290・神罰の剣
第290話になります。
よろしくお願いします。
凄まじい圧迫感が、僕を締めあげていた。
(くっ……)
ギッ ギギギィ
『虹色の外骨格』が軋み音を上げている。
肺が押さえられ、息が上手く吸えない。
このまま圧死するかと思えたけれど、でも『神武具』の全身鎧は、僕の身体をしっかりと守り続けてくれた。
やがて、狭い場所を抜け、圧力が消える。
(わっ?)
ビチャン
粘液にぬめったピンク色の肉壁に包まれた空間へと放り出された――そんな外部の映像を、兜に覆われて視覚が塞がれた僕の脳内へと『神武具』が送ってくる。
ここは、胃か何かなのかな?
そんなことを思いながら、僕は立ち上がった。
ドクン ドクン
脈動に合わせて、肉壁の血管が動いている。
何にしても、僕は狙い通りに、『蛇神人』の体内へと生きたまま侵入することに成功したようだった。
(噛み砕かれる可能性もあったけど……)
その賭けには勝ったみたいだ。
あれだけの巨体だから体内はもっと広いかと思っていたので、さっきの圧力は予想外だったけれど、あれは多分、生きたまま飲み込んだ獲物をそこで圧死させるためなんだろうな。
でも、それも生き延びた。
(……よし!)
僕は視線を巡らせる。
ピンク色の肉は、僕が入ってきた部分は弁のようになっていて、今は閉まっていた。
逆方向は、3メードぐらいの高さの肉の洞窟みたいになって、奥へと長く続いていた。
ヴォン
僕は翼を輝かせ、宙に浮かぶ。
そのまま『蛇神人』の体内を、肉の洞窟の奥へと向かって移動していった。
◇◇◇◇◇◇◇
この『虹色の兜』には、暗視機能もあるようで、体内は真っ暗なはずなのに視覚に送られる映像ははっきり見えている。
(コロって凄いね)
改めて、『神武具』の優秀さを再確認だ。
ネチョオ……
「ん?」
しばらく進むと、天井付近から白く濁った粘液がこぼれてきた。
それは何箇所からも落ちていて、飛んでいる僕の足元の方に溜まっている。
その粘液が、翼に触れた。
ジュッ
(!?)
金属の翼が少し溶けてしまった。
虹色の粒子が集まり、すぐに再生が始まって、飛行に支障はなかった。
けど、驚いた。
きっとこの粘液は、消化液なんだ。
(触れないようにしないと)
翼を傾け、左右にローリングして、落ちてくる粘液を回避しながら飛翔する。
と、その時、体内の洞窟が大きく動いた。
「うわっ?」
『蛇神人』自体が動いたのだろう――反動で消化液が散って、それに触れた『虹色の外骨格』のあちこちが溶け、白い煙があがった。
(長居していたら危険だ)
急ごう!
僕は、『神武具』の修復力を頼りに、ある程度の損傷を覚悟で先を急ぐことにした。
1分ほどが経過した。
幾つかの弁を潜り抜け、『蛇神人』の内臓の中を通り抜けていく。
「――――」
その時、何かを感じた。
翼を広げ、急停止。
……なんだろう、この感じは?
身体中に響くような何かを、このピンク色の肉壁の向こうから感じる。
(ここだ!)
僕は、右手にある『虹色の鉈剣』を振るった。
ザシュッ
ピンクの肉が弾けるように避け、紫色の血液が大量に溢れてくる。
人型の狗の姿をした僕は、『虹色の外骨格』をその血液で濡らしながら、その裂いた肉壁の間を押し広げるようにして潜り抜けた。
――光があった。
そこは、直径10メードほどの広い空間だった。
その中央に、肉の柱のような盛り上がりがあり、その先端がこの空間中を埋め尽くすほどの真っ白い光を放っていたんだ。
視覚映像の光量が調整される。
その光を放っていたのは、真っ白い石の欠片だった。
長さは20センチほど。
丸い大きな球体の一部分のような欠片で、それはまるで光でできているかのようだった。
(……あぁ)
暖かく、美しく、清浄な輝き。
どこか、心癒されるような光を放つその石を見て、僕は確信した。
――『神霊石』。
理屈ではなく、本能でわかった。
……ようやく。
ようやく見つけた。
長い航海を越え、未知の大地を歩いて、多くの魔物を倒し、犠牲を払いながら、必死に求めていた物をようやく見つけたんだ。
ガシャッ
鎧を軋ませ、僕は、そちらに足を踏み出す。
空いている左手を伸ばした。
その時だ。
ギュルルッ
(!?)
