293・イルティミナの神炎
第293話になります。
よろしくお願いします。
逃走の日々は、続いている。
『赤茶けた荒野』を走りながら、僕らは『黒い手』以外の敵とも戦っていた。
「やぁあっ!」
ギィン
振るった『妖精の剣』と『大百足』の外皮が火花を散らした。
(くそっ)
急所の節目に、刃が入らなかった。
僕らの周囲には、今、たくさんの『大百足』たちが集まっていた。
王国騎士団や冒険者団の人たちも、群れとなって襲いかかってくる魔物たちに、必死の応戦を行っていた。
ガン ギギィン
剣先で、何度も火花が散る。
……睡眠不足と疲労によって、剣の軌道が安定しない。狙ったところに刃が走らない。
(もっと集中しなきゃ!)
じゃなきゃ『大百足』は倒せない。
ズガンッ
「う……っ!」
焦る気持ちとは裏腹に、僕は、体当たりしてきた『大百足』に押し倒されてしまった。
まずい!
迫る百足の頭部に蒼白になった瞬間、
ザキュン
白い剣閃が走り抜け、その頭部を吹き飛ばした。
「無事ですか、マール!?」
顔をあげれば、そこには白い槍を振り抜いた姿勢のイルティミナさんが立っていた。
ヒュオッ ザシュッ
彼女は槍を振るって、周囲の『大百足』を駆逐していく。
その間に僕は、なんとか立ち上がった。
「ごめん。ありがと、イルティミナさん」
「いいえ」
彼女は微笑んだ。
そして僕らは、背中合わせになって『大百足』たちに向き直る。
「鬼剣・雷光斬!」
ズガァアン
そんな僕らから少し離れた場所では、体長5メードはある『巨大百足』を、キルトさんが青い雷光と共に倒している姿もあった。
すぐそばでは、『炎の蝶』を生み出すソルティス、光る拳を振るうポーちゃん、2人の姿もある。
みんな必死だった。
(早く、こいつらを倒さないと……!)
そう思った時だった。
ゴゴゴ……ッ
『赤茶けた荒野』に地震が走った。
「!」
追いつかれてしまった。
そう思った瞬間、赤土の地面からあの『黒い手』が無数に生えてきた。
カシュッ
それは『大百足』たちの硬い外皮も貫いて、あっさり絶命させてしまう。
「マール!」
グイッ
イルティミナさんが、慌てて僕を引っ張る。
直後、今まで僕がいた地面から『黒い手』が空へと伸びていった。
「くっ」
キルトさんが忌々しそうに、『大百足』を斬り捨てながら、『黒い手』の襲撃をかわしている。
「ま、また来たぁ!」
ソルティスが『もう嫌だ』という顔で嘆く。
そんな少女の腕を、ポーちゃんが引っ張りながら、2人は走っていく。
「私たちも行きますよ」
「うん」
僕とイルティミナさんも、手を繋いだまま走りだした。
とにかく、東へ逃げなければ。
地面から次々に生えてくる『黒い手』たちは、人も魔物も関係なく襲いかかっていた。
おかげで戦場は大混乱だ。
上空では、3騎の『竜騎隊』が飛んでいる。
ゴバァアアン
地上にいる『大百足』や『巨大百足』の魔物たちを炎で焼き殺しながら、
「みんな、早く逃げるっす!」
必死に僕らの逃走を援護してくれる。
それでも、やはり犠牲は出てしまっていて、
「ぐあ……っ」
今も、僕らのすぐ横を走っていた冒険者さんが、『黒い手』に貫かれて、殺されてしまった。
…………。
「振り返ってはなりません! 前だけを見て、マール!」
グッ
僕の手を強く引きながら、イルティミナさんは言う。
僕は頷き、必死に走り続けた。
◇◇◇◇◇◇◇
夜、荒野の大地に焚火を起こして、僕らは一時の休息を取っていた。
ガジガジ
硬い保存肉を噛む。
疲労が大きくて食欲はなかったけど、お腹に何かを入れなければ、今後が持たないと思ったんだ。
キルトさんは見張りのため、別の場所にいて、ここには僕ら4人だけだった。
「すぴ~、くか~」
ソルティスは、すでに寝ていた。
ポーちゃんは、そんな少女のお腹を枕にして、横になっていた。
ちょっと微笑ましい。
そんな2人を眺めていると、
「はい、マール」
イルティミナさんがお茶の入ったコップを差し出してくれた。
「あ、ありがと」
笑って受け取ろうとする。
フラッ
その瞬間、イルティミナさんの身体が揺らめいて、倒れかかってきた。
(わっ?)
