276・優しい傲慢
第276話になります。
よろしくお願いします。
集まる蟻は、まるで大地そのものが波立っているみたいだった。
「くっ」
反射的に、僕は『妖精の剣』を構える。
でも、何億と集まった小さな蟻に対して、剣なんて役に立つとは思えなかった。
どうする?
そう思う僕の前へ、イルティミナさんが進み出た。
その手には、『黄色い魔石』。
(あ)
彼女は、それに指先から魔力を通して輝かせ、光る魔石を蟻の群れへと放り投げた。
ポトッ ザザザァ
落ちた魔石から、蟻たちが一斉に離れた。
その下にある赤土の地面も見えている。
「やはり効きますね」
冷静な一言。
キルトさんも「うむ」と頷いた。
「よし、虫除けの魔石を使いながら、この包囲網を抜けるぞ。ソルは、それでも抜けてくる蟻に備えて、風魔法を周囲に張れ」
「わかったわ」
パーティーリーダーの指示に、ソルティスは大杖の魔法石を輝かせる。
フォオン
僕らを中心に、渦を巻くように風が舞う。
空中を飛んでいた羽蟻たちも、吹き飛ばされていく。
「よし。皆、魔石を使え」
その声に、僕も腰ベルトのポーチから『黄色い魔石』を取り出した。
指先から、魔力を流す。
魔石が輝いた。
ポーちゃんの分は、イルティミナさんが代わりに魔力を流して、魔石を渡していた。
「あまり離れるな。行くぞ」
キルトさんの号令で、僕らは一塊になって歩きだす。
ザッ
1歩、足を踏み出す。
ザザァア
蟻たちが引いた。
(やった)
蟻が下がることを確認しながら、僕らは前に進んだ。
たまに下がらない蟻や、空から飛んでくる羽蟻もいたけれど、それらはソルティスの風魔法で吹き飛ばされていった。
ゆっくりと蟻の大地を進んでいく。
…………。
もしもこの大群に襲われたら、僕らは生きたまま食い殺されるのだろう。
目前にいる死の虫たち。
恐怖を押し込めながら、足を進める。
10分……。
20分……。
やがて30分を過ぎた頃、ようやく蟻の包囲網を抜けた。
(やった!)
「油断するな。確実だと思われる距離まで、このまま離れるぞ」
キルトさんの指示。
僕らは頷き、もう10分ほど歩いた。
大地からは、蟻がいなくなる。
振り返れば、遥か遠くに乱立する蟻塚たちが見えていた。
「…………。ふむ、ここまでくればよかろう」
キルトさんは息を吐く。
僕とソルティスは、安堵からその場にペタンと座り込んでしまった。
(あ~、緊張したぁ)
そんな僕らに、イルティミナさんも微笑んでいる。
…………。
(あの蟻が『航海日誌』にあった虫なのかな?)
ふと思った。
だとすれば、僕らは山場を越えたのだろうか?
他の『開拓団員』の人たちは、どうしただろう? ちゃんと無事に状況を切り抜けられたのかな?
気になって仕方がない。
ビリッ
(ん?)
その時、座り込み、地面に触れている指先に、かすかな振動があった。
なんだ?
ビリリッ
小さな振動だ。
それが少しずつ、大きくなってくる。
嫌な予感がした。
僕は立ち上がり、『妖精の剣』を構えた。
「マール?」
イルティミナさんたちが驚いた顔をしている。
僕は言った。
「何か近づいてきてる」
「え?」
「何じゃと?」
イルティミナさん、キルトさんもそれぞれの武器を構えた。
油断なく周囲を見る。
ソルティスも慌てて立ち上がった。
だけど、360度、どこにも何かしらの姿は見られない。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
音を立てないように静かに待つ。
と、次の瞬間、ポーちゃんが何かに気づいたように、足元の地面を見た。
ボゴォ
直後、地面を吹き飛ばして、細長い何かが飛び出してきた。
「ポオッ!」
ガァン
小さな拳がそれを殴り飛ばす。
地面に落ちたそれは、体長1メードもある大百足だった。
(魔物!)
