027・マールとイルティミナの散策1
第27話になります。
よろしくお願いします。
イルティミナさんたちの泊まる部屋は、冒険者の宿『アルセンの美味い飯』の3階、廊下の奥にある角部屋だった。
木製の扉を開けると、思ったより広い部屋が、僕らを出迎える。
「うわぁ……」
思わず、感嘆の声が漏れてしまった。
本当に広い部屋だった。
まず目についたのは、清潔なシーツに包まれた寝台――それが、壁際に3つも並んでいる。
廊下側の壁には、大きな箪笥が一つ、それと机と椅子のセットが一組。机の上には、綺麗な赤い花が、細い花瓶に飾られている。
日当たりの良い東と南の壁には、大きな窓があった。
透明度の高いガラスの向こうには、美しいメディスの街並みと、宿屋の前の通りとそこを行き交う人々が見えている。
(うん、凄くいい部屋だ……)
廃墟みたいな塔の居住スペースで暮らしていた僕には、ちょっともったいないぐらい。
少しだけ、ベッドに近づいて、触ってみた。
(わ、柔らかい)
そして、しっとりした弾力がある。
木綿のシーツも滑らかで、手触りも良かった。
(この布団の中身は、なんだろう? 多分、鳥の羽毛か、獣毛だと思うけど……)
モフモフ
う~ん、悔しいけれど、僕の自慢の『葉っぱ布団』も、この感触の前には完敗だ。
そんなことをしていると、
「マールの坊主。すまぬが、そこをどいてくれ」
「え?」
突然、キルトさんに声をかけられた。
振り返ると、彼女の腕には、いまだ眠ったままのソルティスが抱えられている。きっと、ベッドに寝かせるつもりなんだろう。
「あ、ごめんなさい」
僕は、慌てて場所を譲った。
キルトさんは「うむ」と頷き、銀色の髪を肩からこぼしながら、ソルティスの小さな身体を、ベッドの上に静かに下ろす。
乱れてしまった紫色の前髪が、キルトさんの指で、優しく整えられた。
僕も、その少女の寝顔を、横から覗き込む。
「ソルティス、大丈夫かな?」
「心配いらぬよ。血色も良くなった。もうしばらくすれば、自然と目も覚めるであろう」
キルトさんの口調は、穏やかだ。
言われてみれば、確かに、森の中では真っ白だった顔色も、今は、ふっくらした頬に赤みが差している。なんだか、リンゴみたいで、ちょっと美味しそうだ。
「よかった……」
僕は、安心して笑ってしまう。
キルトさんは、そんな僕をしばらく見つめ、それから、もう一人の仲間――イルティミナさんの方を振り返った。
イルティミナさんは、部屋の隅で、あの赤牙竜の牙も積み込まれた大型リュックを、降ろそうとしているところだった。
「おい、イルナ」
「はい?」
ドッスン
床が揺れ、イルティミナさんは、荷物を下ろした姿勢で停止した。
キルトさんの手が、ポンと僕の頭に乗る。
「そなた、今から、このマールの坊主を連れて、メディスの観光にでも連れていってやれ」
……はい?
僕と同じように、イルティミナさんの真紅の瞳は丸くなる。
「今からですか?」
「うむ。ここまで、マールの坊主にも、色々と苦労があったのだろう? 少しは労ってやらねばな」
「それは、賛成しますが」
「ソルティスは、心配いらぬ。わらわが、そばで見ているゆえに」
戸惑いながらも、イルティミナさんは僕を見る。
「マールは、どうしたいですか?」
「イルティミナさんが良ければ、もちろん、メディス観光したい!」
即答だった。
キルトさんやソルティスには申し訳ないけれど、やっぱり、初めての異世界の街だから、この目に焼きつけたくて仕方がなかった。
きっと、イルティミナさんを見返す僕の青い瞳は、期待と興奮、好奇心でキラキラと輝いていただろう。
それを受けて、イルティミナさんは苦笑した。
「わかりました。それでは、キルトの言葉に甘えます。――フフッ、一緒に参りましょうね、マール」
「やったぁ!」
喜びのままに、僕は、両手を突き上げる。
それから、素敵な提案をしてくれたキルトさんを振り返った。
「ありがとう、キルトさん! 楽しんでくるね!」
「うむ。――良き思い出を、いっぱい作ってくるが良いぞ」
キルトさんは穏やかに微笑み、銀の髪を揺らして、大きく頷いた。
(……?)
でも、なんだろう?
