番外編・転生マールの冒険記31
番外編・転生マールの冒険記31になります。
よろしくお願いします。
太陽が、西の空に沈んでいく。
夜を迎えるということで、トルーガ軍は追撃せずに、本日はここに拠点を造って野営をすることにしたみたいだ。
戦場となった荒野の一角で、拠点造りが行われている。
「…………」
僕は、それを『女帝の船』の上から眺めていた。
作業するトルーガ戦士たちの表情は、明るい。
5万体ほどの『黒大猿』を倒した一方で、トルーガ軍の被害は1万人弱だったそうだ。
完全勝利。
だからこそ、雰囲気も明るいのだろう。
(……でも)
1万人ほどの人が亡くなった。
互いに笑顔を交わし、会話をしていた人たちが、ほんの数時間の間に、1万人も亡くなってしまったのだ。
「戦いでの死は、戦士としての『誇り』だ」
女帝アメルダス陛下は、そうおっしゃった。
でも、僕は……。
夕暮れに染まった赤い空を見上げる。
吹く風は冷たくて、遠くには、黒い影となったデメルタス山脈の姿があった。
(…………)
吐息をこぼす。
「イルティミナさんに会いたいな……」
そう思った。
キルトさんと一緒に、戦場へと向かった彼女は、まだ戻ってこない。
その時だった。
「マ、マール!」
甲板の上を、ソルティスがこちらへと走ってきた。
なんだか、顔色が悪い。
その後ろには、ポーちゃんとトルキアの姿もある。
どうしたんだろう?
振り返った僕に向かって、ソルティスは息を整えるのも忘れたまま、泣きそうな顔で必死に言った。
「イルナ姉が……っ、イルナ姉が!」
え……?
そうして伝えられた言葉は、一瞬、理解できなかった。
けれど、その内容は、時間と共に僕の中へと浸透し、全身から血の気を引かせるのに充分なものだった――。
◇◇◇◇◇◇◇
「イルティミナさん!」
僕らはすぐに、負傷者の集まる『救護テント』の1つへと駆けつけた。
『――イルナ姉が負傷して、その足を食い千切られた』
それが、ソルティスのもたらした一報だ。
テント内には、100人以上の負傷者が横になっていた。
青ざめながら視線を巡らせると、その一角に、20人ぐらいのトルーガ戦士が集まっているベッドがあった。
そこに、キルトさんもいる。
こちらに気づいて、彼女は手を上げた。
僕らが近づくと、トルーガ戦士たちは左右に分かれて、場所を開けてくれた。
その先には、
「マール」
驚いた顔でこちらを見ているイルティミナさんが、ベッドに横になっている姿があった。
その右足。
ズボンが膝上で破れていて、その布が真っ赤に染まっている。
ただ、その下には、すでに回復魔法が使われたのか、真っ白な美しい肌の素足が伸ばされていた。
(……イルティミナさん)
ズボンの状態から、彼女が右足を噛み千切られたのはわかった。
僕は唇を噛み締める。
ソルティスは泣きそうな顔で、口元を押さえた。
「イルナ姉ぇ……」
その目元には、大きな涙が滲んでいる。
この状況に、トルキアはオロオロし、その隣で、ポーちゃんは無表情のままだ。
イルティミナさんは、そんな僕らの反応に驚いた顔をした。
それから苦笑する。
「大丈夫ですよ、2人とも。もう、すでに再生は終わりましたから」
そう言って、ソルティスと僕の頭を、順番に撫でてくれた。
でも、安心できない。
(だって、クオリナさんは、同じ負傷が原因で、冒険者を辞めることになったんだ)
冒険者ギルド職員の獣人、クオリナ・ファッセさん。
彼女は『白印の冒険者』まで届きながら、けれど、龍魚に足を噛み千切られ、再生はできたけれど、その足には後遺症が残ってしまった。
その結果、彼女は冒険者を引退し、ギルド職員になったんだ。
回復魔法は、万能じゃない。
外科手術と同じ。
だから、足が再生できていたとしても安心はできないんだ。
そんな僕らの思いが伝わったのか、
「安心せい」
と、キルトさんが言った。
「王国騎士団でも随一の回復魔法の使い手が、イルナを看てくれた。ソルよりも優れた使い手じゃぞ? ゆえに後遺症が残る確率は、相当に低いであろうよ」
そう言って、僕らを安心させようと笑う。
……そうなんだ?
