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278・霧中の悪樹

第278話になります。

よろしくお願いします。

 僕は茫然とした。


 キルトさんは、『エル』と呟いた。


 僕が知る限り、キルトさんが『エル』と呼ぶのは、今は亡き金印の魔狩人エルドラド・ローグさんしかあり得ない。


(キルトさん?)


 僕は、彼女の横顔を見上げる。


 彼女の視線は、白い霧の奥を真っ直ぐに見つめていた。


 僕も、そちらを見る。


 でも、誰もいない。


 それ以前に、真っ白な霧が立ち込めているだけで、何かが見えるような状況ではなかったんだ。


 僕は「キルトさん?」と声をかけようとした。


 その寸前、


 ブワァアア


 突然、強い風が吹いた。


 白い闇が広がり、僕ら5人を包み込む。


 視界が奪われ、すぐ目の前にいたはずのソルティスの姿も見えなくなってしまう。


(な、なんだこれ!?)


 視界が白一色だ。


 他のみんなを探して、声を出そうと思った時、


(え?)


 白い闇の向こう側に、なぜか人影がはっきりと見えたんだ。


 ドクン


 心臓が跳ねた。


 そこにいたのは、1人ではない。


 6人。


 まだ年端も行かない6人の少年少女が、白い闇の中に佇んでいた。


「あ……あぁあ」


 声が震えた。


 僕は、その少年少女たちと面識はなかった。


 でも、知っている。


「……ヤーコウルの、神狗たち……?」


 そう、そこにいたのは、これまでに夢の中で何度か見たことのある、アークインの大切な『神狗』の仲間たちだったんだ。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 僕の中に溶けた神狗アークインの魂が、激しい感情を生んでいる。


 そちらに行かなくちゃ!


 その想いが膨れ上がる。


 彼や彼女たちは、そんな僕へと魅惑的に笑いかけた。


 幼い手たちが手招きする。


 ザリッ


 足が勝手に、そちらに向いた。


 それに、6人は笑みを深くする。


 そして、全員がこちらに背を向けて、白い闇の奥へと軽やかな足取りで走り始めた。


(あ!)


 待ってくれ!


 アークインの感情が叫ぶ。


 僕は慌てて追いかけようとする。


 腰に抵抗があった。


 その抵抗をほどいて、白い闇の中に溶けていきそうな6人の背中を、必死に追った。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 追いつけそうで追いつけない。


 無我夢中でそちらに手を伸ばした、その時、


 ガシッ


「マール!」


 背中から何かが僕に抱きつき、強い声が耳元で響いた。


 ドクンッ


 その聞き覚えのある声に、アークインではなく、マールの感情が激しく揺さぶられる。


 火花が散るようにして、意識がはっきりする。


(あ……)


 気がついたら、イルティミナさんの白い美貌が、すぐそこにあった。


 彼女は、僕を、背中側から強く抱きしめていた。


「私がわかりますか、マール!?」


 訴えるように聞いてくる。


 僕は頷いた。


「……イルティミナさん」


 そう小さな声で答えた。


 それを受けて、彼女は酷く安心したように息を吐いた。


(!)


 そうだ。


 僕は慌てて、白い霧を振り返る。


 そこにはもう、6人の『神狗』たちの姿はなかった。


 胸の中が冷たくなる。


 アークインの感情が泣いている。


(いや、違う……違うよ)


 僕は、強くかぶりを振った。


 あの6人は、もういない。300年前に死んでしまったんだ。


 ここにいるはずがない。


(なら、今のあれは……?)


 答えを求めるように、僕は、いつも僕を守ってくれるお姉さんを見た。


「イルティミナさん……僕は、僕は何を見たの? 今のはいったい!?」


 そう叫んだ。


 イルティミナさんは、悲しげに微笑んだ。


「マールは、幻術をかけられたのです」

「幻術?」

「はい。この霧に紛れて、催眠性の毒ガスが撒かれていたのです。マールは、そのガスを吸ったのです」


 催眠性の毒ガス……?


 もしかして、あの霧が濃くなった時に……?


「そうして幻覚を見せ、獲物を捕らえる魔物が存在するのです。恐らく、私たちは、その魔物の攻撃を受けたのですよ」


 魔物……。


 呆然となる僕に、イルティミナさんは優しい声で訊ねてきた。


「マールも、『何か』を見てしまったのですね?」


 何か……。


「それは幻です。貴方を誘うための夢。現実ではありません」

「幻……」


 現実じゃない……。


 わかっていたはずなのに、そう言われて胸が痛い。


 だって、今見た6人の姿を、僕は、まだはっきりと覚えているんだ。 


 目を強く閉じて、その痛みに耐える。


 まるですがるように、僕を抱くイルティミナさんの腕を強く掴んで、これが現実なんだと言い聞かせた。


 ……あ。


 そして思い出した。


「そうだ、他のみんなは?」


 イルティミナさんを見る。


 彼女は、艶やかな長い髪を揺らして、首を左右に動かした。


「わかりません」

「…………」

「マールが突然、ロープをほどいて駆けだしました。それを見て、私は慌てて貴方を追いましたので」


 あ……。


「ご、ごめんなさい」

「いいえ」


 イルティミナさんは微笑んだ。


「マールだけではないのです。言ったでしょう? 私たちは魔物の攻撃を受けた、と。同じように、ソルも幻術にかかったのです」

「え!?」

「マールとほぼ同時に、ソルも、自身を縛るロープをナイフで切断し、霧の中に駆けだしました。それに気づいたポーが、すぐにロープを外し、彼女を追ってくれましたが」


 イルティミナさんは、真紅の瞳を伏せた。


(ソルティスまで……)


