールの冒険記32
番外編・転生マール冒険記32になります。
よろしくお願いします。
翌朝、僕は、太陽が昇る前に目を覚ました。
同じ船室のキルトさん、ソルティス、ポーちゃん、トルキアの4人は、まだ眠っている。
「…………」
みんなを起こさないよう気配を殺して、僕は船室を抜け出した。
…………。
早朝の『トルーガ軍・拠点』は、まだ薄闇の中にあった。
東の空だけが、少し白い。
僕は、その中を移動して、イルティミナさんのいる『救護テント』へと向かった。
テントに入る。
途端、消毒液と血の臭いがして、痛みを堪えるような呻き声があちこちから聞こえてきた。
心をギュッと固めて、その中を歩く。
イルティミナさんのベッドに近づくと、
「マール?」
驚いたことに、彼女はもう目を覚ましていて、僕を見つけて紅い目を丸くしていた。
でも、すぐに嬉しそうに笑う。
(あ……)
それだけで、僕の心も柔らかくなった。
そのまま僕は小さく笑って、ベッドのそばに備えられていた木製の椅子に座った。
イルティミナさんは、ベッドの上に上体を起こしている。
「もしかして、お見舞いに来てくれたのですか?」
「うん」
彼女の問いに、僕は頷いた。
イルティミナさんは、幸せそうに真紅の瞳を細めた。
僕は言う。
「ごめんね、こんな朝早くに。……でも、イルティミナさんのことが気になって仕方なくて……」
しょぼんと肩を落とす。
本当は、ゆっくり休ませないといけないってわかってる。
でも、夜も眠れなくて、朝が来たと思ったら、もういてもたってもいられなかったんだ。
イルティミナさんの寝顔を見てるだけでもいいと思って来たんだけど、
(まさか、起きてるとは思わなかったよ)
罪悪感に落ち込んでいる僕に、イルティミナさんは優しく笑った。
「嬉しいです」
「……イルティミナさん」
彼女の腕は、僕の頭を自身の胸元へと抱き寄せた。
ギュウ
柔らかな弾力が、僕の顔を包む。
甘やかな彼女自身の匂いも感じる。
ちょっと慌てる僕の耳に、彼女は唇を寄せて、
「私も、昨夜はよく眠れなかったんです」
「そうなの?」
「はい。……こうして、可愛いマールを抱き枕にできなかったので」
最後は、悪戯っぽく囁く。
あはは……。
嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気持ち。
そんな僕の髪へと、イルティミナさんは鼻先を沈めて、ゆっくりと深呼吸をする。
それから、その髪へ、ついばむようなキスを落として、
「あぁ……マールがいてくれると思うと、安心します」
そう言ってくれた。
(…………)
うん、僕も同じ気持ちだよ。
そうして僕とイルティミナさんは、お互いの存在を確かめ合うように、しばらくの間、抱き合っていた。
◇◇◇◇◇◇◇
それから、イルティミナさんが「外の空気を吸いたい」と言うので、僕らは一緒に『救護テント』を出た。
僕は、彼女の右側に密着し、肩を貸しながら歩く。
(あったかい……)
触れ合う部分の温もりが心地好かった。
「ごめんなさいね、マール」
「ううん」
謝るイルティミナさんに、僕は笑って首を振る。
イルティミナさんの左手には『白翼の槍』があって、今、それは松葉杖の役割を果たしていた。
ヒョコ ヒョコ
その歩き方は、やっぱりぎこちない。
右足は動いているけれど、まだ力が入らないみたいだ。
やがて僕らは、拠点全体を見下ろせるような丘の上へと辿り着いた。
吹く風が、彼女の長い髪をなびかせる。
東の空からは、ようやく太陽が顔を出して、その輝きがイルティミナさんの美貌を照らしている。
(…………)
……本当に、綺麗な人だな。
彼女の横顔に、改めて、そう思った。
なんとなく、こうして寄り添ったまま、ずっとこうしていたいなと思えた。
そんな彼女の美貌が、ふとこちらを向く。
「すみません、マール。少しだけ離れていてもらえますか?」
え?
「う、うん」
驚きながら、僕は頷いた。
彼女がバランスを崩さないよう慎重に、貸していた肩を離していく。
イルティミナさんは、白い槍を杖代わりにして、再生したばかりの右足を軽く持ち上げ、左足1本で立った。
「…………」
真紅の瞳が細まり、真剣な光が灯る。
杖代わりにしていた『白翼の槍』も地面から離れて、それでも彼女の姿勢は安定していた。
そのまま槍を構える。
(凄いバランス感覚……)
僕は思わず、目を瞠ってしまった。
そして彼女は、そのまま『白翼の槍』を前方へと繰り出した。
ヒュボッ
空気を裂く、鋭い音。
左足を軸にして、身体全体を回転させながらの見事な攻撃だった。
ヒュンッ ヒュオン
槍を引き、回転させる。
そこから彼女は、突き、払い、受け、などの動きを繰り返した。
(……うわぁ)
片足だとは思えない、美しく、無理のない動きだ。
カッ
そう思ったら、今度は彼女は、槍の石突部分で地面を突き、反動で2メードほど跳躍した。
そのまま、片足で着地。
(移動もできるの!?)