黒光りする胴体に、赤い触覚、黄色い足たち。
僕らは、そちらに武器を構える。
と、
ボゴッ ボゴォオ
その周囲の地面から、更に8匹の大百足が姿を現した。
合計9匹。
僕らを襲う『赤茶けた荒野』での脅威は、まだまだ終わっていなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
「牙には毒があるやもしれぬ。噛まれぬよう気をつけよ!」
キルトさんが警告する。
そして、
「マールは右、イルナは左じゃ。わらわは正面。ソルは待機。ポーはソルを護衛せい」
「うん!」
「はい」
「わかったわ」
「ポーは、了承した」
僕らは、即、隊列を組む。
ギチチィ
9匹の大百足たちは、そんな僕ら5人へと襲いかかってくる。
(速い!)
でも、合わせられる。
「やっ!」
僕は、その1匹をカウンター剣技で迎え撃った。
ガギィイン
青く半透明の刃と黒い外骨格がぶつかり合い、激しい火花を散らした。
硬い!?
思った以上の防御力に驚く。
これは、関節の隙間を狙わないと倒せない。
弾き飛ばされた大百足は、足を動かし、身をくねらせながら起き上がる。
「ぬん!」
キルトさんの大剣は、凄まじい威力で外骨格を叩き潰し、中身まで潰している。
「はっ!」
イルティミナさんの白い槍は、研ぎ澄まされた刃で、硬い外骨格をも切断していた。
2人とも、やっぱり強い。
(僕だって……!)
呼吸を整え、集中する。
極限集中。
世界から音が消え、色がなくなった。
飛びかかってくる大百足の動きがスローモーションになり、その節の隙間に『妖精の剣』の刃を押し込んだ。
ブシャッ
体液が散る。
大百足の胴体が2つに分かれる。
でも、まだ動いている。
「この!」
ザクッ ザクッ
更に切断し、4つの部品に分けてやる。
ようやく動きが止まった。
(まだだ!)
まだ6匹残っている。
全部、狩るんだ!
僕は、大百足たちの方へと自分から走っていく。
「待て! 前のめりになりすぎじゃ、マール!」
キルトさんの驚いた声。
(大丈夫!)
その声を無視して、僕は止まらない。
襲いかかってくる大百足の牙をかわしながら、『妖精の剣』を関節の隙間に叩き込んでいく。
ガヒュッ ザクッ ダキュン
大百足たちの長い胴体が切断されていく。
ギィン
『妖精鉄の鎧』に大百足の牙が当たり、火花が散った。
(問題ないよ!)
毒があっても、生身に当たらなければいいんだ。
3匹。
4匹。
5匹。
「やぁああ!」
最後の6匹目も3つの部品に切断する。
刃の先端から、魔物の体液が弧を描いて飛散した。
「ふっ、ふぅっ、ふぅう……」
残心の構えを取りながら、僕は乱れた呼吸を整えていく。
その周囲には、大百足の死体が散乱していた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
4人とも、なんだか唖然として僕のことを見ていた。
すぐにキルトさんは怒った顔になる。
何かを言おうと、その口を開きかけ、
ドゴォオン
その時、僕の前方の地面が大きく吹き飛び、そこから、更に巨大な百足が1匹、飛び出してきた。
体長5メード以上。
(大百足たちの親玉?)
「下がれ、マール!」
キルトさんの指示が飛ぶ。
「戦闘音を聞きつけ、魔物が集まっているのやもしれぬ! ここは一旦、引くぞ!」
引く?