その端正な微笑みが、けれど僕には、少し悲しそうな、申し訳なさそうな、そんな不思議な表情に見えたんだ――。
◇◇◇◇◇◇◇
やがて、僕とイルティミナさんは外出準備を整え、冒険者の宿『アルセンの美味い飯』を出た。
「さて、どこ行くの?」
「まずは、服屋にでも行ってみましょうか?」
「服屋さん?」
「マールはずっと、同じ服でしたからね。この私が、新しい服を買ってあげましょう」
言われてみれば、僕は転生してから、この服を着っぱなしだ。
いや、ちゃんと『癒しの霊水』で洗濯はしてたよ? でも、さすがにほつれや破れ、染み込んだ汚れは、あるんだよね……。
僕は、左肩からお腹までの縫い目を、指でなぞる。
「でも、僕、イルティミナさんに縫ってもらったこの服、まだ大事にしたいんだけどな……」
「――――」
イルティミナさん、突然、口元を押さえて、横を向いてしまった。何かを堪えるように、肩が小さく震えている。
(???)
やがて、コホンと咳払いすると、妙に澄ました顔で、
「そんな些細なことを、気にしてはいけません。さぁ、行きますよ、マール」
「あ、うん」
僕の手を引いて、イルティミナさんは歩きだす。
でも、長い髪の隙間に見えた彼女の耳は、なんだか赤くなっているような気がした。
◇◇◇◇◇◇◇
そうしてイルティミナさんに案内されたのは、大通りに面した、一軒のお店だった。
「ここ?」
僕は、ポカンとする。
そこは、普通の服屋さんではなくて、盾や鎧などを専門に扱う冒険者のための防具店だったんだ。
イルティミナさんは、にこやかに笑う。
「はい。旅を続けるならば、服も丈夫な方がいいですから。こういう店の方が安心です」
「そ、そっか」
「さぁ、入りましょう?」
戸惑う僕は、イルティミナさんの手に引かれて、店内へと一緒に入っていった。
「へい、らっしゃいっ!」
入った途端、店の奥から元気な声が聞こえて、店主らしき人がやって来る。
おや? ずいぶんと背が低い人だ。
顔は、髭を生やしたおじさんなのに、頭の位置は、子供の僕と同じぐらい。でも、身体つきは筋骨隆々で、丸い岩石みたいな印象だった。
(もしかして、この人、ドワーフさん?)
前世の知識が、僕に訴える。
初めて見るドワーフさんの姿に、僕の目は釘づけだ。
そんなドワーフおじさんは、店に入って来た客――つまり僕らを見て、ちょっと驚き、それから珍しそうな顔をした。
「ふ~む。母子……の割にゃ年が近ぇか。アンタら、もしかして姉弟か?」
いきなり言われて、僕らはキョトンとした。
「いえ、違いますが……なぜ、そう思ったのです?」
「仲良く、手を繋いでるじゃねぇか」
「……あ」
指摘されて、今更ながらに気づく。
真っ赤になって、僕らは、慌てて手を離した。
「す、すみません、マール」
「う、ううん。こっちこそ、ごめんなさい」
僕らの反応に、ドワーフおじさんは驚き、そして「ガハハッ」と大笑いした。
「なんでい、なんでい。初々しい恋人さんたちだなっ?」
「こ、恋……っ!?」
イルティミナさんと僕、揃って硬直です。
それに構わず、ドワーフおじさんは、あご髭を撫でながら、そんな僕らをジロジロ見る――いや、正確に言うと、イルティミナさんの装備を、だ。
「へぇ? そりゃあ、タナトス時代の魔法の槍だな? しかも、使い込まれてやがる。……お前さん、かなりの腕前の冒険者だな?」
おじさんの目が、鋭く細まる。
その視線に、イルティミナさんもハッとなって、いつもの調子を取り戻した。
コホンと咳払いして、落ち着いた声で答える。
「これでも一応、『銀印』の魔狩人ですので」
「ほぅ、その若さで、やるじゃねぇか? で、そんな凄腕さんが、うちに何の用だい?」
「この子に旅服を。それと、私の鎧の修復も」
そう言って、彼女の白い手は、自分の鎧に空いた穴を触る。
ドワーフおじさんは、あご髭を撫でる手を止めて、その目を丸くした。
「おいおいっ? こんな大穴開けて、アンタ、よく生きてたな?」
「マールに助けられました」
いや、助けたのは、『命の輝石』なんだけど。
心の中で突っ込む、僕。
でも、イルティミナさんの視線は、優しく僕を見つめ、ドワーフおじさんも「へぇ?」と感心したように僕を見る。
「よくわからんが、惚れた女を守れるのは、いい男の証だぜ。よっしゃ、お前さんにぴったりの旅服、俺が見繕ってやる!」
「ほ、惚れ……!?」
イルティミナさんは、また硬直する。
僕は、困ったように笑って、とりあえず「よろしくお願いします」と、ドワーフおじさんに頭を下げた。
◇◇◇◇◇◇◇
「マール、よく似合ってますよ」
「あはは、ありがと、イルティミナさん……」
笑顔で手を叩くイルティミナさんに、僕は、ちょっと疲れた笑顔を返した。
あれから、1時間が経ちました。
僕はその間、イルティミナさんの着せ替え人形にされて、色んな服を着せられたんだ。
半袖、半ズボンの旅に向かないものから、貴族が着るような煌びやかなもの、なぜか女の子の服も勢いで着せられて、結局は、ドワーフおじさんが最初に見繕ってくれた旅服を、僕は選んだ。
(でも、本当に、丈夫そうな服だよね?)