その左手に、肉壁から伸びてきた肉の触手が絡みついた。
それは1本だけではない。
数十本の肉の触手が一斉に生えてきて、近づこうとした僕の手足や胴体へと絡みつき、動きを封じてきたんだ。
(なんだ、これ!?)
粘液にぬめった触手の先端に亀裂が走る。
それは口となり、蛇の頭部となった。
そして、『神霊石』のあった天井の肉部分が垂れ下がり、粘液を撒き散らしながら、あの3色の髪をした女の上半身へと変身した。
ヌチャッ
それは『神霊石』を大事そうに抱きかかえ、体内に取り込む。
ちょうど下腹部の位置、まるで妊婦のようだ。
『この子は、渡さない……』
縦長の瞳孔をした瞳を見開いて、彼女は呪詛のように、硬直する僕へとそう告げたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
(『蛇神人』……!)
兜の奥で、僕は唸った。
こんなことまでできるなんて、コイツは本当になんて存在なんだろう? 『神』の名を冠する名づけも、なんとなく納得できてしまった。
でも、負けるわけにはいかない。
その時、突然、『虹色の外骨格』が輝き、光の粒子を周囲へと放出した。
光の粒子は、僕や『蛇神人』の身体に触れる。
(……コロ?)
驚いていると、『神武具』から送られてくる視覚映像に、妙なものが混じり込んできた。
ジ、ジジ……ッ
それは画像の荒い、過去の世界のようだった。
それは、まだ廃墟になる前の都市を、上空から見たものだった。
通りには、多くの人が歩いている。
空には、人が乗っている船のようなものもたくさん浮かんでいた。
都市も、まだ谷に落ちていない。
トルーガ文明の最盛期……そんな印象を僕に与えた。
そんな中、映像は、あの都市で一番大きなピラミッド型の建物を映した。
その一室に、たくさんの研究者のような人が集まっている。
その中央にあるベッドには、1人の女性が横になっていた。
(あ……)
その顔は、『蛇神人』にそっくりだった。
彼女は、不安そうな顔だった。
手足が拘束されていた。
研究者たちは、そんな彼女の周りで何かを話していて、やがて、注射のような物を彼女に使った。
映像が大きく乱れた。
次に見たのは、だいぶ時間が流れたあとのようで、髪が3色になった女性が映っていた。
とても苦しそうだった。
手足が勝手に蛇に変わり、また人間のそれに戻ったりを繰り返している。
近くで研究者たちが、それを記録していた。
また注射が打たれた。
彼女の意識は遠ざかりながら、その瞳から涙がこぼれた。
また映像が乱れ、時間が流れた。
次に見た時には、彼女の表情から意志と感情が抜け落ちていた。
まるで人形だ。
彼女は、1人で都市の外へと出ていく。
その先には、体長300メードはありそうな甲殻類のような化け物がいた。
(あれは……『大王種』?)