(でも、絶対じゃないよね)
その低い確率で、イルティミナさんの足に後遺症が残る可能性もある。
もしも、そうなったら……。
そうなったら……。
(いけない)
想像したら、泣きそうになってしまった。
ソルティスも同じことを考えているのか、表情は冴えなかった。
心配性な僕ら2人に、イルティミナさんとキルトさんは困ったように、お互いの顔を見合わせていた。
…………。
それからキルトさんは、イルティミナさんが負傷した経緯を教えてくれた。
イルティミナさんは、キルトさんの指示のもと冒険者団47人の一員として、戦場で戦っていた。
そして、その戦場で、
「孤立した『トルーガ戦士』たちがいての」
それは、300人ほどの部隊で、戦線から突出し過ぎたのか、『黒大猿』の群れに完全に包囲されていた。
冒険者団はその援護に向かい、包囲網を食い破った。
そして、戦士団が脱出するまでの防波堤となったのだ。
問題は、その時、『トルーガ戦士』たちへの指示を、イルティミナさんが叫んでいたことだ。
彼女は通訳だ。
トルーガ語を喋れるのは彼女だけで、だからこそ、キルトさんの指示する脱出路を正確にトルーガ戦士たちに伝えるのは彼女の役目だったんだ。
知能の高い『黒大猿』たちは、それに気づいた。
そして、イルティミナさんは集中的に狙われた。
イルティミナさんも必死に応戦したし、キルトさんや冒険者団の皆も援護をしたけれど、止まることのない『黒大猿』と『銀大猿』の波状攻撃によって、彼女は足に1撃を受けてしまったのだ。
とはいえ、300人の『トルーガ戦士』たちは脱出に成功。
キルトさんたち冒険者団も、負傷したイルティミナさんを確保して、すぐに回復部隊のいる地点まで後退し、彼女を預けて戦場に戻ったのだそうだ。
そして今、
「フォケス、ラ、トゥナ」
イルティミナさんのベッドに集まっていたトルーガ戦士の1人が、そう言った。
その単語の1つには、確か、
『ありがとう』
という感謝の意味があったはずだ。
(あぁ、そうか)
ここにいる20人ほどの『トルーガ戦士』たちは、その助けられた300人の戦士団の人たちなんだ。
そして、恩人である彼女に、謝罪とお礼を伝えに来たみたい。
そんな彼らに対して、イルティミナさんは穏やかに微笑みながら、流暢なトルーガ語で応じている。
そして彼女は、戦士団の代表と握手。
20人ほどの『トルーガ戦士』たちは、僕らにも目礼を送り、『救護テント』から去っていった。
その背を見送る。
それから、僕はイルティミナさんを振り返った。
「あの人たちを助けるために、いっぱいがんばったんだね、イルティミナさん」
キュッ
その手を握りながら、そう労う。
イルティミナさんは驚いた顔をしたけれど、すぐに嬉しそうに笑った。
「ありがとう、マール」
キュッ
その指が、僕の手を握り返してくれる。
ソルティスも、もう一方の姉の手を握って、「イルナ姉……」と泣きそうな声を漏らした。
そんな妹に笑って、イルティミナさんはソルティスの手も握り返した。
それを見て、トルキアは涙ぐんでいる。
ポム ポム
ポーちゃんは無表情のまま、ソルティスの背中をなだめる様に軽く叩いていた。
そして、キルトさんは、
「マール、ソル」
そう名前を呼びながら、僕らの頭に両手を乗せた。
「イルナは、もう大丈夫じゃ。しかし、血を流しすぎたしの。少し休ませねばならぬ」
あ……。
「うん」
「そ、そうね」
僕は頷き、ソルティスは目元をグイッと腕で拭って、返事をした。
キルトさんは笑う。
それから、その視線をイルティミナさんへと向けて、
「そなた1人に負担をかけてしまったの、許せ」
「いいえ」
キルトさんの謝罪に、イルティミナさんは微笑んだ。
キルトさんも微笑む。
「今夜は、ゆっくりと休むが良い。明日からのことは、気にするな」
「…………」
コクン
少しだけ申し訳なさそうに、イルティミナさんは頷いた。
(明日からのこと……?)
それから、僕らはキルトさんに促されて、イルティミナさん1人を残して『救護テント』をあとにした。
◇◇◇◇◇◇◇
テントを出たら、外は夜だった。
風が冷たい。
拠点の周囲には、木製の柵が作られ、大量の篝火が焚かれていた。
そばには、たくさんの『トルーガ戦士』も立っている。
『黒大猿』の夜襲に備えるためだ。
僕らは『女帝の船』に船室が用意されているので、そちらに向かう。
(…………)
何回か、『救護テント』を振り返ってしまう。
そんな時、
「皆、よく聞け」
キルトさんが真面目な声で言った。
「イルナの足は大丈夫じゃ。じゃが、再生したばかりで、まだ上手くは動かぬ。無理をすれば、後遺症の可能性も高くなる」
あ……。
その言葉で、僕らは、ようやく思い至った。
気づいた僕らに、キルトさんは頷いた。
黄金の瞳が僕らを見つめ、
「そうじゃ。明日からは、イルナ抜きで戦場へと向かうことになる。そのことを、全員、心しておけ」
そう告げたんだ。
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