慌てて、彼女を抱き留める。
柔らかくて、いい匂い。
そして、その肌は、とても熱かった。
「ご、ごめんなさい」
イルティミナさんはすぐに身体を起こす。
急に密着したせいか、少し顔が赤かった。
(いや……それだけかな?)
僕が見つめていると、
「少しつまずいてしまいました。すぐに新しいお茶を用意しますね」
そう言って、立ち去ろうとする。
キュッ
僕は、その手首を捕まえた。
「マール?」
イルティミナさんは不思議そうにこちらを見つめてくる。
僕は言った。
「イルティミナさん、熱あるでしょ?」
「!」
もう一方の手を伸ばして、綺麗な前髪の奥にあるおでこに触ると、やっぱりとても熱かった。
僕は、その顔を見つめる。
イルティミナさんは、吐息をこぼして、
「……はい」
と白状した。
でも、彼女は困ったように笑って、
「ですが、ゆっくり休んでいるわけにもいかないでしょう?」
……それは。
僕は、ちょっと言葉に困った。
「大丈夫ですよ。まだ身体も動きます」
「…………」
「心配してくれてありがとう、マール。不安にさせて、ごめんなさいね」
申し訳なさそうに微笑んで、僕の髪を、指でゆっくりと撫でた。
(……イルティミナさん)
こんな時でも、彼女は気丈に振る舞う。
僕は、手を伸ばして、イルティミナさんの頬に優しく添えた。
驚いた顔をする彼女に、
「体調が悪い分、僕がイルティミナさんのことを守ってあげるからね」
と言った。
イルティミナさんは真紅の瞳を丸くする。
それから、
「はい」
嬉しそうにはにかんだ。
彼女は甘えるように、添えた僕の手に手を重ね、真紅の瞳を伏せる。
――それは逃走に疲れ果てた中での、ほんの一時の平和な時間だった。
◇◇◇◇◇◇◇
数日が過ぎた。
もう細かい日数は覚えていない。
『黒い手』の襲撃は、昼も夜も関係なくて、僕自身、いつ眠っていつ起きているのかもはっきりしていなかった。
毎日、誰かが死んでいた。
魔物と戦い、『黒い手』に恐怖し、仲間の死を見つめている。
(…………)
正気を保てていたのは、イルティミナさんたちがいたからだ。
熱で弱ったイルティミナさんと手を繋いで、必死に移動を続けた。
手のひらから伝わる彼女の存在が、僕の気力を保たせてくれていた。
イルティミナさんの体調のことは、キルトさんには伝えたけれど、彼女にも治すことはできなくて、歯がゆそうにイルティミナさん自身に頑張ってもらうしかないと言われてしまった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
イルティミナさんの容体は、少しずつ悪化しているようだった。
時々、朦朧として歩いている。
その間、僕は泣きそうな思いで、必死に彼女の手を引っ張り続けた。
気がついたら、『大湿原』に辿り着いていた。
空からは大粒の雨が降っている。
「…………」
振り返れば、遠い地平線上に『黒い水』が見えていた。
見えない地中には、もっと浸食が進んでいるんだ。
それが、僕らを襲う『黒い手』になっていた。
防水ローブのフードに指をかけながら、キルトさんが前方を見ながら言った。
「あと10日じゃ」
「…………」
「10日もすれば、開拓船に辿り着く。もう少しじゃ」
……返事ができなかった。
(あと10日間も、耐えられるのかな?)