 そして、そんな妹が心配な中で、イルティミナさんは僕を追ってくれたんだ。


 ……申し訳なくて、仕方がない。


 小さくなりながら、僕は、もう1人についても訊ねた。


「キルトさんは?」


 彼女も、幻術にかかっていたみたいだった。


 イルティミナさんはかぶりを振る。


「わかりません。ソルをポーが、マールを私が追い、残されたキルトがどうしたかまでは確認できませんでした」


 そ、そっか……。


 僕は、白い霧を振り返る。


 そこに広がるのは、ただただ白いだけの空間だ。


 僕ら5人は今、この『霧の森』でバラバラになってしまっていた――。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 僕とイルティミナさんは、お互いの身体をロープで結び直し、更には手も繋いで歩きだした。


 握った手のひらは、とても熱い。


 少し恥ずかしいけど、


(でも、大事なことだ)


 幻術にかかってしまえば、また無意識にロープを外してしまうかもしれないのだから。


 僕の右手を、イルティミナさんの左手が握っている。


 …………。


 これだと、腰ベルトの左側にある『妖精の剣』が抜けない。


 でも、逆の手で握ったら、今度はイルティミナさんが利き手で『白翼の槍』を扱えなくなる――それを考えたら、きっとこれが最善の方法だと思えた。


「これから、どうするの?」


 歩きながら、僕は訊ねた。


「まずは、魔物を討伐します」

「魔物を?」

「そうしなければ、また幻術をかけられる危険がありますからね」


 そう微笑んだ。


 なるほど。


「でも、居場所がわかるの?」

「はい」


 イルティミナさんは頷いた。


「その魔物は、人が潜在的に求めている幻を生み出し、人を自分の元まで誘います。つまり、幻の向かった方角、その先に魔物はいます」


 おぉ。


(さすが、イルティミナさんだ)


 そう思った。


 でも、褒めようと思った声は、その横顔を見たら出てこなかった。


 …………。


 怒ってる?


 そんな気配だった。


 凛とした静かな迫力に、僕は何となく無言になってしまう。


 そうして僕らは、白い霧の中を歩き続けた。


 10分ほどしただろうか?


(ん……?)


 僕らは、木々の途切れた空間に出た。


 白い霧に包まれたその空間の中央には、真っ黒い枯れ木が立っているのがわかる。


 イルティミナさんの足が止まった。


 ブワァア


 風が吹く。


 それが、その場の霧を吹き払っていき、視界が開けた。


「!」


 僕は硬直した。


 そこには、確かに、大きな枯れ木が立っていた。


 でも、その幹の表面には、嘆き叫んでいるような無数の人面の瘤が浮かんでいたんだ。


 長く伸びた枝。


 そこには、白骨化した人や動物の死体がぶら下がり、風に揺れている。


(何だあれは!?)


 禍々しい気配に、僕の背筋は震えていた。


「――やはり、『怨念樹』」


 イルティミナさんの低く静かな声が響いた。 


「木々に憑りつき、幻で生者を招いて殺すという死霊体です。やはり、この森にも存在していましたか」


 ザワ ザワワ


 黒い枝が風に揺れ、人面たちが一斉に笑った。



 ◇◇◇◇◇◇◇



『怨念樹』と呼ばれた魔物は、僕ら2人に向かって、まるで黒い手のように無数の枝を伸ばしてくる。


 バキッ ベキリ


 枝に絡まっていた骨が砕けて、地面に落ちた。


(くっ!)


 僕は、イルティミナさんと手を離して、『妖精の剣』を抜こうと思った。


 でも、手が離れない。


 イルティミナさんの左手は、まだ僕の右手を握り締めていた。


「大丈夫です」


 落ち着いた声。


「私を信じて。ここは私に任せてください」


 前を向いたまま、そう言った。


 ……イルティミナさん?


 戸惑い、でも、手が離れないのであればどうしようもない。


 もちろん、信頼もある。


 僕は「うん」と頷くしかなかった。


「ありがとう、マール」


 イルティミナさんは嬉しそうに微笑むと、前へと歩きだした。


 僕も一緒に歩く。


 ザワワ


 黒い枝が伸びてくる。


 ヒュオ バキン


 霞むような速さで、白い槍がそれを打ち砕いた。


 黒い破片が、僕の前で散る。


 黒い枝が破壊されて、でも、まだ何本もの残っている枝が、僕らへと近づいてきた。


 瞬間、


「――羽幻身・白の舞」


 イルティミナさんの静かな声が響いた。


 真紅の瞳と白い槍の紅い魔法石が同調するように輝き、その魔法石から光る羽根が噴き出して、3人の槍を持った『光の女』へと集束する。


 彼女たちは、僕とイルティミナさんの前に浮かんだ。


 バキッ バキキン


 近づいてきた黒い枝たちが、『光の女』たちの槍によって、次々に粉砕されていく。


 黒い破片が宙に舞う。


 その中を、僕とイルティミナさんは何もせずに歩いていく。


 ……なんだこれ?


