279・霧の森を進みて
第279話になります。
よろしくお願いします。
10分ぐらいして、ようやくイルティミナさんも落ち着いたみたいだった。
頬ずりをやめて、周囲を見る。
「少しだけ霧が晴れましたね」
「うん」
『怨念樹』を討伐したからか、周囲の白い闇が薄れていた。
多少、霧は残っているけれど、今までのように5メードも離れたら見えなくなるような濃霧ではなくなっていたんだ。
(『怨念樹』が霧も生み出していたのかな?)
そんなことを思いながら、僕らは移動を開始する。
歩きながらも、僕らの手は繋いだままだ。
……えっと、
「まだ手を繋いでいた方がいいの?」
僕は問う。
「はい」
イルティミナさんは、強く頷いた。
「恐らく、この森の『怨念樹』は1体ではないでしょう。この『霧の森』には、まだ複数の『怨念樹』は存在していると考えられますから」
そ、そっか。
(それなら仕方がないね、うん)
まずは安全第一だ。
そうして歩きながら、イルティミナさんは足元の地面を見る。
真紅の瞳を細めて、頷き、
「足跡が残っています。これを追跡して、まずはソルたちと合流しましょう」
「うん」
僕も頷いた。
さっきの場所に、ソルティスの姿はなかった。
ということは、彼女は別の『怨念樹』に誘われたんだ。
合流するためにも、急がないと。
(頼むよ、ポーちゃん)
少女を追いかけていったという『神龍の幼女』に希望を託して、僕らは地面に残された足跡を追いながら、森の奥へと入っていった。
◇◇◇◇◇◇◇
自分たちの足跡を追いかけ、元の場所に戻った僕らは、今度は、ソルティスとポーちゃんの足跡を追いかけていく。
(……走ってる)
ソルティスの足跡は、とても乱れていた。
森の凹凸に引っ掛かりながら、それでも走り続ける必死さが、足跡から伝わってくる。
それより小さなポーちゃんの足跡は、しっかりした歩幅で少女を追いかけていた。
僕らも、それに続く。
霧が薄れていることで、足跡を見つけることも容易くなっていた。
20分ほど追い続け、2人を見つけた。
僕らの視線の先で、紫色の髪をした少女の背中が、放心したように地面に座り込んでいた。
その隣に、金髪の幼女が立っている。
2人の正面、15メードほど離れた場所には、太い幹の砕けた灰色の枯れ木が倒れていた。
(ポーちゃんがやったのかな?)
ここの『怨念樹』は、すでに討伐されているようだった。
僕らは近づいていく。
先にポーちゃんが気づいて、振り返った。
「…………」
ツンツン
その小さな指が、少女の肩をつついて、知らせてやる。
少女は顔をあげた。
(!)
酷く憔悴して、泣き腫らしたように目元が赤くなっていた。
イルティミナさんが、僕の手を離して妹に近づく。
「ソル」
声をかける。
ソルティスは弾けるように立ち上がると、姉のお腹にぶつかるように抱きついた。
「イ、イ、イルナ姉! 父様と母様が……っ! 2人が……っ!」
涙がボロボロとこぼれる。
「い、いたの! そこに! ……それなのに……っ! う、うわぁああん!」
「……ソル」
嗚咽をこぼす妹の髪を、姉は優しく撫でる。
苦しそうに笑って、それからイルティミナさんは何も言わずに、ソルティスの身体を抱きしめた。
「うぁあ、うぁあああ……!」
少女の慟哭が響く。
『怨念樹』は、人の潜在的に見せたいものを見せる――それは、なんて残酷なことだろう。
姉妹は抱き合い、傷ついた心を慰め合った。
ポーちゃんは、その様子を黙って見つめていた。
僕は、ポーちゃんへと近づく。
「お疲れ様。ありがとう、ソルティスを守ってくれて」
「問題ない」
ポーちゃんは、いつも通りの無表情で答えた。
僕は、彼女を見つめる。
そして聞いた。
「ポーちゃんは、幻術にかからなかったの?」
数秒、ポーちゃんは答えなかった。
そして息を吸い、
「かつての神界の友の姿を見た」
と言った。
ポーちゃんは続ける。
「けれど、その友は300年前に亡くなり、その魂は神界の光や風となっている。ここにいることはあり得ない」
「…………」
「それを理解すれば、現実ではないことも理解できた」
そんな答え。
感情の抑揚が少ないポーちゃんらしい答え。
でも、感情がないわけじゃない。
「そっか」
僕は呟いて、ポーちゃんの頭を撫でた。
彼女は珍しく驚いた顔をする。
すぐに水色の瞳を伏せて、僕の手を心地良さそうに受け入れてくれた。
霧の漂う森の中で、少女の泣く声だけが聞こえている。
その時、
ガシャッ
少し離れた場所から、金属音が聞こえた。
(!?)