驚く僕の前で、イルティミナさんはその跳躍を繰り返しながら、更に、槍での攻撃や防御の動きを加えていった。
なんて人だ。
イルティミナさんには、片足が動かなくても関係ないのだろうか?
そう錯覚させる動きだった。
でも、
「……っ」
攻撃して跳躍した直後、着地でバランスを崩した。
イルティミナさんは、慌てて白い槍で身体を支えようとしたけれど、無理な体勢だったので、それも失敗した。
ズダン
「イルティミナさん!?」
地面に倒れ込んでしまった彼女に、僕は慌てて駆け寄った。
イルティミナさんは、悔しそうに右足を睨んでいた。
その美貌は汗まみれで、呼吸も大きく乱れている。
(あ……)
いつもでは考えられない消耗量。
あれだけの動きをするために、彼女がどれだけの集中を必要としていたのか、今更ながら僕は思い知った。
「やはり……駄目ですね」
絞り出すような声。
「もう少しできるかと思っていましたが、まるで思い通りに動けません」
「…………」
僕は、何も言えなかった。
イルティミナさんは、こちらに手を伸ばしてくる。
僕は近づいた。
ギュッ
(わっ?)
頭を引き寄せられ、そのまま抱きしめられた。
「今日の戦いにも、無理についていこうと思っていました。ですが、これでは足手まといですね。マールを守るどころか、逆に危険に晒してしまいそうです」
その声は、少し震えていた。
(イルティミナさん……)
いつも僕を守ってくれていたお姉さんは、泣きそうな顔だった。
「ごめんなさい、マール。これからの戦いに、私は一緒にいられません。……本当に、ごめんなさい」
「…………」
ギュウ
僕を抱く手に、力がこもる。
イルティミナさんは、自分の方が片足が動かなくて大変なのに、僕のことを心配してくれていた。
僕のことを思ってくれていた。
(…………)
僕は、彼女の背中に回した手に力を込める。
そして言った。
「大丈夫。僕は、必ずイルティミナさんのところに帰ってくるから」
彼女は、僕の顔を見る。
僕は、心配かけまいと笑った。
「約束する」
「…………。はい」
イルティミナさんは、まだ泣きそうだったけれど、無理をして微笑んでくれた。
それから、またお互いを抱きしめ合う。
今朝の生まれたばかりの太陽の光が、そんな僕ら2人を照らしている。
(…………)
僕はふと、抱き合いながら顔をあげた。
その先には、今日、僕らが向かう予定のデメルタス山脈が、真っ黒い影となって僕らを見下ろし、ただ静かにそびえていた。
◇◇◇◇◇◇◇
『全軍前進!』
女帝アメルダス陛下のトルーガ語の号令で、8万の軍勢が動きだした。
1000台の木造船が荒野を進む。
僕は、キルトさん、ソルティス、ポーちゃん、トルキアと一緒に『女帝の船』にいた。
振り返れば、後方には『トルーガ軍・拠点』が見える。
そこには、負傷兵、衛生兵、その護衛兵などが1万人ほど残っている。
拠点の前には、動ける兵たちが、出立する『トルーガ木造船団』の見送りに集まっていた。
(あ……)
そこに、白い槍を手にした彼女も立っていた。
大勢がいる中で、その姿を不思議と見つけてしまった。
胸が苦しい。
離れたくない感情と戦わせてはいけないという理性が、心の中でぶつかっていた。
全てを飲み込んで、
「……いってきます」
僕は、ようやく言葉をこぼした。
視線を進路方向に向ける。
荒野の先には森が広がり、そこから先はデメルタス山脈だ。
1000台の木造船から『魔法の砲撃』が行われ、森の木々をなぎ倒して、強引に道を作っていく。
木造船の車輪は、倒れた木々を踏み潰して進んでいく。
森に潜んでいて巻き込まれたのか、中には『黒大猿』たちの死体も混じっていた。
ギャリギャリ
やがて、森の傾斜が厳しくなり、車輪が空転して、木造船でも登れなくなった。
『全軍降船せよ!』
女帝陛下の指示が飛ぶ。
ここからは徒歩だ。
自らの足で、デメルタス山脈を登り、『猿王』がいるだろう山頂を目指していく。
その『猿王』を討伐し、この山の支配権を奪った上で『輝きの石』を捜索、入手するのが目的だ。
でも、敵は25万の『黒大猿』。
厳しい戦いになるだろう。
(……負けるものか)
あの人の笑顔を思い出し、交わした約束を胸に刻みつけて、『妖精の剣』を鞘から抜いた。
他のみんなも、そばにいる。
(さぁ、行くぞ!)
覚悟を決めて、僕は前方の森へと向かって、足を踏み出した。
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