正直、もう限界だった。
でも、繋いだあの人の手のひらの熱さに、僕は諦めるわけにはいかなかった。
「うん」
僕は必死に答え、頷いた。
でも、ソルティスは返事をしなかった。
ポーちゃんは、ここ最近、そんな少女にずっと寄り添っている。
イルティミナさんは、立っているのも辛そうだった。
キルトさんも、疲労の残った顔色で、そんな僕らを見回した。
唇を噛み締め、
「行くぞ」
鉄のような声で告げて歩きだした。
◇◇◇◇◇◇◇
無我夢中とは、こんな感じかもしれない。
『大湿原』の沼から出てくる『泥のゴーレム』たちを、僕は魔法で吹き飛ばし、弱点の『黒い核』を剣で破壊する。
雨のせいか、魔物の出現率が高い。
(倒せ、倒せ、倒せ)
朦朧としながら、僕は『妖精の剣』を振るう。
イルティミナさんは白い槍を構えているけれど、もう動ける状態じゃなかった。
ソルティスも、魔力が切れて、座り込んでいる。
そんな姉妹を守るように、僕とキルトさんとポーちゃんは、ずっと戦っていた。
「鬼剣・雷光連斬!」
ズガガァアン
キルトさんの必殺の剣が繰り出され、世界が青白い光に包まれる。
「ポオッ!」
グチャッ
ポーちゃんの拳は、けれど、『神気』が枯渇したのか光を失っていた。
「炎の蝶よ! ――フラィム・バトフィン!」
ドパパァン
それを見て、僕は慌てて、ポーちゃんに迫った『泥のゴーレム』を魔法で吹き飛ばした。
(核を……破壊だ)
ヒュコッ キィン
空中にある『黒い核』を切断していく。
不思議なもので、疲労が溜まりすぎて余計な力が入らないからか、剣が狙い通りに走ってくれるようになった。
グチャチャ
泥の魔物たちは、ただの泥になって崩れていく。
「よし、行くぞ」
キルトさんの手が濡れた僕の髪を撫でる。
僕は、無言で頷いた。
フラフラになりながら、イルティミナさんの手を握る。
冷たい手だった。
「……マール」
イルティミナさんは、熱に浮かされたような瞳で僕を見つめていた。
僕は笑った。
「……大丈夫。……僕がイルティミナさんを守るからね」
そうして、彼女の手を引いて歩きだした。
…………。
…………。
…………。
翌日になっても、雨は止まなかった。
『泥のゴーレム』との戦闘は、今日も続いていた。
周囲でも、他の『開拓団員』たちが戦っている姿が見えている。
(……はぁ、はぁ)
なんとか、魔物を全滅させた。
でも、なんとなくわかっていた。
あと9日間も、とても持たない……って。
足が重い。
手が持ち上がらない。
それでも僕は、フラフラになりながらも、イルティミナさんと手を繋ぎに行く。
「…………」
「…………」
もう会話も交わさない。
お互いに余裕がなかった。
でも、手だけはしっかりと握り締める。
「…………」
キルトさんも何も言わずに、先へと歩き始めた。
ポーちゃんに引きずられるようにして、ソルティスも歩きだす。
ベチャッ
その瞬間、ソルティスが顔から前に倒れた。
動かない。
(え……?)
僕の意識が一瞬、覚醒する。
キルトさんも慌てて近づいた。
フードを剥がすと、ソルティスは、気を失っていた。
極度の疲労で、限界を迎えたのだ。
「……ソル」
キルトさんには珍しく、泣きそうな顔をした。
すぐにその表情を消して、キルトさんは少女を背負った。
その足元が揺れる。
キルトさんがフラつくところを見たのは、初めてかもしれない。あのキルトさんも、もう限界なんだ。
その時だった。
ゴ、ゴゴゴ……ッ
地震。
そして、地面から『黒い手』が生えてくる。
あぁ、またか。
泣きたいような、笑いたいような気持ちで、その闇色の手のひらを見つめてしまう。
ズシュッ
近くにいた王国騎士さんが殺されてしまった。
(あぁ……)
悲しい。
でも、どうしようもなかった。
僕は、イルティミナさんを引っ張って、震える足を無理に動かし、歩きだす。
その時、
「が……っ」
横から、キルトさんの悲鳴が聞こえた。
(え?)
見れば、キルトさんの右足の太ももを『黒い手』が貫通していた。
鮮血が散る。
少女を背負ったまま、キルトさんは泥の大地に倒れ込んだ。
(キルトさん!?)
すぐにポーちゃんが肩を貸しに行くけれど、右足が完全に動かなくなってしまったのか、キルトさんは立ち上がれないでいた。
「ソルを連れて、先に行け!」
背中の少女を、ポーちゃんの方へと押しながら、彼女は叫んだ。
…………。
悪夢を見ているみたいだった。
ポーちゃんは迷っていた。
僕とイルティミナさんも、足を止めてしまっていた。
ほんの数秒の停滞。
けど気がついたら、僕らの周りには『黒い手』が乱立していて、逃げ場がなくなってしまっていた。
(あ……)
その意味に、ようやく気づく。
待て、まだだ。
僕が今から『神武具』で翼を広げて、みんなを連れて飛べば……。
残り少ない『神気』で、それが可能かはわからない。
(でも、やらなきゃ、みんなが……!)