反射的に、僕は振り返りざまに『妖精の剣』の柄に手をかけた。
ポーちゃんも拳を構える。
イルティミナさんも妹を抱きしめたまま、白い槍をそちらに向けて、けれど、そこにいる人物に気づいて槍を降ろした。
「そなたらも無事であったか」
そこにいたのは、キルトさんだった。
「キルトさん」
僕は駆け寄る。
キルトさんは、その場の状況を見回して、特に泣いているソルティスの姿に瞳を細めて、大きく息を吐いた。
僕の頭に手を置いて、
「遅くなって、すまなかったの」
と謝った。
僕は「ううん」と首を振る。
「キルトさんは大丈夫だったの?」
と、問いかけた。
「まぁ、なんとかの」
答える声は重くて、その笑顔はとても苦しそうだった。
…………。
その表情で、彼女の心の傷にも、魔物の悪意が触れたことがわかった。
(キルトさん……)
彼女は息を吐く。
「久しぶりに『怨念樹』と遭遇したが、やはり、この精神への攻撃は堪えるの。乗り越えるのに、ちと手間取ってしもうた」
「……うん」
僕は頷くしかなかった。
僕の場合は、僕の中にいるアークインの心の傷だったから、まだ耐えられた。
でも他のみんなは違う。
ソルティスが泣いているように、きっとみんなも本当は泣きたいような気持ちなんだろう。
心配そうな僕の視線に、キルトさんは気づく。
「大丈夫じゃ」
そう優しく笑って、僕の頭をポンポンと軽く叩く。
それから、彼女はソルティスを見る。
ソルティスはまだ姉の胸に顔をうずめて、しゃくりあげていた。
イルティミナさんの真紅の瞳が、キルトさんを見る。
キルトさんは頷いた。
「しばし、ここで休息をとるかの。わらわが見張りはしておくゆえ、皆、心を落ち着けるが良いぞ」
そんな休息宣言。
イルティミナさんは妹を抱きながら、感謝の視線を送る。
ポーちゃんは、頭上を見上げながら、長い息を吐いた。
――そうして合流した僕ら5人は、『霧の森』の中で、しばしの休息を取ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
30分ほどして、僕らは再び『霧の森』を歩きだした。
霧はまだ残っているけれど、濃霧ではないので、そこそこに視界は開けている。
まだ森に存在するだろう『怨念樹』の幻術については、
「幻影の穢れを払え! ――クリア・シール・ドゥ!」
ソルティスが、精神攻撃への抵抗が強くなる魔法を使うことで対処することにした。
これで幻術にかかり辛くなるんだって。
「さすがだね、ソルティス」
僕は笑う。
けど、ソルティスは腕で顔を隠しながら、
「うっさい、こっち見んな!」
僕から顔をそむけた。
「くっそぅ……マールなんぞに泣き顔を見られるなんて、一生の不覚だわ。『怨念樹』、許すまじ……。見つけたら、全て焼き払ってやるわ……」
歯をギリギリさせながら、そんなことを言う。
っていうか、なんぞ……って。
物騒な妹と遠い目になる僕に、イルティミナさんは困ったようにクスクスと笑っている。
キルトさんも苦笑し、
「戦意高揚は結構じゃが、わらわの指示には従うのじゃぞ?」
と釘を刺していた。
ポーちゃんだけが、これまでと変わらない。
そんな風にして、僕らの『霧の森』の探索は続いた。
昼間でも夜でも、霧が晴れることはない。
たまに霧が濃くなると、近くに『怨念樹』がいることが多かった。
ソルティスの魔法のおかげで幻術にかかることはなく、出会うたびに討伐を繰り返した。
「燃えろ、燃えろー!」
ソルティスも、ちゃんと炎の魔法で燃やしていた……。
ちなみに『怨念樹』というのは、木の魔物ではなくて、木に憑りついた悪霊の魔物なんだって。
(それだけ、この森では『人死に』があったってことかな?)
『怨念樹』の近くや、その枝には、白骨化した死体がぶら下がっていることが多かった。
身元を調べたら、
「……この鎧にあるのは、シュムリアの国章じゃな」
ということもあった。
つまり、過去の『第3次開拓団』の人たちの死体だ。
人骨は土に埋め、手を合わせた――今の僕らにできるのは、それぐらいだった。
この人たちと同じにならないよう、僕らは注意しなければいけない。
――そうして3日ほど、『霧の森』を歩いていく。
今日も、朝から5時間ほど歩き続けた。
「そろそろ昼にするかの」
キルトさんがそう宣言する。
うん。
なかなか疲れていたので、反対する者もなく、僕らは森の一角で腰を下ろそうとした――その時だ。
(ん……?)
僕の視線の先の森に、何かがあった。
霧に包まれた木々の向こうに、黒く大きな影が見えている。
「何あれ?」
思わず、呟いた。
みんなも「え?」とそちらを見る。
動いてはいないので、何かの生き物ではないと思う。
多分、建造物だ。
「遺跡……かしら?」
ソルティスが呟いた。
少女のその瞳は、好奇心にキラキラとし始めている。
(相変わらずだね……)
イルティミナさんが、判断を確かめるようにキルトさんを見る。
「どうします?」
「ふむ。さすがに放置できる事柄でもあるまい」
キルトさんは、座ったばかりの身体を立ち上がらせる。
「昼飯は中止じゃ。先に、あの遺跡へと向かうぞ」
そう宣言した。
お昼、食べたかった……いやいや、それは後回しだ。
僕らは全員立ち上がると、白い霧と木々の奥に佇む謎の建造物へと向かって、歩いていった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