彼女は、巨大な蛇に変身して、その『大王種』と戦った。
勝利した。
人に戻った彼女は傷だらけで、全身から血を流していたけれど、表情は死んだように変わらなかった。
戦いの日々は続いた。
研究所でデータを取られ、また戦いへ。
その繰り返しだ。
そんなある日、彼女の下腹部が大きく膨らんでいた。
妊娠だ。
彼女がまだ人間であった頃、その体内に宿った命のようだった。
感情の見られない彼女が、愛おしそうに膨らんだお腹を撫でていた。
それを研究者たちは冷めた眼差しで見つめていた。
やがて、彼女は出産した。
彼女は、愛しい我が子へと手を伸ばそうとした。
けれど、その赤子は研究者たちの下へ運ばれ、彼女は触れることさえ叶わなかった。
(…………)
後日、彼女は赤子と再会した。
研究者たちに実験データを取られ、解剖され、バラバラの部品となってしまった我が子と。
それを見て、彼女は発狂した。
もはや誰にも制御できない。
研究者や都市の人々は、殺されていき、生き残った人々は『大王種』さえ殺せる彼女から逃れるため、都市を捨てていずこかへと去っていった。
残されたのは、彼女1人。
泣きながら、彼女は、廃墟となった都市に居続けた。
100年、200年。
やがて、時を数えるのも忘れた頃、天空から『光と闇』の流れ星が落ちてきた。
それは、もつれあうように争う『光の巨人』と『闇の巨人』だった。
それは巨大渓谷の壁面へと激突する。
凄まじい衝撃で、都市は渓谷へと落ちた。
大地の底で、『光の巨人』は『光の繭』へと変わり、『闇の巨人』を内側へと包み込んでいく。
世界は静寂を取り戻した。
その中で、『蛇神人』は『光の巨人』が空を飛んでいる時に、小さな『光の欠片』が剥がれ、地上へと落ちていくのを目撃していた。
そして、彼女はソレを見つけた。
その美しく、愛しい輝き。
そこにかつての思いを重ねて、彼女は『光の欠片』を喉の奥へと飲み込んだのだ。
…………。
…………。
…………。
映像は消えていき、その姿は、今、目の前にいる肉壁から生えた『蛇神人』と重なっていく。
『渡さない……もう二度と』
彼女は呟いた。
歪んだ慈愛の笑み。
狂った光を宿す瞳。
それはかつて、実験体とされた、ただの普通の女性であった。
我が子を愛する母だった。
(……どうして? どうして僕に、あんな映像を見せたの、コロ……?)
呻くように心で問いかけた。
死者の魂とさえ感応する、聖なる武具。
それが見せた映像は、まごうことなき真実だったのだと伝わってくる。
心が苦しい。
真実を知って、それでも前に進めというのか?
世界の平和のために、1人の女性のささやかな望みを打ち砕かなければいけないのか?
『――うぬぼれてはいけませんよ、マール?』
ふと、あの人の声を思い出した。
『多くの人を助けたいと願う心は立派です。けれど、1人の人間が背負えるのは、しょせん自分1人の分だけなのです』
…………。
……あぁ、そうか。
僕は……僕のために選ぶんだ。
世界のためでも、誰のためでもない。
ただ自分のために……。
その覚悟を、僕は、きちんと持たなければいけなかった。
ギュッ
拳を握り締める。
背中の翼が大きく広がり、虹色の輝きを放出した。
ヴォオオン
思いっきり力を込めると、手足を、胴体を拘束していた蛇たちが引き千切られた。
『蛇神人』が驚いた顔をする。
その顔面を、血にまみれた僕の左手は、鷲掴みにした。
「……君の思いはわかった。それでも僕は、君に『神霊石』を渡すわけにはいかないんだ!」
自分に言い聞かせるように、大きく告げる。
『ぎ……がっ』
彼女は苦しそうに、僕の左手首を掴んだ。
その瞬間、
ガシュッ
僕の右手にあった『虹色の鉈剣』は、その下腹部を斬り裂いた。
流血と共に、輝く石の欠片が落ちる。
『くぁあああああ……っ!?』
悲鳴のような、怒りのような声が『蛇神人』の口から溢れ返った。
その身体を投げ捨て、僕は、左手で『神霊石』を拾う。
体外へと脱出を求め、僕は飛翔する。
全身を紫の返り血に染めながら、右手にある『虹色の鉈剣』を立ち塞がる肉の壁へと何度も振り下ろしていった。
◇◇◇◇◇◇◇
飲み込まれた僕を見て、イルティミナさんは呆然と膝をついてしまっていた。
