277・白い闇の森
第277話になります。
よろしくお願いします。
「ごめんなさい」
翌朝、僕はキルトさんに謝罪をした。
イルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんは、僕の後ろの方で、その様子を見守っている。
キルトさんは、頭を下げる僕をジッと見つめた。
「頭を上げよ」
静かな声。
僕は素直に従う。
「イルナから話は聞いた」
キルトさんはそう言うと、豊かな銀髪を揺らして、僕へと頭を下げた。
「すまなかった、マール」
(えっ?)
「そなたを思い黙っていたことが、逆に、そなた1人で抱え込ませ、苦しめる結果となってしまった。追い詰めてしまったのじゃな」
突然の行動に、僕は驚いてしまった。
彼女は顔を上げる。
その黄金の瞳で僕を見つめて、
「これからは辛き現実も、隠さず伝えよう。悩みも、苦しみも、全て共に背負っていこうではないか」
そう言ってくれたんだ。
(キルトさん……)
子供の僕に頭を下げ、こうして正面から向き合ってくれる――そのことが嬉しかった。
胸が熱い。
なんだか泣きそうになる僕に気づいて、キルトさんは笑った。
クシャクシャ
その手が伸びて、僕の髪を乱暴に撫でる。
小柄な女の人なのに、その手はとても温かく、そして大きく感じたんだ。
イルティミナさんは、そんな僕らに優しく微笑んでいる。
ソルティスは肩を竦め、ポーちゃんはよくわからないけれど、何度も頷いていた。
こうして僕らは仲直り。
そして再び、『赤茶けた荒野』の探索へと向かったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
探索の旅は、5日間ほど続いた。
道中、何度か『大百足』や『巨大百足』たちの襲撃を受けた。
けれど、キルトさんの指示の下で、僕らは無傷でそれらを切り抜けていった。
もちろん、今度は僕も指示に逆らわなかった。
(…………)
指示に従いながら、わかったこと。
それは、キルトさんは、常にパーティーに余力を残した状態でいさせようとしていたことだ。
冒険の最中では、時に不測の事態が起きる。
彼女は、常にそれに対応するための力を残そうとしていたんだ。
昨日の僕は、全力を出すことばかり考えていた。
(本当に身勝手だったんだね)
自分のことばかりで、それが結果としてパーティー仲間まで危険に晒していたことにようやく気づいた。
本当に反省だ。
そうして赤土の大地を進んでいく。
そして5日目の午後、乾燥した大地には、少しずつ植物が見え始めた。
空気が少しずつ湿っていく。
それから2時間後、僕らの目の前には、霧に包まれた森が現れていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
『航海日誌』にも書かれていた『霧の森』へと、僕らは辿り着いたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
あれから1週間が過ぎた。
これまでと同じように『霧の森・拠点』が造られて、後続の王国騎士団、神殿騎士団の150名も合流していた。
バサッ バサッ
周囲の白い霧を飛ばしながら、『竜騎隊の竜』が拠点へと降りてくる。
ロベルト将軍らと共に、僕らは駆け寄った。
頭部の鞍から、竜騎士が地面へと飛び降り、着地した。
「ふぅ」
吐息をこぼして外した兜の下から現れたのは、竜騎士隊長レイドル・クウォッカさんの整った顔だ。
集まった僕らを見て、
「駄目だな」
彼は首を横に振った。
その金色の瞳は、森の方角を睨むように見つめて、
「霧が濃すぎる。高度も方角もわからなくなり、長く飛んでいられない。上空からルートを確認するのは不可能だね」
と言った。
ロベルト将軍は、「そうか」と難しい顔だ。
「ここを越えれば、『第3次開拓団』の最後に辿り着いたであろう『廃墟の都市』があるはずなのだがな」
「仕方なかろう」
と、キルトさん。
「この森に辿り着いてから今日まで、この霧は晴れなかった。ここからは地道に地上を歩き、その『廃墟の都市』を見つけるしかあるまい」
冒険者団を率いる代表として、そう言う。
ロベルト将軍は、しばし黙り込む。
やがて、大きく息を吐いた。