僕は、最後の気力を振り絞ろうと思った。
顔をあげる。
そして、見てしまった。
遥か遠い地平線に、『黒い水』が海のように広がっていた。
それが集まり、盛り上がっていく。
そこに生まれたのは、体長200メードはあろう『黒い巨人』たちだった。
何十体、何百体いるだろう?
それが地平の果てに、ズラリと並んでいる。
僕らのいる方向へと歩みを進めてくる。
「…………」
あぁ……勝てるわけがない。
最後の気力が消えていくのを、僕は感じていた。
復活した『悪魔の欠片』。
それが、どれほどの脅威であるのかを、僕は改めて思い知らされた。
(人間の国なんて、簡単に滅ぼされる……)
そんなものと戦おうとしていたなんて……僕は、なんて馬鹿だったんだろう?
泣いてしまった。
周囲では、『黒い手』たちが踊っている。
遠くからは、『黒い巨人』たちが迫ってくる。
もう……。
もう、どうしようもない。
雨粒を受けながら、僕は、涙をこぼしていた。
その時、
「……泣いているのですか?」
ふとイルティミナさんが呟いた。
熱に浮かされた、視線の定まらない真紅の瞳が、僕のことを見つめている。
繋いだ手だけが、温かい。
僕は、
「ごめんね……守れなくて……」
と謝った。
イルティミナさんは首をかしげた。
濡れた深緑色の長い髪が、重そうに揺れる。
「貴方を守るのは……私の役目」
彼女は、そう呟いた。
その瞬間、イルティミナさんの全身が、真っ白な炎に包みこまれた。
ボウッ
えっ!?
自分が夢を見てるのかと思えた。
けれど、イルティミナさんの内側から吹き出すような純白の炎が、彼女の髪を、肉体を覆いつくすように揺らめいている。
繋いだままの手も、白い炎の中だ。
でも、熱くない。
キルトさんもポーちゃんも、目を見開いている。
イルティミナさんは、何だか眠そうな表情で、そんな自分の姿を見つめた。
そして、
「あぁ……そうか。……この地に渡る前に、ヤーコウル様が『祝福』を下さったわけは、このためだったのですか……」
そう夢見心地に呟いた。
それから、彼女は僕を見る。
「大丈夫ですよ、マール」
いつもの優しい笑顔。
そして彼女は、右手にある白い槍を、大きく横薙ぎに振るった。
フォン
その動きに合わせて、白い炎が溢れるように噴き出した。
それはそばにあった『黒い手』を焼き尽くし、遥か地平の果てにいる『黒い巨人』たちにも到達し、引火する。
燃える。
燃える。
まるで世界が焼け落ちるのではないかというような規模で、『純白の炎』は地平線上の全ての『黒い巨人』に広がっていった。
『黒い巨人』たちはもがき、崩れ、そして白い炎の中で消えていく。
大地からも、地割れが生まれ、そこから白い炎が噴いた。
『黒い手』も全てが『純白の炎』に焼かれて、消えていく。
「…………」
その凄まじい光景に、僕は声も出なかった。
まるで神の御業。
あの恐ろしい『悪魔の欠片』を浄化するほどの『神炎』。
(あぁ……)
僕は理解した。
『悪魔の欠片』の恐ろしさを知って、けれど、『神々』の力はそれさえも上回るのだと。
僕らは、そんな『神々』の眷属なのだ。
そして、その御心に従うことこそ、人類の救済になるのだと思い知らされた。
キルトさんとポーちゃんが、声もなく、その力の発動点となった女性を見つめる。
そんなイルティミナさんの身体から、白い炎は消えていた。
「…………」
ただぼんやりと、目の前の出来事を見つめている。
そして、彼女が僕を見た。
「……あぁ……無事でよかった、マール……」
そうやり遂げた表情で呟くと、目を閉じる。
フラッ
そのまま、僕の方へと倒れ込んできた。
慌てて受け止めようとして、でも力が入らなくて、一緒に地面に倒れた。
「…………」
仰向けになった僕の上に、イルティミナさんが乗っかっている。
彼女は気を失っていた。
僕は、その背中に手を触れさせる。
見上げた空は、雨が止んでいた。
その雲に切れ間ができて、そこから一筋の光が差し込んでくる。
それは、僕とイルティミナさんを照らして、奇跡の終焉と自分たちが生き延びたことを知らせてくれた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