「……マール」
放心した声。
キルトさんとポーちゃんは、気を失ったソルティスを抱きかかえ、心配しながらも、自分たちの眼前に悠然とそびえる『蛇神人』を見上げていた。
そのキルトさんの形の良い眉が寄る。
「……動きが止まった?」
その言葉通り、『廃墟の都市』に君臨する巨大な蛇は、僕を飲み込んだ姿勢で停止していた。
そして次の瞬間、
ドパァアン
その腹部の一部が破裂して、『虹色の翼』を輝かせる『神狗』が飛び出してきた。
『虹色の外骨格』は、全身、紫の血で染まっている。
そしてその左手には、遠目にもわかる『光の欠片』が握られていた。
「マール!」
イルティミナさんが叫んだ。
「あやつめ、やりよったか!」
キルトさんも瞳を輝かせ、歓喜の声をあげる。
そんな外部の光景が、『神武具』を通して僕の五感にも届けられていた。
『蛇神人』の巨大な頭部に、あの女の人の上半身が生えてきた。
『ギュオロロロォ……!』
『蛇神人』は怒りと苦悶の声を漏らし、その巨体をくねらせる。
都市の建物が破壊されていく。
けれど、腹部の傷は塞がらない。
『神霊石』というエネルギー供給源を失った巨体は、その生命維持だけで手いっぱいで、『脱皮』による再生までは追いつかないようだった。
ヴォン
僕は、虹色の翼を輝かせながら、更に上空へと向かった。
『光の欠片』を犬の顔をした兜の牙が、ガチンとくわえ込んだ。
自由になった左手を、『虹色の鉈剣』の柄に添える。
ヴォオオ……ッ
そこに光の粒子が集まっていく。
『虹色の鉈剣』は刀身を広く、長く伸ばしていき、7メードほどの『虹色の大鉈剣』となった。
眩い光が刀身に集まる。
『ギョ……ア?』
その輝きに、苦痛に悶えていた『蛇神人』が気づいた。
縦長の瞳孔をした蛇の瞳たちが、頭部に生えた女の人の瞳が、今まで体内に留めていたのと同じ、美しく慈愛に満ち溢れた『虹色の光』へと釘付けになる。
僕は空中で、それを大きく振り被った。
「あぁああああっ!」
絶叫しながら、『虹色の大鉈剣』を振り落とす。
カォオン
虹色の剣閃が空間を走り抜け、それは体長1000メードの蛇の巨体を飲み込んだ。
虹色の光が、世界を包み込む。
光の中に、全てが消えていく。
――その時、その虹色の光の世界で、僕はふと『蛇神人』になる前のあの女の人を幻視した。
その女の人の腕の中に、赤ん坊が抱かれていた。
彼女は少し驚き、それから、嬉しそうに頬ずりをした。
赤ん坊も、小さな手を母の顔に触れさせている。
あぁ……そうか。
(再会……できたんだね)
夢現のような不思議な感覚の中で、僕は、そのことをなぜか理解した。
赤子を抱いた女の人は、光の奥へと去っていく。
僕は、それを見送った。
やがて、世界を包み込んでいた虹色の輝きが消える。
――気がつけば、僕の前には、頭部を含めた体長の3分の1を消滅させた蛇の巨体があった。
グラッ ズズゥウン
残された胴体は、地響きを立てて都市へと倒れる。
再生はしない。
もはや、再び動き直すこともなかった。
「…………」
僕は、空中に停止しながら、その光景をただ黙って見下ろしていた。
吹く風が冷たい。
地上では、ソルティスを抱きながら、キルトさんが大きく頷いていた。
ポーちゃんも拳を握り締め、こちらに突き出してくる。
でも、イルティミナさんだけは、翼を広げながら滞空している『神狗』の姿を見つめながら、どこか悲しそうな顔をしていた。
気づいたキルトさんが問う。
「どうした、イルナ?」
「…………」
イルティミナさんは、少しだけ間を開けてから、答えた。
「……今の光景は、まるで、あの子が泣きながら、『蛇神人』へと神罰を下しているように見えてしまって」
「…………」
「…………」
キルトさんとポーちゃんは驚いた顔をする。
それから上空を見上げた。
そこには、勝利の喜びも勝鬨を上げることもなく、ただ眼下の蛇の死体を見つめて佇んでいる僕の姿があった。
イルティミナさんは、小さく囁いた。
「……辛い役目でしたね、マール」
コロが伝えてくるその気遣うような優しい声に、僕は、兜の奥に顔を隠されたまま、少しだけ泣いた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