「そうだな」
そう覚悟を決めたように頷く。
「明朝より、冒険者団は、探索のため『霧の森』に入ってくれ」
「うむ、わかった」
キルトさんは了承する。
と、それまで黙っていた神殿騎士団長のアーゼさんが口を開いた。
「人数は足りているのか、キルト・アマンデス?」
と、キルトさんに問いかける。
それは、探索人数のことだ。
実は『赤茶けた荒野』を抜けるまでに、21人の犠牲者が出ていた。
あの数億の蟻や、巨大百足たちに殺されたんだ。
特に百足の魔物たちは、『赤茶けた荒野・拠点』にも襲撃をしたそうで、アーゼさんを始めとした神殿騎士団や、ロベルト将軍が率いる王国騎士団と戦闘になったそうだ。
防衛には成功した。
ただ死者は出なかったけれど、負傷者は13名ほどあったんだって。
暗黒大陸に来てから、少しずつ人の被害が増えていた。
アーゼさんは言う。
「必要なら、我ら神殿騎士団からも探索に人数を出すが?」
「ふむ」
キルトさんは少し考える。
「いや、まだ大丈夫じゃ」
と答えた。
「損耗は1割に達しておらぬ。現状は、拠点防衛を優先した方が良かろう。いざとなれば、ここが最終防衛ラインとなるからの」
そう言って、彼女はロベルト将軍を見る。
彼は頷いた。
「キルト・アマンデスの言う通りだ。まだ、この『霧の森』の脅威度がわからぬ以上、拠点の防衛力の低下を避けた方が良いだろう」
「そうか。それならば、我らはその意に従うとしよう」
覗いている口元から美しい声をこぼして、アーゼさんは了承する。
レイドルさんが口を開いた。
「気をつけてくれ、キルト。この森の霧では、俺たちも、これまでのように救助や援護に簡単には向かえない」
「わかっておる」
キルトさんは頷いた。
「慎重は期す。最悪は、撤退も視野に入れておる」
「あぁ」
レイドルさんも頷いて、すぐそばにいる自分の愛竜を振り返った。
「俺たちも地上戦ができないわけじゃない。もしもの時は、竜と共に歩いて、森の中へと突入するよ。移動速度は、かなり落ちるけどね」
「うむ。本当にもしもの時は、頼らせてもらおう」
キルトさんは笑った。
レイドルさんも笑みを返す。
それからキルトさんは、他の代表3人に軽く手を上げてから、少し離れている僕らの方へと歩いてきた。
「話は聞こえていたな?」
「うん」
僕は頷いた。
他の3人も頷いている。
キルトさんは僕ら全員を見回して、
「聞いていた通りじゃ。明朝、わらわたちは『霧の森』へと入るぞ」
と、力強い声で宣言したんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、僕らは『霧の森』の前に集まった。
十数メードの高さの木々が乱立する植物の世界、それは、これまでの森と変わらない。
けれど、この森には、乳白色の闇が広がっていた。
霧だ。
24時間、消えることのない濃霧が森を支配していた。
…………。
手を前方に伸ばす。
それだけなのに、指先が白く霞んで見える。
音も聞こえ辛く、匂いもわかり難い。
視覚、聴覚、嗅覚にフィルターがかかっているみたいだった。
ギュッ
そんな僕らは、森へと入る前に、それぞれの身体にロープを巻き付けていた。
5人を連結する。
「『航海日誌』によれば、この森で迷った者が多数いるそうですからね」
イルティミナさんはそう言いながら、僕、ソルティス、ポーちゃんの年少組3人のロープの縛り具合を確かめていく。
「私たちははぐれぬように、気をつけましょう」
「うん」
僕は頷き、イルティミナさんは微笑んだ。
そして準備は整った。
「よし、では行くぞ」
「うん」
「はい」
「えぇ」
「…………(コクッ)」
キルトさんの号令で、僕らは森の方へと歩きだした。
周囲の白い闇の向こうでも、探索に出る王国騎士や冒険者たちが、黒い人影となって、森の中へ入っていくのが見える。
(…………)
生きて再会したい。
そう強く願いながら、僕は『霧の森』へと足を踏み入れた。
◇◇◇◇◇◇◇
今までに森の中を歩いたことは、何度もあった。
緑の鮮やかな色と植物の匂いに満ちた静謐な世界は、時に歩いているだけで心が穏やかになったりもした。
でも、今日は違った。
数メード先に広がる白い闇。
音も匂いもぼやける世界。
(……これは、現実なんだよね?)