(…………)
でも、僕は『妖精の剣』を構えた。
キルトさん、イルティミナさんは、ギョッとした顔をする。
「マール!」
強い声を無視して、僕は、巨大百足へと走った。
体内にある力の蛇口を開く。
(――神気開放)
ギュオオオ
瞬間、僕の身体に耳と尻尾が生え、放散する神気が周囲で白い火花を散らす。
体内に力が満ちていく。
「神武具、力を」
走りながら願う。
それに応じて、ポケットにあった『虹色の球体』が砕け、光の粒子となった。
それは『妖精の剣』にまとわり、『虹色の鉈剣』へと進化させる。
重量の重くなったそれを手に、僕は跳躍する。
巨大百足は、大きな口と鋏を開き、僕を飲み込もうとした。
(今!)
巨大な鋏が僕へと突き刺さる直前、僕は尻尾を振るって、鋭く回転した。
ガチィン
鋏が、僕の身体の下で噛み合わさる。
そして僕自身は、独楽のように回転しながら、『虹色の鉈剣』を巨大百足の頭部へと叩き込んだ。
ドコォン
黒光りする強固な外骨格が砕け、切断される。
「うぁああ!」
叫びながら、『虹色の鉈剣』を長い胴体へ連続で叩き込んでいく。
ドキュッ ザキュッ ダキュン
巨大な足が千切れ、胴体が削れ、巨大百足は仰向けに倒れた。
「やぁああ!」
ズダアン
上空から落下しながら、その胴体に『虹色の鉈剣』を叩き込む。
太い胴体が切断された。
ビク ビクク
巨大百足は体液を吐きながら痙攣し、やがて、動かなくなる。
「ふっ、かふっ」
僕は、全力の興奮に呼気を荒げながら、剣を引く。
倒した。
ちゃんと倒したぞ。
湧きあがる感情に満たされながら、僕は、それを強く実感する。
4人は、呆然としていた。
「……マール」
イルティミナさんの酷く心配そうな声が、僕の獣耳の鼓膜を撫でて、やがて荒野の空へと消えていった。
◇◇◇◇◇◇◇
「馬鹿もん!」
その夜、大王種の骨の下で野宿をしている時、僕はキルトさんに怒られた。
ソルティスは『あらら』という顔で、ポーちゃんは無表情のまま、少し離れた僕らを見つめている。
焚火の炎が、僕らを照らす。
「なぜわらわの指示を無視した?」
「…………」
「魔物は倒せば良いというものではない。状況によっては、後退する判断も必要なのじゃ。そのことがわからぬそなたでもなかろう?」
黄金の瞳が僕を見つめる。
言い逃れは許さない、そんな強い眼差しだ。
…………。
僕は唇を引き結ぶ。
「まぁまぁ、キルト」
そんな僕らの間に、イルティミナさんが割って入る。
「マールにも思うことがあるのでしょう」
「イルナ」
キルトさんは、きつく彼女を睨む。
それを受け止め、
「マールには、私から言っておきます。この場は、私に任せてくれませんか?」
イルティミナさんは静かに言った。
それに何かを感じたのか、キルトさんは沈黙した。
僕を見る。
それから大きく息を吐き、
「わかった。よく言い聞かせておけ」
「はい」
キルトさんの許可に、イルティミナさんは頷いた。
それから僕は、イルティミナさんに連れられて、みんなから離れた場所へと移動させられる。
焚火の炎は遠く、僕らの影は長く伸びる。
大王種の巨大な骨の裏で、僕とイルティミナさんは2人きりになった。
「今日は大活躍でしたね」
イルティミナさんは微笑んだ。
「けれど、いつもより貴方1人で突出している場面も多かった。少し心配しましたよ」
「…………」
「…………」
「…………」
「何か、あったのですか?」
穏やかな声。
僕が語りだすのを待ってくれている、そんな気配だった。
…………。
僕は大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
「少しでも多く、魔物を倒したかったんだ」
と、正直に答えた。
「少しでも多く?」
彼女は驚いたように繰り返す。
僕は頷いた。
「うん。だって、少しでも多く倒せれば、その分、他の人の危険は減るでしょう?」
「…………」
「だから、1匹でも減らしたかったんだ」
僕は両手を見つめる。