手足を動かし、そう思う。
生地が厚いのもあるけれど、それだけじゃない。
肘や膝など関節のある部分、それと背骨のある背中側には、クッション素材が生地と生地の間に縫い込まれている。これなら、転んでも痛くないし、怪我もしない。
それに編み方にも工夫があって、通気性もいいんだ。長く歩いて、汗をかいても、不快にならないらしい。
あと新しい靴も、くるぶしと爪先には、硬質な素材が使われている。試しに、足を踏んでもらっても、なんともなかったよ。
「どうでい? 坊主?」
「うん、とても気に入りました。ありがとうございます」
ドワーフおじさんに、僕は笑って、心から礼を言う。
おじさんは、「いいってことよ」と満更でもなさそうな笑顔で、手を振った。
それから、イルティミナさんの方を見て、
「さて、時間かかっちまったが、次はお前さんの方だな?」
「はい、お願いします」
頷いて、イルティミナさんは、自分の鎧の留め具を外していく。
やがて、鎧の下から現れたのは、動き易そうなシャツとズボンという格好の女性の姿だ。
「…………」
鎧を着ていないイルティミナさんを、じっくりと見るのは、初めてだったかもしれない。
正直、ちょっとドキドキしてしまった。
(だって、あまりに、普通の女の人なんだもん)
僕は、イルティミナさんを『冒険者』だと思っていた。
でも、違った。
イルティミナさんは、冒険者をしているだけの『普通の女の人』だった。
冒険者だから、強くて当たり前……そんな風に、錯覚してたけど、本当は、普通の女の人が努力して、強い冒険者になっていただけだったんだ。
「ん? どうかしましたか、マール?」
「ううん」
僕は、彼女を尊敬する。
いつか、今みたいに守られるだけじゃなくて、彼女のことを守れるような男になりたい――今更ながらに、そんなことを思ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
イルティミナさんの鎧が、手足も含めて外されて、ドワーフおじさんに手渡される。
「どの位かかりますか?」
「そうさな……まぁ、2~3時間ってところだろ。昼過ぎまでには、終わらせとくよ」
「では、その時に、引き取りに参ります」
「はいよ」
イルティミナさんは、腰ベルトのポーチから、数枚の硬貨を取り出して、それを渡す。どうやら、前金らしい。残りは、引き取りに来た時に、支払うそうだ。
「あの、イルティミナさん。僕の服の代金は、いつか、ちゃんと返すからね?」
「いいえ、プレゼントしますよ」
いやいや、それは駄目。
と、開こうとした僕の口を、彼女の白い指が押さえた。
(え?)
悪戯っぽく真紅の片目を閉じて、彼女は笑う。
「と言いたいのですが、宿屋での一件を思うと、マールはとても頑固そうですからね」
「え、えっと……?」
「わかっています。――では、マールの服の代金は、無利子、無催促、無担保で、お貸しします。それで、よろしいですね?」
「う、うん。ありがとう……」
でも、なんだか、手のひらで転がされた気分だ。
イルティミナさんは、「フフッ」と楽しそうに笑い、ドワーフおじさんは「ガハハッ」と大笑いして、僕の背中をバシンと叩いた。
「お前さん、将来は、ずっと嫁の尻に敷かれそうだな?」
「…………」
別に、イルティミナさんと結婚する予定もないんだけど……なんだか僕は、むず痒い気持ちになり、ちょっと赤くなって黙り込んでしまうのだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。