その自信が揺らいでしまうほど、現実感が希薄だった。
僕の前にはソルティスがいる。
紫色の柔らかそうな髪が、その細い背中で揺れている。
その先には、ポーちゃんがいる。
でも、その金髪の幼女の姿は、半分、白い闇に隠れている。
更にその先には、キルトさんがいる……はずなんだけど、彼女の姿は、ほとんど見えなかった。
黒い鎧と大剣を包む赤い布が、少しだけわかるぐらいで、ポーちゃんの先のロープは、ほぼ白い闇の中だった。
(…………)
振り返る。
そこにはイルティミナさんがちゃんといた。
よかった。
足音も聞き取り辛いから、いつの間にかいなくなってしまったんじゃないかと、不安になってしまったんだ。
そんなわけあるはずないのにね……。
イルティミナさんは、「?」と僕へと微笑みかけてくれる。
僕は「ううん」と首を振り、笑って誤魔化した。
そして前を向き、歩いていく。
…………。
キルトさんを先頭にして、ロープの先を追いかけるように歩いているのだけど、もう方角がわからなくなってきた。
(拠点……どっちだっけ?)
後ろのはずだけど、自信がなくなってきた。
目を開けているはずなのに、目を閉じて歩いているような気分だった。
……霧の中を歩くって、すっごいストレスだ。
それを初めて知った。
そのせいか、時間の感覚も曖昧だ。
森を歩き始めて、まだ30分ぐらいの気もするし、3時間の気もする。太陽も見えないから、時間もわからないんだ。
(うぅ……)
こんな場所に長時間いたら、精神の方が参っちゃいそうだよ。
それでも、イルティミナさんがいる。
みんながいる。
それだけを支えにして、がんばろう。
僕は、そんな風に思いながら歩いていた。
その時だ。
「わっ?」
ふと前を歩くソルティスが、そんな声をあげて立ち止まった。
(うわっ!?)
ドンッ
急には止まれなくて、僕は彼女の背中にぶつかった。
「大丈夫ですか?」
ギュッ
もつれて倒れそうになった僕ら2人を、後ろのイルティミナさんが支えてくれた。
「う、うん、ありがと」
「ちょっと、何やってるのよ!」
密着したソルティスが、真っ赤になりながら、僕を押し離す。
(何って、ソルティスが急に止まるから)
僕は文句を言いそうになって、ふと気づいた。
ソルティスの前を歩いていたポーちゃんが止まっていた。
だから、ソルティスも止まったんだ。
(ん?)
というか、1番先頭のキルトさんの背中が見えていた。
きっとキルトさんが最初に立ち止まったんだ。
それでポーちゃん、ソルティスも急停止することになったんだ。
「キルトさん?」
僕は声をかけた。
でも、白い闇の中で佇むその背中は、こちらを振り返らなかった。
横顔を覗く。
彼女は、驚いたように前方を見ていた。
その黄金の瞳が、大きく見開かれている。
その唇が震えながら、言葉を紡いだ。
「……エル?」
小さな一言。
それは震えながら、白い闇の中に吸い込まれるように消えていった。
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※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