今日の僕の行動は、危険だったのはわかっている。
でも、その分だけ、他の人の危険が減るのなら。
魔物に殺される人が減るのなら。
ギュッ
僕は拳を握り締めた。
「アルンの『大迷宮』の時みたいに、何もできないで、他の誰かが死んでいくのを知らされるだけなのは、もう嫌なんだ!」
そう叫んだ。
イルティミナさんは、酷く驚愕した顔だった。
「マール。もしや、この探索で犠牲が出たことを知って……?」
「…………」
コクッ
僕は頷いた。
イルティミナさんは「……あぁ」と悲しげに呻いた。
「そうだったのですね。それであのような無茶を……」
そう吐息をこぼす。
彼女は地面に膝をつき、僕と目線を合わせてくる。
「黙っていて、申し訳ありませんでした」
「…………」
「でも、マール。だからといって、今日のような真似は、二度としてはいけませんよ」
両手が、僕の肩に乗る。
「もっと自分のことも大切にしなければ、いつか、命を落とします」
「……大丈夫だよ」
僕は言った。
小さく笑いながら、胸元に揺れる宝石に触る。
「僕には『命の輝石』があるんだ。例え無茶であっても、生き返ることができるなら――」
パンッ
頬に衝撃が走った。
(え?)
イルティミナさんの白い手に、叩かれた……?
驚く僕の前で、その美貌は柳眉を逆立てていた。
「馬鹿なことを言ってはいけません!」
怒鳴られた。
「マール、冒険者はどれほど慎重に備え、行動していても死ぬことがあります。これは、その災いから貴方を守ろうとレクリア王女たちが託したもの。決して、その命を疎かにさせるためではありません!」
「っっっ」
「貴方の今の言葉は、貴方を心配する全ての人の思いを踏みにじるものですよ」
僕は硬直していた。
いつも優しいイルティミナさんに本気で怒られたのは、初めてかもしれない。
叩かれた頬が熱い。
心が痛い。
放心する僕の身体を、イルティミナさんは強く抱きしめた。
「貴方の気持ちはわかりました」
「…………」
「その痛みも、苦しみも。1人で抱えて、とても辛かったことでしょう」
抱きしめる力が強い。
身体が痛い。
でも、
「それでも、あえて言わせてください」
不思議と彼女の声が、心に染みる。
「そのように、うぬぼれてはいけません、マール」
「…………」
「多くの人を助けたいと願う心は立派です。けれど、1人の人間が背負えるのは、しょせん自分1人の命だけなのです。互いを支え合うことはあっても、それ以上はありません」
彼女は、ゆっくり身体を離す。
僕の肩に両手を置いたまま、その真紅の瞳は真っ直ぐに僕を見つめていた。
「私たちにできるのは、手を添えることだけです」
「…………」
「決して、全てを背負えはしない。それは、相手の生きる誇りも傷つけます」
悲しげに微笑み、
「だから、その小さな背中に、あまりに大きなものを背負おうとしてはなりません。……前にも言ったでしょう? 貴方は『ただのマール』であって良いのだと」
そう思い出させるように言った。
…………。
胸が苦しくて、それが目元から涙となってこぼれた。
「僕には、それしかできないの?」
「……はい」
イルティミナさんは頷いた。
「……悔しい」
僕は泣きながら呻いた。
僕は死んで欲しくないのに、誰かが死んでいくことを止められない……。
その死を、覆せない。
イルティミナさんは『それでいい』と言う。
でも僕は、それが悔しくて仕方なかった。
「……もっと強くなりたいっ」
心からそう願った。
イルティミナさんは、泣きながら睨むような僕の視線を、真正面から受け止めてくれた。
「はい」
彼女は頷いた。
そのまま、僕のことをもう一度、抱きしめてくれる。
その腕の中で、僕は涙を止めようと、必死に歯を食い縛る。
でも、止まらない。
荒野の星空の下で、そんな僕の髪を、イルティミナさんの指はいつまでも優しく撫でていてくれた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