 戦闘中なのに、僕ら2人の周囲だけ平和な空間になっている。


 いや、それぐらい、目の前にいる黒い巨木の魔物と、隣にいるイルティミナさんの実力差が離れているんだ。


 金印の魔狩人イルティミナ・ウォン。


 それはシュムリア王国が誇る、最強の冒険者の1人だった。


『おぉぉおおぉ……!』


 人面たちが怯えたような呻き声を響かせる。


 ヒュオ ヒュパッ


 何本もの黒い枝が、まるで鞭のように襲ってくる。


 でも、僕らには届かない。


 全て、3人の『光の女』たちが防ぎ、破壊してくれる。


「……ふぅ」


 イルティミナさんの歩みが止まった。


 それは『怨念樹』より3メード手前の地点、悍ましい魔物のすぐ目の前だった。


(!)


 真紅の瞳が、強い殺意にギラギラと輝く。


 そこにあるのは、確かな怒気だ。


「よくも……私にあのようなものを見せてくれましたね?」


 低い声。


 その殺意の強さに、僕は震えた。


 同時に気づいた。


 イルティミナさんは言っていた。


『私()()は幻術の攻撃を受けた』、と。


『マール()何かを見てしまったのですね?』、と。


 それはつまり、イルティミナさん自身も幻術の攻撃を受け、イルティミナさんも何かを見てしまったのではないか、ということだ。


『るぉぉお……!』


『怨念樹』が震える声を響かせる。


 合わせて、黒い幹からバキバキと黒い枝が生えてきて、それは僕らを全方位から包み込むように伸び、襲いかかってきた。  


 チャッ


 その時にはもう、イルティミナさんは『白翼の槍』を逆手に構えていた。


 投擲体勢。


「シィッ!」


 至近距離で引き絞られた美しい槍が、黒い巨木の魔物めがけて解き放たれる。


 キュボッ ドパァアアン


 凄まじい爆発。


『怨念樹』の本体は粉々に爆散し、黒い枝や破片が千切れ飛んでいく。


(あ……)


 同時に、黒い靄のようなものが空へと漏れ出して、呻き声のようなものを響かせながら、溶けるように消えていった。


 爆風が収まる。


 白い霧が払われた大地には、黒ではなく、灰色となった枯れ木が粉々に砕けて、転がっていた。


 イルティミナさんは、真紅の瞳を伏せる。


「お前たちのように、人の心の傷を抉り、利用するような存在を、私は決して許せません」


 美しく冷然と告げた。


 そして、そんな彼女の周囲で、3人の『光の女』たちが光る羽根へと分解し、消えていく。


 イルティミナさんの周囲で光が散る。


 その輝きに照らされる彼女は、本当に強くて美しいと思えた。


 …………。


 イルティミナさんは、いったい、どんな幻を見せられたんだろう?


 気になった。


 でも、聞いてはいけない気もした。


 だから僕は、代わりに、


「……イルティミナさんは、どうやって幻術を1人で破れたの?」


 そんな風に訊ねた。


 気づいて、彼女はこちらを見る。


 そして微笑んだ。


「マールのおかげです」

「え?」

「過去でも幻でもなく、私にとって最も大切な存在は、この現実にいました。その事実が私の心を支えたのです」


 そう言うと、彼女は、白い槍を自身の肩に預け、僕の頬に右手を添える。


「私のマール。貴方は、私の宝物です」


 僕の青い瞳を見つめて、そう口にした。


 ……イルティミナさん。


 嬉しくて、恥ずかしくて、僕の胸はいっぱいになってしまった。


 そんな僕に、彼女は笑う。


「ふふっ、マール♪」


 ギュウ


 抱きしめられ、頬ずりされてしまった。


 わわっ?


 艶やかな深緑色の髪と、柔らかな白磁の頬の感触が心地好い。


 イルティミナさんも幸せそうな顔だ。


(……ん)


 ちょっと恥ずかしかった。


 でも、たくさんの感謝と労いを込めて、僕はイルティミナさんが満足するまで、しばらく彼女の為すがままになってあげたんだ。

ご覧いただき、ありがとうございました。


※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] キルトはエルを見た、と言うことは、やっぱりキルトはエルに惚れてたのかな? そんな間柄じゃ無かった、とは言ってたけど、母でも父でも無く、エルだったってのは、そう思っちゃうなぁ。 そんなにエ…
[良い点] 更新お疲れ様です(^_^ゞ 憐れなり『怨念樹』。 イルティミナを敵に回したばかりに……(笑) まぁ、「マールこそが我が人生」なイルティミナですからね。 不快感を与えこそすれど、惑わす事は出…
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